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函館市史 通説編 第一巻
(縄文文化の起源)
縄文文化の起源
住吉町遺跡
の土器(市立函館博物館蔵) 北海道で最初に注目された尖底土器で、縄文文化,の起源として登場したのが函館市
住吉町遺跡
出土の土器である。,
住吉町遺跡
出土の土器はすべて貝殻で文様が付けられている。,
住吉町遺跡
では、つまみのある石小刀と多量の石錘(すい)が出土している。,富岡町遺跡の石器(市立函館博物館蔵)
住吉町遺跡
の石器(市立函館博物館蔵)
住吉町遺跡
椴法華村史
(椴法華村最初の土器)
をもっていた人達に感動をあたえ、昭和六年には馬場脩氏も『北方郷土』という函館郷土研究会の雑誌に「函館
住吉町遺跡
,
住吉町遺跡
とは大森浜から立待岬に行く途中の赤石浜、住吉浜にある高台にあった遺跡で、網干場などがあったところである,普通の縄文土器は、底が安定性がある平底であるのに、
住吉町遺跡
から出土した土器は、どれも底が尖っていた。
函館市史 通説編 第一巻
(尖底土器の遺跡)
函館市
住吉町遺跡
の発見については大正11年1月の『函館毎日新聞』に馬場脩が寄稿した「疑問の石器時代遺跡
住吉町遺跡
,
住吉町遺跡
の調査が終ったあと、これと同じ土器が梁川町から発見された。,絡縄体圧痕文(らくじょうたいあつこんもん)という縄を押圧したような文様の土器や、縄文の尖(とが)り底があるなど
住吉町遺跡
,函館
住吉町遺跡
について(函館毎日新聞・大正11年1月1日)(市立函館図書館蔵) 梁川町遺跡の
函館市史 通説編 第一巻
(旧石器の存在)
や遠軽地方に旧石器技法によった石器が確認されつつあったが、樽岸の石器は縄文時代で最も古いとされていた
住吉町遺跡
函館市史 通説編 第一巻
(春日町遺跡)
春日町遺跡は、
住吉町遺跡
の所在する海岸段丘上にあって、東側は海食による崖下が海岸で、南側100メートル,ほどに
住吉町遺跡
がある。
函館市史 別巻 亀田市編
(縄文時代各期の遺跡)
縄文時代各期の遺跡 縄文時代早期になると、函館の
住吉町遺跡
出土品に類するものが、西桔梗N-1、N-2
椴法華村史
(椴法華の先人)
この頃、椴法華の尖底土器とならんで北海道で有名なのは、函館の
住吉町遺跡
から出土した尖底土器であった。
椴法華村史
(椴法華出土の尖底土器)
この時代であるが、縄文時代早期末にあたるが
住吉町遺跡
のように貝殼で文様をつけた土器より新しい。
函館市史 通説編 第一巻
(考古学界の発展)
昭和4年9月、東北大学の山内清男、伊藤信雄と市立函館図書館の岡田健蔵、深瀬春一らによって
住吉町遺跡
が発掘
函館市史 通説編 第一巻
(土器の形式と文化)
例えば函館市
住吉町遺跡
で発見された、北海道最初の尖底土器を住吉町式土器と呼ぶなどがそれである。
函館市史 通説編 第一巻
(北海道の学会)
昭和6年4月の『北方郷土』(函館郷土研究会)には馬場脩が「函館
住吉町遺跡
について」を発表した。
恵山町史
((3)恵山町の縄文時代早期の遺跡)
ノダップⅠ式に類似する土器片(第12図1~5)、貝殻腹縁連続波状文や貝殻腹縁押引(おしび)き文が施文された
住吉町遺跡
函館市史 通説編 第一巻
(生活用具)
住吉町遺跡
では600個も出土している。
函館市史 通説編 第一巻
(平底土器の出現)
下北半島の物見台遺跡や
住吉町遺跡
などでは尖底土器しか出土しないと考えられていたが、資料を注意深く見ると
函館市史 銭亀沢編
(銭亀沢地区の遺跡の立地)
海岸近辺の台地上 縦長ナイフ・石錘・
住吉町遺跡
吹切沢遺跡 で活動。
椴法華村史
(〔椴法華村の遺跡分布〕)
この記録はさだかでないが、能登川氏が函館の
住吉町遺跡
から出土する底の先が尖った尖底土器に関心を持って、
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