• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

函館市/函館市地域史料アーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 13件
辞書ファセット
/ 1ページ
函館市史 通説編 第一巻 (奉行所の備船)

豆州下田で造船したスクーネル型船)の信敬丸、順捷丸の2艘の回付を受け、また箱館においてスクーネル型箱館丸・亀田丸,亀田丸がニコライエフスクに航し、健順丸が上海に航海したことは、すでに外国貿易の節において述べた通りである
函館市史 通説編 第一巻 (貿易船の海外派遣)

らなかったが、文久元(1861)年に至り、諸術調所教授武田斐三郎らをして、箱館において建造した西洋型帆船亀田丸,通訳を養成すると共に、蘭書によって外国の技術を研究、採用せしめ、諸術調所と称して青年の育成に当ったが、亀田丸
函館市史 通説編 第一巻 (種痘の普及)

巡回種痘を機に、郷里箱館に落着き、万延元年箱館医学所頭取に挙げられ、文久元年には武田斐三郎の指揮する亀田丸
函館市史 通説編 第二巻 (貿易船の海外派遣)

文久元年の場合は、勘定所や外国奉行、外国掛大目付・目付の「評議」の史料がみられる(「箱館亀田丸魯領アンムル,亀田丸に支配調役水野正太夫、諸術調所教授役武田斐三郎らが乗組んで、文久元年4月28日箱館出帆、5月7日,「官船亀田丸ヲ露国ニコライスクニ遣リ絹、布、米、醤油、馬鈴薯ヲ販売セリ、是ヲ以テ本道ニ於ケル海外直輸出,箱館の亀田丸が「アンムル河」方面に出航するとき「追而唐国上海香港等迄も出船御差許相成候ハゝ土地之潤沢…,この系譜の意見が、やや有力だったのは、亀田丸の調査、試験貿易の意義がみとめられた、ということとも思われ
函館市史 通説編 第一巻 (造船)

同5年また同型の船を造り、6年10月に出来あがり亀田丸と名付け、竹内保徳がこれに乗って江戸に帰った。,造船所があって、日本形船の製造および修繕に従事していたが、なかでも辻造船所はやや整備され、官船箱館丸、亀田丸
函館市史 通説編 第二巻 (官設造船所と市中業者)

と市中業者 函館の造船業界は安政期以降続豊治と辻松之丞(5代)の両船大工の共同作業によって箱館丸や亀田丸,この御船製造所は箱館丸や亀田丸を建造されたところで、文化年間(1804~1818)に建設された御作事場
函館市史 通説編 第二巻 (乗組員の養成)

入校年月 受験人氏名 隼丸 環光丸 正丸 大栄丸 下船中  〃 富山丸 下船中  〃 亀田丸
函館市史 通説編 第一巻 (諸術調所)

翌文久元年には、亀田丸に乗ってロシア領ニコライエフスクに至り、貨物を交易し、黒竜江地方を実測するとともに
函館市史 通説編 第二巻 (船舶購入と航路の開拓)

武田斐三郎が教授役を勤めた諸術調所に入門して武田の門下生となり航海術を学び、文久元年には箱館奉行所の亀田丸
恵山町史 (③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)

そのため、没落前の高田屋嘉兵衛のもとで働いていた船匠豊治を起用して、安政4年に箱館丸、5年に亀田丸、万延元年,文久元年(1861)4月には、亀田丸で、露領ニコライエフスクから黒竜江をさかのぼって測量をやり、天文、
函館市史 通説編 第二巻 (西洋形帆船の建造ブーム)

仁風丸 隼丸 東昇丸 雌阿寒丸 蒲浦丸 長運丸 久玉丸 金多丸 高砂丸 旭丸 亀田丸
恵山町史 ((4)古武井高炉と一連の施設)

翌万延元年1月まで箱館丸−続豊治の手による洋式船に斐三郎は事実上の船長として乗船、翌文久元年4月より8月まで亀田丸
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

(築造係の代島剛平も二大工事の築造係であったが(12))特に文久元年(1861)の亀田丸による黒竜江出貿易,箱館の守備・発展を期し、五稜郭、弁天砲台の二大工事、西蝦夷地久遠場所、臼別寄場、古武井熔鉱炉、箱館丸・亀田丸
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました