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函館市史 別巻 亀田市編
(亀田番所)
亀田番所
寛政年間筥館市中之図 蝦夷島奇観所載 市立函館図書館蔵(箱館移転後の
亀田番所
)
亀田番所
,このため船を相手とする商人たちは、箱館に居を移すようになり、従って商人や入港船舶を取締り、税を徴収していた
亀田番所
,
亀田番所
は寛保元(一七四一)年箱館へ移ってからも、
亀田番所
または亀田箱館番所と呼ばれていた。 ,また文化元(一八〇四)年には亀田にあった奉行役宅(旧
亀田番所
)を廃し、箱館に移して奉行交代屋敷を造ったが /
亀田番所
椴法華村史
(亀田番所の移設)
亀田番所
の移設
亀田番所
は寛文十年(一六七〇)に家数二百軒余もあった港町亀田の中心であったが、そののち,、小商人などは、船の出入りする箱館のほうへ移動してしまい、これに伴ってこれらの監督、徴税に当っていた
亀田番所
,しかし土地の人々は箱館へ移動してからもなお旧名を使用し、
亀田番所
あるいは「亀田箱館番所」と呼んでいた。 /
亀田番所
の移設
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田番所と諸役)
亀田番所
と諸役 松前藩は慶長年間(一五九六―一六一四)に
亀田番所
を設置したようであるが、このときは奉行,と記されており、
亀田番所
にはじめて奉行が置かれた年代はつまびらかではないが、検断が任ぜられその後に奉行 /
亀田番所
と諸役
椴法華村史
(亀田番所の設置)
亀田番所
の設置 亀田に番所が開設された正確な年代は詳かではないが、慶長年間(一五九六-一六一五)からといわれ,その後、松前藩の行政体制の確立、漁業の発達、出入船の増加などにより、
亀田番所
は松前から直接派遣された亀田奉行 /
亀田番所
の設置
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田番所の行政区域と法令)
亀田番所
の行政区域と法令
亀田番所
の主な仕事は(1)和人地と蝦夷地の出入者を検査し、税を徴すること、,安永八(一七七九)年茅部地方の漁民五百人余が昆布の一手買入反対と漁船の役金免除を要求して一揆を起こし、
亀田番所
,〔寛保元(一七四一)年
亀田番所
は箱館に移転〕の工藤平右衛門奉行に強訴したが、これなどは亀田奉行の行政範囲 /
亀田番所
の行政区域と法令
函館市史 通説編 第一巻
(亀田番所の設置)
亀田番所
の設置 このような情勢下に、中世末のアイヌの動乱以来、久しく衰退の一途をたどった箱館地方も、,それはアイヌと和人との紛争を避け、取締りを容易にするためで、やがて亀田に
亀田番所
を設けて蝦夷地への出入者,この
亀田番所
の設置年代はつまびらかでないが、『蝦夷島奇観』によれば「慶長中白鳥孫三郎 奥州盤井郡白取村社家 /
亀田番所
の設置
椴法華村史
(アイヌ人勢力の実態)
シブチャリのアイヌ人達が蜂起し、亀田、松前方面へ攻登ってくることを戸井、尻岸内、尾札部のアイヌ人達が、
亀田番所
,(和人側)に注進して来ており、この時
亀田番所
の代官佐藤彦左衛門は、
亀田番所
を守備する者が小人数であるため,戸井、尻岸内、尾札部のアイヌ人が東部シブチャリのアイヌ人達とともに立ちあがらず、逆に蜂起を
亀田番所
に通報
函館市史 別巻 亀田市編
(年寄)
小役又は小使といわれるのは奉行所(
亀田番所
)の奉行―下代―名主―年寄―小使―手代足軽の職列の中にあって,、奉行以下年寄までの仕事を補助する者と考えられ、
亀田番所
に常勤していたものであろう。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館役所)
現市立函館病院の所)をもって役所とし、各自の住居は小屋を繕ってこれにあて、4月三橋成方が来箱し、亀田村にあった旧
亀田番所
函館市史 通説編 第一巻
(箱館港)
それが再び脚光を浴びて登場し、寛保元(1741)年には名称は変わらないが、
亀田番所
も箱館に移されている
函館市史 別巻 亀田市編
(享保年間の覚書)
一 鮫取船汐くびより下え相越候船共
亀田番所
より判形取可二罷越一候。,此船役壱艘ニ付金弐匁并壱人ニ付油三盃宛
亀田番所
え納。
南茅部町史 上巻
(昆布商売の祈祷神楽)
松前藩、
亀田番所
(のちの奉行)からの言い付けである。
函館市史 通説編 第一巻
(元禄の大洪水)
しかもこれが翌16年6月にも続いて大洪水となり、
亀田番所
の役宅もなかば流失し、高龍寺の境内は崩れて寺院
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田奉行の勤務)
亀田番所
が箱館に移ってからの奉行の勤務状況について『榊家譜附録』(北大図書館蔵)は次のように記している
函館市史 通説編 第一巻
(亀田の農業)
すなわち、亀田の農業は本道中もっとも早くから行われたところで、
亀田番所
の検断(名主)白鳥孫三郎は、南部
函館市史 銭亀沢編
(松前藩の出先機関できる)
松前藩の出先機関できる 知内から銭亀沢周辺一帯を所管したのは慶長期末頃には設置されたとされる
亀田番所
函館市史 別巻 亀田市編
(松前藩の蝦夷地統一と番所の設置)
亀田番所
の設置年代ははっきりしないが、おおよそ慶長年間であろう。
函館市史 別巻 亀田市編
(諸役の収納)
この当時
亀田番所
は知内以東、小安付近までの地域を治めていたから、これらの地域では川を利用して薪流しをしていたことがわかる
椴法華村史
(茅部漁民の強訴)
こうした状況の中で強訴が発生したのであるが、強訴の集団は五月十九日に当時箱館にあった
亀田番所
(寛保元年
函館市史 別巻 亀田市編
(箱館への移動)
○元文六(一七四一)年 亀田奉行所箱館に移る(箱館に移動してからも亀田奉行所又は
亀田番所
と称した)。
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田港の発展)
同じ年の慶長八(一六〇三)年亀田八幡宮が建てられ(亀田八幡宮古実記)、年代は詳かでないが、慶長年間に
亀田番所
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷地直轄)
まで直轄のことや、気候、風土が適しないなどのことがあり、協議の結果、蝦夷地取締御用掛仮役所を箱館の旧
亀田番所
恵山町史
(1、蝦夷地の直轄)
1779年(安永8年)下海岸の漁民は、大挙して役金の免除、昆布の(請負人の)一手買い不許可を求めて松前藩
亀田番所
南茅部町史 上巻
(【資料】松前福山諸掟)
やけないにて昆布取候者共、役金弐匁之代りやけない昆布拾弐駄相納候事 11一、鮫取舩汐くひより下江相越候舩共、
亀田番所
,より判形取可罷越候、此舩役壱艘ニ付金弐匁并壱人ニ付油三盃宛
亀田番所
江納 但、松前より判形取候舩者
函館市史 通説編 第一巻
(寛文の蝦夷乱と亀田・箱館)
家也 これによれば寛文9年ころ、亀田は200余戸の大集落をなし、その古城というのは
亀田番所
函館市史 別巻 亀田市編
(村役人と仕事)
村々に直接在村していた役人は小頭だけで、亀田奉行―名主―年寄といった役職の者は、みな当時箱館に在った
亀田番所
函館市史 通説編 第一巻
(沖ノ口取締)
この沖改めを
亀田番所
で取扱うようになったのは、享保15(1730)年5月からである。
函館市史 銭亀沢編
(アイヌの存在形態)
巡見範囲が東は汐泊・石崎の地となっていること(「松前年々記」『松前町史』史料編第一巻)、近世初頭に亀田に
亀田番所
函館市史 通説編 第一巻
([目次])
商品流通 第四節 アイヌ蜂起と蠣崎氏の台頭 第二章 松前藩政下の箱館 第一節 松前藩成立と
亀田番所
函館市史 通説編 第一巻
(幕吏の文人)
当時の箱館の全景、
亀田番所
、市街図、風俗、尻沢辺出土の土石器など、島之丞が記録した成果は、比類なきものとして
函館市史 別巻 亀田市編
(享保十四年の定)
より積来材木 以上 「元禄四年の定」(一六九一)と「享保十四年の定」(一七二九)はいずれも
亀田番所
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田)
家屋の流失や破損の被害が続き、宝永三(一七〇六)年には寺院までが箱館に移転し、寛保元(一七四一)年には
亀田番所
函館市史 別巻 亀田市編
(函館市史 別巻 亀田市編 目次)
桔梗村の開拓 第四節 村々の行政 ………………………………………………………… 92 一
亀田番所
椴法華村史
(目次)
成立 …………………………………………………………311 安東氏より独立 二
亀田番所
,の発達…………………………………………………………313
亀田番所
の設置/
亀田番所
の移設/
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
然れども、下夷地又は箱館地廻り御判、
亀田番所
にて今も出す。
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