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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 別巻 亀田市編 (亀田奉行の勤務)

亀田奉行の勤務 亀田奉行の置かれた初めのころは、本州船、蝦夷地船の出入が多く、また昆布漁をはじめとする,また亀田奉行は前松前藩時代の終り、寛政十二(一八〇〇)年に廃止され、その後松前藩が蝦夷地を再支配することになった,時、箱館に奉行所が設置され、箱館奉行と称されたが、人々の中にはこれを旧例にならい亀田奉行と呼ぶ者もあった / 亀田奉行の勤務
函館市史 別巻 亀田市編 (歴代亀田奉行)

歴代亀田奉行 歴代亀田奉行は次のとおりである。(番号は整理のため。現在までに判明した者。)   / 歴代亀田奉行
椴法華村史 (亀田奉行の定)

亀田奉行の定 次に亀田奉行の法令・覚書の中から六箇場所に関係すると思われる条文をとり上げ、その内容について / 亀田奉行の定
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田番所の行政区域と法令)

その後亀田地域の発展と松前藩の行政体制の確立に伴い、時期ははっきりしないが亀田奉行といわれるようになり,更に和人地の拡大に伴い、亀田奉行の行政地域も広められ、最初は知内以東、亀田までであったものが、汐首、戸井,こし、亀田番所〔寛保元(一七四一)年亀田番所は箱館に移転〕の工藤平右衛門奉行に強訴したが、これなどは亀田奉行,次に亀田奉行に出された覚書及び法令によってその業務内容の概略を知る手がかりとする。
函館市史 別巻 亀田市編 (蝦夷地直轄)

(当時亀田奉行所の建物は二か所で、一つは亀田に在ったもので寛保元(一七四一)年以前、亀田奉行所が箱館に,移動する前の建物であり、いま一つは箱館の河野館跡に建てられていたもので、亀田奉行所が箱館に移った寛保元年以後使用,した蝦夷地取締御用掛の一人である三橋藤右衛門成方は、箱館の仮役所では手狭であるため、当時亀田にあった旧亀田奉行所,置かれたのは約半年間ほどで、九月三橋成方が江戸へ帰り、代って村上三郎右衛門常福が来箱するや、箱館の旧亀田奉行所跡,文化元(一八〇四)年春、亀田村に在り、長く村民に親しまれてきた旧亀田奉行所の建物は箱館に移され、奉行交代屋敷
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田番所と諸役)

元禄二(一六八九)年に職を辞した手代木惣右衛門は、八代目の亀田奉行であるといわれており、前記『逢坂氏日記,』の記述順序から考え、初代の亀田奉行は今井平七であったものと思われる。
函館市史 通説編 第一巻 (社寺の管掌)

社寺の管掌 松前藩時代には藩に寺社奉行があったが、箱館、亀田地方では、すべて亀田奉行が取扱った。
函館市史 別巻 亀田市編 (農作物と税制)

その後畑作が次第に発達し、穀物の収穫もある程度順調になったらしく、享保年間亀田奉行に達した制令に(新北海道史第二巻通説一,亀田奉行所支配地内の所では百姓の取り分七、残りの三は税として亀田奉行(松前藩)または藩士の知行地の場合
函館市史 通説編 第一巻 (供養碑の建立)

供養碑の建立 宝暦3年、亀田奉行酒井伊左衛門喜澄が称名寺境内に、河野政通の供養碑を建て、寺に供養料を
函館市史 通説編 第一巻 (亀田番所の設置)

のちこれが亀田奉行所となったが、その年代も明らかでなく、元禄2(1689)年奉行職を辞した手代木惣右衛門,亀田奉行の支配区域は知内以東の和人居住地とされた。  ,元禄4年藩の覚書によれば、亀田奉行の職責は次の通りである。,右之趣急度申付くべきもの也       元禄四歳末四月何日              墨印 誰とのへ 亀田奉行,(『福山秘府』)    これによって亀田奉行の職権をみれば、蝦夷地の密交易の取締、訴訟および
函館市史 通説編 第一巻 (キリスト教)

また元禄4年藩主から亀田奉行への覚書には「切支丹宗門改の時分、念入候様、名主五人組共に能々申付べく候事
函館市史 別巻 亀田市編 (農業の奨励と耕作方法)

時代がやや下るが、元禄四(一六九一)年四月亀田奉行に出された法令によれば、前記したように、     ,とあり、この当時亀田奉行の支配する知内以東亀田までの地域では百姓は家を絶やさないこと、五年間も放置していた,また前記元禄四(一六九一)年の亀田奉行の法令中に「五年も捨置候畑地は新世間の者共にまかせ可レ申候」とあるように
函館市史 通説編 第一巻 (箱館役所)

すなわち、旧亀田奉行所の番所(現市立函館病院の所)をもって役所とし、各自の住居は小屋を繕ってこれにあて
函館市史 別巻 亀田市編 (箱館への移動)

○元文六(一七四一)年 亀田奉行所箱館に移る(箱館に移動してからも亀田奉行所又は亀田番所と称した)。
函館市史 別巻 亀田市編 (享保年間の覚書)

享保年間の覚書 このほかにも亀田奉行関係の法令として次のようなものがある。,松前福山諸掟』中の、亀田、箱館奉行「覚」の中に含まれているもので、年月は不明であるが(享保年間と推定される)、亀田奉行
椴法華村史 (亀田番所の設置)

その後、松前藩の行政体制の確立、漁業の発達、出入船の増加などにより、亀田番所は松前から直接派遣された亀田奉行
南茅部町史 下巻 (〔昆布漁祈願の神楽〕)

尻澤部村ヨリ濱通野田追村迄、昆布稼方之者より乞之願二付、駄昆布壹駄宛寄附有レ之、此時領主より為二御名代一亀田奉行下代兼名主年寄付添社参有
函館市史 通説編 第一巻 (茅部漁民の訴え)

余人が亀田村に至り、20日には、その数が増加して500余人に達し、箱館に押し寄せ、各村の小頭が代表して亀田奉行
函館市史 別巻 亀田市編 (元禄四年の定)

元禄四未年四月                  墨印    この法令によって元禄四(一六九一)年亀田奉行,めならびに亀田、知内より入港の船への間役(入港税)のこと    以上であるが、この法令の文中から、亀田奉行
函館市史 別巻 亀田市編 (諸役の収納)

既述の亀田奉行の「覚」、享保年間(一七一六―三五)に、次のような条文が見られる。     
椴法華村史 (茅部漁民の強訴)

これらの理由を知った時の亀田奉行工藤平右衛門はこれを認め強訴は解散したが、この報告を受けた松前藩はこれを
函館市史 通説編 第一巻 (昆布税)

(『松前蝦夷記』)    また、元禄4(1691)年松前藩主から亀田奉行に達した覚書によると
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田の木材)

近年山伐からし材木纔斗(ワズカバカリ)出申候故只今ハ志摩守用木斗伐セ申候よし    とあり、当時亀田奉行所
函館市史 通説編 第一巻 (問屋株仲間)

箱館問屋頭 宗太郎 亀田御名主 七郎右衛門殿 (『箱館問屋儀定帳』)    この願書は名主から亀田奉行酒井伊左衛門
函館市史 別巻 亀田市編 (村役人と仕事)

村役人と仕事 前松前藩時代、亀田郷の村々に直接在村していた役人は小頭だけで、亀田奉行―名主―年寄といった
函館市史 通説編 第一巻 (沖ノ口取締)

次いで享保20年松前沖ノ口役所から亀田奉行に対し、出入の船舶・旅人に関し、左の通達があった。
函館市史 別巻 亀田市編 (享保十四年の定)

このほかにも亀田奉行関係の法令として次のようなものがある。
南茅部町史 上巻 (松前昆布)

福山秘府には、元禄四年(一六九一)亀田奉行へ達の内に     一、昆布取場之他国より直に舟来候はヾ
函館市史 通説編 第一巻 (ロシア使節の来航)

なお、文中函館市長とあるのは、『魯西亜船入津一件』によれば、「然ル所八日昼箱館沖二相見へ候二付、時ノ亀田奉行新井田久次兵衛下知,ニテ箱館ヨリ引船数艘差出シ箱館ノ港へ引込申シ候」と見られるから、この新井田亀田奉行をさしていると思われる
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

1692年(元録5)8月の亀田奉行定書(松前福山諸掟)より <昆布の保護策と役(課税)>  上記亀田奉行定書
函館市史 別巻 亀田市編 (函館市史 別巻 亀田市編 目次)

 第四節 村々の行政 ………………………………………………………… 92    一 亀田番所と亀田奉行
椴法華村史 (目次)

発達…………………………………………………………313      亀田番所の設置/亀田番所の移設/亀田奉行
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