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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (住居址)

これを住居址(跡)と呼ぶが、煉瓦台貝塚で特徴的なのは1号住居址である。,この住居址には南に面した出入口があって、住居址の内側に柱穴が並んでいた。,住居址で出入口のあるのは珍しい。,この住居址は北側が2号住居址によって切り崩されているので明らかでないが、直径4メートルで柱穴が一部不明,住居址の平面形はすべて円形であるが、柱穴は1号住居址を除いて内壁に何本かある程度で一定でない。 / 住居址
函館市史 通説編 第一巻 (貝塚と住居址)

貝塚と住居址は、何らかの関係がある。,住居址は1号から11号住居址まで確認され、1、2号住居址は崖寄りに発見され、その南西に6号貝塚がある。,1、2号住居址の北に3号住居址、更に東に4、5号住居址がある。,また、1、2号住居址の南側崖寄りに8、9、10、11号住居址が並んでいた。,住居址はこの地点の南方100メートルからも発見され、貝塚のない地域にも住居址群がある。 / 貝塚と住居址
函館市史 通説編 第一巻 (集落と住居址)

集落と住居址 土器や石器が出土する遺跡を発見しても、そこに集落があったとは限らず、遺跡を発掘しても住居址,ここからは竪穴住居址が60基以上も発見され、昭和49年には更に55基が発掘されたが、これほどの住居址が,発掘された住居址は、すべて土を掘って屋根をかけた竪穴住居址で、重複しているものが多かった。,前後の住居址群が分布し、傾斜地の下方に6メートル前後の住居址群が分布している。,住居址の特色は、普通内部に炉を設けているが、第4地点の住居址には炉がなく、中央の床面に直径1メートル程 / 集落と住居址
函館市史 通説編 第一巻 (オホーツク文化)

北千島については馬場脩が昭和5年から貝塚や竪穴住居址の調査に取組んでいたが、北千島は日本民族の源流を探,貝塚の埋葬人骨と竪穴住居址などが発見されてオホーツク文化が北海道に定着していたこと、その性格がアイヌ民族
函館市史 通説編 第一巻 (集落と墳墓)

昭和27年3月13日に函館土木現業所の汐泊川護岸工事中に遺跡の段丘が崩され、住居址の一部が現われた。,った豊原遺跡にも縄文晩期の集落があって、昭和46年の通称農免道路工事中に段丘の切崩し面から3基の竪穴住居址,住居址は工事で崩された南側にあり、円形の竪穴式であった。,この住居址に接して北側に1基の直径1メートルほどの楕円形墓壙の密集した墳墓群があり、墓壙の上に小石を盛,札苅では住居址の近くに窪(くぼ)地があって土器製造跡が現われたともいわれているが、縄文時代の遺跡で土器
函館市史 通説編 第一巻 (トーマス・W・ブラキストン)

収集品を見ることができたのも、ブラキストンの案内とアドバイスがあったからで、彼自身アイヌ民族や貝塚、竪穴住居址
函館市史 通説編 第一巻 (前期旧石器時代)

またこの遺跡の第6文化層面では住居址が発見されており、2メートルほどの皿状ピットには舟形の掘りくぼみが,についても述べられ、ネアンデルタール人が主人公になった南ロシアにあるモロドヴァ遺跡の中期旧石器時代の住居址,楕円状にマンモス象の骨や歯が並ぶモロドヴァの住居址内部には10か所以上の炉跡があり、これは天幕生活の痕跡
函館市史 通説編 第一巻 (函館のストーン・サークル)

函館市日吉町遺跡発掘調査団が組織されて9月25日から1か月間の発掘調査が実施され、この結果ストーン・サークルと住居址,遺跡の発掘は沢に近い地域を主とし、住居址などが発見されたが、ストーン・サークルの存在については当初予想,ストーン・サークルが発見された地点は住居址などが発見された地点から70メートル離れていて、比較的小高い
函館市史 銭亀沢編 (擦文時代集落の成立)

この時には、弥生式土器土師器、祝部土器(須恵器)が出土し、火災に遭ったカマドのある竪穴住居址が四基発見
函館市史 通説編 第一巻 (古代の函館)

函館競馬場の裏手にあたる南東部で住居址が発見され、隅丸方形の竪穴住居が3戸発掘された。,この遺跡は馬場脩が調査しているが、旧銭亀小学校の北側の沢に近く住居址が残っている。
函館市史 通説編 第一巻 (住居)

1号住居址と呼んでいる住居には入口がある。
恵山町史 ([引用・参考文献])

1987 瀬川拓郎『旭川市錦町5遺跡Ⅱ』旭川市教育委員会、1985 高橋正勝(1974)「日の浜型住居址,−2段の床をもつ五角形プランの住居址について−」『北海道考古学』第10輯 高橋正勝「北海道南部の土器
函館市史 通説編 第一巻 (渡島半島のストーン・サークル)

日本のストーン・サークルについて、墓であるのか祭祀場なのか、その時期はいつごろなのか、また住居址や集落
函館市史 通説編 第一巻 (有角人と有翼人)

フゴッペ彫刻の系列(「フゴツペ洞窟」名取武光による)  記録のない時代の生活は、遺跡から発見される住居址
南茅部町史 上巻 ([引用・参考文献])

繩文時代中期の終末(2) 北海道青年人類科学研究会会誌No.一〇       一九七四年 日ノ浜型住居址, 二段の床をもつ五角形プランの住居址について             北海道考古学No.一〇 高橋
函館市史 通説編 第一巻 (2つの分布図)

北海道においては旧石器時代の洞窟や住居址の発見例がいまだないので、旧石器人の生活変遷は明らかでない。
函館市史 通説編 第一巻 (組織的研究へ)

遺跡からは60基以上の住居址と、貯蔵穴と思われる遺構20基が確認され、函館で初めて縄文時代の大規模な集落
函館市史 通説編 第一巻 (貝塚の全盛期)

一定範囲に分布する貝塚の堆積と住居址との関係、空間(広場・作業場)との関係、人骨埋葬との関係、そして海
函館市史 別巻 亀田市編 (サイベ沢遺跡発掘調査)

竪穴住居址の調査によって、見晴町式土器を含む資料、サイベ沢Ⅶ式土器を含む資料が検出された。
南茅部町史 上巻 (中期)

ただ、僅かに、サイベ沢Ⅴ式土器文化については、森町オニウシ遺跡において数軒の竪穴住居址が発掘されているが,繩文時代中期末の合葬墓 第37図 繩文時代中期終末の墳墓と副葬品  臼尻B遺跡第八〇号住居址
函館市史 通説編 第一巻 (平安時代の東北と北海道)

住居址は東北地方と同様に方形の竪穴住居で、片側に窯が設けられ、煙道が付設されているが、擦文土器を伴っていることがある
恵山町史 (1、恵山式土器文化)

3期:瀬棚町南川遺跡の住居址や墓、アヨロ遺跡の墓からセットで出土した南川Ⅲ群、アヨロ2類b土器が相当し,恵山文化の新しい段階の南川遺跡や旧豊平河畔遺跡の住居址には、入口と考えられる舌状の張り出し部分が造られる
函館市史 通説編 第一巻 (奈良時代とその昔)

古墳群と共に住居址や集落が広範囲にわたって分布するが、青森県などにまで小規模ながら古墳を築造した階級が
函館市史 通説編 第一巻 (貝塚の分布)

貝塚が分布していた地域と、更に南側で住居址群が発見され、この一帯に集落のあったことが明らかにされた。
函館市史 通説編 第一巻 (円筒土器の遺跡)

西桔梗E2遺跡の住居址(『西桔梗』函館圏開発事業団)  円筒土器の主要な遺跡は、円筒下層式遺跡としては
函館市史 通説編 第一巻 (貝塚)

貝塚の外側に住居址があったり、内側に集落があるなど、貝塚と集落の関係は非常に密接である。
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