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函館市史 通説編 第一巻
(円空・空念の渡来)
円空
・空念の渡来 河野政通の供養碑(称名寺境内)と「
円空
仏」 根崎町川濯神社蔵(渋谷道夫撮影), 寛文年間に渡来し、各地に木彫仏を残したことで有名な
円空
が、函館地方に来とする積極的な資料を持たないが,(称名寺の
円空
仏は近年の搬入である)、下海岸戸井町や根崎の川濯神社で、
円空
仏が発見されているから、あるいは,根崎川濯神社の
円空
仏は、昭和50年8月29日、たまたま絵馬の調査のため同社を訪れた、函館工業高等専門学校渋谷道夫助教授,、表面はかなり摩減しているが、衣紋や体の線、更に、1本の木を半分に割り、鉈(なた)で削って彫り上げた
円空
特有 /
円空
・空念の渡来
戸井町史
(二、汐首観音堂と円空仏)
然し
円空
仏の鑑定に自信がなかったこと、顔面や頭部が
円空
仏の特徴を失うくらいに変貌していること、
円空
仏研究家,北海道における
円空
の足跡研究では、「
円空
は下海岸には足を入れなかった」ということが定説になっていたので,したがって
円空
仏が後世、他の地域から汐首に移されたのであれば、汐首の
円空
仏の価値は半減する。 ,背面に
円空
銘などもあったのではないかと推定される。
円空
仏の修理費として七千円支払った。,汐首の観音堂で
円空
伝が発見されたこと、菅江真澄は
円空
の辿った道筋をそのまま辿り、各地で
円空
仏について、 / 二、汐首観音堂と
円空
仏
戸井町史
(四 長福寺の円空仏(佐井村))
四 長福寺の
円空
仏(佐井村) 僧
円空
は、諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出、寛文五年(一六六五)蝦夷地に渡,佐井村の長福寺に伝わっている
円空
仏は、十一面観音像で、佐井村では「寛文八年、
円空
が北海道から帰路にここに,長福寺の
円空
仏(佐井村) この伝説の根拠は不明であるが、寛文八年は
円空
の足跡の年次と符合(ふごう,筆者は長福寺の
円空
仏を実見していない。佐井村に
円空
仏についての照会をしたが全然回答がなかった。 ,
円空
が北海道で作った何体かの仏像の背面に、作仏した年月日を墨書しているが、佐井村の
円空
仏に年月日を記入 / 四 長福寺の
円空
仏(佐井村)
戸井町史
((参考)北海道と青森県の円空仏)
(参考)北海道と青森県の
円空
仏 道南における
円空
仏は早くから注目され、安永九年(一七八〇)に完成した,七飯町大中山の
円空
仏(富原喜久夫所蔵) 汐首の
円空
仏 徳川幕府に代った新政府は、慶応四年,
円空
仏の研究家五来重は、『境涯と作品
円空
仏』の中で「
円空
が北海道を去ったのは寛文七年か八年であろう。,(参考)北海道と青森県の
円空
仏 ①北海道の
円空
仏 場所 像の種類 摘要 熊石町泊川 北山神社 観音像,②青森県の
円空
仏 昔、南部、津軽と呼ばれた地域で、現在までに十一体の
円空
仏が発見されている。 / (参考)北海道と青森県の
円空
仏
恵山町史
(6、恵山大権現)
また、
円空
立信が鉈彫りの彫像を残したということも信じがたい。 ,時代は隔たるが、「寛文六年(一六六六)頃、
円空
上人が恵山を訪れ“鉈彫りの仏像”遺して去った」という話が,今日までそれらしい仏像は発見されていないが、こちらの
円空
は、美濃国竹が鼻(岐阜県羽島市)生れ、寛文4年,道南の寺社で寛文5,6年頃の草創の観音堂のほとんどに
円空
仏が祀られている。 ,野呂は、この仏像が他から移動されたものではないとの前提から、
円空
が汐首に来て仏像を納めたのは、寛文6年
戸井町史
([法泉寺の伝大蓮作仏像])
江差附近の九体の仏像というのは
円空
作の仏像である。 ,これによって寛文年間に渡来した
円空
を目定と誤植したことが明らかで、印刷のミスから
円空
が目定になったのである,大蓮は
円空
と大体同じ頃に蝦夷地に滞留したものと推定されているが、その来歴については明らかではない。,七飯町大中山の富原喜久夫家には、完全に保存された
円空
仏が伝承されているが、同家には伝大蓮作の仏像も三体
戸井町史
(二、仏像と仏具)
②
円空
作の観音像 昔から汐首観音堂に安置されていたものが、昭和四十二年八月、
円空
仏と判明。
椴法華村史
(御殿と恵山権現堂の旧記)
之ノ南端ニ権現堂一宇アリ
圓空
鉈作リト称スル尺餘ノ佛像将軍地藏尊秋葉権現金比羅権現ヲ合祠ス。 ,抑モ人皇八十四代順徳帝ノ御宇浄土宗ノ開祖法然上人門下四流證空上人ノ高弟ニ洛南深草真宗院西山派ノ
圓空
立信
戸井町史
(三、汐首観音堂の竜神像)
三、汐首観音堂の竜神像 汐首観音堂に、
円空
作の観音像と共に竜神像が祀られ、大漁の神として村人から尊信,年月を経て竜神像が古くなり、すすけたので、観音堂を管理している婆さんたちが相談して、
円空
作の観音像と共,修理代として竜神像の分として六、〇〇〇円、
円空
観音像の分として七、〇〇〇円を支払った。
椴法華村史
(恵山権現)
言い伝えによれば、開創は七百年の遠き昔で、そこに安置されている仏像は法然上人の門下四流澄空上人の高弟
円空
立信
戸井町史
(一、汐首の革新性)
下海岸唯一の
円空
仏が昭和四十二年に津軽海峡を望む汐首岬の高台の観音堂で発見され、寛文の昔
円空
上人がこの
椴法華村史
(カムイ岩)
カムイ岩 銚子の澗の背後の岩上にまるで、ろうそくでも立てたような、見方によっては、
円空
仏のような奇岩
戸井町史
([口絵])
から発見された板碑(いたび)(道文化財) 続豊次作仏壇の欄間の彫物 汐首観音堂の
円空
仏
戸井町史
(二、町史編纂六ヶ年の追憶)
昭和四十二年八月一日、昔和夷居住地の境界になっていた汐首岬の高台に古くからあった観音堂で、下海岸唯一の
円空
仏,戸井の人々は六百年前の室町時代に造られ板碑、三百年前の寛文六年頃に作られた
円空
仏、二五〇年前の享保年間,長谷川先生がこの本を手にして喜ぶ顔を見た時は、
円空
仏や板碑を発見した時よりも嬉しかった。
恵山町史
([廃仏毀釈])
その余波の一つといわれる『
円空
上人作観音尊像』が、函館市船見町の称名寺の宝物庫に保存されている。
恵山町史
(恵山権現(えさんごんげん)を祀った人々)
寛文6年(1666)
円空
上人が『鉈彫りの仏像』を遺(のこ)して行ったとも伝えられている。
戸井町史
(四、汐首観音堂の大鐘皷(しょうご))
四、汐首観音堂の大鐘皷(しょうご)
円空
仏のある汐首観音堂に、昔から秘蔵している大鐘皷がある。
戸井町史
(二、戸井への和人の定着)
津軽一統志』に、「おやす十五戸、塩くび六、七戸」と記録されていることと、昭和四十二年に汐首観音堂から
円空
仏,が発見されたことから、
円空
上人が寛文六年(一六六六)汐首を訪れたということ、更に汐首の古老が「汐首村で
戸井町史
(戸井町史の発刊にあたって)
野呂先生の資料調査探訪中に発見された、汐首地区の
円空
仏あるいは戸井館附近の板碑等の貴重な文化財。
戸井町史
(九、体育・文化行事)
番号 名 称 所 有 者 住 所 1 北海道文化財指定・板碑 宇美 藤蔵 浜 町 2
円空
仏
恵山町史
([御崎の恵山名号『お経岩』について])
もどうやら判読、『南無阿弥陀佛』の六字名号であることを確認し、昔から言い伝えられていた、弘法あるいは
円空
戸井町史
(目次)
…………………………………………………335 一、汐首の革新性 二、汐首観音堂と
円空
仏, (参考)北海道と青森県の
円空
仏 三、汐首観音堂と竜神像 四、汐首観音堂,佐井村) 三、恐山(むつ市) 幸田露伴の恐山参詣記 四、長福寺の
円空
仏
戸井町史
(五、高田屋嘉兵衛と汐首岬)
汐首神社に鳥居を奉納した時に、高田屋はここに
円空
上人鉈造りの観音像のあることを知っていたものと思う。
戸井町史
(三、『新発見の板碑(いたび)(戸井町)』 須藤 隆仙)
同町日新中学校の野呂進校長であるが同氏は町史編纂の作業中、誠に貴重の史料を数々発見せられ、先年は汐首から
円空
上人作仏像,多く仏像を刻んで有名な
円空
は、その背によく種子を墨書したものだが、それがなんと間違っているものがいくつもある
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
寛文十年というと、
円空
上人が蝦夷地を去ってから三、四年後である。
戸井町史
([戸井の地名考])
この高台に汐首神社があり、昭和42年8月1日に発見された
円空
仏がここに安置されていた。
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