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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 別巻 亀田市編 (亀田八幡宮)

亀田八幡宮 亀田八幡宮  『亀田八幡宮紀元書』の最初に「亀田郷惣鎮守、正八幡宮建立、慶長八年癸卯十月,境内も広く、『亀田八幡宮紀元書』には「東百二十間、西九十七間、南百二十五間、北百八間」とあり、宮司藤山氏 / 亀田八幡宮
南茅部町史 下巻 (〔亀田八幡宮社記〕)

〔亀田八幡宮社記〕 亀田八幡宮から奉行所に差し出した文政五年(一八二二)の社記によれば、戸井村から郷土 / 〔亀田八幡宮社記〕
函館市史 銭亀沢編 (根崎川濯神社の場合)

根崎町の春祈祷は、おおむね四月二十日頃であり、祭主は亀田八幡宮の宮司三人が戸別に訪問し、神棚に家内安全,夏祈祷は六月二十日頃におこなわれ、これまた亀田八幡宮の宮司が戸別に祈祷する。,なお、正月の初詣には、亀田八幡宮の宮司の来社はなく、大晦日から元旦にかけて、氏子代表を中心に六、七人が,氏子の七、八〇人ほどが、初詣をして、亀田八幡宮から取り寄せていた破魔矢などのお札を購入していく。  ,皇室にかかわる年中行事についての祈祷も亀田八幡宮宮司によって執行される点を除けば、他は前述の石崎八幡神社
南茅部町史 下巻 (神職社掌区)

神職社掌区 寛政一二年(一八〇〇)、幕府の蝦夷地経営がはじまるに当たって、亀田八幡宮から蝦夷奉行に差,し出された社記には、六か場所各地の神社・小祠の明細な記録があり、六か場所中戸井より熊泊(大船)まで亀田八幡宮藤山主税,往時の神社亀田八幡宮の社掌する社は、亀田村ほか箱館市中のすべてを受け持っていたと記されている。  
南茅部町史 下巻 (〔昆布漁祈願の神楽〕)

〔昆布漁祈願の神楽〕 亀田八幡宮社記によれば、延宝二年(一六七四)六月(旧暦)、尻沢部村(現函館市住吉町辺,)より野田追村までの漁家、出稼ぎの者ら、一軒につき昆布一駄を初穂料に差し出し、亀田八幡宮において漁業安穏成就,から南茅部・砂原・八雲までの六か場所の漁家と、その出稼漁師達が、その年の収穫が豊かであることを祈って亀田八幡宮
函館市史 通説編 第二巻 (2つの八幡宮)

函館市中に併存していた亀田八幡宮と函館八幡宮との起こるべくして起こった社格争いを伝える文章でもある。 ,  当地(函館)崇敬社ノ義、亀田八幡宮ノ方可然御心得ノ内、同社ハ旧社ノ趣ニハ及承候得共(,第二は、杉浦が開拓使中判官の政治的立場で、伝統の古さを誇る亀田八幡宮よりも、「北海道惣鎮守」であり町域
南茅部町史 上巻 (昆布商売の祈祷神楽)

昆布商売の祈祷神楽 亀田八幡宮の書上に、延宝二年(一六七四)、箱館の尻沢辺(住吉町)から東蝦夷地野田追,當社記之書上       亀田八幡宮    六月十五日 昆布商賣祈祷御神樂 延寶貳甲寅年六月 永久被二仰付
函館市史 通説編 第二巻 (招魂社の祭りと競馬)

いつの頃より歟、亀田八幡宮華表(とりい)前に於て年々競馬の催し有ける」とあることから判断して、招魂社の,なぜなら「函館新聞」が創刊された明治11年の記事には、亀田八幡宮に於ける競馬は既に過去のものとして報じられることなく,それは恐らくまず幕末~明治初年の亀田八幡宮において興行され、その後、明治2年~8年の頃から招魂社の祭礼,してみれば、函館における競馬の始点を亀田八幡宮に求め、その展開相を招魂社の祭礼の中に見出すのも、そう誤
南茅部町史 上巻 ([郷土の戸口])

元禄年間には亀田八幡宮に昆布を採る人たちの安穏祈願のため、毎年神楽が奉納された記録(神道大系「亀田八幡宮
函館市史 通説編 第一巻 (松前神楽)

の白鳥孫三郎の玄孫が松前に行って神職となり、永井家を嗣いで神楽三宗家の一になったという因縁もあるが、亀田八幡宮
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田郷の範囲)

亀田郷の範囲 亀田郷の範囲は時代によって多少の違いはあるものと考えられるが、亀田八幡宮の旧記、享保九
南茅部町史 上巻 (松前島郷帳)

亀田八幡宮の社記(後述)に、元禄年間、亀田近在ほか近在の昆布採り場の者の豊漁と安泰を祈願する神楽が恒例
南茅部町史 下巻 (〔郷土の仏教〕)

南茅部の神社・寺院の記録は、寛政一二年の亀田八幡宮社記に箱館高龍寺の末寺庵室として、臼尻の龍宮庵が記録
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田港の発展)

江戸幕府が開かれたと同じ年の慶長八(一六〇三)年亀田八幡宮が建てられ(亀田八幡宮古実記)、年代は詳かでないが
函館市史 通説編 第一巻 (建築)

三国峠の権現堂で幕府官匠石川雲蝶と入神の彫技を競ったという佳話もあり、亀田八幡宮にはその作品も残っている
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田番所)

寛政年間筥館市中之図 蝦夷島奇観所載 市立函館図書館蔵(箱館移転後の亀田番所)  亀田番所の位置は現在の亀田八幡宮付近
函館市史 別巻 亀田市編 (明治以前)

といわれる亀田には、高龍寺(自寛永十年至宝永三年)、称名寺(自正保元年至宝永五年)、山上大神宮(天和年中)、亀田八幡宮,その後代表的な寺院は函館へ移転し、亀田八幡宮も函館区と合併(明治三十二年)により、亀田村の行政区域から,函館区と合併後の三十九年十一月、北海道庁令をもって、亀田八幡宮は函館区および亀田村より神饌幣帛料を供進
函館市史 通説編 第一巻 (神社)

文久元(1861)年には天満宮が仲新町に移され、翌2年亀田八幡宮の拝殿を改築した。
函館市史 別巻 亀田市編 (ばん馬競走)

そのほか、五稜郭公園の裏、豊(ゆたか)湯のそば、亀田八幡宮の境内、亀田消防署のそばなど、あちこちと場所
函館市史 通説編 第一巻 (神社)

亀田八幡宮 社職6代藤山季房が文化5年社誌を記述したが、7代政房も文政8(1825)年、『亀田八幡宮記元書
函館市史 通説編 第一巻 (神社)

  亀田八幡宮 明徳元(1390)年、河野加賀守森幸なる者が越前敦賀郡の気比神宮より勧請,  弁財天社(現厳島神社) 亀田八幡宮の神職が漁期に来て豊漁祈願したのが始まりといわれ、『
恵山町史 (野菜類の確保 明治5年の戸口・人数と『畑反別書上小前連印帳』の人数から)

野菜類の確保 明治5年の戸口・人数と『畑反別書上小前連印帳』の人数から 亀田八幡宮記録に『明治五年の
椴法華村史 (昔日の稲荷神社)

創立年代は詳らかではないが、寛政十二年(一八〇〇)八月二十一日、亀田八幡宮の八代目の神主であった藤山主膳家治
椴法華村史 (恵山八幡宮(椴法華八幡神社))

にあり、いつのころより祭られたものかは明らかではないが、享保二年(一七一七)八月十五日に藤山四代右京(亀田八幡宮,文中の藤山氏は代々亀田八幡宮の宮司を務め、当時は箱館から下海岸一帯の八幡神社に影響力を有していた。
南茅部町史 下巻 (郷土神社棟札編年一覧)

郷土神社棟札編年一覧 文化六己巳(一八〇九)六月二六日 木直稲荷大明神 本殿 魚漁円満当村安全 松前亀田八幡宮,          天保一一子(一八四〇)二月  (木直)正一位稲荷大明神 神号(書付)「神祇管領長上家」 松前亀田八幡宮
南茅部町史 上巻 ([郷土の開基])

しかし、板木(安浦)と磯谷にも寛政一二年(一八〇〇)以前にすでに神社が鎮座していることを記した亀田八幡宮
南茅部町史 上巻 (起源不詳)

亀田八幡宮書上に、元禄年間、昆布漁民の安穏を祈願する神楽を奉納した記録がある。  
南茅部町史 下巻 (〔神社創始の起源〕)

磯谷稲荷神社の起源は詳かでないが、文政五年(一八二二)の亀田八幡宮社記によれば、松前藩私領の頃すでに臼尻領磯谷鎮守稲荷大明神
函館市史 通説編 第二巻 (2つの八幡宮)

2つの八幡宮 明治6年の頃、社格問題で相互に確執し合った正八幡=亀田八幡宮と元宮八幡=函館八幡宮も、
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田地域の馬と競馬)

と記されており、亀田八幡宮の祭礼に競馬会があり、これに出場する馬の中には「随分高価を捐て良馬を購ふ者あり
函館市史 通説編 第二巻 (五稜郭開城)

17日朝、榎本と松平は亀田の斥候所へ出頭、亀田八幡宮裏手(越前大野藩隊長中村雅之進矩成手録「箱館日誌」
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田村の大半を割愛)

函館区を重点的に把握した区制実施に当って、亀田村は戸長役場、亀田小学校、亀田八幡宮および五稜郭を中心とした
南茅部町史 下巻 (〔勧請之書〕)

年代の相違もあり、古く遠い昔のことでもあり、亀田八幡宮社記にあるように先々事不(さきざきのことあい)二相知
函館市史 別巻 亀田市編 (慣習)

△ 村社祭礼    亀田八幡宮祭日ハ九月十五日ニシテ其賑カナルコト言語ニ絶ス。       
函館市史 銭亀沢編 (明治五年の神社調査)

戸 大山祇神社 亀尾村字野広場 雑 社 大山祇命 安政2年村中協議ヲ以テ始テ建立  12戸 「亀田八幡宮管下諸社調査,銭亀沢の神社の管轄が、湯倉明神から亀田八幡宮に代わったのである。
恵山町史 (1、尻岸内八幡神社)

明治政府の「祭政一致之制度」(註1)により、明治9年、亀田八幡宮(旧亀田村、現函館市)等とともに郷社(
函館市史 銭亀沢編 (函館風松前神楽(渡島神楽))

祭主の藤山直之進は、亀田八幡宮の藤山社家第十代に当たり、長門守と称して松前城下の正神主白鳥遠江守と同格
函館市史 通説編 第一巻 (年中行事)

いつの頃よりか、亀田八幡宮華表(鳥居)前に於て年々競馬の催し有ける。
南茅部町史 下巻 (〔明治五年神社巡回日記〕)

                  〈函館八幡宮氏子相成度   安政二・一一・一七〉 桔梗村               〈亀田八幡宮氏子相成度
南茅部町史 下巻 ([目次])

    神社創始の起源  郷土の神社の沿革  昆布漁祈願の神楽  勧請之書  棟札  稲荷社     亀田八幡宮社記
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