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函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
地蔵町
築出地の居留地化 大町築出地は、居留外国人だけの空間として箱館地所規則の調印により、一応の居留地,そのために文久元(1861)年7月の「箱館表外国人居留地の儀ニ付見込申上候書付」によれば「既に
地蔵町
海岸,も宜敷候間種々の談判為仕候義も御座候」(文久元酉年7月ヨリ12月迄「応接書上留」道文蔵)とあるように
地蔵町
,そして、同年10月には各国領事へ
地蔵町
新築島外国人居留地の規則を提示した。,今回もイギリス国商人デュースが、
地蔵町
居留地貸渡後に山ノ手の地所を拝借したい旨の願いが出された。 /
地蔵町
築出地の居留地化
函館市史 通説編 第一巻
(消防組織の確立)
○御役所消防 大黒町
地蔵町
受持 右近傍出火の節は両町人足不レ残駈付消防に従事す。,大黒町近傍の節は
地蔵町
人足は役所へ、大黒町人足は火事場へ出て消防す。
地蔵町
出火も亦此例に依る。
函館市史 通説編 第二巻
(幕末期の埋立)
これから松川弁之助、佐藤広右衛門の
地蔵町
海面2万37坪余の海面埋築、山田寿兵衛、大津屋茂吉との5500,坪(たて50間、横100間)埋立、島野市郎治の
地蔵町
1715坪埋築、杉浦嘉七の
地蔵町
海面2865坪の埋立,、幕府による鶴岡町5190余坪の埋築、町会所の弁天岬台場から
地蔵町
に至る一帯の海岸の埋立(完成は明治維新後,さらに享和2(1802)年新設された箱館奉行(戸川安論、羽太正養)は、翌享和3年に
地蔵町
の海中遠浅の処
函館市史 通説編 第一巻
(外国人居留地問題)
台場とし、台場敷地として予定された築島付近を割渡してもらいたいと申出たので、同年9月商人らの埋立てた
地蔵町
,慶応元丑年五月貸渡 一 合坪八百十九坪五合 一ケ年地税 洋銀二百二十九弗二十一セント四
地蔵町
築島,慶応元丑年十二月貸渡 一 合坪千三百坪七合 一ケ年地税 洋銀三百六十三弗八十セント六
地蔵町
築島,慶応元丑年十二月貸渡 一 合坪百四十一坪二合五勺 一ケ年地税 洋銀三十九弗五十セント八
地蔵町
築島,慶応元丑年十二月貸渡 一 合坪百十坪五合 一ケ年地税 洋銀三十弗九十セント七
地蔵町
築島
函館市史 通説編 第二巻
(開港による市街の二分化)
西部地区は安政4(1857)年には大工町や尻沢辺、山ノ上町の拝借地の願いが増えており、その願人は大工町では
地蔵町
,このように拝借地の願いが増えていることから、市街地の拡がりが想定できるし、安政5(1858)年には
地蔵町
,これと関連するがごとく同年の拝借地願いに鶴岡町通りや
地蔵町
裏通りが多く見られ、
地蔵町
の住人が願人として, ○ 大工町 ○ ○
地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(当代の寺子屋)
末広町 嘉永三 森菊三郎 平民 若山堂 読書算術 茶屋町 安政四 若山保平 商 日新堂 読書
地蔵町
,慶応ニ 富原九一郎 商 読書算術 船見町 明治二 十津川五仙 平民 読書
地蔵町
函館市史 通説編 第二巻
(地券発行と土地の私有化)
内澗町 鰪澗町 弁天町 西浜町 仲浜町 第3区 鶴岡町1~2 丁目
地蔵町
,6丁目 (3両2分)
地蔵町
4~5 丁目
地蔵町
1~3丁目 築島町 恵比須町 蓬莱町,音羽町 鶴岡町3丁目 一本木町1丁目 亀若町 西川町 龍神町 鶴岡町1~2 丁目
地蔵町
,6丁目 (3両2分) 築島町 蓬莱町
地蔵町
4~5 丁目 恵比須町 蓬莱町 豊川町 古築島町,
地蔵町
1~3丁目 明治6年「活券地請印帳」、明治13年「活券税合計調」、明治8、9年「地券下渡受印留
函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
それを中心に海岸に沿って西に弁天町、大町、東に内澗町、
地蔵町
が一列に並んでいた。,内澗町に続く
地蔵町
は弁天町に対して町の内陸寄りのはずれに位し、小商人、蝦夷地出稼ぎを業とする場所出稼人
函館市史 通説編 第二巻
(戸長役場統合から廃止へ)
斎川万次郎 4組 内澗町~亀若町8町 恵比須町100番地 ※末広町68番地 竹内与兵衝 島田岩吉 5組
地蔵町
,4~6丁目~大森町10町
地蔵町
5丁目68番地 ※
地蔵町
14番地 相川洗心 新谷広次 6組 鶴岡町~
函館市史 通説編 第一巻
(島野市郎治の埋立)
島野市郎治の埋立 島野市郎治は船大工を業としていたところから、広い土地を要するので、安政4年
地蔵町
海面山田寿兵衛
函館市史 通説編 第二巻
(町と町に準ずるもの)
寛政期(1790年代)にはその存在が確認できる弁天町、大町、内澗町、仲町、神明町、大黒町、山ノ上町、
地蔵町
,伊藤弥太郎 常野与兵衛 内澗町 平田文右衛門 啓治 津田勘兵衛 弁天町 枚田藤五郎 昆藤助
地蔵町
,大町、内澗町、弁天町、
地蔵町
、三町、大黒町、山上町、尻沢辺町がその8町である。,つまり町政上の町は、大町、内澗町、弁天町、
地蔵町
、大黒町、山上町、尻沢辺町、鰪澗町、仲町、神明町の10,下大工町 喜楽町 古築島町 龍神町 花谷町 新天神町 鍛冶町 尻沢辺町 七軒町
地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(願乗寺川の開削)
願乗寺川の開削 堀川乗経 箱館において広大な面積を占める砂頸部の地には、当時
地蔵町
の一部分を,これは飲料水に乏しいのと、湿地が多かったためで、
地蔵町
の人々は、ただ1つ豊富にわき出す高田屋の掘抜井戸
函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
め、水産物はもちろん釧路産の石炭をはじめその他取扱い貨物も多かったので、安政6年倉庫等の敷地として、
地蔵町
海面
函館市史 通説編 第一巻
(町会所の埋立)
町会所の埋立 弁天岬台場から
地蔵町
に至る一帯の海岸は、箱館の発展に伴い埋立の必要が生じたので、町会所
函館市史 通説編 第一巻
(松川弁之助等の埋立)
松川弁之助等の埋立 また、万延元年松川弁之助、佐藤広右衛門らが出願し、
地蔵町
の海面を埋築したのが、いまの
函館市史 通説編 第一巻
(掘割および築島)
新設の掘割は、当時の
地蔵町
をほぼ南北に分断したので、
地蔵町
通りをつなぐために橋を架した。,この掘割は、
地蔵町
やその南側周辺の排水を兼ね、湿潤の地を乾燥させるのに効果があったし、小舟による両岸への
函館市史 通説編 第二巻
(開港以前の様相)
前直轄時代の市中には名主が9人置かれており、それぞれ
地蔵町
、山ノ上町、大町、弁天町、大黒町、内澗町、仲町,また海面には「箱館
地蔵町
ノ沖ヘ新規築立候地面二千百七十二坪、〈中略〉高田屋嘉兵衛寄洲ノ場所見立願ノ上、,この背後には高田屋金兵衛の拝借地があり、その間の
地蔵町
裏通りにも町並みが形成されるようになった。,市中租税 町名 店役(文化2年) 家役(文化3年) 四半敷(文化1年) 人別銭(享和3年)
地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(山田寿兵衛等の埋立)
後山上新地に換地を給与されたが、そこは倉庫地には適さないので、取扱貨物の多い問屋大津屋茂吉と共同し、翌4年
地蔵町
海面
函館市史 通説編 第二巻
(官許/箱館全図)
第弐図では、特に
地蔵町
の新築島にみられるように海面の埋立地や大町の外国人居留地の位置がわかるし、願乗寺川
椴法華村史
(茅部丸の遭難)
大正十年十一月八日 函館日日新聞 ●戸井沖合で遭難せる茅部丸 救助船急航す 函館
地藏町
工藤喜一郎氏所有汽船茅部丸
函館市史 通説編 第二巻
(私立小学校と夜学校)
今井市右衛門ほか6名の世話人が11年1月内澗学校を借りて開設した金蘭学校、藤山正兵衛ほか5名の世話人が同年4月
地蔵町
,り開設した行余学校、畑野仁平治・山本鉄次郎・松岡房吉・工藤嘉七・菊地嘉六らが世話人となり翌12年4月
地蔵町
扱所内
函館市史 通説編 第二巻
(仏教系の女学校)
また22年にこの六和会から脱退した高龍寺は、吉祥教会本部の事業として22年5月、
地蔵町
に吉祥女学校を開校
函館市史 通説編 第一巻
(町費)
内澗町、弁天町、大町 一箇年地面一坪銭十文ずつ 大黒町、山ノ上町 同六文ずつ
地蔵町
, 二貫九百七十文
地蔵町
一貫九百四十四文 内澗町 一貫三百七十七文 大町
恵山町史
(箱館港の整備と船造場の建設)
さらに高田屋嘉兵衛ら有志は
地蔵町
の寄州を埋立て築嶋を造った。
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
両奉行は、はじめ
地蔵町
に1画を設け居留地と成すことを考えたが、竹内下野守が
地蔵町
は「箱館咽喉の地」との,上大工町左太郎 ウイルキー 16坪 山ノ上新町佐太郎 英国商人 ハウル 259坪 山ノ上新町吉兵衛 同 99坪
地蔵町
築島市郎次,同 フレキストン 704坪
地蔵町
築島山西 ホルトル 400坪 『通信全覧』による
函館市史 通説編 第一巻
(桝形の取払い)
桝形の取払い 幕末ころの箱館 箱館の人口増加によって町は
地蔵町
方面に延びつつあったが、この町
函館市史 通説編 第一巻
(天保12年の戸口)
; 箱館 大町 一二九戸 六四三人 内澗町 一七六戸 八七〇人
地蔵町
椴法華村史
(函館の小廻船沈没)
一昨九日午后三時頃石崎村沖合にて小廻船沈沒せり同船ハ下の釜屋村よりメ粕三十五本積みたりしが二人の乘組員は無事なりと云ふ荷主は
地藏町
二印
函館市史 通説編 第二巻
(3区の設定)
地区を第1区(27町)、弁天町から内澗町までの海岸線とその裏町(大黒町ほか)の地区を第2区(13町)、
地蔵町
,鰭横町 神明町 仲町 弁天町 西浜町 喜楽町 七軒町 大黒町 大町 仲浜町 内澗町 東浜町 3区
地蔵町
,鰭横町 神明町 仲町 弁天町 西浜町 喜楽町 七軒町 大黒町 大町 仲浜町 内澗町 東浜町 3区
地蔵町
,1~3丁目 蓬莱町 古築島町 亀若町 恵比須町
地蔵町
4~6丁目 蔵前通り 鶴岡町 一本木町
函館市史 通説編 第二巻
(運上会所設置と海岸道路普請)
その後、
地蔵町
築出地を居留外国人に貸渡した以後の慶応2(1866)年8月において「箱館表港内御普請御取締,この工事の経費については、これまでに出来た弁天町、大町、
地蔵町
の埋立地を払い下げその代金によることにし,以上から、海岸道路の普請は開港後の安政期より個々の商人や町会所などの埋立にはじまり、大町築出地や
地蔵町
築出地
函館市史 通説編 第二巻
(明治初期の状況)
これらの書籍は当初、
地蔵町
の千葉の自宅に収容し保存されていたが、まもなく佐久間市五郎を事務取扱人に任じて,この温古舎の所在地については、
地蔵町
(自宅)と亀田(別荘)の2説があり、いまだに確証はなく特定できない
函館市史 通説編 第二巻
(痘苗の製造)
高島は
地蔵町
に大日本牛痘種継所本部、仙台にその支部を置いたが、後年伝染病研究所が一手に製造するようになったので
函館市史 通説編 第二巻
(社屋の移転)
明けて13年1月
地蔵町
の馬車会所へ移転、東京へ注文の印刷機械や活字も到着し、2月末からは再び函館で印刷
戸井町史
(十二、椴法華、銚子岬沖の磯舟転覆事件(大正七年))
大正七年一月十八日、函館区音羽町奈良亀太郎(五七才)亀太郎の二男要松(二三才)函館区弁天町山田佐助(三六才)函館区
地蔵町
富樫堅二
函館市史 通説編 第二巻
(市街地の拡大と地価決定因子)
と交渉して決めた土地標準価格は、1坪につき東浜町71円、西浜町、末広町65円、仲浜町、船場町60円、
地蔵町
,これが33年の等級表では大町、
地蔵町
、恵比須町が同じ等級であり、弁天町はそれ以下に下降している。 ,5 23 18 12 5 21 23 8 (2) 弁天町 大町 末広町
地蔵町
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
白鳥半十郎 定兵衛 堺新三郎 大町 弁天町 内澗町 大工町 神明町 鰪澗町
地蔵町
,小島又次郎 注7 白鳥半十郎 堺新三郎 松代伊兵衛 蛯子武兵衛 注8 内澗町 大工町
地蔵町
,担当町名 白鳥半十郎 注9 界新三郎 松代伊兵衛 注10 蛯子武兵衛 石川茂作 太右衛門
地蔵町
,小島屋又次郎 岩井屋茂作 池田屋新左衛門 能登屋惣吉 大町 内澗町 山上町 弁天町
地蔵町
函館市史 通説編 第二巻
(函館馬車鉄道株式会社の設立経過)
一 亀田郡亀田村字万年橋を起点とし、函館海岸町、若松町、鶴岡町、
地蔵町
、末広町、大町,月23日に弁天町、大町、末広町、恵比須町、蓬莱町を経て東川町本社に達する1線が竣工し、続いて鶴岡町、
地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(名主)
大町 弁天町 鰪澗町 名主 新十郎 山ノ上町 神明町 同 次兵衛 内澗町
地蔵町
恵山町史
(航路の進歩と官営の廃止)
箱館の
地蔵町
の築島の築造をはじめ、幕府に規制されていた大型船の帆布の改良は、当時の船舶の航行能力を飛躍的
函館市史 通説編 第一巻
(製材)
ブラキストンはこれをもって、当時の
地蔵町
(いまの豊川町)の島野市郎治の埋立地986坪を借入れて工場を設
函館市史 通説編 第二巻
(茶屋渡世の公認)
文政元(1818)年には
地蔵町
の築島(古築島、後の船場町)への出店も許され公認の茶屋も31軒と増加したが
函館市史 通説編 第二巻
(函館街道の馬車会社)
そしてこの年6月に
地蔵町
の松田清吉(万里軒)が、函館~森間の馬車運行を始めた。,広告主は、相生町の山口伝之丞で、営業区間は(1)弁天町から、末広町、
地蔵町
、鶴岡町、若松町、海岸町まで
函館市史 通説編 第二巻
(官設造船所と市中業者)
それにイギリス人のトムソンの4業者が幕末から明治初期にかけて「御船造船所」と呼ばれた地域の周辺、すなわち
地蔵町
,1864)年にイギリス組合船大工として同国領事から箱館奉行へ地所借用願書が提出され、翌慶応元年閏5月に
地蔵町
築立地
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
同月中、伊勢守へ申し上げていた古部銅鉄山は、
地蔵町
の忠吉が願出て稼方を入れ御手山となった。
函館市史 通説編 第二巻
(異人仲買)
常 吉 前 田 治三郎 福 地 善 六 大町24 仲浜町98 内澗町65 内澗町6
地蔵町
,47
地蔵町
35 掘江町60 掘江町10 堀江町36 堀江町81 木 下 嘉兵衛 渋 川
南茅部町史 下巻
(〔警察の沿革〕)
さだめべきこと)」とされ、「当番を交代する勤務の拠点」の意味から交番の名称となり、開拓使函館支庁が、
地蔵町
巡査交番所
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
大町 仲浜町 七軒町 喜楽町 内澗町 東浜町 11小区 12小区 13小区 14小区 15小区
地蔵町
,1~3丁目 恵比須町 掘江町 船場町 蓬莱町 亀若町
地蔵町
4~6丁目 汐止町 蔵前通 豊川町,仲町 神明町 弁天町 西浜町 幸町 大黒町 大町 仲浜町 内澗町 東浜町 16大区
地蔵町
,1~3丁目 恵比須町 堀江町 船場町 蓬莱町 亀若町
地蔵町
4、5丁目 汐止町 蔵前町
椴法華村史
(カジカ岩元一丸の破船)
カジカ岩元一丸の破船 明治六年十二月二十一日、函館
地蔵町
梅谷吉五郎に雇われ、椴法華より新鱈を積入れ出港,(ママ)仕被成御出張右始末柄御吟味ニ御座候 此段沖舩頭寅吉始メ乘組外三人御一同奉申上私共凾舘
地藏町
三丁目梅谷吉五郎雇舟
函館市史 通説編 第二巻
(煉瓦石・瓦)
金子は
地蔵町
に、平は真砂町に販売店を開設したが、両者ともに、煉化石、屋根瓦、網足、下かめ、土管の製造・
函館市史 別巻 亀田市編
(警察の設置)
したがって兵備と警察は分離され、邏卒本営が富岡町(現在函館市元町)本願寺内に設置され、西浜町、
地蔵町
地蔵堂
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