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函館市史 銭亀沢編
(八幡宮の祭礼)
八幡社
より行列操(繰)出し、夫より御役所御門前において御祈祷相済、坂通り相下り町年寄銘々宅前において御祈祷仕候,船山・大黒山・蛭子(エビス)山、前日より
八幡社
内へ餝り置、当日神輿渡御の節、行列の跡に相成、山々え囃子方付,右神輿の儀は、平日
八幡社
境内に納置候仕来りに御座候。,「月次風俗補拾」にも八幡宮祭礼のより具体的な記載がみられるが、興味深い点はその原注に「但し、
八幡社
祭礼先供
恵山町史
([『田中正右衛門文書』より(市立函館図書館所蔵)])
<神社> 尻岸内持日浦 弁天小社 壱ケ所 但、亀田村神主 藤山大膳持 尻岸内
八幡社
,箱館浄土宗称名寺末 神社について、日浦には弁天小社が1社(稲荷が合祀されていたと思われる)、尻岸内には
八幡社
,には龍神社が1社、根田内には蛭児・稲荷の2つ小社(祠)が存在していたが、これらは神職はおかず、亀田村
八幡社
神主藤山大膳
椴法華村史
(明治九年の鰮網経営者)
鮪建網一統 鮭建網一統 二五 一〇 四 四 元椴法華
八幡社
函館市史 通説編 第一巻
(下海岸方面の社寺)
なお、石崎
八幡社
は永享の鰐口があるので、永享年間を草創時としているが、鰐口は文化年間の出土品で関係がないように
函館市史 銭亀沢編
(石崎町の二つの講)
明神講」は、一般に「女性の正月」といわれる旧暦一月十五日の「小正月」に、女性だけが神主を招いて、石崎
八幡社
函館市史 通説編 第一巻
(元禄の大洪水)
またこのころ
八幡社
や、弁財天社などを修造し、泉沢の浄玄寺が移転したことからみても、この災害を契機として
南茅部町史 下巻
(北海道旧纂図絵による産土神(うぶすながみ)の起源)
尾札部領椴法華鎮守速須佐之男命右毘沙門尊(再立) 同 や志里浜鎮守
八幡社
再立
函館市史 銭亀沢編
(石崎八幡宮の場合)
この二つの祭りは、神主(銭亀沢
八幡社
の神官)、奉讃会役員・町会と漁業協同組合の有志によって運営される。,それでも、たとえば、今日の建国記念の日、みどりの日、勤労感謝の日(かつての新嘗祭)に、銭亀沢
八幡社
の神主
函館市史 別巻 亀田市編
(札幌・函館・小樽区となる)
字湯川通 字柏野 字十文字 字村内川東亀田村ノ内 字万年橋 字ゴミ川ノ内 字有川通内 字札幌通 字
八幡社
後手
函館市史 別巻 亀田市編
(十九字の函館編入)
五稜郭通、陣屋通、千代ケ岱、湯川通、柏野、十文字、村内川東、万年橋、ゴミ川の一部、有川通の一部、札幌通、
八幡社
後手
函館市史 別巻 亀田市編
(函館区制と亀田小学校)
字千代ケ岱 字湯川通 字柏野 字十文字 字村内川東 字万年橋 字ゴミ川ノ内 字有川通内 字札幌通 字
八幡社
後手
函館市史 銭亀沢編
(根崎川濯神社の場合)
この際、事前に氏子代表が持参していた男女の名前を記した二枚のお札に祈祷をうけ、これを銭亀沢
八幡社
に奉納
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田小学校の移りかわり)
亀田小学校の移りかわり 亀田小学校 函館区に編入地域の字
八幡社
後手に設置していた亀田小学校は
椴法華村史
(昔日の稲荷神社)
られるのは『北海道旧纂図絵』で、「稲荷神社椴法華、勧請年号不詳、寛政十二年康申年八月二十一日、再立、亀田
八幡社
人藤山八代主膳家治
南茅部町史 下巻
(〔嘉永七年「六ヶ場所書上」にみる神社庵室〕)
落部持茂無部 地蔵 蛭児社 壱ヶ所 (神主 同) 落部
八幡社
函館市史 通説編 第一巻
(町費)
祭礼銭は、
八幡社
の祭礼がすこぶる盛んで経費も多くかかったので、宗門改下調の時、分頭25文ずつを徴収し、
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田学校の誕生)
開拓使事業報告第四編) 開校当時一覧 十九年に至って、従来の校舎が狭くなったので、亀田
八幡社
裏
函館市史 銭亀沢編
(學校沿革)
學校沿革 △銭亀尋常高等小學校 明治拾参年創立、銭亀學校ト称シ、当分銭亀沢村
八幡社
ヲ以テ教室ニ假用
函館市史 通説編 第二巻
(区会の開始)
字十文字 字村内川東 字万年橋 字ゴミ川ノ内 字有川通ノ内 字札幌通 字
八幡社
後手
函館市史 通説編 第二巻
(2つの八幡宮)
当時における両八幡宮の祭礼はなかなか盛況で、その様子を「函館新聞」は 「六・七の両日ハ亀田村
八幡社
の例祭
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
八幡社
はこの内澗町から上り、石の華表(かひょう、鳥居)を建て美事な社境をなし、当地の産神として春秋2回,「会所町」
八幡社
から西、役所の下までをいい、小役人、足軽、請負人小林屋などが住み、内澗町の上の山の端,天神社 この町にあり、この社のかたわらから3丁ほどのぼると愛宕山で、
八幡社
宮司持の社が美しく建ち、また
函館市史 通説編 第一巻
(寛文の蝦夷乱と亀田・箱館)
しかし、この地方の中心はやはり亀田で、ここには松前家の祈願所
八幡社
をはじめ、寛永10年5月、僧芳龍の創建
函館市史 通説編 第一巻
(ペリー提督上陸会談)
しないので、提督は勘解由に対し、夕方まで回答を求めると同時に、市中見学を申入れ、実行寺、称名寺、浄玄寺、
八幡社
付近
函館市史 通説編 第二巻
(公立小学校の再興)
委員会は学校の移転ついて「内澗学校は旧
八幡社
地へ、松蔭学校は旧能量寺跡へ、常盤学校は旧神明社地へ移転、
函館市史 通説編 第二巻
(西洋洗濯伝習所)
方法を伝授することを計画し、洗濯機が到着し12年の大火の被災も一段落した翌13年1月、下大工町(旧函館
八幡社
社地内
恵山町史
(4、嘉永7甲寅3月の『箱館六ケ場所調べ』)
、幕串五〇本 天保六未年 御備 一、松明一五〇本 天保六未年 御備 一、草鞋一五〇足 一、
八幡社
,<神社と寺院> 「神社」 「寺院」 尻岸内本村
八幡社
・蛭児(えびす,・
八幡社
、応仁天皇を主座とする弓矢の神、いわゆる氏神様。
函館市史 通説編 第二巻
(函館の区入費)
・区入費ヲ昧スルヲ法トス 一 官有地ニアラサル墳墓地等ヲ云 地所名称 函館の該当地 官有地第1種
八幡社
戸井町史
(三、各神社の棟札(むなふだ))
内 直 正 永 井 庄 司 ② 奉
八幡社
建立
函館市史 通説編 第一巻
(年中行事)
(但し、
八幡社
祭礼先供の奴は、下モ在より来る也。
南茅部町史 上巻
(町村制度の沿革)
字村内川東、字万年橋、字有川通ノ内 字札幌通、字
八幡社
後手
恵山町史
(3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)
天保六未年(一八三五)御備 一 松明(たいまつ) 一五〇本 同 一 草鞋(わらじ) 一五〇足 一
八幡社
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