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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (函館山)

函館山 函館山は標高333.8メートル、周囲約9.5キロメートル、津軽海峡に突き出た孤山である。,から亀田山脈山麓(ろく)にかけての地帯は早くから開拓が進み、自然植生のほとんどが失われているのに比べ、函館山,オオバナエンレイソウ 函館山 / 函館山
函館市史 銭亀沢編 (函館山に見る鳥類相の概要とその変化)

函館山に見る鳥類相の概要とその変化 記録された鳥種や割合について、森林植生の函館山と比較すると著しく,以下、函館山の概要を示す。  ,一八シーズンにおける函館山での記録は、七目二二科七三種一万五二三羽であった。,以上のように、広葉樹林からなる森林植生の函館山は明らかにヒタキ科が多い。,つまり、函館山は多様性に富んだ自然環境-休息場や餌となる虫類や木の実、種など-を有しているため、多くの / 函館山に見る鳥類相の概要とその変化
函館市史 通説編 第一巻 (寒川火山噴出物層)

寒川火山噴出物層 寒川火山噴出物層は函館山の西海岸の穴澗や寒川地域から中尾根を経て、更に谷地頭町の東側海岸,寒川火山噴出物層は函館山における最も古い地層で、函館山の土台を造るものとみられる(鈴木 長谷川 1963
函館市史 通説編 第一巻 (奏檍丸の記録)

ころから明治時代にかけて知られていた先史時代の遺跡は、函館尻沢辺、住吉町掘割地、谷地頭、函館公園、青柳町、函館山字水元,、アサリ坂、相生町、会所町であり、いずれも函館山山麓周辺である。
函館市史 銭亀沢編 (古砂州が張り出し、新しい海岸段丘や海岸低地が出現した時代(図2・1・12、約八万年前))

函館山の山麓部にもこの時期の面が残されている。,すなわち、徐々に函館山との海域が狭まり、海も浅くなったため、東西両海域からの沿岸流と、波の力により、砂,が打ち寄せられ、函館山に向けて砂州が発達し始めた。
函館市史 通説編 第一巻 (函館地方生物分布の特質)

エゾタカラコウ(寒地系) 函館山 ジシバリ(本州系) 函館山
函館市史 別巻 亀田市編 (地質)

函館では松倉集塊岩ができてから函館山の火山活動が起こる。,約二千万年前のことであるが、この堆積物が函館山の西側にあたる位置にあって、寒川火山噴出物と呼ばれている,地質の調査によって函館山ができる少し前に八雲で火山活動があったといわれているので、その間には山らしい山,層を貫いた多量の粗粒玄武岩があり、この下に石英斑(はん)岩、石英安山岩、石英粗面岩が入っているので、函館山,函館山に次いで横津岳ができる。
函館市史 通説編 第一巻 (コウモリ類)

コウモリ類 函館山海岸線の洞窟(くつ)、港付近の倉庫街などには若干種のコウモリが生息している。
函館市史 通説編 第一巻 (2つの地域)

2つの地域 函館市および周辺の森林地帯は、南西部に孤立している函館山と、北東部に山裾(すそ)を広げている
函館市史 通説編 第一巻 (野鳥の楽園)

野鳥の楽園 植物の宝庫といわれる函館山が市街地に隣接して存在することは、当地域の自然的特質の一つであり,函館山は海峡に突き出ているので、1面だけが市街地に接し、他の3面は海に囲まれて天然の障壁を形成しており,函館山および付近海域に生息または出現する野鳥について、函館鳥類研究所長森口和明の1971年版「函館山鳥類目録,特に函館山について注目すべきことは、コルリ、オオルリ、センダイムシクイ、イソヒヨドリ、メジロなど南方系野鳥
函館市史 通説編 第一巻 (千畳敷集塊岩)

千畳敷集塊岩 千畳敷集塊岩は函館山の南部海岸で懸崖を成し、安山岩あるいは石英安山岩の角礫と、その間を
函館市史 通説編 第一巻 (千畳敷溶岩)

千畳敷溶岩 千畳敷溶岩は函館山南部の千畳敷と呼ばれる平坦台地を造る溶岩である。
函館市史 銭亀沢編 ([銭亀沢地区と周辺の遺跡立地の傾向])

銭亀沢地区の松倉川から汐泊川に至る台地と、汐泊川流域およびその東側丘陵上に広がる先史時代遺跡の在り方や、函館山麓
函館市史 通説編 第一巻 (山岳地)

メートル)や袴腰(はかまごし)岳(1108.3メートル)と連続して亀田半島の背梁を成す北東山岳地と、函館山,陸繋(りくけい)島を成す函館山は、北部では御殿山(333.8メートル)を主峰とする幾つかの山地が集まっており,函館山の最高点御殿山は、万延元(1860)年の幕府測量図では薬師山となっている。,函館山の北部と南部は鞍部でつながっているが、ここには、かつては高龍寺山溶岩や千畳敷集塊岩層が堆(たい),これに対し函館山の東部は海岸段丘や崖錐(がいすい)等より成り、西部や南部寄りは緩い傾斜を成している。
函館市史 通説編 第一巻 (遺跡と立地条件)

遺跡と立地条件 函館における恵山式土器および遺物の出土地は、函館山の北側と函館湾に近い箇所、あるいは,函館山周辺などには、かつては各時期の遺跡があったのであるが、古くから街区が発達したため、今では恵山式の,函館山周辺では比較的高い位置にも比較的低い位置にも遺跡があった。
函館市史 通説編 第一巻 (平野)

また函館市街地の下町を成すのは函館山を陸繋島とする砂州で、北海道本島との間を結んでいわゆるトンボロを成,一方函館山南方を流走する流れは松倉川沖において二分し、その1は反流となって大森浜沿岸から立待岬に向けて,と北を洗い、ついに尖(せん)角岬(三角形にとがった平面形の砂の岬)を形成し、次第にこの形成が進行して函館山,この実測図によると、函館山の高さは1150尺、すなわち348メートル強となっており、現在の約333.8,メートル(三角点)と比較すると14、5メートルの高度差がみられるが、砂丘の場合には高度が低いので函館山
函館市史 銭亀沢編 (標識鳥の渡りと生息環境)

函館山の記録を参考にすると、本種は、十一月上旬をピークとして渡りをすることが知られている。,函館山では三月下旬には姿を見せるものもいるため、遅くとも四月上旬には当地に渡来していると思われる。,ちなみに、函館山については、この関係は逆転する。,つまり、函館山は、カシラダカにとって渡りの目印とはなるが、休息場所としては不適当なためと思われる。,最後に、今まで述べてきたように、銭亀沢に見られる古川町や豊原町などの自然環境を例に、函館山などのほかの
函館市史 通説編 第一巻 (御殿山溶岩)

御殿山溶岩 御殿山溶岩は函館山最高峰の御殿山を中心に分布している。
函館市史 銭亀沢編 (広い海域が占めていた高海面期の函館・銭亀沢(図2・1・11、約一二万年前‥最終間氷期))

最終間氷期) 当時の函館は、現在の産業道路付近を含めた市街地部分がほぼすべて海の下にあり、島であった函館山,一方、函館山では、高龍寺境内、旧函館区公会堂、護国神社の足元あたりまでも波が打ち寄せていたらしい。
函館市史 通説編 第二巻 (官許/箱館全図)

第壱図からは、函館山側の市街地(西部地区)と五稜郭との市街の二分化が認められる。
函館市史 通説編 第二巻 (会社合併と路線拡張)

市街は、すでに函館山山麓が利用の限界に達し、若松町、海岸町など地頚部およびその東北部へ住宅、事業所が、,住宅と人口が急増し、市街地が函館山麓から亀田、五稜郭、湯の川へと拡張するのは、当時の函館市の経済力から
函館市史 通説編 第一巻 (立待岬溶岩)

立待岬溶岩 函館山地域には前述の中新世地層の寒川火山噴出物層を覆って各種の火山噴出物が分布しており、
函館市史 通説編 第一巻 (貝塚の分布)

ミルンやモースが発掘した貝塚は函館山の麓で、現在では面影すら見られないが、函館公園内の貝塚出土の遺物、,これらの貝塚は函館山山麓の北向き斜面にあって、それぞれ3、400メートル離れ、比較的大きな貝塚が3か所,このほか函館山の対岸にほ湯川貝塚、煉瓦(れんが)台貝塚、赤川貝塚、桔梗サイベ沢貝塚があり、それぞれが約,貝塚が何か所かあって西側に旧海岸線の段丘崖が南北に伸び、函館湾や函館山が見渡せたところである。
函館市史 通説編 第一巻 (良忍・日持の布教説)

ということや、日蓮上人の高弟日持が異境の布教を志し、永仁3(1295)年正月駿河を発して蝦夷地に渡り、函館山
函館市史 銭亀沢編 (コラム(陸繋砂州はいつ頃現れたのか))

コラム(陸繋砂州はいつ頃現れたのか) 函館山の山頂から見おろす函館市街が、陸繋砂州の上に載るとは、多,しかし地形学的にみると、陸繋砂州は千代台の台地縁から陸繋島としての函館山の麓まで長さ三キロメートルの間,したがって、砂州が完全に函館山と繋がったのがいつかはいまだ確認できていない。
函館市史 別巻 亀田市編 (その後)

眼下に日吉町地帯の新興住宅街と東山本通地区、函館山、巴港、大森浜、遠景に下北半島、津軽半島が展開する。
函館市史 通説編 第一巻 (洪積世)

元町層は函館山の御殿山東麓にのみ、小規模に分布している地層で、函館山斜面の切り取りを行った土木工事によって,によると、おそらく第4紀の初め、あるいは中ごろになる可能性もあるとされ、三谷勝利ら(1965)も、元町層は函館山火山噴出物
函館市史 通説編 第一巻 (エゾシマリス)

最近、谷地頭町近くの函館山山麓の雑木林で数頭のシマリスを見かけるが、飼育中の逃亡か、故意に放たれたものかであって
函館市史 銭亀沢編 (雨や霧の予測)

雨や霧の予測 矢越の崎さシタギ掛かればやがて雨        【根崎】   函館山さシタギ掛かれば
函館市史 銭亀沢編 (標識鳥の季節変化)

函館山については、昭和六十三(一九八八)年の記録を見ると四五種一〇一五羽であったが、終期に関しては四二種一,そのため、カシラダカやアオジなどアシ原で数多く記録される鳥であっても、函館山で記録される。,十月から十一月の生息環境についてさらに付け加えれば、函館山は霜がおりても凍り付くことはないが、古川町では
函館市史 通説編 第二巻 (浅くなった港)

「人為的」というのは、『函館区史』によれば、「函館定繋の船舶は船中の不用物を港内に投棄し、函館山は樹々,函館港内国船碇泊取締規則を以て塵芥、土石、石炭、灰燼など碇泊場の障害となる物品を港の界内に投棄することを禁じ、函館山,また函館区需要の石材を函館山から伐採していたが、11年に全く伐採を禁止したのも、港底埋没防止のためである
函館市史 銭亀沢編 ([銭亀沢の鳥類の渡りと鳥類相の変化])

基づき、鳥類相の変化を通して、銭亀沢に生息する鳥類が、どのような生息環境に影響されているかを検討し、函館山
函館市史 銭亀沢編 (現在の海岸環境)

その間、函館では東西両方向から函館山に向かう沿岸流により、大野川や松倉川から吐き出される土砂や銭亀沢の,特に大野川の河口から東側には函館山の麓に収束する三列以上の浜堤群が認められる。  
恵山町史 ((1)上昇した海水面)

その頃、函館山はまだ津軽海峡に浮かんだ島であった。
函館市史 銭亀沢編 (第四紀に活動した火山が多い)

約一〇〇万年前に一連の活動をした(鴈沢、1992)とされる函館山(三三二・五メートル)や、市街地北の横津岳
函館市史 銭亀沢編 (天気ことわざ)

時の目標となっており、北-三森山、東-汐首岬、南東-尻屋崎、南-向山(恐山山地)、南西-矢越岬、西-函館山
函館市史 銭亀沢編 (風の予測)

風の予測 おやくかかれば(明日は)ヤマセ        【根崎(志海苔)】   函館山さ霧掛かれば
函館市史 通説編 第一巻 (日持上人の渡来説)

その遺跡として伝えられるのは、石崎妙応寺、函館山の鶏冠石(夜泣石、題目石ともいう)などがあるが、史実か
函館市史 通説編 第一巻 (地理的位置)

市域の範囲は、市の南部にある函館山(標高333.8メートル 三角点標高)を扇のかなめとして扇形状に南西部
函館市史 銭亀沢編 (銭亀沢の海産動物研究)

稲村(1956)は函館湾内の魚類相として、函館山裏の寒川および函館湾北部の上磯町茂辺地の主に建網で漁獲
南茅部町史 下巻 (芽の湯(明林荘))

       (畳) 武揚      八 五稜     一〇 台場     一〇 黒鷲     一〇 函館山
函館市史 通説編 第一巻 (亀田)

亀田 旧亀田市は、横津岳および袴腰岳を背にして函館山と函館港を望み、南東部で函館市と相接し、西は上磯町
函館市史 通説編 第二巻 (煉瓦石・瓦)

セメント会社の販売先は、北海道鉄道株式会社を主とし、築城部(函館山)函館支部、函館船渠株式会社その他函館区内
函館市史 銭亀沢編 (函館市街地・銭亀沢の海岸段丘面)

この図に示されたおもな地形単位としては、函館山や段丘崖の斜面を示す山地・急斜面、横津岳山麓の火山性開析扇状地
函館市史 通説編 第二巻 (開拓使の神仏分離観の転換)

4,275戸 函館護国神社 青柳町   明治2年5月の箱館戦争の後、大森浜で官軍方戦没者の慰霊祭を行い、函館山山麓,函館山神社 函館山 無格社 明暦元(1655)年。
恵山町史 ((4)津軽海峡のコンブ生育適地の仮説)

この海峡の中央部に位置するのが函館山の立待岬なのである。,冷水が反流として汐首岬から函館山付近にまで達していたのが観察されたのである。  
恵山町史 ((2)コンブ前線と親潮前線)

コンブの方は汐首岬より以西にもよく生え、函館山の麓の立待岬を西に越すと、コンブは生えていても量的に微々
函館市史 通説編 第二巻 (函館の町域)

函館山の裾に町並みを展開してきた函館は、人口の増加につれて砂州部分へと広がりをみせ、安政6(1859)
函館市史 銭亀沢編 (遺跡立地の類似性と相違点)

これまでみてきたように、銭亀沢地区の遺跡立地に類似する場所としては、海岸段丘上に遺跡の広がりをみせる函館山麓
函館市史 通説編 第一巻 (先人の足跡)

函館の市街は先端に臥牛山と呼ばれる函館山があって、その名のように大きな牛が横たわっているように見える。,函館に先住民族の遺跡があることを最初に知られるようになったのは、函館山の山裾である。
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