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函館市史 通説編 第一巻
(十三湊)
十三湊
この
十三湊
は岩木川の下流十三潟口に位する湊で、当時、津軽の産物をはじめ蝦夷地の産物もここに集,こうして安東氏は
十三湊
に福島城を築いて居城とし、愛秀の孫貞季(さだすえ)に至って、その長子盛季は下国家,、4男道貞(みちさだ)は潮潟家を立て、南北朝時代には、東の南部氏と奥羽地方を二分する勢力であったが、
十三湊
/
十三湊
函館市史 通説編 第一巻
(津軽船の活躍)
津軽船の活躍 安東氏が津軽
十三湊
を根拠として活躍していたことは、前節に述べたところであるが、この
十三湊
,堺津を指し、七湊とは、越前の三国、加賀の本吉、能登の輪島、越中の岩瀬、越後の今町、出羽の秋田、津軽の
十三湊
,ことに『十三往来』によれば、文明年間には、
十三湊
への商船の往来が絶えず、蝦夷との交易も行われていたというから,、鎌倉末から室町期にかけての北海道と本州との交易は、こうした安東氏の活躍を背景に、津軽
十三湊
を経由して
椴法華村史
(本州との交易)
西滄海漫々而夷船京船群集並艫先調舳湊成市」と記され(夷船=蝦夷地より来航する船、京船=小浜、若州方面の船)
十三湊
,この頃既に、蝦夷地-
十三湊
-若州の航路が開航されていたことを示すものであろう。
函館市史 銭亀沢編
(志苔館と渡党)
十二館」のうち、志苔館の築造は、安藤康季の永享四(一四三二)年の渡道以前、すなわち、安藤氏が本拠地の津軽
十三湊
,近年の安藤氏研究の成果を考慮して、ここでは、仮説的に、志苔館は一四世紀の後半、
十三湊
のこの「日ノ本将軍,では、
十三湊
の安藤氏の指揮・支持を受けながら、志海苔で館を築いたのは誰であろうか。,つまり、「渡党」に系譜をもつ小林氏が、一四世紀末の重弘の時代、津軽
十三湊
の「日ノ本将軍」安藤氏の指揮・,この頃、津軽
十三湊
の「日ノ本将軍」は安藤康季である。
椴法華村史
(和人の館)
和人の館 『新羅之記録』によれば、嘉吉二年(一四四二)秋、安東氏の居城
十三湊
は南部義政の攻撃を受け、
函館市史 通説編 第一巻
(安東盛季の渡来)
安東盛季の渡来 しかるに安東盛季の
十三湊
放棄の時点については、永享4(1432)年説と嘉吉3(1443,御心をなやませられ、再興を幕府に勅請したが何等の請答なく、いたずらに歳月を重ねるのみなので、ここに奥州
十三湊
,菊華印 右の宣命書と日月の皇旗を賜って、康季は一刻をも惜しんで帰郷したが、南部勢は
十三湊
函館市史 通説編 第一巻
(安東氏の勃興)
愛秀(よしひで)の代になって、
十三湊
に移り、盛季に至る4代の間、ここを本拠地とした。
函館市史 通説編 第一巻
(宇賀昆布と箱館の繁栄)
しかるにこのころから、いまの渡島半島沿岸には、相次いで諸館が築かれて群雄割拠するに至り、その交易のあり方もこれまでの
十三湊
中継型
函館市史 銭亀沢編
(安藤康季の渡道と「道南の十二館」)
安藤康季の渡道と「道南の十二館」 一四世紀の末期(一三九〇~一四〇〇年)、
十三湊
において志苔館の第一期創建,その断絶を救い下国安藤氏の宗家を継いだのが、潮潟四郎重季の息男、すなわち
十三湊
の下国安藤盛季の舎弟の安藤四郎道貞,嘉吉二(一四四二)年の
十三湊
滅亡の時、南部軍に生け捕られていた政季は、糠部八戸にて安藤政季と改名した。
椴法華村史
(下海岸アイヌの蜂起)
蜂起 前にも記したように、十四世紀後半、蝦夷地南部に居住するアイヌ人は、自ら漁業を営み、交易のため
十三湊
方面
函館市史 別巻 亀田市編
(東北・北陸との交流)
西滄海漫々而夷船京船群集並艫先調舳先湊成市」とあり、(夷船=蝦夷地より来航する船、京船=上方方面より来航する船)これらの船が多数入港し、
十三湊
恵山町史
([昆布の道])
彼等は大船に買い集めた昆布や海産物を満載、津軽海峡を西に走り日本海に入り、一族の地、津軽の
十三湊
・秋田
函館市史 通説編 第一巻
(安東政季らの渡海)
安東政季らの渡海 盛季が南部氏に破れて
十三湊
を放棄した時、盛季の弟安東四郎道貞の子、潮潟四郎重季(しげすえ
函館市史 銭亀沢編
(古代・中世の地域・民族呼称)
北奥の安倍・清原氏さらには平泉藤原氏の歴史的営みを受けて、津軽
十三湊
の安藤氏(安藤氏の表記には安藤と安東
戸井町史
(二、和人の館)
三者の記録から道南に来た豪族を年代順に挙げて見ると ①永享四年(一四三二)
十三湊
の下国安東盛季
恵山町史
([渡島半島“みち”のはじめ])
津軽
十三湊
を根拠地に北陸沿岸まで勢力を伸ばしていた豪族安東氏の一族(渡り党と呼ばれた)が南部氏に追われて
函館市史 銭亀沢編
(志海苔古銭をめぐって)
三七万余枚の古銭埋納も、志苔館主の小林氏が結ぶ
十三湊
の「海の領主」安藤氏の経済力を考慮するなら、そんなに
戸井町史
(二、戸井への和人の定着)
新羅之記録』に記載されている道南十二館は、殆んど嘉吉三年(一四四三)安東盛季が南部義政に改められて敗れ、
十三湊
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