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戸井町史
(四 長福寺の円空仏(佐井村))
戸
井
町史 / 四 長福寺の円空仏(
佐
井
村) 僧円空は、諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出、寛文五年(一六六五)蝦夷地に渡,
佐
井
村の長福寺に伝わっている円空仏は、十一面観音像で、
佐
井
村では「寛文八年、円空が北海道から帰路にここに,
佐
井
村に円空仏についての照会をしたが全然回答がなかった。 ,
佐
井
村長福寺の円空仏は、昭和三十六年(一九六一)十月六日付で青森県重要文化財に指定された。 ,下北には
佐
井
村長福寺の外に、恐山円通寺、大湊の常楽寺にもある。 / 四 長福寺の円空仏(
佐
井
村)
戸井町史
(一 仏が浦の絶景(佐井村))
戸
井
町史 / 一 仏が浦の絶景(
佐
井
村) 仏が浦の絶景(
佐
井
村)
佐
井
村の仏が浦は、天下の絶景として一部の,然し真澄の訪れた昔とちがい、今ではこのあたり一帯の地域が国定公園に指定され、
佐
井
港から遊覧船が出、絶壁 / 一 仏が浦の絶景(
佐
井
村)
戸井町史
(六、佐井村の人が宝物を探した話)
戸
井
町史 / 六、
佐
井
村の人が宝物を探した話 宮川神社が館町にあった明治の頃まで、この附近に宝物が埋められているという,明治の初期か中期の頃、対岸下北、
佐
井
村の〓某という人が戸
井
に来て宮川神社の附近を耕作し、収穫した作物を,船で
佐
井
村に運んでいた。 ,そこで又は一旦
佐
井
村に帰り、
佐
井
村の人々を大ぜい連れて来て、そのあたり一帯に掘った。,宝物がはいっているという一ケは遂に発見できず、〓もあきらめ、
佐
井
から来た人々が帰って行った。 / 六、
佐
井
村の人が宝物を探した話
戸井町史
(二 鍵掛岩(かぎわけいわ)(願掛岩(がんかけいわ))(佐井村))
戸
井
町史 / 二 鍵掛岩(かぎわけいわ)(願掛岩(がんかけいわ))(
佐
井
村)
佐
井
から仏が浦へ行く途中、矢越部落の / 二 鍵掛岩(かぎわけいわ)(願掛岩(がんかけいわ))(
佐
井
村)
戸井町史
(六、東戸井漁業協同組合)
戸
井
町史 / 、戸
井
漁業協同組合と原木漁業協同組合とが合併して、新しく東戸
井
漁業協同組合を設立することになった。,事務所は本所を戸
井
町字館町二一番地(旧戸
井
漁業協同組合)に、支所を戸
井
町字原木一四番地(旧原木漁業協同組合,昭和四〇、 五、 一 東戸
井
漁業協同組合規約並びに東戸
井
漁業協同組合定款が定められ、この日より施行された,組合長理事 宇美 藤蔵 専務 理事
佐
々木 平吾 理 事 丹羽 和八
佐
藤 ,昭和四五、一二、一四 東戸
井
漁協、戸
井
西部漁協たこ入会操業協議会。 / 六、東戸
井
漁業協同組合
戸井町史
(三、戸井町商工会)
戸
井
町史 / 戸
井
村役場会議室において出席者四十六名(本人出席二十八名、書面出席十八名)をもって、戸
井
村商工会創立総会,詳細報告があり、全員の承認があったので、議案審議に先立って議長の選任を議場にはかったところ、満場一致
佐
藤寿雄氏,二、議案 第一号 戸
井
村商工会定款の制定について 第二号 戸
井
村商工会昭和三六年度事業計画及,について 三、議事の要領
佐
藤寿雄氏より議案審議に先立って自分が議長であることに異存がないかと,会長 本間 作太郎 副会長 山田 由蔵 理事
佐
藤 英男 山崎 誠治 加藤 磊蔵 / 三、戸
井
町商工会
戸井町史
([戸井警察署])
戸
井
町史 / [戸
井
警察署] 現在の戸
井
警察署 戸
井
警察署は、明治二十年(一八八七)五月亀田警察署の附属分署,して古武
井
駐在所に併合した。 ,越えて翌明治四十四年(一九一一)五月、尻岸内村字古武
井
の武
佐
沢に双股巡査駐在所を設置し、大正元年(一九一二,)十一月、戸
井
村字弁才澗の足達敬太郎宅に駐在所を設置して、瀬田来地域を受持たせた。,、森警察署に転属になるまで、尾札部駐在所が戸
井
分署に所属したのである。 / [戸
井
警察署]
戸井町史
(一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名)
戸
井
町史 / 一 戸
井
町出身の戦没者と遺族の氏名 一 戸
井
町出身の戦没者と遺族の氏名 戦没者 遺族 官等 氏名,昭二一、七、八 宮崎県国立都城病院 酒
井
トシ 養母 釜谷町三一 陸軍伍長 楢山且衛 昭二二、二、七,昭三七、一一、二〇 旅順二〇三高地
佐
藤熊吉 小安町三三六 陸軍伍長 武
井
常治 昭一四、八、一八,満州ノモンハン 武
井
常雄 兄 小安町五一 陸軍伍長 関谷幸男 昭二〇、四、二七 沖縄本島首里 関谷浅雄,海軍上等水兵 粕谷勝雄 昭一九、八、一〇 マリアナ諸島 粕谷勝彦 二男 小安町一一二 陸軍軍属 永
井
義輝 / 一 戸
井
町出身の戦没者と遺族の氏名
戸井町史
(一、戸井町史刊行までの経過)
戸
井
町史 / 一、戸
井
町史刊行までの経過 昭和三九・ 戸
井
村教委が村史を編纂することをきめ、村内の有識者、,昭和四三・ 六 戸
井
郷土誌稿、一集を刊行。, 小野 武男 (宮川神社々掌、教育委員) 寺西 粂丸 (大宣寺住職)
佐
藤,日新小学校教諭) 青木 路夫 (日新小学校教諭) 内田 好宏 (日新小学校教諭)
佐
藤,池田 正義(町教委社教主事)
佐
藤 進(日新中学校教諭) 青木 路夫(日新小学校教諭 / 一、戸
井
町史刊行までの経過
戸井町史
(二、戸井警察署管轄の巡査駐在所)
戸
井
町史 / 二、戸
井
警察署管轄の巡査駐在所 年 月 日 西暦 設置、廃止、統合等 明治二三、,〃三九、 五、一〇 一九〇六 戸
井
村字汐首に駐在所を設置した。 ,〃四四、 五、一五 一九一一 尻岸内村字古武
井
の武
佐
沢に双股駐在所を設置した。,〃 七、 四、二二 一九一八 古武
井
の双股駐在所が廃止された。 ,〃一〇、一二、 一 一九二一 戸
井
村字小安に小安駐在所が設置された。 / 二、戸
井
警察署管轄の巡査駐在所
戸井町史
(八、戸井西部漁業協同組合)
戸
井
町史 / 八、戸
井
西部漁業協同組合 戸
井
漁業会の解散により、昭和二四年七月一日、戸
井
村字釜谷、戸
井
村字汐首、戸
井
村字瀬田来,事務所は戸
井
村字釜谷に本所を置き、戸
井
村字汐首と戸
井
村字瀬田来の二ケ所に支所を設置した。 ,組合長 理事 監事 24 館山悦三郎 (八月辞任) 川岡弁策 酒
井
力蔵
佐
藤栄太郎 (九月当選辞退,吉崎仁三郎 25 館山悦三郎 〃 川村清 吉田粂太郎 〃 吉崎仁三郎 〃 〃 境銀市 後藤亀雄 26
佐
藤栄太郎,吉田勇一郎 27
佐
藤栄太郎 〃 〃 〃 三浦勝之 〃 〃 〃 〃 〃 28 29 吉崎仁三郎 〃 / 八、戸
井
西部漁業協同組合
戸井町史
([戸井の鳥類])
戸
井
町史 / 春から秋まで植物採集に、戸
井
の山野を歩き廻ると、こんな珍らしい鳥も戸
井
にいるのかと思う位、いろいろな鳥,戸
井
で繁殖し、戸
井
附近より移動しない留鳥(りゅうちょう)、戸
井
で栄巣(えいそう)して繁殖(はんしょく),(
佐
々木正治談) 戸
井
の魚釣りの人々が見て、昔からウミタカ、シチリガモなどと呼んでいた鳥は、ミズナギドリ,(
佐
々木正治談) この鳥についても、くわしく話を聞いて「アカエリヒレアシシギ」と同定した。 ,戸
井
の鳥類の分類(留鳥45種、渡り鳥113種 計168種) 戸
井
の鳥類の分類(1) 戸
井
/ [戸
井
の鳥類]
戸井町史
([戸井の沢で石炭を発見した話])
戸
井
町史 / [戸
井
の沢で石炭を発見した話] 大正の初期に、稲吉(いなよし)五郎作という石工が、戸
井
の沢で石炭を発見,大正四、五年頃は戸
井
で鰛の大漁が続いた年である。 ,稲吉五郎作は文久二年(一八六二)九州の大分県で生れ、戸
井
で鰛の大漁が続いた明治二十年頃、石工として九州,から戸
井
村の浜中に移住し、村内の網元の石垣や袋澗を築造した人であり、〓宇美家の三号漁場の石垣を築いたのも,(五郎作長女
佐
藤フジ談) / [戸
井
の沢で石炭を発見した話]
戸井町史
(二、戸井村商業組合)
戸
井
町史 / 二、戸
井
村商業組合 戸
井
商工会館 昭和十一年、北海道庁の命により、渡島支庁に八ケ所の商業組合,瀬田来支所 尾本 宗蔵 原木 支所
佐
藤 英男 事務所は弁才町〓久米宅があてられた / 二、戸
井
村商業組合
戸井町史
(四、古武井鉱山の大火(明治四十一年))
戸
井
町史 / 四、古武
井
鉱山の大火(明治四十一年) 明治四十一年六月十一日午後三時三十分、尻岸内村字古武
井
元山、山県硫黄鉱山,出火の原因は大沼友次の養女
佐
藤ミワ(八才)の火遊びであった。 / 四、古武
井
鉱山の大火(明治四十一年)
戸井町史
(三、戸井警察署の敷地及び建物)
戸
井
町史 / 三、戸
井
警察署の敷地及び建物 (1)敷地 年 月 日 西暦 事蹟 明治三四,、 五、二四 一九〇一 戸
井
警察分署の敷地であった戸
井
村字浜中十二番地の二、九畝四歩は、戸
井
村字弁才澗各池田桃太郎所有,(2)建物 年 月 日 西暦 事蹟 明治三四、 五、二三 一九〇一 戸
井
警察分署,〃四二、 六 一九〇九 戸
井
警察分署の庁舎を改築した。,これに対し宇美第吉、石田栄八、池田浅次郎、河村潔、須
佐
喜久弥等が賛同し、東奔西走して二一九名より寄附金 / 三、戸
井
警察署の敷地及び建物
戸井町史
([戸井の魚の根について])
戸
井
町史 / 戸
井
で魚をとるための目標の山は「丸山」である。,次が武
井
の島と丸山の頂上を結んだ線と笠山出しの線の交点で、これを武
井
ガカリという。,この根は泊町の〓
佐
藤豊次が昭和二十五、六年頃発見した根である。,アジャパ根は〓
佐
藤豊次専用の根であった。 戸
井
沖の魚の根の概要は次の略図の通りである。,これらの根は、戸
井
の漁師が長年に亘ってさぐり当てたものである。 戸
井
沖の魚の根の略図 / [戸
井
の魚の根について]
戸井町史
(一、戸井の館とその伝説)
戸
井
町史 / 一、戸
井
の館とその伝説 コシャマインの乱の頃、戸
井
の館鼻(たてはな)に和人の館があったという言い伝えがあるが,古文書に「戸
井
の運上屋」と書かれているのはここである。,明治二十七年(一八九四)九月、五代目の戸長
佐
藤吉貫の時に、字館鼻番外地(後に二番地と改めた)に役場庁舎,伝説の
井
戸はこのあたりにあったものと思われる。,昔下北
佐
井
の人々が、このあたりに畠まきに来ていたが、財宝が埋められたという伝説を聞き、親方が
佐
井
から人夫 / 一、戸
井
の館とその伝説
戸井町史
(六、〓佐藤家(弁才町))
戸
井
町史 / 六、〓
佐
藤家(弁才町) 〓
佐
藤家の先祖は茂右衛門と称し、文政二年(一八一九)に生まれ、明治十七年八月十二日,マサは〓
佐
藤良作に嫁した。 ,伊豆之助は明治二十一年(一八八八)三月二十五日生れで、二十一才の時
佐
渡真野村生れの〓五島栄造の長女ミン / 六、〓
佐
藤家(弁才町)
戸井町史
(三、戸井に移住した人々)
戸
井
町史 / 三、戸
井
に移住した人々 現在戸
井
に居住している人々は、何代か前に本州或は道南各地から移住した人々の子孫,南部のうちでも戸
井
の対岸である大間、
佐
井
、風間浦、大畑、東通(ひがしどおり)などの町村からの移住者が最,④本州の二男、三男が景気のよい戸
井
に来て、一旗あげて故郷へ帰ろうと考え、暮しているうちに戸
井
に土着したという,大体以上の事情や動機で戸
井
に定住し、その子孫が戸
井
に繁殖したのである。 ,て出稼ぎした戸
井
へ食を求めて渡航したことが想像される。 / 三、戸
井
に移住した人々
戸井町史
([戸井の医療機関の沿革])
戸
井
町史 / [戸
井
の医療機関の沿革] 戸
井
の医療機関の沿革を調べて見ると、明治四年五月開拓使函館支庁の出張所が館鼻,開拓使戸
井
出張所長大島鼎(かなえ)の主唱で、明治五年十一月、公立戸
井
病院の一室に私立戸
井
教育所が開設された,尻岸内村字大澗の〓松本旅館を間借りして開業していた水津浩(すいつひろし)が、昭和十七年頃、浜町の現在〓
佐
藤辰雄家,水津の妻は止むなく建物を〓
佐
藤家に売って札幌へ去った。 ,片平は生前仙台の鈴木碧、天江富弥、石川善助、
佐
藤長助、花巻の宮沢賢治などと親交があった。 / [戸
井
の医療機関の沿革]
戸井町史
(7 戸井高等学校沿革概要)
戸
井
町史 / 7 戸
井
高等学校沿革概要 北海道戸
井
高等学校校歌 一、波ひかる 津軽海峡 青春の いのち, 希望にもえて 共にきずかん ひたぶるに 栄光ここに われらが母校 三、風かおる 戸
井
沢,] 戸
井
高等学校 一、創立年月日 昭和二十八年四月一日 二、設置経緯 ,北海道亀田郡戸
井
町字浜町八六六番地 四、沿革の概要 昭和二十八年四月一日 北海道戸
井
高等学校,昭和三九年一二一月三一日 校長山崎堯厚岸水産高等学校長に転補 昭和四〇年一月一日 南茅部高等学校教頭
佐
藤正五本校校長 / 7 戸
井
高等学校沿革概要
戸井町史
(一、戸井の商業の変遷)
戸
井
町史 / 一、戸
井
の商業の変遷 下海岸の商業の変遷といっても、蝦夷時代から明治時代までの数百年は、交通の便も悪,この頃、戸
井
村の汽船扱店として字館鼻に金沢回漕部、谷藤回漕部の二店があり、回漕店と呼ばれていた。 ,古くは〓
佐
藤・堀川・丹羽家なども副業の形でやっていたという。 / 一、戸
井
の商業の変遷
戸井町史
(四、戸井漁業協同組合(有限責任))
戸
井
町史 / 四、戸
井
漁業協同組合(有限責任) 昭和二四、 六、一四 戸
井
漁業協同設立総会を開く。, 金沢 長作(浜町) 金沢 藤吉(泊町) 監 事 宇美 昌造(浜町)
佐
藤伊豆之助,(弁才町) 金沢 久之助(浜町) 昭和二四、 六、二五 戸
井
漁業協同組合設立発起人,登記の目的―戸
井
漁業協同組合設立登記 登記の年月日―昭和二四年七月九日 事務所―亀田郡戸
井
村字館町二一番地 / 四、戸
井
漁業協同組合(有限責任)
戸井町史
(一、十八世紀後半の戸井の状態)
戸
井
町史 / 一、十八世紀後半の戸
井
の状態 十八世紀の後半といえば、宝暦元年(一七五一)から寛政十年(一七九八年),五十三年後の天保九年(一八三八)箱館の戸数が三、四百軒であり、戸
井
の地名をくわしく書いているが戸口は全然書,小安と戸
井
に運上屋(うんじょうや)が置かれ、幕府や松前藩は主産物の昆布を物納(ぶつのう)させたり、その,戸
井
に神社の創建された年代がその部落に和人が定着しだした年代と考えて誤りはないと思う。 ,トヰ
佐
藤権左衛門支配 出産 昆布、布苔(ふのり)、鮫(さめ)、鰤(ぶり)、魚油、鮭秋味 / 一、十八世紀後半の戸
井
の状態
戸井町史
([戸井の鰮漁の沿革])
戸
井
町史 / [戸
井
の鰮漁の沿革] 戸
井
の鰮の豊漁は、明治三十三年(一九〇〇)から大正時代を経て、昭和十四年(一九三九,「鰮といいば戸
井
、戸
井
といいば鰮」と戸
井
の名が鰮の代名詞のように、全国に喧伝(けんでん)されたのである,九州の稲吉(いなよし)五郎吉は、戸
井
の石垣や袋澗を造るために来て、戸
井
に永住し、その子孫が現在残っている,浜中に移住した大工山田五三郎、
佐
吉父子が棟梁をして建てたのである。 ,戸
井
の鰮漁の経験のある者は、鰊場の仕事にすぐ間に合い、鰊漁をしている後志地方の人々は、戸
井
の鰮漁にすぐ / [戸
井
の鰮漁の沿革]
戸井町史
(十六、終戦直前の米機の戸井空襲(昭和二十年))
戸
井
町史 / 十六、終戦直前の米機の戸
井
空襲(昭和二十年) 日本軍が占拠していた南方の島々が次々と米軍に攻略され、,戸
井
でも家の附近に防空壕を急造したり、近くの山や沢に小屋をつくって避難したり、瀬田来では戸
井
線のトンネル,戦時中なので、戸
井
要塞の防備は極秘にされていたが、推定では日新中学校の裏山に十五糎加農砲四門、戸
井
高校,この時の村長は山本勇作、助役は
佐
々木平吾であった。 ,七月十四日、十五両日の空襲で、戸
井
村は死者七名、焼失家屋十五戸に及んだ。 / 十六、終戦直前の米機の戸
井
空襲(昭和二十年)
戸井町史
((附)昔の戸主名(明治十三年以降))
戸
井
町史 / この調査表は戸
井
と全然関係のない人々には興味はないだろうが、戸
井
で生れ、戸
井
で育ち、戸
井
で生活している,戸
井
町の行政史、産業史等に名を残していない多くの人々こそ、戸
井
町発展の基盤であり、原動力であったことを,
佐
藤兼松 池田浅次郎
佐
藤作十郎(小安) 金沢惣吉 吉田福次郎(小安) 松
井
留八(小安) 永川市松,池田松三郎 田中勝太郎 寺沢金蔵 畑野富次郎 高田市蔵 畑
井
甚三郎 堀口ハツ 西田
佐
太郎 中山徳次郎,池田幸作 堀田清 堀田善記 浅
井
清作
佐
藤藤吉 池田栄助 池田卯三郎 富樫
佐
太郎 伊藤直吉 伊藤直太郎
戸井町史
(九、〓山田家(西浜町))
戸
井
町史 / 明治二十年(一八八七)生れの長男
佐
七も、長じて大工となり、父子協力して家業に励み、大工職の少なかった時代,五三郎が老齢になってからは、
佐
七に一切を任せて隠居したが、不幸にも
佐
七は五三郎に先だち、昭和七年(一九三二,これより二年後の昭和九年(一九三四)十二月九日、五三郎も
佐
七の後を追うようにして病歿した。 ,夫
佐
七に先立たれた妻ヨシノは、当時三十七才の若さで、四人の子はまだ幼かったので、途方にくれたが、けなげにも,〓山田家は三郎までで三代目であり、戸
井
町の旧家とはいわれないが、大工職の少なかった昔に、五三郎、
佐
七父子
戸井町史
(五、公選町村長時代)
戸
井
町史 / 六月四日生 三代 自〃二〇、四 至〃二〇、八 阿部宗久 四ケ月 四代 自〃二一年 至〃二三年 桜
井
郁郎,三五、三、一三 多田作太郎 九ケ月 二級町村制が施行され、自然退職となり、 明治三五、四、一、初代戸
井
村長,、二一 三ケ月 退任 第二代 上野寛 〃三五、八、二九 〃三五、一二、三 三ケ月 退任 第三代 阪
井
一健,(副) 堀田善記 宇美金松 石田義雄 村田よしゑ 丹羽和八 角張直芳 水戸忠太郎 酒
井
力蔵
佐
藤武雄,(副) 酒
井
力蔵 吉崎岩吉 石亀喜代治 館山悦三郎 奧野喜好 池田八重次郎 斉藤政一 吉田兼蔵 永
井
義男
戸井町史
(五、原木漁業協同組合(有限責任))
戸
井
町史 / が行なわれ、参集発起人は三名で発起人代表として
佐
々木平吾が推された。,議長は四戸竹松、選挙管理者は
佐
々木平吾となり参集者は一二一名であった。 , 兼松
佐
々木 秀作 昭和二四、 六、二一 原木漁業協同組合の設立申請書を提出。,び字二見地先 基点 甲 亀田郡尻岸内村と戸
井
村との界 乙 亀田郡戸
井
村字二見と字浜町との,昭和三〇、 二、二五 役員改選により組合長理事は
佐
々木平吾となる。
戸井町史
((5)明治三十二年の所得税調査員当選者と四郡の選挙人名)
戸
井
町史 / 同補欠員選挙結果 点数 氏名 住所 摘要 三十六点 平田文右衛門 函館区末広町十番地 三十六点
佐
野定七,〃 田原源蔵 〃 大久保利助 神山村 越田竹蔵 木古内村 山本門兵衛 泉沢村 新
井
田久次郎 木古内村,長谷川重威 〃 成田萬助 小安村 吉田大吉 〃 吉田駒吉 尻岸内村 松本福松 〃
佐
々木音右衛門 〃,東助五郎 椴法華村 石岡房吉 七重村 中島富潤 〃 恆吉勝重 木古内村
佐
藤洋孝 茂辺地村
佐
藤孫右衛門,又選挙人の中に戸
井
村では長谷川重威・成田万助、小安村では吉田大吉、吉田駒吉の名を見ることは誠に隔世の感
戸井町史
(二、幼児教育)
戸
井
町史 / 法泉寺住職
佐
藤孝順が就任して同日開園された。,保母主任 野呂 利美 昭和三九年度 同右 自昭和四〇年度、至昭和四二・九 保母主任
佐
藤,
佐
藤 和子 保母 野呂 利美 昭和四三年度 園長 法泉寺住職
佐
藤 孝順 保母主任,
佐
藤 和子 保母 梅原 悦子 昭和四四年度 保母主任
佐
藤 和子 保母 館山 淳子 昭和四五年度, 同右 昭和四六年度 保母主任
佐
藤 和子 保母 大野 和子 2 戸
井
町立すみれ保育所の
戸井町史
(十、尻岸内村の昔の駐在所)
戸
井
町史 / 尻岸内村内の駐在所の巡査は、すべて戸
井
分署に籍を置いて、それぞれの駐在所に駐在したので、戸
井
分署の記録,戸
井
分署の記録に「明治四十四年五月十五日、尻岸内村字古武
井
の武
佐
沢に双股駐在所を設置した」とあり、更に,尻岸内町史』に「根田内駐在所の創設された時期も、存続した期間も判然としない」と書き、古老村上庄兵術、
佐
々木才太郎,根田内駐在所に勤務した巡査として村上老は、杉浦巡査、小畑巡査、飯田巡査を挙げ、
佐
々木老は、初代加藤巡査,
佐
々木老の初代加藤というのは、阿蘇(あそ)久治か
佐
藤の誤と思われ、吉沢三十(○)治は吉沢三重(○)治の
戸井町史
(二、法泉寺(館町))
戸
井
町史 / 戸
井
の信徒は小安能化庵の檀家であったが、戸数が増加するにつれて仏事、葬祭に不便を感じ、信徒協議の結果新寺,歴代住職 初 代
佐
藤 大 雪 二 代
佐
藤 大 麟 三 代
佐
藤, 大 円 四 代
佐
藤 孝 順 法泉寺
戸井町史
(三、各神社の棟札(むなふだ))
戸
井
町史 / 三、各神社の棟札(むなふだ) 豊
井
村と書かれた棟札 (1)宮川神社 ① 奉納 宮川大明神 講中豊
井
村, 同 安 田 甚太郎 大工棟梁
佐
々木,祭 曲 委 員 ②と同じ 壱 区
佐
々木,作 泊 沢 富 蔵 境 石 蔵 参 区 松 田 勇 助
佐
, 伊 藤 喜太郎 奥 野 兼 蔵 四 区 下 山 元 吉 三 浦 多三郎
佐
戸井町史
((4)〓吉田家(釜谷))
戸
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町史 / (4)〓吉田家(釜谷) ① 平民 吉田
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治右衛門 , 亀田郡小安村 平 民 吉田
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治右衛門,授与ス 明治十七年六月四日 巖手県令従五位勲四等 石
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, 函 館 県 平 民 吉田
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治右衛門, 央金庫へ納付可有之候也 明治二十八年三月二十七日 陸箪恤兵監陸軍騎兵大
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正六位勲四等
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(「参考資料」戸井村漁業組合規約(明治三十二年頃のもの))
戸
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町史 / 「参考資料」戸
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村漁業組合規約(明治三十二年頃のもの) 第一章 名称組織 第一条 本組合ヲ戸
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村漁業組合,ト称シ戸
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村在籍漁業者ヲ以テ組織ス。 ,第三章 組合事務所位置 第三条 本組合事務所ヲ亀田郡戸
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村字館鼻二十三番地ニ置ク。 ,第十一条 評議員ハ本組合ノ利害得失ヲ議了シ頭取ヲ補
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スルモノトス。,但シ戸
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村館鼻会所下ヨリ横泊平岩ニ至ルノ各網ハ拾五間以内ト定ム。 / 「参考資料」戸
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村漁業組合規約(明治三十二年頃のもの)
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(一、沿革概要)
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町史 / 一、沿革概要 戸
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町に消防の組織ができたのは、明治二八年で、戸
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組・小安組の二つの消防組がつくられ、,明治四〇年、その後つくられた汐首組をあわせて、戸
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消防組となり、村内を第一部から第六部までに分け、定員,消防組の時代は、組頭一名(現在の団長)、部長各組に一名計六名、部長の下に部長を補
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する小頭が各部に二名
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([旧家の系図])
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町史 / 〓〓(かねちがい) 斉藤家(泊町) 〓○久
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々木家(原木) 「註」〓
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々木家は原木草分,原木、鎌歌、東浜町には
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々木姓の家が多いが、東浜町の
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々木姓の家は殆んど原木、鎌歌の
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々木姓の家の分別,鎌歌の〓
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々木家も
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々木系統の草分けであるが、〓、〓の関係については、調査の手が届かなかった。 ,原木、鎌歌で
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々木姓を名東る久メ、久一、大久などは〓
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々木の別れである。,現在原木、鎌歌(二見)東浜町で
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々木姓を名東る家は次の通りである。
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(十一、軍艦笠置の坐洲事件(大正五年))
戸
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町史 / 尻岸内駐在所からの連絡を受けた戸
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分署では、分署長警部菊地庫太が巡査相沢新次郎を従えて現場に急行した。,調べた結果艦長は海軍大
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桜
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真清氏で乗組総人員四百八十名であった。,(戸
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分署記録) 海軍省記録公文書 大正五年七月十三日、軍艦笠置は、艦長海軍大
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桜
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真澄指揮
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(二、弁天さんの由来)
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町史 / 二、弁天さんの由来 弁才天の祠・武
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の島(1) 弁才天の祠・武
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の島(2) 武
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の,弁天さんが武
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の島について、次のようないい伝えがある。 ,二つが武
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の島沖で、偶然一致したのである。 ,又一説には、二見(旧鎌歌)の〓
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藤留作の父が、武
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の島附近の海上で、標流している弁天さんを拾い、自宅に,
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藤宅に移し、再び武
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の島に移したというのが真相のようだ。
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(四、部落会、町内会)
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町史 / 、一般的に、戸
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町字瀬田来から同町字原木までの地域を指している。 ,これは、明治三十五年に二級町村制が施行されて、小安村、戸
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村が統合されたが、戸長役場時代は、「戸
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村外一村戸長役場,」という名称で、役場庁舎が戸
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村地区におかれたからである。 ,(現会長
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々木義政談) 会則原案あるも設立年月の記載はない。 ,[戸
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町会連合会の沿革] 戸
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町会連合会の設立は、昭和三十九年一月一日である。
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(三、大隆寺(館町))
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町史 / その創建の由来は、初代住職になった菊崎隆乗和尚が来村して、字横泊の伊藤倉次郎宅並に、字浜中の
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々木倉蔵宅,明治四十三年(一九一〇)四月二十三日、法務所設置の許可を得て、字館鼻四十一番に堂宇を新築し、称名寺戸
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法務所,爾来毎年鰮の大漁が続き、戸
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村が異常に発展し、信徒も増加したので、大正八年(一九一九)十一月十二日、称名寺住職及,び信徒と協議し、字戸
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の沢一〇七番地に寺院を建築した。
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(五、むじなに養われた人)
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町史 / この頃コブタ(今の戸
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漁港の附近)に、鎌歌の〓
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々木の鰛漁の納屋があった。 ,山が紅葉して鰛漁の時期になったので、〓
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々木の人が納屋を片づけに行ったところ、行方不明になっていた人が,〓
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々木の人が驚いて村人に知らせた。
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(十、汐首岬の鰮船転覆漁夫溺死事件 (大正四年))
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町史 / 戸
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村大字小安村 港 七之助 (三七才) 〃 小山内 巳之作(二五才,三五才) 〃 沢野 吉太郎 (三八才) 〃
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藤, 熊太郎 (三五才) 戸
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分署長菊地庫太警部が巡査二名を引率して、現場に駈けつけたが狂濤激浪
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(二、汐首郵便局)
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町史 / 二、汐首郵便局 汐首郵便局 大正 五、一二、二一 渡島国亀田郡戸
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村大字小安村字汐首番外地に汐首郵便局,自、大正 八、一一、 五 至、昭和 九、 八、一八 三代局長
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々木,自、昭和 九、 八、一八 至、昭和四三、 一、一六 四代局長
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々木,えているが、汐首、小安の両郵便局は無集配特定郵便局であるため配達業務は行なわず、従って瀬田来、汐首地域は戸
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郵便局
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(三、戸長役場時代)
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町史 / 三、戸長役場時代 明治十一年(一八七八)に、戸
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村、小安村の区域を管轄する「戸
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村外一村戸長役場」という,小安村、戸
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村は亀田郡に属した。 ,戸
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村に郡役所の出張所がおかれた。この年桜
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郁郎が四代戸長に任命された。 ,明治二十四年(一八九一)
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藤吉貫が五代戸長に任命された。 ,小安村、戸
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村は亀田支庁の管轄になった。
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(七、スポーツ及び文化団体)
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町史 / [戸
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町体育指導委員] 2 文化団体 ○戸
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交吟(こうぎん)社 戸
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町の文化史上特筆,戸
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交吟社は、館町の河村潔(きよし)が主宰(しゅさい)者で戸
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の文化人が同人(どうじん)となり、時々句会,、戸
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に俳句の同好会があり、河村潔(きよし)さんがその会を主宰して「戸
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交吟社」と名づけ、時々同好の士,当時の交吟社同人は、大宣寺の住職寺西粂丸さん(笑骨)法泉寺の住職
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藤大円さん(雨石)戸
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郵便局長大橋弘,、会長には戸
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高等学校長の
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藤正五が選ばれた。
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(二、鎌歌墓地の怪)
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町史 / 戸
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で鰛の大漁が続いた頃は、一月から五月頃まで、鰛の粕干しで村中忙しかったものである。,この頃カネシタに原木の〓
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々木兼松の弟の
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々木安右衛門が、浜中の網元〓宇美家に「粕干し船頭」に雇われていた
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