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函館市史 通説編 第一巻
(外国船再出現)
更に天保2(1831)年2月20日、1隻の外国船が
厚岸
場所ウラヤコタンに停泊、ときどき発砲するので、
厚岸
勤番谷梯小右衛門,、敵は更に小舟4艘をもって援護し、1般を上陸させて高地から銃火をあびせるので、ついに衆寡敵せず敗れて
厚岸
椴法華村史
(ウラヤコタンへの襲来)
襲来 『新室蘭市史第一巻』によれば、 天保二年(一八三一)二月二十日、一隻の外国船が
厚岸
場所,
厚岸
勤番谷梯小右衛門は、ときどき発砲する外国船に備えて士卒・漁民・アイヌたちを配置したが、二十四日に至
戸井町史
((2)池田家(館町))
(2)池田家(館町) ① 釧路国
厚岸
郡
厚岸
町 小鰊搾粕 ,北海道亀田郡戸井村 池 田 栄 吉 北海道
厚岸
郡
厚岸
町役場庁舎新築費,北海道亀田郡戸井村 池 田 栄 吉 北海道
厚岸
郡
厚岸
町第三部消防組器械蔵置所壱棟並器具器械一式有志共同寄附候段奇特
恵山町史
([陸路の充実])
猿留(さるる)山道(幌泉~猿留(さるる))等の道路を開削、文化年間(1804~1817年)には仙鳳趾~
厚岸
,寛政11年には道路が開かれると同時に、東蝦夷地(道東)の人家の少ない昆布森・仙鳳趾・
厚岸
・野付など10
恵山町史
(1、異国船の来航)
・一八三一年(天保二年)二月、
厚岸
のウライネコタン沖に異国船来航上陸、
厚岸
勤番所の出張人と戦闘となる。,14か所の台場を構築し、さらに勤番所を、東蝦夷地の山越内(現八雲町字山越)・絵鞆(室蘭)・様似・釧路・
厚岸
,・同年(同年)四月、イギリスの捕鯨船エドモント号、東蝦夷地
厚岸
のマビロに漂着、七月、箱館に航送中暴風に
戸井町史
(八、〓池田家(館町))
金沢家で
厚岸
に小鰊漁場を経営した時には、栄吉が船頭となり、妻ソメ子と共に
厚岸
に赴き、鰮の漁期には帰村して,次いで建網一ケ統をふやし、更に
厚岸
に小鰊漁場を設けた。,したために、漁撈のことに精通したことに加え、漁運にも恵まれ、戸井の鰮漁は曳き網、建網共に大漁が続き、
厚岸
,ここに四ケ年間勤め、明治四十三年(一九一〇)二十才の時、函館の保田商店に勤め、保田(やすだ)家の経営する
厚岸
,初代栄吉が生前
厚岸
の漁場に行っていた頃、保田家の漁場で働いている鉄蔵をハナの聟にと見込み、保田家の主人
椴法華村史
(第三大亀丸と川崎船の衝突)
尻岸内沖にて 區内前田汽船株式會社第三大亀丸は一昨十日午後三時當港に於て雑貨を搭載し釧路
厚岸
函館市史 通説編 第一巻
(旗合せの糾問)
旗合せの糾問 それがどういうことからか、折から
厚岸
のウラヤコタンの外国船乱暴事件の調査のため、蝦夷地
函館市史 通説編 第一巻
(ロシア人の南下)
、ロシア人の南下接近の報を聞いたのは、これより先、宝暦9(1759)年のことで、松前藩士湊覚之進が、
厚岸
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の物資輸送)
越えて翌11年、幕府が東蝦夷地を直轄すると、奥州酒田から幕府の必需品を箱館に回漕すること2回、更に
厚岸
椴法華村史
(外国船来航の概観)
を書いた『東方見聞録』の記録に示された、ジパングー・金銀島を探索するために、オランダ船カストリウムが
厚岸
南茅部町史 下巻
(〔東海岸道〕)
寛政一二年(一八〇〇)、東蝦夷地
厚岸
からの帰途、幕吏戸川藤十郎の一行がエトモ(室蘭)から砂原・鹿部を経
函館市史 通説編 第二巻
(清商との取引)
次の例は明治6年4月に交わされた高田祐吉郎と万順号との
厚岸
の新昆布の取引に関する約定書である。, 為取替約定証書の事
厚岸
郡新昆布 四百石目 税金の儀は貴殿方より上納の約定,; 荷主の高田祐吉郎は高田屋嘉兵衛の系譜の人物で大阪在住であるが、内澗町の高田篤太郎方に寄留して
厚岸
産
南茅部町史 上巻
(宮部教授「まこんぶ調査」)
旅程は当地より釧路・昆布森・
厚岸
・霧多布・根室・標津・薫別・植別・網走・稚内・礼文島香深・利尻島・増毛
函館市史 通説編 第一巻
(幕府の御救交易)
かくて寛政3(1791)年普請役田辺安蔵、小人目付高橋助四郎、豊田源八郎らは
厚岸
に至って交易を営み、同
椴法華村史
(陸路の充実)
東蝦夷地長万部-虻田間、様似-幌泉、幌泉-猿留(さるる)等の道路が開かれ、更に文化年間(一八〇四~一八)仙鳳趾-
厚岸
間,蝦夷地内の道路の整備に伴って、旅人の宿泊設備も次第に整えられるようになり、寛政十一年昆布森・仙鳳趾・
厚岸
戸井町史
(七、〓金沢家(泊町))
五代藤吉が学校を卒業するとすぐ、四代藤吉は十七才の息子を連れて、
厚岸
の小鰊漁場へ出稼ぎに行って、鰊漁業,父の死後二年目の明治三十年(一八九七)
厚岸
に小鰊漁業を経営し、翌明治三十一年(一八九八)瀬棚郡美谷(びや,)に鰊漁場を経営し、又戸井では鰮漁の外に鮪(まぐろ)漁に着手したが、
厚岸
、美谷、戸井いずれも大漁が続き
函館市史 通説編 第一巻
(択捉航路開発)
択捉航路開発 近藤重蔵 彼が
厚岸
に滞在中、択捉島開発の任を帯びてこの地に至った近藤重蔵に呼ばれ
函館市史 通説編 第二巻
(道内航路への進出)
この時点での航路は函館-根室、函館-
厚岸
、函館-寿都、函館-江差、函館-小樽、
厚岸
-根室、江差-寿都の,11年の「函館新聞」によると、函館-
厚岸
・根室間の就航が特に顕著である。
函館市史 通説編 第二巻
(営業方針の転換と函館支店の閉鎖)
は松前、江差、寿都、岩内、古平、石狩、月形、樺戸、空知、苫小牧、室蘭、勇払、新冠、浦河、幌泉、釧路、
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(北海道における近代寺院の造立と函館)
・古平 後志・忍路 根室・根室 石狩・札幌 後志・寿都 後志・忍路 胆振・室蘭 釧路・
厚岸
,後志・寿都 渡島・桧山 石狩・札幌 後志・岩内 渡島・函館 後志・積丹 釧路・
厚岸
,・樺戸 石狩・札幌 渡島・茅部 後志・久遠 後志・積丹 石狩・空知 石狩・札幌 釧路・
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(矢越丸による海運業の創始)
20年6月にさらに汽船恵山丸を建造し、2隻体制となったので釧路、
厚岸
方面へも航路を拡大した。,また恵山丸の場合も釧路、
厚岸
方面と三場所(日高地方の昆布主産地で三石、様似、幌泉を指す)への航海を意味
南茅部町史 下巻
(沿岸の定期航路)
定期無事丸 釜谷・小安・汐首・瀬田来・尻岸内・戸井行 定期
厚岸
丸
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
高田屋金兵衛 十勝 一四九両 箱館 大坂屋卯助 釧路 八五〇両 松前 米屋孫兵衛
厚岸
椴法華村史
(昆布の清国直輸出)
文久三年の調査によれば、収量の最高を占めるのは幌泉場所の一万三千石余(天保年間四千五百石)であり、
厚岸
椴法華村史
(アイヌ語起源説)
'トーポケ、岬陰又ハ岬下トモ、『ト』ハ『エト』ト同ジ鼻、即ち岬ノ義、『エト』ヲ『ト』ト云フハ
厚岸
及十勝
函館市史 通説編 第一巻
(赤人ノッカマプに来る)
ロシア人はエトロフに来て待ったが何の音沙汰もないので、船をクナシリに進め、更にノッカマプに至り、ついに
厚岸
,松井らは霧多布でこのことを知り、早速
厚岸
に引返した。
南茅部町史 上巻
([蝦夷日誌])
海路をとれば、松前、函館より恵山をまわり、一路エリモ岬を目指し
厚岸
、根室へ渡海する。
南茅部町史 下巻
(〔官業工場〕)
罐詰製造所(紗那) 13年 札幌 厚別山木挽器械所 根室 罐詰製造所(
厚岸
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の場所請負人)
三五五両二分 福山 近江屋三郎次 釧路 金 一、三〇五両二分 福山 川内屋長三郎・近江屋九十郎
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(函館汽船会社と改称)
田中は第百十三国立銀行の取締役の職にあったほか、
厚岸
において漁業経営をしていた。
椴法華村史
(蝦夷地の主要道路)
-茅部峠-森-長万部(礼文華-虻田)-幌別-白老-勇拂-様似-幌泉-広尾-大津-白糠-釧路(仙凰至-
厚岸
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
・様似行 天京丸 幌満・幌泉・小越・庶野・口留・廣尾・
厚岸
, 根田内・磯谷行 東濱町一四番地 〓前田船舶支店 定航 第一大亀丸 釧路・
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(明治後期の昆布貿易)
十九年ニ及テ稍低落シ、二十年ニ及テ愈甚シク函館相場ハ釧路以東根室
厚岸
産ニシテ上等平均凡三百三拾円、三場所
函館市史 別巻 亀田市編
(蝦夷地直轄)
一方寛政十一年春、蝦夷地を巡見した松平忠明らは最初陣屋を
厚岸
に設置する計画であったが、八月十二日、知内
恵山町史
([道路開削の嚆矢])
(以下略) 国後・択捉島調査の帰途、近藤重蔵は
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(北海道共同商会の設立)
株主の所在地は、函館が圧倒的に多いが、道内の福山、江差、小樽、
厚岸
、根室などから、道外の四日市、東京、,明治17年7月
厚岸
方面の出産人総代林大助と同郡出産の官貸資金消流昆布の委託販売の契約を結び、同年10月
函館市史 通説編 第二巻
(清国市場視察と昆布諮問会)
北海道庁は、清国内の昆布市況視察のため、根室支庁の勧業課赤壁二郎、函館の北海道共同商会会頭遠藤吉平、
厚岸
,これに対し、
厚岸
で昆布の経営に当たる鹿島は、単に昆布の一手集荷のみをとりあげ、生産者に対する営業資金の
函館市史 通説編 第二巻
(金森回漕組と改称)
ちなみに金森回漕組と改めた22年における道内での実績は矢越丸が室蘭・幌泉方面が84回、恵山丸が
厚岸
方面
函館市史 通説編 第二巻
(外国商船の取次業務)
太平洋郵船会社はこのように出張所を設け、さらに榊富右衛門(元
厚岸
の場所請負人)や小宿商人の納城藤兵衛らと
函館市史 通説編 第二巻
(函館支庁付属船)
函館商人はそれを最大限に活用したが、一例として明治6年9月に高田祐三郎が付属船安渡丸をチャーターして
厚岸
産昆布
恵山町史
(蝦夷地の航路を開く)
の航路〉 この航路の測量については、頒暦所出役堀田仁助・門人の鈴木周助らが、新造船神風丸で江戸から
厚岸
戸井町史
(三、幕領時代前期の概観)
この時長万部、礼文華(れぶんげ)、様似、猿留、釧路、
厚岸
等の山道が開かれたのである。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館及び蝦夷地の警衛)
一方、蝦夷地全域の取締り、警備については、安政3年東蝦夷地は室蘭、様似、
厚岸
、国後、択捉の5か所、西蝦夷地
恵山町史
(4、(恵山)厳島神社)
松前・石狩・増毛・紋別・羽幌・小樽・根室(弁天島)・
厚岸
(弁天島)・釧路(弁天ケ浜)・苫小牧(弁天・弁天沼
恵山町史
(新たに設けられた19の支庁 明治30年(1897年)10月)
・新冠・静内・三石・様似・幌泉 釧路支庁 釧路国釧路郡真砂町 釧路・白糠・足寄・阿寒・川上・
厚岸
函館市史 通説編 第二巻
(北海社と関西貿易社)
この東京滞在中の事と思われるが、岩内炭坑と
厚岸
官林の払下を出願、許可を得ている(『五代友厚伝記資料』第
函館市史 通説編 第二巻
(乗組員の養成)
下船中 〃 亀田丸 仁風丸 新運丸 蜻蜒丸 蜻蜒丸 下船中 善宝丸 長運丸
厚岸
丸
函館市史 通説編 第一巻
(異国船の出没)
この時たまたま松前藩家老松前左膳が、蝦夷地巡視のため
厚岸
に至り、その帰途長万部でこの知らせを聞き、ただちにこれを
函館市史 通説編 第二巻
(商取引の実態と商人の諸相)
、大津屋田中家は、旧幕時代から箱館付六か場所内で鰊、鰯などの漁場を開き、やがて東蝦夷地樽前の鰯漁業や
厚岸
郡,釧路場所の請負人となり、虻田場所の請負や、北蝦夷地の漁場開拓に手をそめ、明治に入ってからも、釧路、白糠、
厚岸
郡内,商社出張所を開くために函館に航し、函館と東京・横浜間に荷為替の便を開いたといい、それを契機に、釧路国の
厚岸
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