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函館市史 通説編 第一巻
(問屋口銭)
問屋
口銭 また、この時代の
問屋
口銭は次の通りに議定されている。, 一
問屋
口銭は諸品売買代金高之内 二分通 一 同 瀬戸物 鉄物 鯨 鰤 右同断,一 下り荷物 右同断 二分通 東西蝦夷地行運賃船とも右同断(『箱館
問屋
議定帳 /
問屋
口銭
函館市史 通説編 第一巻
(問屋の機能)
問屋
の機能 現存する沖ノ口関係法令や
問屋
議定書などによって、松前三港
問屋
の機能を分類すると、(1)船宿的機能,従って一般的な発展形態としての詰物品
問屋
・専業
問屋
の発展段階からみて、いわゆる諸国の詰物品
問屋
の類型に,属することになるが、同じ詰物品
問屋
という性格を持ちつつも、敦賀の売
問屋
、新潟の大
問屋
、大坂の荷受
問屋
などと,同一形態ではなく、松前三港において
問屋
機能を持つものは、この株仲間の
問屋
と小宿のみで、仲買
問屋
のようなものが,このような
問屋
の船宿的機能の独占的な性格は、即取扱商品の独占的支配を意味し、
問屋
にとっては、諸廻船の船宿 /
問屋
の機能
函館市史 通説編 第一巻
(問屋株仲間)
問屋
株仲間 また、この税制改革と密接不可分のものとしてとられたのが、三港における
問屋
株仲間の新設である,の
問屋
が、一時不振に陥ったあと、近世に入って何らかの
問屋
の機能を果たす商人があったと思われるが、遺憾ながらそれを,しかし、松前・江差の2港では、すでに元禄期に船役金を徴収する
問屋
があり、松前では享保7年
問屋
仲間15軒,この
問屋
株仲間が箱館に出来たのは、延享5年である。,これに依って
問屋
株式私共に仰付けられ下し置かれ度く願上げ奉り候事。 /
問屋
株仲間
函館市史 通説編 第一巻
(問屋取締役)
問屋
取締役 箱館奉行の、沖ノ口に出入りする貨物の諸税は、前時代と大差はなかったが、ただ嘉永5(1852,
問屋
小宿の制は従来と同じく株仲間で、船手に対する専権を握り、移出入の商品はことごとく
問屋
の手を経たが、,こうして従来
問屋
やその他の者から沖ノ口役所に差出す願書には、
問屋
頭が連印し、それに
問屋
取締役が奥印して,なお、万延元(1860)年閏(うるう)3月沖ノ口口銭の名称が
問屋
口銭と間違われるおそれがあったので、沖,ノ口口銭を沖ノ口役銭と改め、口銭は
問屋
口銭だけとした。 /
問屋
取締役
函館市史 通説編 第一巻
(俵物指定問屋)
俵物指定
問屋
それがため長崎会所では、延享元年から俵物一手請方制をとり、長崎商人のうち帯屋庄次郎が一手,らは松前の俵物を長崎へ直接送るほか、少しでも有利な所で取引を行うため、敦賀、大坂、下関においてそれぞれ
問屋
,かくて長崎俵物請方
問屋
では、松前、箱館、江差の3港にそれぞれ指定
問屋
を置き、各地の場所請負人および生産者,この指定
問屋
の設定以降は、これまで集荷に当っていた近江商人も、指定
問屋
に俵物を売渡さねばならず、集荷過程,の指定により、俵物生産者と地元
問屋
との関係が、より密接になったことを意味している。 / 俵物指定
問屋
函館市史 通説編 第一巻
(大坂の問屋組織)
大坂の
問屋
組織 また、大坂方面との交易は、早くから昆布の移出が盛んに行われていたが、この時代に入ると,りについて協議し、同8年松前行司3名を置き、文政2(1819)年には、松前物最寄組なる仲買組織と、松前
問屋
,なる
問屋
組織をつくるに至った。 / 大坂の
問屋
組織
函館市史 通説編 第一巻
(断宿以外の問屋の役割)
断宿以外の
問屋
の役割 ところで、場所産物取引における断宿以外の
問屋
の役割はどうであったか、まず、場所生産物,1の場合には、船手と
問屋
の関係は、沖ノ口口銭、
問屋
口銭の徴収とも、船手の船宿となっている
問屋
が行うという,、
問屋
口銭ともに断循が徴収し、船宿は、同船が出港する時にのみ、出御口銭をはじめ
問屋
口銭、蔵敷などを徴収,2分(買付値段で) 買人持 買付
問屋
蔵敷 船宿 出御口銭 2分
問屋
口銭 2分(積入だけ)
問屋
蔵敷,元治元年「
問屋
諸用留」・「箱館
問屋
儀定帳」より作成 / 断宿以外の
問屋
の役割
函館市史 通説編 第一巻
(問屋口銭をめぐる対立)
問屋
口銭をめぐる対立 ところが、こうした市中商人の成長は、特権商人である
問屋
商人との間の矛盾となって,箱館奉行所はこの要望をしりぞけ、従来通り
問屋
口銭を免除したが、文化8年2月に至って再び
問屋
側は口銭徴収,この問題はそもそも何を意味するものであろうか、
問屋
側の口銭徴収要求の具体的な理由はわからないが、
問屋
側,
問屋
商人はこれに対し積極的な統制策を採りはじめ、新たな
問屋
口銭を徴収することによって、そこから大きな利益,り
問屋
口銭は免除という形で落付いたのである。 /
問屋
口銭をめぐる対立
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負と問屋株仲間)
場所請負と
問屋
株仲間 箱館港が名実ともに松前三港の1つとして、蝦夷地経済の動向に重要な役割を果してくるのは,その有力な契機となったのは、場所請負制度の発生と蝦夷地・本州間の商品流通の著しい発展、更に
問屋
株仲間の / 場所請負と
問屋
株仲間
函館市史 通説編 第一巻
(問屋・小宿以外の商人)
問屋
・小宿以外の商人 一方、この時代になると、
問屋
・小宿以外の商人の進出もみられるようになる。 /
問屋
・小宿以外の商人
函館市史 通説編 第一巻
(断宿の独占利潤)
、すべて断宿で御判願、船改をし、場所生産物の積取船が入港した時は、御口銭(沖ノ口口銭-2分)、口銭(
問屋
口銭,また場所で買付けた荷物を当地で売払う場所でも、御口銭、口銭は断宿が受取り、更に場所断宿でも船宿でもない
問屋
,つまり場所生産物の売買に当っては、断宿が直接介入しなくとも、断宿は沖ノ口口銭および
問屋
口銭を自動的に収得,従って、断宿の得る
問屋
口銭は、売買過程で、取引の相手となる船手(多くは北前船)の船宿になっている
問屋
が,収得する一般的な
問屋
利潤とは異なるもので、断宿となった
問屋
の独占利潤であった。
函館市史 通説編 第一巻
(小宿の機能)
小宿の機能 一方、小宿の機能についてみると、小宿の機能は、基本的には
問屋
の流通独占体制を補助・強化するところにあり,、
問屋
機能の1つである船宿的機能はなかった。,もっとも小宿にも沖ノ口口銭の徴収権が一部与えられているが、これはあくまでも
問屋
の船改が終了したのち行使,されるもので、
問屋
のもつ本来的な船宿的な機能は、やはりなかったとみられる。,従って小宿機能の中心は、沖ノ口口銭徴収を実現補強するための売買機能であったが、その場合にも取扱量は、
問屋
函館市史 通説編 第二巻
(明治以前の倉庫)
これら商人は
問屋
と呼ばれ、ギルド制によって固く結束する。,
問屋
は概ね倉庫を持っており、海運業、商業を兼営していた。,同書によれば近世の営業用倉庫は、
問屋
の付属倉庫と両替屋の倉庫とにわかれる。,
問屋
は江戸時代、分化して仕入
問屋
、委託
問屋
、加工
問屋
に分れる。,臨港地点には、回船
問屋
(または船
問屋
、船舶を有し回漕業を営む)があり、これが、売買
問屋
を兼ね倉庫を持つことがあった
南茅部町史 上巻
(昆布市場視察)
三等以下の木直・古部昆布を島切結束に改束できないか 6一定検査の前に臨時検査を行い、他地方産の入荷前に
問屋
,神戸市 尾札部産のものは大阪
問屋
より少量仕入れているだけ。,後藤昆布
問屋
尾札部産の高価品は需要少なく大衆向けの青森、日高産もの。,昆布
問屋
・加工製造業の看板の手前、尾札部産の昆布一把の手持ちもないと顧客に断ることも出来ないので、木直,静岡市 市役所 昆布
問屋
なし。
函館市史 通説編 第一巻
(冥加金引下げ願)
冥加金引下げ願 このような実情から箱館の
問屋
の取扱荷物は著しく減少した。,そのため同年11月、箱館の株仲間
問屋
は連名をもって、次の願書を幕府に提出している。, 乍レ恐以二書付一奉二願上一候 私共
問屋
家業往古より仕り来り候に付、十三ヶ,年以前酉年(享和元年)、
問屋
御印紙新規下し置かれ有難き仕合せに存じ奉り候。,
問屋
側の主張するように
問屋
口銭の収入が皆無になったというのは疑わしいが、少なくとも直捌の廃止で箱館の
問屋
函館市史 通説編 第一巻
(請負人と場所との関係)
請負人と場所との関係 それでは文政年間以降の箱館の
問屋
と、場所請負人および場所との関係はどのようになっていたかをみると,は、箱館株仲間
問屋
8名のうち半数の4名であったことになる。,従って同じ株仲間
問屋
といっても、場所断宿になっている
問屋
と、断宿になっていない
問屋
との間には、その利益,まして根室場所のような良場所の断宿になることは、即
問屋
利潤の増大を意味した。, 元治元年自1月至7月中
問屋
扱沖ノ口口銭高
問屋
名 入御口銭 出御口銭 計 長崎屋半兵衛
函館市史 通説編 第一巻
(沖ノ口主法の改革)
沖ノ口主法の改革 幕府は更に安政3年9月、沖ノ口主法に大改革を加え、
問屋
、小宿を戒めて誠実にその業を,営むよう申渡し、かつそのうえ新たに
問屋
取締役を設け、町年寄蛯子次郎(のち砥平)をこれに任命し、各場所荷物送状,
問屋
頭取
問屋
小宿共 其方共儀、家業筋儀旧来の為来(しきたり,辰十月七日 (『箱館
問屋
儀定帳』) しかし、急に取締りを厳重にしては、,船手の者が困るとみたのか、安政4年3月には、東蝦夷地産物の場所値段は、
問屋
入札値段が届出られれば、それより
函館市史 通説編 第一巻
(小宿)
なお、この
問屋
の儀定書を挙げれば、次の通りである。,万一仲間の内相背くに於ては、
問屋
頭え聞届け急度申し達すべき事。,仲間大議定帳にこれ有り、時々
問屋
頭え預り置き申し候。,一 諸廻船入出の荷物売買の節、
問屋
、小宿七分三分の割合に致すべく、尤
問屋
より差図にて小宿へ売らせ候はば,以上 (『箱館
問屋
儀定帳』) この
問屋
の株仲間化は、旧来の収税体系を生産と流通両面
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
沖の口制、沖の口
問屋
制の改廃については、菅原繁昭「函館における
問屋
制の衰退過程について」(『松前藩と松前,その際、箱館の沖の口
問屋
も、そのまま存続し、
問屋
口銭も、商人と相対によって入1分、出1分5厘を限度として,明治5年3月の函館
問屋
の仲間規則(前掲田中家文書)では、
問屋
・小宿の株式所有者によって、会社様式の組織,仲買商人などが急激に成長し、
問屋
商人以外の取引が広がり、
問屋
自らが、それを容認しなければならなくなっていたのである,実際には、
問屋
が船手にかわって船改所に対する諸手続を代行していたが、同年8月の開拓使布達は、回船
問屋
、
函館市史 通説編 第二巻
(新しい商人層の台頭)
」なるものを設定、本州方面からの商品を大いに移入させ、外国向け輸出にあてるという構想は採用になって、
問屋
,など大商人が、この「交易名目人」として活動することを期待して(砥平は、口銭を受用する
問屋
は除くべきだとしていたが,の商品を移入しようとするときドル貨ではうまく行かず、無理してドル貨払いにするとひどく高くつく、そこで
問屋
惣代,てること、「
問屋
受用弐分口銭」も従来どおりにせよと改めて触れ(万延元年閏3月27日)、旧来の沖之口制、,
問屋
制による規則を外国貿易にも適用する方針を変更しなかった。
函館市史 別巻 亀田市編
(子正月の覚)
子正月の覚 覚 一
問屋
前小宿ニ不レ限穀物不レ依二多少一売買の節桝目急度相立可レ申事。 ,え小船乗出し、直売買致間鋪勿論図合船等ニて他国え乗、諸色積来候もの改を受可レ申、若隠置直商売致候者、
問屋
,、小宿の者見当次第押置、急度可二申達一、猶又
問屋
、小宿の者乍レ存其侭差置、脇方より相知候は過料可二申付一事,一 博奕いたし候者有レ之候ハバ当人は不レ及レ申、向両隣迄急度曲事可二申付一事 一 店、
問屋
前不レ限
函館市史 通説編 第一巻
([2 貿易商人の成長と沖ノロの対応])
前述のように、由来箱館商人の有力な者は、一部の場所請負人を始め、株仲間
問屋
、小宿などのいわば特権商人たちであった,つまり、一見消費地にみえる蝦夷地の各場所との関係にあっても、必需物資は、
問屋
-仲買人-消費者という形で,流通するのではなく、
問屋
-請負人という形で流通したため、そこには仲買人という中間機能を有する商人が、成長,し得る基盤が全くなく、それがために、株仲間
問屋
の独占的地位をおびやかされることはなかった。
函館市史 通説編 第一巻
(直捌制廃止前の状況)
、その大部分が箱館において売捌かれたため、幕府の直営船はもちろん一般商船の出入も頻繁になり、そのため
問屋
,和賀屋、浜田屋、若狭屋などは、株仲間
問屋
の一族と思われ、また鍋屋左兵衛なども小宿頭取鍋屋吉右衛門の一族,従ってこの時代に成長してくる商人の多くは、
問屋
商人から出たものとみてよく、このように箱館の
問屋
商人が、
函館市史 通説編 第一巻
(北前船の発達)
従ってこのため、場所産物の売買で大きな役割を果していた
問屋
の動きも複雑化し、
問屋
は、こうした動きに積極的,の支配権をあらわす、
問屋
機能の中でも重要な構成部分であるが、場所請負制が未発達のうちは、その権利内容も,一、場所並に船手に掛りこれ無く、
問屋
並に小宿にて場所荷物買附口銭割合の事。,上方江積付登り諸掛りは、船宿と世話方の
問屋
と半分つつ分口銭致すべく候事。,(以下略)(『箱館
問屋
儀定帳』)
函館市史 通説編 第二巻
(岡村小三郎)
明治4年1月13日、海関所から
問屋
へ次のような達があった。,#160; 一 蒸汽船諸回船当地出入の節御用荷物並御用にて往来の者艀下舟の義、御用伝馬と唱へ是迄
問屋
共,明治6年11月、岡村小三郎は、廻船
問屋
に対し、
問屋
総代艀下取扱人岡村小三郎の名で、当港出入外国船並び御国形船,荷主は回船
問屋
一般であり、岡村小三郎は、何人かの運送業者の代表の形で艀業を営んでいることがわかる。,すなわち明治の始め、港湾運送業は、艀業として特化したが、その荷主は江戸時代と同じ
問屋
で、船主は同じ回船
問屋
函館市史 通説編 第一巻
(商取引)
移入品は箱館商人の注文によるものと、船主らが見込みをもって積んで来るものとがあったが、しかし売残った品は
問屋
,
問屋
はその「差し値」を聞いて倉庫に入れ、船の去ったあと買手があり次第売却した。,更に内地の商人が秋季に来て滞在して鰯粕を購入し、
問屋
の倉庫に預けておいて、翌春一番船で積出す物もあり、,
問屋
口銭は移出入とも旧来から100分の2(2分)と規定している。
函館市史 通説編 第二巻
(政府の調停と最後の競争)
原則は同一料金、汽船の速力を制限し海上での競争による弊害を断つこと、従来積み荷
問屋
は系列化していたが、,積荷
問屋
納代東平『北海道独案内 商工の魁』 さらに乗客、貨物獲得に一定の役割,を果たした積荷
問屋
に関して協定が交わされたが、これが函館ではどのように実行されたかをみよう。,三菱の系列化にあった積荷
問屋
については前節で述べたが、その後出入船舶の増加や貨物輸送量の増加により積荷
問屋
,共同運輸が函館で営業を開始した時は北海道運輸の継承という性格もあり、同社と提携していた積荷
問屋
が代行業務
函館市史 通説編 第一巻
(産物の箱館回送方請願)
惣十郎 内澗町 善之丞 大町 久太郎 弁天町 伝之助 大黒町 石五郎 三丁代 利兵衛 山上町 寅吉
問屋
代,加えて
問屋
と請負人との関係では、請負人の保証人になる
問屋
は、請負人と同じ居住地の
問屋
というのが原則であり,、またその断宿としての
問屋
は、場所産物に対する支配権があったところから、集荷地の選定が、たとえ請負人の
椴法華村史
(長崎俵物の買入れ)
会所の下には
問屋
があり、
問屋
は昆布の産出する各地方からの昆布を集荷し買入れを行った。,箱館では長崎屋(佐藤)半兵衛が長崎俵物
問屋
を務めている。
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩の動き)
このときは高田屋も5千両より調達することができず、残りは江戸、松前、箱館の
問屋
から借入れ、ようやく上納,、老中水野忠成に対し、内々に、「金兵衛身分悪事なるべき事を飾り立て、或は松前侯御用金の内、松前、江戸
問屋
共,取り立て候などと、種々悪名ヶ条を以って申し立て」(『松前秘説』)て、そのことを逆にとり上げ、高田屋が
問屋
函館市史 通説編 第二巻
(汽船・弘明丸の就航)
回漕業務は開拓使の手ではなく従来和船の差配に大きな力を行使していた旧特権層といえる廻漕
問屋
の手に委ねた,つまり積荷や乗客の手配や切符の販売等は函館市中の
問屋
商人に担当させたわけであるが、その手続きとして、13,項にわたる「三港往復郵船取扱規則」を弘明丸から
問屋
一同へ達している(同前)。,ちなみに
問屋
会所に乗船切手と荷物取扱所を仮設して、
問屋
月行事がこれを担当し5パーセントの手数料を得ている,なおこの取扱は明治8年以降
問屋
の特権が廃止されてからは、
問屋
商人に限らず個々の回漕業者が行ったと考えられる
函館市史 通説編 第二巻
(回漕店と倉庫業)
本港民間ニ於ケル倉庫業ノ由来ヲ尋ヌルニ明治二十年ノ頃迄ハ別ニ倉庫専門ノ業務店ナク維新前ニ在テハ所謂ル
問屋
,ナルモノハ即チ営業上専ラ本港出入貨物ノ蔵扱ヲ為シタリト云、去レバ倉庫業ノ発端ハ
問屋
ニ起リ維新以後運輸機関,俄然航運事業ニ一大進歩ヲ来タシ且ツ本道ノ開発ニ伴フテ貨物ノ出入集散年ヲ遂フテ繁劇トナリシテ以テ従前回船
問屋
,明治26年『函館商工業調査報告』では、回漕
問屋
組合、人員31人、取締和田惟一となっている。,この回漕
問屋
人員31名というのが、どのような性格の業種なのか、必ずしも明らかでない。
函館市史 通説編 第一巻
([目次])
再生産構造と箱館港 第三節 商品流通の発達と藩政改革 一 場所請負制度の発生 二 藩政改革と
問屋
株仲間,の結成 三
問屋
・小宿の機能 第四節 宝暦・天明期の流通構造 一 江戸系商人の進出と経済変化,勃興 第七節 場所請負制の再開と箱館経済 一 場所請負制の復活 二 箱館商人の動向 三
問屋
株仲間,と市中商人の対立 四 当代の諸税及び
問屋
口銭 第八節 ゴロウニン問題と高田屋嘉兵衛 第九節,藩政 第二節 復領後の箱館経済の動向 第三節 高田屋の没落 第四節 北前船の発達と
問屋
機能
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
大坂は加島屋作次郎を用達とし、会所付仲買として松前
問屋
13軒を任じ、そのうち伊丹屋四郎兵衛、近江屋熊蔵,蝦夷地の産物仕入のため、あらかじめ出金し、会所に託するものがある時は、その金を箱館に回送し、場所請負人や
問屋
函館市史 通説編 第一巻
(市中商人の成長)
市中商人の成長 さて、それでは、このころの
問屋
以外の箱館市中商人の動向はどうであったかについては、いまのところ,山口屋太次兵衛、亀屋喜惣二、越後屋善吉、能登屋惣十郎、吉崎屋五右衛門、伊倉屋太三郎など18人で、その多くが
問屋
,(『文化御用留』) これによると、後者の18人は従前からの
問屋
を含む船持商人であろうが、前者の16
函館市史 通説編 第一巻
(藩制初期の交易)
船宿として、岐阜屋六兵衛、米屋治左衛門の2店、江差宿江野多郎右衛門、やねや与兵衛などの名前や、松前物
問屋
,3軒のことが見られるにもかかわらず、箱館の産物を専門に扱う
問屋
は1つも記されていない。,このように箱館を支える背後地域の生産構造の特殊性と流通担当商人の性格の相違が、先の敦賀の
問屋
には箱館との
函館市史 通説編 第一巻
(産物会所の設置)
があったので、これを取締るため江戸、大坂、その他諸国の要地に箱館奉行付属の会所を設け、役人を置いて、その地の
問屋
,3か所でこれを統轄し、箱館や松前から行く船舶を取締り、貨物売捌き価格の100分の2ないし3(従来諸国
問屋
口銭
函館市史 通説編 第一巻
(箱館会所の所務)
また、場所から箱館役所に不時の追加注文がある時は、臨時買いといって市中の
問屋
から購入し、仕入品の貯蔵に,不足品がある時は、貯仕入物といって、これも市中の
問屋
から購入して用意した。
函館市史 通説編 第一巻
(職業別戸数)
文化5年 船宿 7 風呂屋 5 結髪 7 小宿 8 薪
問屋
2 座頭,漁稼 99 馬稼 4 茶屋 21 名主小役 2 旅人宿 2 文化6年
問屋
函館市史 通説編 第一巻
(移出入貨物諸税)
船舶入港出港の際、積荷を届出させ、なお臨検の上、沖ノ口役所の帳簿に記入し、毎月10日、20日、30日の3回、
問屋
帳簿,と照合して移入品は買入金高の100分の2、移出品は当地相場売渡金高の100分の2を、
問屋
・小宿から納めさせた
函館市史 通説編 第一巻
(茅部漁民の訴え)
茅部漁民の訴え こうした状況のなかで箱館の集荷
問屋
長崎屋半兵衛と、場所請負人および零細生産者の具体的,にもかかわらず、松前の俵物は独占集荷体制へ完全に組込まれるとともに、箱館近郷漁民への俵物生産に対する一手請方
問屋
南茅部町史 上巻
(文化文政の新鱈約定)
また、文政一〇年(一八二七)に江戸へ送る臼尻の新鱈を、荷の送り主から佐井浦の富繁丸船主などに、同浦
問屋
,が箱館の雇船主と同所
問屋
との間で、船賃を取り決めた「雇船」約定の書付けがある。 ,盛岡佐井浦 文政十年亥九月廿五日 松屋 傅 四 郎 佐井浦
問屋
, 傅 治 松前箱館御雇船主 中村屋 新三郎 殿 良 助 殿 同所
問屋
椴法華村史
(椴法華と本州直送海運)
による荷物(海産物・昆布・鱈等)を積み込み、検査を受けるため箱館を経由するか、又は村役人の検査を受け
問屋
, 沖之口御番所様 前書之通相糺候処相違無御座候間奥印仕候以上
問屋
取締役見習
椴法華村史
(椴法華産鱈の内地直送)
、箱館において積み荷の検査を受け税を徴収されたが、漁獲地である椴法華から直接に内地へ送る場合、箱館の
問屋
,前書之通相糺候処相違無御座候間奥印仕候 以上
問屋
取締役見習
函館市史 通説編 第一巻
(商工業者諸税)
貫500文) 豆腐役 1軒に付き金1匁(此銭600文) 五十集役 1軒に付き金5分(此銭300文)
問屋
七軒冥加金, 文化3年
問屋
一同から願出て1か年金100両を上納したが、同12年から金40両に減じた。
函館市史 通説編 第一巻
(宇賀昆布と箱館の繁栄)
永正年間(1504~1520)には、「宇須岸(箱館)全盛の時、毎年三回充(ずつ)若州より商舶来り、此所の
問屋
家々,とみられ、箱館には
問屋
が海岸に軒をならべ、若狭から毎年定期的に商船が来て荷役していることを伝えている。
函館市史 通説編 第二巻
(回漕会社)
東京の廻船
問屋
、定飛脚
問屋
など15人が頭取に任命されて、その運営にあたったが、この会社の創立には頭取の,用達に任じられた回漕会社では頭取の1人である定飛脚
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の村井弥兵衛を函館に派遣し出張所を設置し、三橋喜久造,当初は函館の
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商人蛯子武兵衛を仮出張所としたが、その後は島屋佐右衛門(回漕会社の頭取、定飛脚
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)の
恵山町史
(3、泉藤兵衛の供養塔)
二一歳の時、
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株式をもって分家。,船
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・材木商の事業を広げるが、倒産し蝦夷地福山(松前)に渡り磯谷歌棄の場所請負人竹屋定右衛門に雇われる
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
万円 亀田村 場所請負人 醤油醸造・販売 井口兵右衛門 6千円~1万円 末広町 沖の口
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,戸長、第百四十九国立銀行取締役、区会議員 田中正右衛門 6千円~1万円 船見町 沖の口
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,漁場経営、海官所付き
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、西洋型船所有、 第百十三国立銀行取締役兼支配人、 北海道共同商会頭取,ヲ営業スルニ至リ、且ツヤ人智日々進歩シ、形勢月々変更スルヲ以テ時運ノ赴ク処久シク
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ヲ営ムノ不利ナルニ, とあって改革の具体的内容はわからないが、海関所付
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を廃止する方向にむかっていた。
函館市史 通説編 第二巻
(外国商船の取次業務)
外国商船の取次業務 内国船の場合は乗客、貨物輸送の取次業務(その獲得も含む)は
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商人が行っていたが,この引受人がどのような機能を有しているのかは明記されていないためはっきりしたことは分からないが、荷受
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,また彼ら居留商人は外国商船に対して函館の
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商人に伍して貨客の斡旋も扱っていたのではないか。
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