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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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南茅部町史 下巻 (寛永の大噴火)

 百銀艘□余 之昆布取舟之人残少引〓 休死畢    寛永一七年(一六四〇)六月一三日の真昼どき、内浦嶽
南茅部町史 上巻 (寛永の大津波)

ノ人残リ少ナク〓ニ引カレテ㲻レ死ニ畢ンヌ    松前年歴捷径には     寛永庚辰十七夏六月内浦岳發火動山
南茅部町史 下巻 (〔駒ヶ岳〕)

旧称内浦岳(うちうらだけ)といい、また、江刺岳・茅部岳・砂原嶽ともいわれた。
函館市史 通説編 第一巻 (昆布税)

  一 昆布 右東郷亀田村志野利(しのり)浜と云う所より、東蝦夷地内浦嶽(駒ヶ岳)前浜まで
函館市史 銭亀沢編 (宇賀昆布)

先の「松前蝦夷記」に「東郷亀田村志野利浜ト云所より東蝦夷地内浦嶽前浜まで海辺弐拾里余之所ニテ取申候、尤献上昆布
恵山町史 (恵山火山の噴火史)

この北海道駒ヶ岳の寛永17年6月13日(1640年7月31日)の大噴火について、「北海道志」は『内浦嶽
南茅部町史 上巻 ([地名のうつり変わり])

坂井明神 明神 ヌマシリ 沼尻 スマシリ(ヌマスリ)  (サハラ) 内浦岳
戸井町史 ((参考)北海道と青森県の円空仏)

は、舟で礼文華に着き、礼文華の窟にこもって七月二十八日過ぎまでに五体の仏像を刻んでここに納め、八月に内浦岳
戸井町史 ([昆布漁])

一七一七)に書かれた「松前蝦夷記」には  「一、昆布は、東郷亀田村の志野利浜というところから東蝦夷地内浦岳
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

)に書かれた『松前蝦夷記』にも「昆布は、東郷亀田村の志野利浜(函館市志海苔町)というところから東蝦夷内浦岳
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