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函館市史 通説編 第二巻
(京都、東京有志の出願)
京都
、東京有志の出願 北海道の内部から、札幌、函館の2都市に函樽鉄道創立のための有力な組織が結成されると,丁度同じ頃、折から日清戦争後の好況と一斉に起こった全国的鉄道ブームの波に乗りおくれじと、遠く
京都
の「有志 /
京都
、東京有志の出願
函館市史 通説編 第二巻
(天然氷)
山田は
京都
に本店をおき、函館の真砂町を支店として、龍紋氷室と称して函館の移出額の約3分の2を取扱った。,しかし、この頃より器械製氷が起こり、
京都
、名古屋、広島など函館天然氷の需要地は人造氷に圧倒され、他の都会地
函館市史 通説編 第二巻
(米の回送)
そこで彼らは、
京都
へ出張中の井上石見を通じて、太政官へ加賀藩米の蝦夷地回米と代金の立替を依頼すべく
京都
,しかし
京都
にいるはずの井上石見は、予定を変更して、横浜、東京での用務を終えた後、急遽帰函してしまっていたので,この指令書に基づいて滞坂中の三沢揆一郎(井上石見の代理として
京都
に出張した箱館府司事で、8月18日外国権判事
戸井町史
([大宣寺の本尊仏])
函館別院輪番、荒木源理師が
京都
の某店から購入したものを寺西大宣師が懇望して譲り受け、自分の創建した大宣寺,この阿陀弥如来像が、
京都
の某店に売られた経緯については知る由もないが、この仏像を安置していた寺が因窮(,こんきゅう)して、
京都
の骨董店(こっとうてん)に売られたことが推定される。
恵山町史
(東本願寺の道路建設)
これを打開するため、東本願寺は19歳の若い現如新門主(法嗣)を総責任者とし、明治3年2月
京都
本山を出発,さらに、
京都
から引率してきた僧俗100数10名に加え、仙台支藩の武士や多くの門徒らに工事への協力(労力
椴法華村史
(福徳丸の沈没)
山形県酒田市飛島中村漁業斉藤末太郎所有漁船福徳丸(十トン)は暗礁に乗上げ大破沈没、乗組員十三名のうち十一名は、付近航行中の東
京都
中央区小田原町一
函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
産物会所の例に準じ、2、3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、
京都
函館市史 通説編 第二巻
(箱館の動揺)
箱館の動揺 内戦へ突入した
京都
、大坂の情勢が箱館に伝えられたのは正月も終りに近づいた頃である。,ノ處、如何成訳歟戦争と相成、伏見淀鳥羽枚方迄も焼払、未タ火鎮らす候、尤所々ニテ大戦ひ死亡沢山、
京都
町首持歩行困乱甚敷,戦場と相成、行末如何と心配仕候」とあり、上様(慶喜)が会津藩、松山藩、姫路藩等3万人ほどの軍勢を率いて
京都
,に向かったところ、土佐藩、長門藩、薩摩藩、松江藩、熊本藩の人数が
京都
から伏見にかけて守備に就いており、,所々で大規模な戦闘があり、多くの戦死者が出て、
京都
市中を首を持ち歩くものまでおり、混乱は極限に達している
函館市史 通説編 第一巻
(凶賊の流刑)
鎌倉幕府はこれを夷島(えぞがしま)と呼んで、建保4(1216)年には、
京都
東寺の凶賊以下強盗海賊の類50
函館市史 通説編 第二巻
(『新北海道史』の整理)
-『明治史要』、『地方沿革略譜』 B 3府(東京、大坂、
京都
)以外を廃府置県したとき箱館県が設置されたという,2 同年7月17日の太政官布告では3府(東京、
京都
、大坂)を除く諸府を廃して県と改称としているが個別の
椴法華村史
(流刑の地)
『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府は、建保四年(一二一六)
京都
東寺の凶賊や強盗海賊など五十余人を蝦夷地に流刑
函館市史 通説編 第二巻
(清水谷総督の赴任)
清水谷総督の赴任
京都
にあって赴任準備を進めていた清水谷公考は、閏4月5日総督に昇任し、この時「蝦夷全島一切御委任,ていたものらしく、清左衛門の尽力により箱館産物問屋から献金を受けることができ、赴任費用の目途も立ちようやく
京都
,清水谷総督の一行は、閏4月14日
京都
を出立、20日敦賀から長州の汽船華陽丸で海路箱館へ向かった。
恵山町史
(郵便の創業)
そして、まず、東京−
京都
−大阪の間に施行する。送達は、飛脚による継走とする。,郵便役所(現在の中央郵便局)を東京・
京都
・大阪に設置する。
函館市史 通説編 第二巻
(杉浦兵庫頭の決断)
公卿清水谷隆政なるもの長州人六七百人を護衛として蝦夷地箱館松前鎮撫使被命、二月二十八日頃兵庫出帆ニテ可相越ノ旨、
京都
二月二十二日付同家重役,
京都
から鎮撫使下向の情報を松前藩が入手したのはかなり早い時期であったようで、有力商人の耳にも届いていたのである,の3月1日の記事に、江戸からの急飛脚(江戸発2月12日付飛脚便で松前へは2月30日着)が到着し「今度
京都
,
京都
において2月27日提出された清水谷公考・高野保建連署の蝦夷地鎮撫の「建議書」が取り上げられ、太政官代
恵山町史
(駅制から飛脚まで)
因みに江戸から
京都
まで通常90時間、至急便は60時間で達したという。,17世紀も後半(元祿時代)になると商業の目覚ましい発達に促され、江戸・
京都
・大阪の商人達が相談し合い3
函館市史 通説編 第二巻
(降伏交渉開始)
諏訪常吉は藩主松平容保が
京都
守護職時代
京都
にあって小野権之丞と共に諸藩との折衝を担当、薩長同盟成立以前
函館市史 通説編 第二巻
(大年寄・中年寄の任務)
大年寄・中年寄の任務 開拓使は翌12月「町役心得条々」という形で、前の
京都
府の町役人(大年寄、中年寄,
京都
府の「町役可心得条々」は、旧幕時代の色彩をほとんどそのままに、町役人が慎むべき事柄を挙げたものである
恵山町史
(『資料』 現如大谷光螢上人の銅像建設)
頌徳文 現如、大谷光螢上人ハ東本願寺、第二十一世嚴如上人ノ法嗣、明治三年二月勅命を蒙ッテ
京都
ヲ出発
函館市史 銭亀沢編
(石倉稲荷神社(新湊町))
石倉稲荷神社(新湊町) 文化年中(一八〇四から一八一八)に
京都
伏見稲荷大社より「御分霊」を勧請したもので
函館市史 通説編 第二巻
(明治初期の状況)
全国的に見ると、明治5年、東京において文部省の書籍館が開館し、
京都
でも民間の資本による集書会社が創立され,、後に
京都
府も加わって半官半民型の図書館の機能を持つ集書院が設立されていた。
戸井町史
(「附」大宣寺の記録)
―二〇〇戸 本尊阿弥陀如来、高さ二尺六寸五分 この本尊阿弥陀如来像は、函館別院輪番、荒木源理師が
京都
,梵鐘は
京都
の小堀仏具店で製作したもので、重さは一五〇貫であった。 総工費一五〇〇円。
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
会所に納めて、荷主に渡すことが主な仕事であったが、その他蝦夷地の馬鈴薯などの新産物をも販売し、また、
京都
戸井町史
(二、仏像と仏具)
二、仏像と仏具 1 仏像 ①大宣寺本尊仏、阿弥陀如来像 大宣寺創立の時に
京都
市内から求
函館市史 通説編 第二巻
(経済基盤の移動と出張所への降格)
明治44年5月12日、
京都
、福島、広島、函館、金沢出張所は、その事務の実際上支店に比較して特に名称、組織
函館市史 通説編 第二巻
(蝦夷地の警備)
諸役を迎えた箱館市在の士民は、箱館府の施政に対し懐疑的な冷ややかな目を向けるものも多く、在住隊士某は、
京都
下向,「
京都
の付役、下々は申すに及ばず、独身の若者共多く、日に随いておごりに長じ、遊里に通ひ、又はかこいもの
恵山町史
(2、(日浦)稲荷神社)
弘法大師(資料2 仏教諸宗派・真言宗参照)が東寺の鎮守として稲荷明神を安置したことにあるとされ、総本山は
京都
,
京都
では平安時代以降、朝廷と民間の尊崇を受け盛んに信仰された。
函館市史 通説編 第一巻
(十三湊)
そのため安東氏は「関東御免」の交易船を、同じ得宗領である若狭の小浜湊との間に運航させ、
京都
と結んで文物
函館市史 通説編 第一巻
(蠣崎氏の独立)
北条氏を滅ぼして奥州に出陣するや、蠣崎慶広(季広の子)は、前田利家・木村秀俊らの武将に会い、同年12月
京都
南茅部町史 上巻
(昆布市場視察)
昆布市場視察 昭和七年六月、尾札部漁業組合書記平田清太郎が、昆布の販路状況を視察のため東京から
京都
、,仕入先は主に広島市辻本問屋
京都
市 伊勢久荒木昆布製造販売店 尾札部産は一部で、主に尻岸内・椴法華, 大衆向は「とろろ・おぼろ・塩・酢・板」 大阪は上品を常食とするが
京都
函館市史 通説編 第一巻
(近江商人の排除)
では栖原庄兵衛、伊達林右衛門、阿部屋伝兵衛、平岩屋平八、江戸では栖原角兵衛、栖原久次郎、田中屋伊助、
京都
恵山町史
(〈誘致企業・理研計器恵山工場の起工式〉)
理研計器株式会社 設 立 一九三九年三月一五日(現社名) 資本金 二五億六、五五〇万円 所在地 東
京都
板橋区小豆沢二
戸井町史
(三、正六位勲五等 長谷川益雄(「附」長谷川家の系図))
明治三十八年三月、函館中学校を卒業し、同年四月、
京都
府立医学専門学校に入学した。,明治四十三年六月、
京都
府立医専を卒業した。 ,大正二年三月、
京都
府立医専時代の学友の経営している丸谷医院の仕事を手伝うために樺太に渡り、七月まで樺太
椴法華村史
(本州との交易)
「夷鮭」が有り、現在の函館市銭亀沢から戸井町小安あたりまでで取られた昆布と蝦夷地産の鮭が、はるばる、
京都
南茅部町史 上巻
(宇賀昆布)
永正六年(一五一九)、近衛尚通の日記には、日蓮宗の一本山
京都
本満寺の僧侶が「エソヘ渡」り、帰京して『昆布
函館市史 通説編 第二巻
(女紅場の出現)
遊里の女性のみを対象としたこの種の女紅場が我が国に初めて開設されたのは
京都
で、芸娼妓が解放された翌6年
函館市史 通説編 第二巻
(創業総会の議事)
府下の渋沢栄一、大倉喜八郎、北海道の渡辺熊四郎、阿部興人、大阪の藤田伝三郎、鴻池善右衛門諸氏を始め、
京都
府及
椴法華村史
(本州・北海道間の海運)
明治三年には
京都
の木村万平に東京に回漕会社を設立させ、北海道貨物の移出入に当たらせ、更に輸送力増強のため
戸井町史
((1)開拓使の主な役人)
東京府人 明治五年 六月拝 開拓使七等出仕従 七位 馬島 譲
京都
府人
戸井町史
(四、大宣寺(館町))
この寺院の本尊は阿弥陀如来で、函館別院の荒木源理師が
京都
の某店から購入したものを、大宣寺開基、寺西大宣師
戸井町史
([郵便局の沿革])
に郵便制度が採用されたのは、明治四年三月一日で、この時は東京・大阪間に新式郵便制度が採用され、東京・
京都
函館市史 通説編 第二巻
(江戸城引渡交渉)
このため大坂城から慶喜と行動を共にし、主戦論を展開していた元
京都
守護職の会津藩主松平容保、最後の
京都
所司代,服部筑前守常純 今川刑部大輔範敍 跡部遠江守良弼 河津伊一守祐邦 向山隼人正一履 任期
京都
守護職,G1.4.7~K3.12.9 松平肥後守容保 任期
京都
所司代 G1.4.11~K3.12.9 松平越中守定敬
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
新潟 函館 函館 東京 函館 函館 函館 東京 様似 東京 函館 函館
京都
,東京 新潟 函館 石川 大阪 函館 函館 函館 函館 石川 函館 函館
京都
,函館 函館 石川 函館 愛媛 新潟 函館 函館 函館 函館 函館 函館
京都
,函館 長野 秋田 函館 函館 石川
京都
函館 函館 函館 函館 函館
京都
,函館 函館
京都
愛媛 岡山 東京 函館 函館 函館 歌棄 函館 石川 東京
函館市史 通説編 第二巻
(箱館府の廃止時期)
箱館府の廃止時期 次に箱館府廃止時期の問題であるが、「太政官日誌」には明治2年7月17日に江戸、大坂、
京都
以外,#160; ○三府以外ノ諸府廃止ノ事(明治二年七月十七日) 御布告書写 今度御改正ニ付、
京都
,ト可称事 (「太政官日誌」『維新日誌』) ところが江戸、大坂、
京都
, 崎 1.2.2 沢宣嘉(九州鏡撫総督から) 1.5.4 長 崎 沢宣嘉 2.6.20 長 崎
京都
市中取締,名のみ 1.閏4.28 久美浜 伊王野坦 ※但馬を兼管す(4.11.22豊 同県へ、9.8.21
京都
府
函館市史 通説編 第一巻
(為替及び金融)
為替及び金融 為替は江戸、大坂、
京都
はもちろん、庄内、新潟、敦賀、その他の各地に向かっても取り組まれた
函館市史 通説編 第二巻
(郵便制度の発足)
東京と
京都
が36時間、東京と大阪が39時間と所要時間は短縮(表2-16)された。
椴法華村史
(北前船の航行)
航行 一六〇三年に江戸幕府が開設され、江戸が政治・経済・文化の中心になったことにより、以前よりあった
京都
,このように西廻り航路の発達に伴ない日本海側諸港及び
京都
・大阪方面と蝦夷地は、経済的・文化的にますます深
函館市史 通説編 第一巻
(寺院)
浄玄寺は松前専念寺の掛所であったが、
京都
の本山は開教上の拠点として箱館に着目し、年額50両の借上会釈金
函館市史 通説編 第二巻
(徳川幕府の倒壊)
強硬派の旗本や会津藩、桑名藩など譜代の諸藩が、この決定に強く反発したため、慶喜は彼らの鎮静を図るべく
京都
,決定も諸国の暴動もすべて薩摩藩の奸臣の仕業であるので、彼らを誅戮したいとの「討薩表」を作成し、強硬派の
京都
進撃
函館市史 通説編 第一巻
(絵画)
のち
京都
にのぼって狩野永祥に師事し、その娘婿となったが縁なくして箱館に帰った。
函館市史 通説編 第二巻
(札幌、函館2つの請願)
出資せんとする者は、
京都
、東京などの道外組と道内組とにわかれたが、その道内組でも、札幌と函館とにわかれ
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