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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第二巻 (京都、東京有志の出願)

京都、東京有志の出願 北海道の内部から、札幌、函館の2都市に函樽鉄道創立のための有力な組織が結成されると,丁度同じ頃、折から日清戦争後の好況と一斉に起こった全国的鉄道ブームの波に乗りおくれじと、遠く京都の「有志 / 京都、東京有志の出願
函館市史 通説編 第二巻 (天然氷)

山田は京都に本店をおき、函館の真砂町を支店として、龍紋氷室と称して函館の移出額の約3分の2を取扱った。,移出先は東京、神戸、大阪が主で、その他九州など全国各地にわたっている。,しかし、この頃より器械製氷が起こり、京都、名古屋、広島など函館天然氷の需要地は人造氷に圧倒され、他の都会地
函館市史 通説編 第一巻 (社会的・経済的位置)

社会的・経済的位置 今日の函館の道内における社会的・経済的位置を主要諸都市と比較してみると、次のような,しかし、亀田とは行政単位こそ異なっているが、都市景観上からは互いに連結した市街地を形成していることからも,函館の経済は、しばしば「5パーセント経済」と呼ばれるが、函館の各種都市機能の全道に対する比率をみると、,地方空港としては東京便、札幌便の定期航空路が開設されており、東京へは1時間15分、札幌へは30分の位置,にあり、東京・札幌両都市地域との関係は近年更に強まりつつある。
函館市史 通説編 第二巻 (商人による社会資本の投下)

つまり、公債の当初の応募額が40万円余にのぼりその約60パーセントが東京の会社や在住者によって、構成されていた,#160;   図4-23 函館港改良工事公借金   千円 % 函館市 42 9.0% 東京市,   『函館港改良工事報文』より作成    このような状況の中に参入してくるのが、東京の,函館湾改良工事についての公債発行についても「元来今回公借金募集につきては始めより本道に重きを置かす、主として東京及,び大阪より募集するの心算齟齬せす東京に於ては頗ふる好況なる旨過般上京したる平田文右衛門氏より函館区役所
恵山町史 (東本願寺の道路建設)

これを打開するため、東本願寺は19歳の若い現如新門主(法嗣)を総責任者とし、明治3年2月京都本山を出発,さらに、京都から引率してきた僧俗100数10名に加え、仙台支藩の武士や多くの門徒らに工事への協力(労力,キロメートル)  ③山鼻~発垂別(札幌市南区発足駅)  (新道……6キロメートル)  ④平岸~中山峠~京極,~喜茂別~留寿都~伊達  ・有珠新道(新道…103キロメートル)    この工事は1年余りで、明治
椴法華村史 (福徳丸の沈没)

山形県酒田市飛島中村漁業斉藤末太郎所有漁船福徳丸(十トン)は暗礁に乗上げ大破沈没、乗組員十三名のうち十一名は、付近航行中の東京都中央区小田原町一,ノ八近藤佐京所有機帆船第六盛宝丸八十五トンに救助されたが、酒田市中村、佐藤与市(二三)同管谷孫也(二〇
函館市史 通説編 第二巻 (米の回送)

上京中の井上石見へ回米の確保を依頼した会計方権判事厳玄溟の6月28日の書簡には、その現況を「例年、全島,そこで彼らは、京都へ出張中の井上石見を通じて、太政官へ加賀藩米の蝦夷地回米と代金の立替を依頼すべく京都,しかし京都にいるはずの井上石見は、予定を変更して、横浜、東京での用務を終えた後、急遽帰函してしまっていたので,この指令書に基づいて滞坂中の三沢揆一郎(井上石見の代理として京都に出張した箱館府司事で、8月18日外国権判事
恵山町史 (郵便の創業)

そして、まず、東京−京都−大阪の間に施行する。送達は、飛脚による継走とする。,郵便役所(現在の中央郵便局)を東京・京都・大阪に設置する。,明治4年7月から、東京・横浜間に直通の郵便路線が開かれた。,この年の10月には東京・横浜間に鉄道が開通し郵便物が鉄道によって運ばれるようになった。  
函館市史 通説編 第二巻 (明治初期の状況)

都テ教化ノ進歩ヲ補クルニハ、文房及ヒ博物院ノ欠ク可カラサルハ当然ナリ」(「開日」)という部分がある。,各地方教育者ノ公立書籍館ノ特ニ有益ナル理由ヲ認知シ、都鄙各其便宜ヲ計リ逐次設置ヲ図ルノ佳挙ニ注意アランコトヲ,全国的に見ると、明治5年、東京において文部省の書籍館が開館し、京都でも民間の資本による集書会社が創立され,、後に京都府も加わって半官半民型の図書館の機能を持つ集書院が設立されていた。  
函館市史 通説編 第二巻 (『新北海道史』の整理)

-『明治史要』、『地方沿革略譜』 B 3府(東京、大坂、京都)以外を廃府置県したとき箱館県が設置されたという,2 同年7月17日の太政官布告では3府(東京、京都、大坂)を除く諸府を廃して県と改称としているが個別の
函館市史 通説編 第二巻 (函館支庁の事務分課)

、部内ノ事務本庁ニ稟議シテ之ヲ処分シ、其常例成規アル者ハ便宜施行ス 函館及樺太、外国交際貿易ノ事務ハ都テ,記録及ビ職務ニ関スル事ヲ掌ル、凡処分スル所ノ文書ハ総テ上官ノ検印ヲ署ス、下三課之ニ準ズ 課中ノ事務都テ,庶務局(本庁)ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス  民事課 租税及戸籍駅逓営繕ノ事ヲ掌ル、課中ノ事務都テ民事局(本庁,)及土木営繕二課ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス  会計課 庁内一切ノ出納ヲ掌ル、課中ノ事務、都テ会計局(本庁),ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス  聴訟課 部内訴訟ノ裁判笞杖以下ノ断刑及警邏囚獄ノ事ヲ掌ル、課中ノ事務、都テ刑法局
恵山町史 (駅制から飛脚まで)

京を中心にして道路が開かれ駅(「うまや」といわれた)がおかれた。,因みに江戸から京都まで通常90時間、至急便は60時間で達したという。,17世紀も後半(元祿時代)になると商業の目覚ましい発達に促され、江戸・京都・大阪の商人達が相談し合い3,都間を往来する飛脚が生まれた。
函館市史 通説編 第二巻 (北海道における近代寺院の造立と函館)

後志・忍路 胆振・室蘭 釧路・厚岸 後志・寿都 渡島・桧山 石狩・札幌 後志・岩内 渡島,・札幌 後志・小樽 後志・島牧 天塩・留萌 本願寺 本願寺 本願寺 本願寺 総持寺 京都仏光寺,西本願寺 西本願寺 身延山久遠寺 本願寺 本願寺 函館実行寺 函館実行寺 函館実行寺 東京増上寺,東京増上寺 函館高龍寺 本願寺 本願寺 本願寺 磐城郡大雄寺 札幌中央寺 札幌中央寺,札幌中央寺 根室開法寺 総持寺 東京増上寺 函館称名寺 金剛峯寺 本願寺 本願寺
椴法華村史 (本州・北海道間の海運)

開拓使の最初の計画では、東京函館間航路に重点が置かれていたが、航海不慣れと船舶の不備のため次第に函館・,明治三年には京都の木村万平に東京に回漕会社を設立させ、北海道貨物の移出入に当たらせ、更に輸送力増強のため,明治六年一月には、東京の榎本六兵衛等十名の者に保任社を設立させ回漕会社を解散させた。  ,保任社も明治七年五月には解散となり、運漕社がこれに替わり、明治七年十一月に至り、更に三菱汽船会社が東京・
函館市史 通説編 第二巻 (西洋形帆船の建造ブーム)

函館 函館 東京 様似 東京 函館 函館 京都 函館 浦川 様似 大阪 浦川,石川 函館 函館 京都 函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館,函館 岩手 函館 森 青森 函館 新潟 函館 新潟 愛媛 新潟 京都 函館,長野 秋田 函館 函館 石川 京都 函館 函館 函館 函館 函館 京都 函館,函館 京都 愛媛 岡山 東京 函館 函館 函館 歌棄 函館 石川 東京 神奈川
戸井町史 ([大宣寺の本尊仏])

函館別院輪番、荒木源理師が京都の某店から購入したものを寺西大宣師が懇望して譲り受け、自分の創建した大宣寺,この阿陀弥如来像が、京都の某店に売られた経緯については知る由もないが、この仏像を安置していた寺が因窮(,こんきゅう)して、京都の骨董店(こっとうてん)に売られたことが推定される。  
函館市史 通説編 第二巻 (郵便制度の発足)

東京と京都が36時間、東京と大阪が39時間と所要時間は短縮(表2-16)された。,   表2-16 各地(東京より)所要時間と賃銭表 (賃銭単位:文) 地名 神奈川 箱根,静岡 浜松 岡崎 名古屋 西京 大阪 所要時間 2:00 7:00 12:05 18:01 22:06
函館市史 通説編 第二巻 (杉浦兵庫頭の決断)

そこで兵庫頭は、奉行所御雇で蝦夷地の事情に精通している鈴木陸治と今後の方針について相談、(1)京師布告書,公卿清水谷隆政なるもの長州人六七百人を護衛として蝦夷地箱館松前鎮撫使被命、二月二十八日頃兵庫出帆ニテ可相越ノ旨、京都二月二十二日付同家重役,京都から鎮撫使下向の情報を松前藩が入手したのはかなり早い時期であったようで、有力商人の耳にも届いていたのである,の3月1日の記事に、江戸からの急飛脚(江戸発2月12日付飛脚便で松前へは2月30日着)が到着し「今度京都,京都において2月27日提出された清水谷公考・高野保建連署の蝦夷地鎮撫の「建議書」が取り上げられ、太政官代
函館市史 通説編 第一巻 (会所の設置地)

産物会所の例に準じ、2、3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、京都
椴法華村史 (本州との交易)

「夷鮭」が有り、現在の函館市銭亀沢から戸井町小安あたりまでで取られた昆布と蝦夷地産の鮭が、はるばる、京都,また室町時代中期の作といわれる『十三往来』によれば、「西滄海漫々而夷船京船群集並艫先調舳湊成市」と記され,(夷船=蝦夷地より来航する船、京船=小浜、若州方面の船)十三湊(青森県北津軽郡)が当時多数の出入港船で
函館市史 通説編 第二巻 (箱館の動揺)

箱館の動揺 内戦へ突入した京都、大坂の情勢が箱館に伝えられたのは正月も終りに近づいた頃である。,ノ處、如何成訳歟戦争と相成、伏見淀鳥羽枚方迄も焼払、未タ火鎮らす候、尤所々ニテ大戦ひ死亡沢山、京都町首持歩行困乱甚敷,戦場と相成、行末如何と心配仕候」とあり、上様(慶喜)が会津藩、松山藩、姫路藩等3万人ほどの軍勢を率いて京都,に向かったところ、土佐藩、長門藩、薩摩藩、松江藩、熊本藩の人数が京都から伏見にかけて守備に就いており、,所々で大規模な戦闘があり、多くの戦死者が出て、京都市中を首を持ち歩くものまでおり、混乱は極限に達している
函館市史 通説編 第二巻 (函館裁判所の開庁)

函館裁判所の開庁 東京出張所は先の決定を翌9日に函館支庁へ通知している。,14年に松前郡) 江差区 11.1.7 11.7.5 江差北新町 檜山爾志久遠太櫓瀬棚奥尻の6郡 寿都区,12.11.27 12.12.8 寿都郡中歌村 寿都島牧磯谷歌棄の4郡  明治14年「建使以来建置沿革取調,函館控訴裁判所管轄区域表 控訴 始審 治安 管轄区域 道県名 函館控訴裁判所 函館 函館 江差 福山 寿都,亀田、上磯、茅部、山越の4郡 檜山、爾志、久遠、太櫓、瀬棚、奥尻の6郡 松前郡 島牧、寿都、歌棄
函館市史 通説編 第二巻 (箱館府の廃止時期)

箱館府の廃止時期 次に箱館府廃止時期の問題であるが、「太政官日誌」には明治2年7月17日に江戸、大坂、京都以外,#160;  ○三府以外ノ諸府廃止ノ事(明治二年七月十七日)    御布告書写   今度御改正ニ付、京都,ト可称事         (「太政官日誌」『維新日誌』)    ところが江戸、大坂、京都,3.12.13 京 都 1.2.19 万里小路博房(制度事務局輔から) 1.閏4.25 京 都 長谷信篤,名のみ 1.閏4.28 久美浜 伊王野坦 ※但馬を兼管す(4.11.22豊 同県へ、9.8.21 京都府
戸井町史 (一 安達(あだち)の小連(こむらじ)の娘の哀話(あいわ)(脇野沢村))

神護景雲二年(七六八)安達の小連(こむらじ)という若者が、故あって都から、この脇野沢に流され、ここで暮,やがて出航の準備も整い、田村将軍の帰京の日が近ずいた。,将軍は小連の娘に、玉中観音の像を記念に与えて別れようとしたが、将軍を深く恋い慕う女は「都まで供をさせて,田村将軍も小連も困り果て、田村将軍はいつわって、「それでは都へ召し連れよう」と女に言った。,その後、建武の中興の政治に失望して、京都から姿をくらました南朝の忠臣、万里小路(までのこうじ)藤原藤房卿
函館市史 通説編 第二巻 (販路の拡大)

明治5 t * 756 両 14,650 横浜・直売分 横浜・アメリカ4番へ 東京・,横浜・158番ブラオへ 横浜・クラクへ 東京・佐藤冬吉へ 1,358 380 250,これは東京での氷普及と販売網の強化によったものと考えられるが、9年の東京販売分をみると函館からの東京出荷,10年代末では販路も関東市場の東京、横浜を始め横須賀、浦賀、そして名古屋、京都、大阪、神戸、下関と全国,の主要都市を網羅した。
函館市史 通説編 第二巻 (降伏交渉開始)

諏訪常吉は藩主松平容保が京都守護職時代京都にあって小野権之丞と共に諸藩との折衝を担当、薩長同盟成立以前,の薩摩藩とは都城守護で緊密な連携関係にあった。
戸井町史 ([郵便局の沿革])

[郵便局の沿革] 我が国に郵便制度が採用されたのは、明治四年三月一日で、この時は東京・大阪間に新式郵便制度,が採用され、東京・京都・大阪および東海道各駅に、郵便区役所および郵便取扱所が設置された。
戸井町史 ((1)開拓使の主な役人)

兼大蔵少丞正六位  大鳥 圭介  駿河静岡県人  明治五年 正月拝    開拓使五等出仕   松平 太良  東京府人,開拓使五等出仕   荒井  郁  駿河静岡県人  明治五年 二月拝    開拓使五等出仕   山内 堤雲  東京府人,    明治五年 六月拝    開拓使七等出仕従          七位  馬島  譲  京都府人
函館市史 通説編 第二巻 (近代陸上交通における馬車鉄道)

しかし日本ではかえって蒸気鉄道より遅れて採用され、明治15年に開業した東京馬車鉄道が最初のものであった,馬車鉄道が大都市の市内交通として用いられたのはむしろ例外というべきもので、大部分は、軽便鉄道と同様に、,地方小都市より大きな都市へ、あるいは幹線道路との連絡を求めて建設されたものであった。
函館市史 通説編 第二巻 (電信の設置)

電信の設置 日本で最初に電信が設置されたのは東京横浜間で、明治2年の12月上旬に東京・横浜間の電線(,   その後、5年9月には東京・京都間の電信が開始され、10月には東京・長崎間(4年7月15,省庁としては、3年8月9日に民部省の1掛として「電信機掛」が置かれたのが最初のようであるが、2年の東京横浜間
函館市史 通説編 第一巻 (凶賊の流刑)

鎌倉幕府はこれを夷島(えぞがしま)と呼んで、建保4(1216)年には、京都東寺の凶賊以下強盗海賊の類50
函館市史 通説編 第一巻 (十三湊)

すなわち、南北朝のころの作といわれる『十三往来』という書によれば、「西は滄海漫々、而して夷船、京船群集,そのため安東氏は「関東御免」の交易船を、同じ得宗領である若狭の小浜湊との間に運航させ、京都と結んで文物
恵山町史 (〈誘致企業・理研計器恵山工場の起工式〉)

理研計器株式会社 設 立  一九三九年三月一五日(現社名) 資本金  二五億六、五五〇万円 所在地  東京都板橋区小豆沢二,警報装置、酸素測定警報装置・複合ガス・光学式ガス測定器、ガス検知管、自動車排気ガス測定器等 工 場  東京・
椴法華村史 (昭和十一年)

昭和十一年 この年は前年から続く不景気風の中に明けしかも雪もまだとけぬ二月二十六日、東京において陸軍将兵,かったため、村人は不安を持ちはじめ公然とは言えないが、親しい間では、どうなるものか、外国の陰謀ではないか、東京の,昭和十一年二月二十九日 渡島支廳長    各町村長殿    今回東京ニ於ケル不祥事件ニ関スル件,ヲ退下シタノデアル、次デ後藤内務大臣ニ對シ内閣総理大臣臨時代理罷免ノ辞令ガ発セラレタ   尚今回帝都ノ,        渡島支廳長 小林薫    各町村長殿    長官告諭ノ周知徹底方ニ関スル件 去ル二十六日朝帝都ニ
椴法華村史 (流刑の地)

『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府は、建保四年(一二一六)京都東寺の凶賊や強盗海賊など五十余人を蝦夷地に流刑
南茅部町史 上巻 (宇賀昆布)

永正六年(一五一九)、近衛尚通の日記には、日蓮宗の一本山京都本満寺の僧侶が「エソヘ渡」り、帰京して『昆布
恵山町史 (郵送手段の進歩)

明治44年(1911)2月、「速達郵便」が東京・横浜の両都市と、その相互間で始められた。,速達は翌年、京阪神でも実施されたが、それ以外の地方では、遠方まで特別に速く輸送する手段がなかったため普及,大正8年(1919)東京・大阪間で郵便物の飛行機による輸送「飛行試行」が行われた。
函館市史 通説編 第二巻 (清水谷総督の赴任)

清水谷総督の赴任 京都にあって赴任準備を進めていた清水谷公考は、閏4月5日総督に昇任し、この時「蝦夷全島一切御委任,ていたものらしく、清左衛門の尽力により箱館産物問屋から献金を受けることができ、赴任費用の目途も立ちようやく京都,清水谷総督の一行は、閏4月14日京都を出立、20日敦賀から長州の汽船華陽丸で海路箱館へ向かった。
南茅部町史 上巻 (昆布市場視察)

昆布市場視察 昭和七年六月、尾札部漁業組合書記平田清太郎が、昆布の販路状況を視察のため東京から京都、,仕入先は主に広島市辻本問屋 京都市 伊勢久荒木昆布製造販売店   尾札部産は一部で、主に尻岸内・椴法華,               大衆向は「とろろ・おぼろ・塩・酢・板」                大阪は上品を常食とするが京都,青板(鰊巻)」                尾札部産は年間僅か一、二梱(一梱一六貫)位のみ 東京市
椴法華村史 (亀田郡編入運動(一))

次に明治十一年三月椴法華村・尻岸内村・戸井村・小安村の郡村組替要求に基づき、開拓使函館支庁が東京書記官,陸里ナリ)懸崖絶壁陸路ヲ阻隔シ從来渡海ニテ通路致來候得共所謂惠山岬ノ傍ニテ常ニ風波嶮悪處候ニテモ天気都合,ラサルヲ得ズ前四ヶ村ノ人民區務所ノ往復等不便を極メ頗ル困苦ノ事情モ有之地形ニヲイテモ茅部郡ニ屬シルハ不都合,郡村組替一件書類   凾第弐百八拾五号    凾館                          東京,函館書記官は、五月三十一日付で東京書記官の回答案に従うことを約束している。  
函館市史 銭亀沢編 (石倉稲荷神社(新湊町))

石倉稲荷神社(新湊町) 文化年中(一八〇四から一八一八)に京都伏見稲荷大社より「御分霊」を勧請したもので
恵山町史 (『資料』 現如大谷光螢上人の銅像建設)

頌徳文  現如、大谷光螢上人ハ東本願寺、第二十一世嚴如上人ノ法嗣、明治三年二月勅命を蒙ッテ京都ヲ出発
函館市史 通説編 第二巻 (大年寄・中年寄の任務)

大年寄・中年寄の任務 開拓使は翌12月「町役心得条々」という形で、前の京都府の町役人(大年寄、中年寄,京都府の「町役可心得条々」は、旧幕時代の色彩をほとんどそのままに、町役人が慎むべき事柄を挙げたものである
函館市史 通説編 第二巻 (江戸城引渡交渉)

このため大坂城から慶喜と行動を共にし、主戦論を展開していた元京都守護職の会津藩主松平容保、最後の京都所司代,服部筑前守常純 今川刑部大輔範敍 跡部遠江守良弼 河津伊一守祐邦 向山隼人正一履 任期 京都守護職,G1.4.7~K3.12.9 松平肥後守容保 任期 京都所司代 G1.4.11~K3.12.9 松平越中守定敬,任期 海軍奉行 K1.7.8~K4.1.23 K3.12.2~K4.1.23 大関肥後守忠裕 京極主膳正高富,  第一箇条 慶喜去十二月以来奉欺天朝、剰へ兵力ヲ以犯皇都、連日錦旗ニ発砲シ、重罪タルニ
椴法華村史 (空襲の激化と学童疎開)

昭和十九年 ・六月 空襲の激化が予想され学童疎開が閣議で決定される ・七月 サイパン島全滅 ・七月 大都会,による本土空襲激化 ・三月 硫黄島の日本軍全滅 ・四月 米軍沖縄本島に上陸 ・五月 B29爆撃機東京大爆撃,・八月十五日 天皇「終戦」詔勅を放送  昭和十九年末から昭和二十年八月十五日までに、全国二百六都市中約半数,の九十八都市が爆撃を受ける。,しかし大都市の親元を離れ、地方のお寺・神社・学校・その他に疎開した子供達は、寂しさと空腹(食べる物が不充分
函館市史 通説編 第二巻 (箱館裁判所の内部機構)

、悪を掩い善を拒むことなきこと、(6)不正の所業は虚実を監察方で糺すこと等が述べられており、上層部は京都,職制については、上級職は京都において総督、副総督、判事、権判事が任命され、新政府の地方行政官として明確,…以前の組頭・同格    (月俸四百円~二百円)     民政三員、文武生産外国勘定監察執達各一員都て,同格   (月俸二百円~七十五円)     民政六員、文武生産各四員、外国勘定各三員、監察執達各二員都て,以前の定役・同格・同出役  (月俸百二十円~六十円)     民政十員、其外各六員、監察執達各三員都て
戸井町史 (二、仏像と仏具)

二、仏像と仏具 1 仏像  ①大宣寺本尊仏、阿弥陀如来像     大宣寺創立の時に京都市内から求
函館市史 通説編 第二巻 (社屋の移転)

明けて13年1月地蔵町の馬車会所へ移転、東京へ注文の印刷機械や活字も到着し、2月末からは再び函館で印刷,なくなっていた掲載量も従来の5号の活字に戻すことで解消できたが、これも2月25日付308号の発刊だけで、「都合
函館市史 通説編 第一巻 (各会所用達)

会所に納めて、荷主に渡すことが主な仕事であったが、その他蝦夷地の馬鈴薯などの新産物をも販売し、また、京都
戸井町史 (「附」大宣寺の記録)

―二〇〇戸 本尊阿弥陀如来、高さ二尺六寸五分 この本尊阿弥陀如来像は、函館別院輪番、荒木源理師が京都,梵鐘は京都の小堀仏具店で製作したもので、重さは一五〇貫であった。 総工費一五〇〇円。
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