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函館市史 通説編 第一巻
(建築)
また五稜郭庁舎の請負は、幕府小普請方中川源左衛門と、その子伝蔵であり、石垣は備前の石工棟梁井上
喜三郎
の,
喜三郎
は松川弁之助とともに弁天岬台場も手がけたが、のち配下が築いた石垣が欠壊したので、責任を取って自刃
函館市史 通説編 第一巻
(官費埋立)
官費埋立 井上
喜三郎
箱館の発展に伴う港湾の整備をかねた海面の埋立事業ならびに溝渠(こうきょ,しなければならなくなり、箱館奉行は、そのために大町の海面を、長さ40間、幅50間地積2000坪の埋立を決し、石工井上
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(運動の再開と函館商業会議所の設立認可)
そして、会議所設立の方向で意見が一致し、平出
喜三郎
、遠藤吉平、小川幸兵衛、林宇三郎、小川為次郎の5名が, 表6-43 函館商業会議所の設立発起人 氏名 職業 住所 平出
喜三郎
小川幸兵衛,12月18日には会員選挙が実施され、平出
喜三郎
以下35名が当選した。 ,まず役員の選挙を行ない、会頭には平出
喜三郎
が、副会頭には小川幸兵衛が当選した。
函館市史 通説編 第一巻
(町会所の埋立)
この工事は、2代目
喜三郎
が請負い、約4割を成功し、その後は池田栄七がこれを引受けて大部分を成し遂げ、残余
函館市史 通説編 第二巻
(航路と海事習慣)
【釧路・厚岸】 西出孫左衛門 能登善吉 函館汽船(株) 服部半左衛門 平出
喜三郎
,石垣隈太郎 渡辺熊四郎 渡辺政次郎 藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 平出
喜三郎
,田村与七 藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出
喜三郎
,沢口庄助 渡辺政次郎 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出
喜三郎
,藤野四郎兵衛 能登善吉 函館汽船(株) 板村助右衛門 服部半左衛門 平出
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(函館銀行の設立)
これが函館の紳商の間で成熟し、平出
喜三郎
(先代)、広谷源治、岡本忠蔵、金沢彦作、徳根卯三郎その他の人々,役員の構成は頭取広谷源治、取締役金沢彦作、逸見小右衛門、辻快三、平出
喜三郎
、監査役皆月善六、小野秀次郎
恵山町史
([昭和期、戦前・戦時の尻岸内村三役])
12月25日に改められる)された当時の三役は、村長菅原直次郎、上席書記(助役)嶋谷藤吉、収入役小田桐
喜三郎
,菅原直次郎は翌年の昭和2年12月15日まで勤め退職、嶋谷藤吉は昭和3年4月11日まで勤め後転任、小田桐
喜三郎
函館市史 通説編 第一巻
(弁天岬台場)
この工事の請負は初め松川弁之助であったが、翌4年備前の石工井上
喜三郎
が加わり、後には主として
喜三郎
によって
函館市史 通説編 第二巻
(函館公論)
この選挙に函館区から立候補したのは、平出
喜三郎
、馬場民則、内山吉太の3名。,函館公論の記事によると既刊の3紙のうち立憲政友会の機関誌である函館日日新聞は同会函館支部幹事長平出
喜三郎
恵山町史
(歴代の収入役)
26日) 大正8年7月21日から昭和6年7月20日まで、12年間の長期にわたり収入役を務めた小田桐
喜三郎
南茅部町史 上巻
(明治の鰮漁業)
船壱人乗 壱 艘 磯 船 弐 艘 一、漁場 茅部郡第二組漁業頭取熊谷
喜三郎
願海面
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭の築造)
五稜郭設計図 亀田役所土塁(五稜郭)は、安政4年から工事を起こし、その堀割は松川弁之助、石垣は
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(汽船船主の特質)
島野市太郎 藤沢藤太郎 藤野四郎兵衛 函館汽船(株) 飯田倍三 服部次郎次 平出
喜三郎
,弁天町 藤沢藤太郎 船場町 函館汽船(株) 豊川町 服部次郎次 船見町 平出
喜三郎
,145 渡辺熊四郎 能登善吉 函館汽船(株) 服部半左衛門 平出
喜三郎
,多くは海運専業ではなく自己荷物の輸送を中心としていたが、渡辺熊四郎(金森回漕組)、服部半左衛門、平出
喜三郎
,平出
喜三郎
は石川橋立の出身で幕末から明治初年にかけて堺の商人の和船の船長となり津軽地方の交易に従事した
南茅部町史 上巻
(村の重立(おもだち))
そして黒鷲の〓今津家の文蔵・甚蔵の父子、吉川
喜三郎
、杉谷金兵衛らが力を合わせて新しい世の夜明けに対処した
函館市史 通説編 第二巻
(函館商工会の設立)
実施し、会頭に杉浦嘉七、副会頭に園田実徳、幹事には工藤弥兵衛、遠藤吉平、和田元右衛門、林宇三郎、平出
喜三郎
,遠藤吉平 小川幸兵衛 小川幸兵衛 小川幸兵衛 副会頭 園田実徳 工藤弥兵衛 平出
喜三郎
遠藤吉平,小川幸兵衛 相馬理三郎 林宇三郎 林宇三郎 幹事 工藤弥兵衛 平出
喜三郎
小川幸兵衛,小川幸兵衛 工藤弥兵衛 和田惟一 種田直右衛門 和田惟一 遠藤吉平 遠藤吉平 幹事 平出
喜三郎
,2月に幹事9人の改選を行ったが、その内の2名(平出
喜三郎
、工藤弥兵衛)が辞退したので次点者(田中正右衛門
南茅部町史 上巻
(漁業組合創立期の指導者)
後、明治一九年、漁業準則に基き規約を設けて一月一四日認可ヲ得、臼尻村漁業組合と改めたとき、頭取に熊谷
喜三郎
,
喜三郎
は村民の信望厚く、村網の境界裁判で敗訴となったあとの臼尻村の民意をよく掌握して、明治三五年死亡するまで
椴法華村史
(昭和二十二年の新行政)
常吉 副議長 川口 玉造 議 員 中村 岩雄 議 員 越崎 勘之助 議 員 岡山 一也 議 員 香川
喜三郎
南茅部町史 上巻
(五稜郭進発)
この騒ぎを見てとった伝習隊の喇叭指南役小泉
喜三郎
が両者を止めに入ったがおさまるものではない。
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
函館には忠谷のほか平出
喜三郎
、久保彦助、西出孫左衛門などの著名な北前船主、その他多くの北前船関係者の活動,10年代に函館に支店を設け、雑貨荒物を販売し、やがて海陸物産の取扱いや漁業などに手をひろげており、平出
喜三郎
,も、維新戦争の際に、持船で維新政府軍の兵器、食糧を運んだのが縁で、函館で商業、漁業を営み、2代目
喜三郎
,橋谷巳之吉 久保彦助支店 酒谷長作 浅岡梅吉 品田弥一 石塚弥太郎 前田嘉左衛門 平出
喜三郎
,旧場所請負人の藤野四郎兵衛支店が首位にあるほか、西出孫左衛門支店、久保彦助支店、酒谷長作、平出
喜三郎
の
函館市史 通説編 第二巻
(道議会開設運動の経過と組織の特徴)
道議会開設運動は、佐瀬精一、上嶋長久らのジャーナリスト、馬場民則、八木橋栄吉らの弁護士という都市インテリと、平出
喜三郎
,評議員会メンバー 50名 中核メンバー 上京委員、議長 幹事、総代、 委員、発起人 7、8名 平出
喜三郎
南茅部町史 上巻
([副戸長・村用掛])
川口勝次郎 佐々木久七 同 佐々木弥三郎 尾札部村 (四二名) 今津 文蔵 吉川
喜三郎
南茅部町史 上巻
(大小区画制)
一小区=山越内村 二小区=長万部村 おさつへ役所の公印 明治7年(椴法華村 提供「山岸
喜三郎
三司文書
函館市史 別巻 亀田市編
(役宅)
『函館市史資料集第三十九集』によれば「
喜三郎
の設計書には同心長屋を除いて九一軒の役宅に配水するように立案
椴法華村史
(椴法華村の翼賛会)
理事 面代末吉 同 理事 中島悦一 同 理事 香川
喜三郎
南茅部町史 下巻
((1)臼尻学校)
吉崎 市兵衛 印 熊谷
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(区会の開始)
、阿部興人1点で、上位3名が区長候補者に当選し、助役は北守政直が26点で当選し、議長代理選出は、平出
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(第3議会~第5議会への請願)
松代良吉 殿 (「北海道函館広告集」北大蔵) なお、伊藤鋳之助以下の賛成者は平出
喜三郎
函館市史 別巻 亀田市編
(五稜郭築造の内容)
かくて設計監督は諸術調所教授武田斐三郎、土工工事担当松川弁之助、石垣工事担当初代井上
喜三郎
、庁舎及び役宅建築担当中川源左衛門
函館市史 銭亀沢編
(函館軽便鉄道株式会社)
出願されたもので、「函館区を起点とし、湯の川村、銭亀沢村を経て戸井村に至る軽便鉄道敷設の件は予て平出
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(北海新聞)
ほかに和田元右衛門・平出
喜三郎
・田村力三郎・石坂嘉蔵(以上出資額200円)、相馬哲平(出資額150円)
函館市史 通説編 第二巻
(水産談話会の設置)
白鳥宇兵衛 田中正右衛門 佐久間千代美 小野兼基 泉藤兵衛 遠藤吉平 山本巳之助 平出
喜三郎
,大桑藤太郎 久富治吉 小川幸兵衛 伊藤鋳之助 宮内敬信 小野政衛 菊地純次郎 赤石
喜三郎
戸井町史
(三、各神社の棟札(むなふだ))
信徒総代 三 浦 己之松 松 島
喜三郎
, 鈴 木 重太郎 松 島
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(区長の諮問と商工会の答申)
商工会は区長に答申するとともに日本郵船の支店に対し会頭の平出
喜三郎
名で同じ内容の申し入れをした。
恵山町史
(古武井熔鉱炉・女那川煉瓦製造所の研究論文)
なお、熔鉱炉の基礎である石組は五稜郭・弁天岬砲台と同じく、備前石工、井上
喜三郎
の施工によるもので、これだけでも
南茅部町史 上巻
(村網)
加我久太郎 加我 久作 加我喜代治 坂本 長吉 斉藤 政治 永井 方吉 仙石
喜三郎
南茅部町史 上巻
([板木の分離独立と境界紛争])
この年、臼尻漁業組合は、熊谷
喜三郎
頭取が亡くなり副頭取東出源蔵が頭取(注)に推された。
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
箱館御用取扱北蝦夷地御直場所差配人元締の松川弁之助、小普請方石方鍛冶方請負人中川(伊勢屋)伝蔵、備前の石工・
喜三郎
南茅部町史 下巻
(〔民有林〕)
一〇 八〇、〇〇〇 工藤石松 同二五年 八 三〇、〇〇〇 父
喜三郎
椴法華村史
(昭和二十二年の旧村会)
四番 瀧潔 五番 北村常吉 九番 香川
喜三郎
恵山町史
(大正期の歴代収入役(含む代理者))
小田桐
喜三郎
収入役(大正8年7月21日~昭和6年7月20日) 小田桐
喜三郎
は青森県中津軽郡の出身、
函館市史 通説編 第二巻
(両者の調停なる)
水産商・藤野四郎兵衛、工藤弥兵衛、小川幸兵衛、鹿島万平、物産商・金沢弥惣兵衛、野村正三、遠藤吉平、平出
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人大懇親会)
この他、設立委員には、前記の「大懇親会」の発起人7名と野村正造、平出
喜三郎
、渡辺正七、丸茂喜代吉、吉崎清七
函館市史 通説編 第二巻
(弁天台場の築造)
関係した請負人は、五稜郭と同じく箱館の佐藤忠兵衛、山田寿兵衛、杉浦嘉七、越後の松川弁之助、備前の石工・
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(函館米穀塩海産物株式取引所の展開と経緯)
、初代理事長には小川為次郎が、また理事には小川の他に相馬理三郎、和田惟一の2氏、さらに監事役には平出
喜三郎
,岩鼻敏 木下善一郎 ○岩鼻敏 相馬理三郎 辻快三 和田惟一 相馬理三郎 辻快三 監査役 平出
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(運上会所設置と海岸道路普請)
新政府は、この工事の残りの部分の積算を御普請差配人
喜三郎
に依頼し、2万6189両2分永114文4分の入用高
函館市史 通説編 第二巻
(第2議会への請願)
11月27日、総代4名と平出
喜三郎
が発起人となり、阿部らの慰労会が金仙楼で開かれ、さらに29日に中島楼
函館市史 通説編 第二巻
(大町築出地における分割問題)
途中の経緯は前述してあるので省略するが、大町築出地はこのような時代背景の中で2000坪の規模で、石工
喜三郎
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
ひとつは、既存の地蔵町築出地の増築などにより居留地としての整備であり、石工
喜三郎
へ当初見積1万4700
南茅部町史 下巻
(陸上交通・道路年表)
・一八第五七四号受付) 三村総代尾札部村総代飯田清次郎・松永藤次郎、臼尻村総代熊谷
喜三郎
戸井町史
((附)昔の戸主名(明治十三年以降))
三島信太郎 池田亀太郎 和田節太郎 津羽仁三郎 佐藤金作 伊藤卯之助 嵯峨儀一郎 堀川谷五郎 滝沢
喜三郎
,伊藤岩吉 芳賀市右衛門 金沢久之助 山崎吉蔵 島田儀三郎 伊藤石太郎 和田竹三郎 仙徳賢蔵 佐藤重吉 滝沢
喜三郎
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