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函館市史 通説編 第二巻
(杉浦兵庫頭の決断)
杉浦
兵庫
頭の決断 最後の箱館奉行 杉浦
兵庫
頭 杉浦俊介蔵 ところが3月20日ロシアの蒸気船で,これは荒木済三郎が杉浦
兵庫
頭の決意を無視し、蝦夷地の治安より幕吏の身の安全のみを考慮した「箱館表御警衛諸家江御預,そこで
兵庫
頭は、奉行所御雇で蝦夷地の事情に精通している鈴木陸治と今後の方針について相談、(1)京師布告書,を護衛として蝦夷地箱館松前鎮撫使被命、二月二十八日頃
兵庫
出帆ニテ可相越ノ旨、京都二月二十二日付同家重役,指令があり、
兵庫
頭の決意は承認された。 / 杉浦
兵庫
頭の決断
函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
の例に準じ、2、3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、京都、
兵庫
,、堺、敦賀、下関、新潟に設置され、江戸の会所は新大橋際植物場内に、大坂は劒先町、
兵庫
は北浜川崎町(後に
函館市史 通説編 第一巻
(運漕業を営む)
寛政2(1790)年摂津国
兵庫
港に出て船稼ぎをしていたが、同4年24歳の時船頭となり、居を
兵庫
西出町に
函館市史 通説編 第二巻
(政務の引継)
政務の引継 翌27日、空き役宅に仮役所を移していた杉浦
兵庫
頭は五稜郭へ出頭して清水谷総督と対面、側近,勿論ニ候間、裁判所附属ノ心得を以テ尽力可致候事 (前掲「日次記」) 杉浦
兵庫
頭,平穏引継ぎと以後の円滑な経営継続に心を砕いてきた杉浦
兵庫
頭は、箱館奉行所直接統治地域の業務内容を認めた,5月1日、杉浦
兵庫
頭は熨斗目麻上下姿で五稜郭に出頭、引渡目録13冊を清水谷総督へ手渡し、一ノ間に着座していた,しかし、箱館奉行所の金穀は、江戸表の状況を心配した杉浦
兵庫
頭が、3月中に江戸へ回送してしまっていたために
函館市史 通説編 第一巻
(箱館支店開設)
くようになったのは寛政10年で、呉服太物類、荒物などを売捌き、蝦夷地の産物を買入れ、手船5艘をもって
兵庫
函館市史 通説編 第一巻
(高田屋の家訓)
一、
兵庫
本家江年々金弐百両宛積金、内百両は箱館店より登らせ申すべく、残りは大坂店より出金、尤も正金にて,候様、尤も諸入用之儀は、高の内半分は箱館店より出金、残りは大坂店より相渡積り、弥蔵年々自分稼出金は、
兵庫
本店,一、大阪、
兵庫
共五ケ年之内は、家作並地面等相求め申さざる積り、尤も拠無き儀は、其年支配に登り申すもの了簡
函館市史 通説編 第一巻
(択捉場所開発)
択捉場所開発 択捉場所開発準備のため
兵庫
に帰った嘉兵衛は、明けて寛政12年弟金兵衛とともに辰悦丸に乗
函館市史 通説編 第一巻
(箱館東蝦夷地の中心となる)
高田屋は
兵庫
・大坂の外に箱館を本拠としたので、箱館は、東蝦夷地の中心として、行政上のみならず経済的にも
函館市史 通説編 第一巻
(箱館回航)
箱館回航 寛政8年手船辰悦丸(1500石)を新造して自ら船主となり、兄弟力を合わせて乗組み、
兵庫
で酒
函館市史 通説編 第一巻
(官船建造と定雇船頭となる)
以来嘉兵衛は官船ならびに官雇船まで一手に管理差配し、箱館と
兵庫
に根拠地を持ち、蝦夷地および本州各港に縦横
椴法華村史
(明治四十年ころの海運)
他太平洋側諸港)~神戸(終点) ○西廻り 北海道・本州間の主要航路 函館~日本海諸港を経て
兵庫
又
函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
、拡張して行く、というのがその構想で、安政4(1857)年、箱館のほか江戸に会所を設置、翌年に大坂、
兵庫
,取扱額で、手当、経費を除いた利益788両余、同6年で、取扱額7万3000両、利益金2872両余、大坂・
兵庫
,、取扱額20万4213両余と16万9148両余、利益金4072両余と3666両余であり、江戸、大坂、
兵庫
,現金取引しかできないので低価格の取引ばかり多くなる、魚肥類はどこでもよい値で売れるので会所のある大坂、
兵庫
,蝦夷地産物が大坂、
兵庫
の会所による規制を避けて他の港へ廻ってしまうのを把握するという意味からである。
南茅部町史 上巻
([明治の村])
慶応四年地方引渡演説書(明治元年一八六八五月一日、前箱館奉行杉浦
兵庫
頭ヨリ、箱館裁判所総督 清水谷侍従
函館市史 通説編 第二巻
(箱館裁判所設置)
慶応4年1月27日の大坂裁判所設置を手始めに、
兵庫
、長崎、大津、京都、横浜、箱館、新潟など12か所に設置,10日に杉浦
兵庫
頭に面会(箱館の本陣宿で)、箱館裁判所が設置され総督、副総督が近日中に下向する旨を伝え, 四月 長秋 花押 岡本監輔 徇 同断 杉浦
兵庫
頭殿, (前掲「日次記」) これを受けて、杉浦
兵庫
頭は翌11日「
椴法華村史
(大政奉還と箱館裁判所)
司法・外交・警備・開拓を担当する目的で設置された総合的な役所で、明治元年閏四月二十七日前箱館奉行杉浦
兵庫
頭,次に明治元年五月一日の開庁に先だって、前箱館奉行杉浦
兵庫
頭から箱館裁判所総督清水谷公考に引き継がれた村名
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
兵庫
では北風荘右衛門、堺では和泉屋伊助、石割作左衛門が用達に、大和屋徳次が用聞になっている。
函館市史 通説編 第一巻
(金兵衛の追放処分)
生国淡路郡志本村領主松平阿波守領分のほかに他出すべからざること、金兵衛養子嘉市は船稼ぎ差留め、所払いならびに
兵庫
函館市史 通説編 第一巻
(奉行の更迭異動)
転任したので、同年8月箱館奉行支配組頭であった新藤鉊蔵方凉が箱館奉行並に進み、慶応2年正月杉浦勝誠(
兵庫
頭
函館市史 通説編 第一巻
(箱館に本店を置く)
ならびに宝町および蓬莱町に設け、別に長屋数棟を恵比寿町に建てて番頭以下雇人の者を居住させ、かつ支店を大坂、
兵庫
函館市史 別巻 亀田市編
(相馬藩の開拓)
相馬藩の開拓 元治元(一八六四)年相馬藩家老熊川
兵庫
は蝦夷地開墾を計画し、箱館在石川郷に四五戸、軍川
函館市史 通説編 第一巻
(修好通商条約の締結)
オランダ、フランスもまたこれにならい、いずれも同様の条約を結び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、新潟、
兵庫
函館市史 通説編 第一巻
(近江商人の排除)
次いで
兵庫
、下関、酒田、青森、鍬ヶ崎、岩城、平潟、浦賀、下田等にも会所を置いた。
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
1790年(寛政 2)・
兵庫
の親戚、船頭堺屋喜兵衛を頼り、下関まわりの船の船乗りとなる。,・12月、庄内で1500石積みの辰悦丸を新造、初めて海運業者となり
兵庫
に帰る。,箱館で積み荷を捌き、鮭・ます・昆布などを買い込み
兵庫
に帰る。,・高田屋は箱館を本店とし、
兵庫
・大阪・江戸を各支店とする。,では最大といわれた千5百石積の辰悦(しんえつ)丸を新造して
兵庫
に帰る。
函館市史 通説編 第二巻
(箱館裁判所の内部機構)
箱館裁判所の内部機構 5月1日、五稜郭において箱館裁判所の開庁が宣せられ、引継ぎを終えた杉浦
兵庫
頭は,此度裁判所御取立ニ付、今朔日当地市在其外共引渡相済候条、得其意小前末々迄不洩様可触知モノナリ 五月朔日
兵庫
,杉浦
兵庫
頭の日記には4月29日の項にその内容が載せられている。
函館市史 通説編 第二巻
(汽船の購入)
汽船の購入 井上石見が横浜に出張した主任務の内、ロワ号買入交渉というのは、旧幕府箱館奉行杉浦
兵庫
頭が,箱館在留のイギリス商人ブラキストンを仲介として、杉浦
兵庫
頭が清水谷公考に引継を行う2か月前の慶応4年3
函館市史 通説編 第二巻
(創業総会の議事)
大倉喜八郎、北海道の渡辺熊四郎、阿部興人、大阪の藤田伝三郎、鴻池善右衛門諸氏を始め、京都府及び神奈川県、
兵庫
県
函館市史 通説編 第一巻
(会所設置の目的)
さない産物が多くなるなど、幕末期の広範囲にわたる商品流通を、全面的に統制することは困難になり、大坂、
兵庫
函館市史 通説編 第二巻
(内国貿易の展開)
北海道貿易」(『明治前期経済の分析』)は、明治10年代前半の統計を使い、北海道は全移出額において三重、大阪、
兵庫
,についで第4位(東京を除く)、全移入額においても東京、大阪、三重についで第4位で
兵庫
を凌駕しており、北海道
函館市史 通説編 第二巻
(汽船の運航状況)
これらは函館から
兵庫
まで西周り経由で年間約三〇回往復し、また道内、上海に直接頻繁に航海している。,この他に
兵庫
、小樽、青森各線があり、定期運航している。,荻浜、横浜経由の
兵庫
航路は週に三回、六艘の大きな海洋航行船で行われ、年間一三一回入港し、一七万六六七七
函館市史 通説編 第一巻
(商取引)
移出品も多くはこれらの諸港に向けられるものが多く、ことに大坂、
兵庫
などは重要な移出先になっている。
函館市史 通説編 第二巻
(函館の町域)
けられてきたが、慶応期の戸口統計では箱館市中の1町として集計されており、明治元年閏4月に旧幕府箱館奉行杉浦
兵庫
頭
函館市史 通説編 第二巻
(設置の理由)
ついでこの会所を江戸、大阪、
兵庫
、下関、敦賀等に置いて、蝦夷地より廻送する荷物は会所の周旋を以て売却し,明治2年3月、商法司は廃止になったが、新に通商司が設立され、従来大阪、
兵庫
、堺、姫路等に設立されていた
函館市史 通説編 第一巻
(江戸交易と東回り航路の発達)
大畑および様似などにおいて造船、その他高田屋嘉兵衛に命じて大坂で官船5艘を建造、箱館にも造船所を設けて
兵庫
函館市史 通説編 第二巻
(箱館の動揺)
箱館奉行杉浦
兵庫
頭の日記(「日次記」杉浦俊介氏蔵)によると、まず25日に飛脚屋島屋方に、杉浦奉行が「京摂新報,3月2日、箱館への出発準備を整えていた橋本悌蔵のもとに、杉浦
兵庫
頭からの上申書(2月12日付)が到着した,しかし、橋本悌蔵が箱館に到着した時には、人心の動揺の鎮静に心を砕いていた杉浦
兵庫
頭は、請負人の度々の歎願
戸井町史
(五、高田屋嘉兵衛と汐首岬)
嘉兵衛は汐首神社に鳥居を寄進することを発願し、郷里の淡路島か、
兵庫
あたりに産する御影石で、組立てるばかりに,並に
兵庫
、大阪の支店への立入りも禁止され、高田屋所有の建物、器財等は、親類一同の意見に任せて、処理すべしという
南茅部町史 上巻
(戦後の昆布市場)
昭和二七年、
兵庫
県昆親会、翌二八年、京都昆商会が結成、昆布市場は活況に向かう兆しがあらわれる。
函館市史 通説編 第二巻
(移入米の取引)
仕出地が異なり、函館は酒田港が中心で、新潟、土崎などがこれに次ぎ、小樽は伏木港が中心であって、新潟、
兵庫
函館市史 通説編 第二巻
(東京商人と一手積特約)
函館支社長の船本龍之助は12年5月に開拓使函館支庁に出願して、開拓使の税品、主に日本海側の魚粕などを産地から
兵庫
函館市史 通説編 第二巻
(汽船船主の特質)
第3石狩丸 巴港丸 仁壽丸 通鳥丸 矢越丸 花咲丸 福栄丸 康安丸 北島丸 第5
兵庫
丸,仁壽丸 通嶋丸 康安丸 江差丸 矢越丸 花咲丸 絵柄丸 上磯丸 福栄九 大坂丸 第5
兵庫
丸
函館市史 通説編 第二巻
(港湾改良首唱者総代の意見)
地 域 別 汽 船 風 帆 船 日 本 形 出 入 出 入 出 入 大阪3港 神奈川4港
兵庫
,特に、日本海(新潟、山口)瀬戸内海(大阪、
兵庫
、広島)東京-大阪間(三重、愛知)など古い海上ルートの港
椴法華村史
(明治元年)
清水谷公考を知事に任命 ・閏四月二十六日 清水谷箱館に着任し、二十七日前箱館奉行杉浦
兵庫
頭より政務を
函館市史 通説編 第二巻
(政府の調停と最後の競争)
はこのままの事態を放置すれば両社の共倒れは必至とみてまず共同運輸の伊藤社長と遠武副社長を退任させ森岡昌純を
兵庫
県令
函館市史 通説編 第二巻
(運上会所設置と海岸道路普請)
そして、この埋立工事は箱館奉行より新政府へと引き継がれることになり、杉浦
兵庫
頭名で「海岸道路地立方書類御引渡目録
函館市史 通説編 第二巻
(青函航路の受託)
三菱会社
兵庫
丸 明治15年8月「開港以降入進外国船及西洋形日本船略図」新潟県立図書館蔵 開拓使
函館市史 通説編 第二巻
(新政府の蝦夷地への関心)
新政府の蝦夷地への関心 箱館にあって杉浦
兵庫
頭が「人心安堵」に腐心していたころ、京都の新政府に、2月
函館市史 通説編 第二巻
(貿易船の海外派遣)
せることになった場合は、そこでの試験交易もみとめる、という「御内沙汰」=内々の指示があって11月11日品川出帆、
兵庫
,へ寄って荷物仕入などの準備で、やや滞船、翌元治元年2月9日、
兵庫
出帆、薩摩の沖の強風で長崎への寄港を断念
函館市史 通説編 第二巻
(箱館府の廃止時期)
大坂鎮台 1.1.22 大 坂 1.1.27 醍醐忠順(鎮台から) 1.5.2 大 坂 醍醐忠順
兵庫
鎮台,1.閏4.25 大 津 辻維岳 5.1.19 滋賀県となる 横 浜 1.3.19 東久世通禧(
兵庫
函館市史 通説編 第二巻
(発刊数・価格・売り捌き先)
703 625 530 長崎県 71 171 220 201 249
兵庫
県
函館市史 通説編 第二巻
(競争の激化)
三菱の動きをみると15年10月に
兵庫
丸と高砂丸の2隻により6日ごとに函館-荻の浜-横浜の定期航路を開設
函館市史 通説編 第二巻
(清国人民籍牌規則と董事職の設置)
籍牌と呼ばれる戸籍登録を行っており(斯波義信「函館華僑関係資料」『大阪大学文学部紀要』第22号)、また
兵庫
県
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