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函館市史 通説編 第一巻
(日米和親条約締結)
日米
和親条約
締結 ペリー提督 嘉永6(1853)年6月3日、アメリカ合衆国水師提督ペリーが、,こうして同年3月3日12箇条からなる
和親条約
が調印され、箱館港は翌安政2(1855)年3月から開港されることになった,諸外国がこれを黙過するはずはなく、同年8月23日には、クリミア戦争のため一足おくれたイギリスとの間に
和親条約
/ 日米
和親条約
締結
函館市史 通説編 第一巻
(遊歩区域の確定と批准)
遊歩区域の確定と批准 なお、ペリー提督が下田において再び林大学頭らと会談した結果、5月22日
和親条約
付録
函館市史 通説編 第一巻
(日露国境問題)
日露国境問題 プチャーチン 日露
和親条約
は、すでにアメリカやイギリス、オランダとの間に締結された,かくして12月21日、日露
和親条約
9箇条の調印をみたが、国境問題については次の通り決定された。
恵山町史
(箱館港の盛衰)
しかし、嘉永7−安政元年(1854)、日米
和親条約
が締結調印され箱館・下田開港にペリーの率いるアメリカ
函館市史 通説編 第二巻
(条約附録と遊歩区域)
条約附録と遊歩区域 安政元(1854)年3月3日に調印された日米
和親条約
(神奈川条約)は、同年5月22,ところで、この条約附録は、そのあり方において、日米
和親条約
のそれと重要な点で相違した側面を有していたことを,日米
和親条約
では、日米両国の全権とも相手国の言語を理解できなかった(日本には英語の、アメリカには日本語
函館市史 通説編 第一巻
(狭義の開港)
狭義の開港 安政元(1854)年3月、アメリカとの間に結ばれた
和親条約
によって、箱館は翌2年3月から
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーから知らされた条約)
しかし、この問題をみる上で同時に目を向けておかなければならないことは、ペリーは日米
和親条約
調印の一方の,松前藩側は、前述のように幕府から断片的に通告さたれごく僅かの情報しか有していなかったばかりか、肝心の日米
和親条約
,箱館奉行工藤茂五郎他応接方が会談した際(ペリーと松前勘解由との最初の会談)、ペリーより応接掛連署の日米
和親条約
正文,ことここにいたって、日米
和親条約
の存在を疑う余地は全くなくなったのである。
恵山町史
((2)キリスト教の弾圧)
(2)キリスト教の弾圧 キリスト教の禁止については、1854(安政元)年の
和親条約
(神奈川条約)による
恵山町史
([五稜郭と古武井熔鉱炉])
1854年(安政元年)幕府首脳は壌夷派を封じ込め日米
和親条約
を結び、伊豆の下田、蝦夷地の箱館を開港した,追って、その年にイギリスと日英
和親条約
、ロシアと日露
和親条約
(1855年2月7日)、年が明け日本とは300,年の交易があったオランダとも日蘭
和親条約
をそれぞれ締結したのである。 ,この箱館開港はいうまでもなく前年三月に調印された日米
和親条約
に基づいて開港されたものである。
函館市史 通説編 第一巻
(勘解由の米艦訪問)
ペリー(息子で提督秘書官)、ウイリアムズが列席して菓子、酒肴等の饗応があり、その饗応中提督は、すでに
和親条約
函館市史 別巻 亀田市編
(フランス軍艦の入港)
フランス軍艦の入港 亀田川にて異人洗濯の図 市立函館図書館蔵 安政二(一八五五)年六月七日、
和親条約
椴法華村史
(幕府の再支配)
幕府の再支配 安政元年(一八五四)の日米
和親条約
(神奈川条約)によって、箱館が安政二年(一八五五)三月
函館市史 通説編 第二巻
(ハーバー殺害事件)
田崎が自首後の供述で、日本が外国と
和親条約
を結んで以来、衰頽に向かっているのに憤懣を抱き、我が国のために
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩への通達)
松前藩への通達 日米
和親条約
を締結すると、ペリーは開港に先立って下田・箱館両港の視察を申し出た。
函館市史 通説編 第二巻
([1 箱館開港への途])
[1 箱館開港への途] 安政元(1854)年3月3日、神奈川(横浜)でペリーと幕府との間で日米
和親条約
函館市史 通説編 第二巻
(箱館における貿易開始の体制)
箱館における貿易開始の体制 安政元(1854)年の日米
和親条約
の締結後は、箱館も開港地となって外国船,
和親条約
のもとでは、外国人との交易はおこなわず、食料、水などの「欠乏品」を補給するための取引だけがみとめられることになるのであるが
恵山町史
(2、開国・蝦夷地の再直轄)
そして、1854年(嘉永7年)3月3日、世にいう神奈川条約「日米
和親条約
12箇條」がここに締結調印され,・一八五四年(嘉永七年)八月、イギリスと日英
和親条約
に調印、長崎・箱館を開港する。,・同年(安政元年)十二月、ロシアと日露
和親条約
に調印、下田・長崎・箱館を開港、択捉(エトロフ)島・ウルップ
函館市史 通説編 第二巻
(条文の解釈をめぐって)
まず最初に、開港直後に箱館に来航したアメリカ商人と彼等の日米
和親条約
の条文を楯にした交易と箱館居住の要求,これを不満としたリュードルフは、箱館奉行に書状で、日米
和親条約
の第7条に「開かれた港に入港する合衆国の,やアメリカ船と日本側役人との通訳を積極的に買って出ていたが、ロジャーズに右の件を依頼されて以来、日米
和親条約
,5条(日米
和親条約
の第7条に対応するもの)の蘭文和訳に「望ミの品物を弁するを許す」(日本語版は「入用の,三月三日調印日本国亜米利加合衆国
和親条約
神奈川県に於て調印、安政二年五月五日、下田に於て批准書交換
函館市史 通説編 第二巻
(「一時居住」の解釈)
そのためロジャーズは、アメリカ国民の権利を守る立場から、下田奉行に対し、日米
和親条約
の基本理念と特に同条約第,このように、箱館開港直後には、入港外国船、とりわけアメリカ商船との間に、日米
和親条約
の第4条・第5条・,というのも、ペリーが日米
和親条約
の締結に際し、日本側に強く求めたものは、長崎以外の港の開港と、鎖国体制下
函館市史 通説編 第一巻
(外人の居留問題)
和親条約
第4条には「漂着或は渡来の人民取扱の儀は、他国同様緩優にこれあり、閉籠候儀致間敷」とあるのを、
恵山町史
([『田中正右衛門文書』より(市立函館図書館所蔵)])
この年、日米
和親条約
(神奈川条約)が締結され、伊豆下田・箱館を開港し箱館奉行を設置(翌年は幕府は蝦夷地
函館市史 通説編 第二巻
(箱館開港への対処)
その後、8月23日調印の日英
和親条約
でイギリスに長崎・箱館を開港し(『幕外』7-151)、次いで9月2,までには、翌年3月の箱館開港に対応すべき諸準備がほぼ整えられたが、同年12月21日、下田において新たに日露
和親条約
函館市史 通説編 第二巻
(松前藩への幕府の達)
日米
和親条約
調印日の前日のことであった。
函館市史 通説編 第二巻
(箱館開港の背景)
こうした経緯の中で同日調印されたのが日米
和親条約
であり、その中に安政2年3月より箱館を開港する旨記されたのであった
恵山町史
(3、尻岸内村の馬)
日本とアメリカとの間で、日米
和親条約
が結ばれ、静岡県の下田と、箱館(函館)の二つの港が開かれました。
函館市史 通説編 第二巻
(米・露・英の領事)
しかし日米
和親条約
では、箱館には領事を置くという規定はなかったのである。,次にロシア領事についてだが、安政元年12月、下田で日露
和親条約
が調印され、領事の駐在については、その第
函館市史 通説編 第二巻
(開港直後の入港外国船)
とするというペリーの目的からして当然の結果であったが、捕鯨船に次いで商船の入港が多かったのは、後述の如く日米
和親条約
函館市史 通説編 第二巻
(牛肉・牛の供給をめぐって)
する風習がないとして、その供給を拒否したが(『幕外』10-24・190、11-36他)、シビル号が日英
和親条約
第
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの新たな思惑)
じて、幕府と大名との政治的関係について一定の知識を有するに至っており、しかも箱館渡来後、松前藩に日米
和親条約
函館市史 通説編 第二巻
(市中での買物とバザー)
この抗議文は、ペリーが応接所で松前勘解由以下の役人に対し、横浜・下田での日米交渉や日米
和親条約
の一方的解釈
函館市史 通説編 第二巻
(開港期の欧米系商社と外国商人)
アメリカ人ライスは貿易代理人という肩書きで
和親条約
時代に来函し、領事業務を兼ねて自国船、特に捕鯨船に食料等
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの再来と幕府の回答)
が存在していたことは否めないにしても、ここで注目しておきたいことは、この第1回の日米会談も含め、日米
和親条約
調印時
函館市史 通説編 第二巻
(箱館奉行の再置)
としていたが、安政元年の箱館奉行再置の直接的な契機は、対露対策というよりは、むしろ同年3月3日調印された日米
和親条約
函館市史 銭亀沢編
(幕末の村むら)
幕末の村むら 嘉永七(一八五四)年、アメリカから「黒船」でやってきたペリーとの間で、日米
和親条約
が締結
恵山町史
(3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)
場所有高調子書上より解読 荒木恵吾) 1854年(嘉永7~安政元)という年は、日米・日英・日露
和親条約
恵山町史
(③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)
第2に、日米
和親条約
・安政元年(1854)で箱館は下田とともに開港され、日米通商条約・安政5年(1858
恵山町史
((4)古武井高炉と一連の施設)
しかし、安政2年(1855)日米
和親条約
による箱館開港、その後、同5年(1858)6月以降、米露英仏蘭
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