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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (市在住民への触書)

市在住民への触書 この時布達した触書は、極めて長文なものであるが、当時の状況をよくあらわしているので / 市在住民への触書
函館市史 通説編 第二巻 (箱館戦争後の治安担当)

治安担当 箱館戦争が終わったとき、諸藩派遣の新政府軍は次々と自藩へ戻り、箱館には箱館府直属の新兵隊と在住隊,また、在住隊は、旧幕安政期に蝦夷地に移住した幕臣[在住]をもって編成されたためこのように呼ばれたのである,明治2年10月の開拓使の官員進退調査によると、在住隊員は「在住」以外に、神衛隊、壱番隊、弐番隊、カガノカミ,この新兵隊と在住隊が、箱館戦争後の箱館の治安を担当することになったわけである。
椴法華村史 (銚子沖の磯船転覆事件)

大正七年一月十八日午前九時椴法華村から古部へ向かった磯船は、途中銚子岬で突然の北西の強風により転覆し、乗客四名、函館在住,奈良亀太郎(五十七歳)亀太郎二男要松(二十歳)山田佐助(三十六歳)富樫堅二(二十九歳)及び漕手の椴法華村在住鎌田常世
函館市史 通説編 第一巻 (奉行支配吏員)

は、組頭、組頭勤方、調役、調役並、調役下役元締、調役下役、同心組頭、同心、足軽の順序で、ほかに通訳、在住,在住はしだいに増加して100余名となり、箱館近在および蝦夷地に居住して開墾その他に従い、あるいは奉行所
函館市史 通説編 第二巻 (農業開拓策)

そのうち「蝦夷地御警衛向并御開拓」のため「屯田農兵」の制度として採用された「在住」の制度は、北方警備の,「在住」のものが農民を引連れて移住してくることが期待されており、農民が開いた土地から「在住」のもとへ年貢,実際11人の「農夫」をつれて来たり、「十余戸の民を移し」たりしている「在住」の例があった(『札幌市史』,こうした「在住」が定住して、前述のような、いわゆる口蝦夷地の地域に、小集落をつくり、ここを拠点に、奥地,在住制や御手作場による開発のほか、資金を貸付けて開発を奨励する方法もとられていた。
函館市史 通説編 第二巻 (蝦夷地の警備)

また、箱館府の諸役を迎えた箱館市在の士民は、箱館府の施政に対し懐疑的な冷ややかな目を向けるものも多く、在住隊士某,7月には、浪人花輪五郎、在住平山金十郎らによる裁判所襲撃未遂事件も発生し、人心の動揺に拍車をかけることとなった,そこで箱館府は、取りあえず箱館警備の府兵を組織することとし、旧幕府以来の「在住」を中心とした在住隊、近在
函館市史 別巻 亀田市編 (地主)

亀田村の場合、函館在住の不在地主から土地を借りたり、大円寺や西別院などの寺院所有地、亀田村村有地などの
函館市史 通説編 第二巻 (奉行配下の吏僚)

(B)史料によると、奉行3名(竹内・堀・村垣)を除いた下役以上の吏僚は157名で、在住を除いた支配組頭以下,また、同心組頭以下御雇医師までの数は219名で、同じく在住を除いた支配組頭以下の吏僚総数の56.4パーセント,さらにこれを勤務地別にみると、在住を除いた吏僚の50パーセント以上が箱館に、35パーセント強が蝦夷地に,通弁 4 蝦夷地在任(在住〉 (在住)16 71(71) ? ? ? ?,(B)は「安政五戊午年十二月改、支配内役々井在住人名前張」モンベツ御用所(道立文書館蔵)による。
南茅部町史 上巻 (考察1)

尾札部開基の人初代与五左衛門について、生年没年不詳のみならず、伝えられる渡海、砂原在住、尾札部来住について
椴法華村史 (人馬賃銭について)

人馬賃銭は前時代以来、普通一里につき   人足一人銭二十文、馬一疋銭四十文とし、奉行所吏員および在住
函館市史 通説編 第二巻 (定例会の開催と会誌問題)

前者は主として函館在住の常会員によって運営されるものであり、会務の報告や協議の後に、会員有志によって演説
南茅部町史 上巻 ([人別帳])

[人別帳] 明治の戸籍法以前、蝦夷地でも人別帳(にんべつちょう)、人別調(しら)べといって村や町の在住者
函館市史 通説編 第一巻 (植樹)

したが、その後中絶して箱館地方の山林はますます荒廃する一方であったので、箱館奉行はまた植樹に心を用い、在住医師栗本匏庵
恵山町史 ([職業科(水産)の実践])

以下の職業科(水産)の実践は、前出、北海道教育大学大学院林博昭(2001年 MS)の、恵山町在住赤石英三
函館市史 通説編 第二巻 (営業網の縮少)

こうして中上川副長の在住10年間のうち閉鎖された店舗は、北海道関係では次のようになった(同前)。
函館市史 別巻 亀田市編 (記念諸行事)

同九月二日 福祉センター講堂        意見発表六人選定(一人持時間七分) 三 意見募集 市内在住中学生以上
函館市史 別巻 亀田市編 (山本登長戦争記)

山本登長戦争記 山本登長(峠下在住の千人隊士、官軍の側)の『峠下より戦争の記』(写本市立函館図書館蔵,の戦争は終ったが、榎本軍側では諏訪倍五郎、山本泰次郎、大岡幸次郎という幕末の大物を失い、箱館府側でも在住隊隊長秋山幸太郎
南茅部町史 下巻 (日持上人渡海)

蝦夷地へ僧侶が渡る動機もふくめて、その当時すでに蝦夷地渡海の便もあり、日本人の在住来在の地として僧侶が
函館市史 通説編 第一巻 (製紙)

在住鈴木主一郎が試みたのが最初であるが、主一郎は薄給の御家人で、公務の余暇に紙漉(すき)を内職としていた
南茅部町史 下巻 (漁業開拓三百年記念の歌)

の歌が届いていったん選考をしたが、佐藤町長は、より格調の高いものをと強い願いをこめ、詩人原子修(札幌在住,町民のうたとして南茅部音頭と町の歌をレコード化することになり、レコーディングの世話をしてくれた東京在住
函館市史 銭亀沢編 (真宗興正寺派西願寺)

本堂に使われた材料は虻田郡喜茂別町から運ばれ、上磯郡木古内町在住の宮大工によって建設された。
函館市史 別巻 亀田市編 (鍛冶学校の誕生)

(二) 村書記(当時書き役といっていた)  鍛冶村には遠藤利三郎(後柏谷利三郎と改姓)が在住、同氏は,神山村には谷口八十吉(後越田と改姓)が在住、同氏は秋田の人の宅において、読書算術の教えを受け、寺子屋を
函館市史 別巻 亀田市編 (二つの反対請願書)

の血と汗により築き上げられた郷土の将来は一部功利主義者の指導により函館市に依存して自己の安逸を夢見る在住,よろしく事態を御明察の上、在住日浅く愛村観念乏しき者の声に耳を奪われる事なく、一部合併申入れを否決せらるる
函館市史 通説編 第一巻 (御雇医師)

順庵は加州金沢の人で増島蘭園に学び、官医塩田宗温に請われて養子となり、安政3年蝦夷地在住を命じられ、箱館奉行所学問教授役
函館市史 通説編 第二巻 (「露探」の退去)

そして、「露探」とされたのは、まず函館在住のロシア人、例えば蓬莱町72番地に居住するゼ・ガーメン、トラヒン
函館市史 通説編 第一巻 (税制改革)

1隻に付金4匁、汐首以北へ昆布取に行く時は本昆布4駄ずつ、志海苔浜で取る時は志海苔昆布7駄ずつ、亀田在住漁民
函館市史 通説編 第二巻 (ロシア病院と医学所の設立)

幕府の医官であった栗本匏庵は、蝦夷地在住として当時函館にいたが、万延元年6月、森養竹あての書簡にその時,栗本と同じく在住であった塩田順庵とが中心になり万延元年冬には上棟式にこぎつけたが、風雪のため倒壊し、実際
函館市史 通説編 第一巻 (開墾)

その他、七飯村や藤山村に多かった在住の士が、自ら開墾したりあるいは農夫を雇って開墾している者もあった。,ことに在住中島辰三郎は農事に熟練していたため、勧農掛に命じたところ、すこぶる人望があって諸村を巡回して
恵山町史 ([人馬賃銭])

(箱館奉行所官吏および在住の諸藩の士卒はこの半額、諸藩の持場内は無償)』と定められた。
函館市史 通説編 第二巻 (函館の官倉と営業倉庫)

設計及び施行を引受けたのは函館在住の池田栄七、煉瓦は、開拓使が経営する茂辺地煉瓦製造所の製品を使用することになった
函館市史 別巻 亀田市編 (五万人突破)

昭和四十七年六月三十日現在住民基本台帳登録人口集計で、世帯数一万七、一〇六世帯、人口五万九、五二三人となり
函館市史 銭亀沢編 (チャンコ茶屋の婆(嬶))

タバコ盆出せコーリャ/それさなあキセル(娘)出せよ    銭亀沢地域の出身で函館市湯川町在住
函館市史 通説編 第一巻 (製陶)

また在住石原寿三郎は、五稜郭の濠の土で急須を焼いた。
函館市史 通説編 第一巻 (産物取扱方)

に到着すると、会所掛がこれを産物帳に記入し、送状は吟味役に差出し、官船・雇船にかかわらず、下役または在住
函館市史 通説編 第二巻 (「筥嶴経済」にみる産業開発)

蝦夷地開拓は、少しずつすすめてはいるが、この侭の状況では、急に戸口が増殖する見込みは立たない、在住のものに,在住という士分のものたちに知行地を給与して、蝦夷地に土着させることで「開拓」を促進するという方策の提示,「蝦夷地在住之者江地所割渡方之儀」=在住のものの扱いを変更し、知行地を与えて土着させることについての箱館奉行,の意見書は、早くも7月17日には、水野和泉守へ提出されているので(意見書の内容は、是迄、在住のものへは,諸入用」にさしつかえている状況で、老中からの提案のようでは、家族の養育にもこと欠くようになるので、今まで在住
南茅部町史 下巻 (〔川汲山銀銅山〕)

         佐原岳  播州の人高砂屋三郎兵衛(斉藤三平と同く来る者)採掘に着手          昇り別  在住士生島文右衛門採掘
恵山町史 ((1)箱館奉行所とその陣容)

組頭勤方・調役・調役並・調役下役元〆・調役下役・同心組頭・同心・足軽の順が在り、ほかに通辯(通訳)・在住
函館市史 通説編 第一巻 (その他の外国人研究家)

ロマイン・ヒッチコックの報告書“函館在住、アベ氏のコレクション” ジョン・バチエラ『アイヌ人及其説話
函館市史 通説編 第二巻 (函館教育協会規則)

目的とする函館教育協会は、「函館」という固有の地域名を付した教育団体であるにもかかわらず、会員を函館在住,の「常会員」と地方在住の「各地会員」とに区別し(第4条)、「各地会員」が10名以上の場合には「分社」の
函館市史 通説編 第一巻 (直捌制廃止の理由)

差遣候御普請役松本又右衛門差出候書付写   松前表並道中筋共風聞仕候趣左に申上候 一 松前表掛御役人の儀、当春迄は調役並びに下役・在住毎夜相集,り酒宴を催し、酒狂の上遊女町え罷越候ものもこれ有る趣にて、毎夜会合の事故多分の入用も相掛り、在住家内持,一体箱館表よりの仕癖の由にて、今以て兎角寄合酒宴等いたし候趣にこれ有り、都て衣類等も美服を着し、下役・在住
函館市史 銭亀沢編 (生物認識調査の方法と対象)

生物認識調査の方法と対象 銭亀沢に在住する住民のうち、主に漁業に従事する複数の住民を対象に、海産生物
函館市史 通説編 第一巻 (ディアナ号箱館入港)

守り、津軽藩は物頭牧野徳一以下150余人で、当別および矢不来の台場を守り、有川、七重浜、亀田は箱館付在住同心
戸井町史 (六、刀工、研師 芳賀国賀(くによし))

りし、ここに七ヶ年勤め、昭和九年丁稚(でっち)奉公を終った二十一才の時、日本刀研磨に興味を持ち、函館市在住,昭和十二年、二十五才の時、鉄道に就職して室蘭市に移り、勤務のかたわら室蘭在住の刀匠堀井俊秀に師事した。
函館市史 別巻 亀田市編 (亀田村並びに渡島地区共進会)

和種馬全道共進会 昭和三十二年九月十日より三日間苫小牧市において開催 出陳 道南生産連推薦による亀田村字赤川在住,第一回道南種馬共進会 昭和三十三年八月一日、二日、八雲町において開催 入賞 第一位 亀田村字西桔梗在住, 福田健吉所有 第五春姫号    第二位 亀田村字昭和在住  鈴木 勇所有 新栄号   ○亀田村第八回畜産品評会
函館市史 銭亀沢編 (渡島半島鉄道株式会社)

渡島半島鉄道株式会社 渡島半島鉄道株式会社は、東京府在住の工学博士で貴族院議員、秋田電気軌道株式会社取締役
恵山町史 ([青年学校の教員])

専門的な知識の豊富な漁師あるいは漁業組合の指導職、又聞き取りにあるように、遠洋航路の船長経験者など地元に在住
函館市史 通説編 第一巻 (箱館通宝)

そのため交易上不正が多く、そのうえ銭の通用がなければ、在住の士民の不便も少なくないので、箱館奉行は鉄銭
函館市史 別巻 亀田市編 (小作人の生活)

、経営規模の小さい農民の中には、苦労して開墾した土地を手放し、小作人となる者が多く、土地所有者も函館在住
恵山町史 (2、人馬賃銭と宿料)

、宿料もまちまちになる恐れがでたので、箱館奉行はこれを一律とし、『諸藩の給地を通行する幕吏、ならびに在住
椴法華村史 (蝦夷地の病気)

った(『松前年歴捷徑』)  文化六年尾札部の痘瘡流行  文化六年(一八〇九)尾札部で痘瘡が流行し、在住
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