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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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恵山町史 ((1)箱館奉行所とその陣容)

(1)箱館奉行所とその陣容 箱館奉行は初め、竹内保徳と堀利煕(ほりとしひろ)の2人が江戸と箱館に交互在勤,これは、堀利煕(ほりとしひろ)・村垣範正が共に外国奉行を兼務し多忙であった事情からであり、後に3名に減
椴法華村史 (幕府の再支配)

安政元年幕府は松前藩に箱館とその付近五・六里の地を上知させ、箱館奉行所を設置し、奉行として竹内保徳、堀利熙,・堀利熙  安政元年箱館奉行、のち外国奉行兼務、万延元年(一八六〇)プロシヤ条約問題で老中安藤対馬守と
函館市史 通説編 第一巻 (箱館付近の上知)

そこで幕府は当然起こる国境談判を有利に実地で決めるため(前述蝦夷地見分)、目付堀利煕、勘定吟味役村垣範正
函館市史 通説編 第一巻 (造船)

続豊治  時たまたま奉行堀利熙は帰府に際し、これに試乗して江戸に帰ったところ、船体はすこぶる堅牢,で速力もまた早く、「暴風雨等も乗廻し候処、堅牢の造船、別して心得方にも相成り申し候」と、堀利熙は村垣範正
函館市史 別巻 亀田市編 (箱館港の警備)

このような情勢の中で安政元年十二月竹内保徳、堀利熙の両箱館奉行は、箱館の警備に関して幕府に対して次のような
函館市史 通説編 第一巻 (心学講釈所)

落成した道場は奉行堀利熙によって「誠終舎」と名付けられ、5月19日の落成式には、当時たまたま蝦夷地に来
恵山町史 (2、開国・蝦夷地の再直轄)

同年9月には、目付の堀利煕、村垣範正に蝦夷地視察(樺太を含むロシアの進出状況)を命じた。  ,<在職した奉行> 着任順  竹内保徳、堀利煕、村垣範正、津田正路、勝田充万、糟谷義明、水野忠徳、小出秀実,・堀利煕 1854年(嘉永7年)箱館奉行、後外国奉行を兼務。
恵山町史 ([五稜郭と古武井熔鉱炉])

[五稜郭と古武井熔鉱炉] 同じ、1854年(安政元)には、蝦夷地巡視(後の箱館奉行)を命ぜられた堀利煕,勘定吟味役竹内保徳を箱館奉行に任じ、これらの幕領地を箱館奉行の「御預地」とするとともに、同年七月二十一日、目付堀利煕,堀利煕(ほりとしひろ)を中心とする箱館奉行が老中阿部正弘に提出した上申書によると、その主な理由は、当時,安政元年十二月、老中が堀利煕(ほりとしひろ)等のこうした計画を全面的に許可したため、以降箱館奉行は五稜郭
函館市史 通説編 第一巻 (貿易船の海外派遣)

安政6年2月次の案を議定し、6月、時の奉行、堀利熙、村垣範正、竹内保徳、津田正路が連署して幕府に申請した
函館市史 通説編 第一巻 (堀・村垣の復命)

なおこの調査中、同年7月堀利煕は箱館奉行に補され、織部正に任じられた。  
恵山町史 ([鉱業のあゆみ−砂鉄])

・源正雄銘の刀 ・源正雄 幕末最高の刀匠源清麿の高弟 ・安政5年~万延元年(1858~1860)堀利煕
南茅部町史 上巻 ([入北記])

[入北記] 入北記は、安政四年、箱館奉行堀利凞(としひろ)(文政元年生・一八一八)が、六ヵ場から北蝦夷地,堀利凞は、幼名を利忠、字は欽文、士積、通称 省之助織部 号 有梅・梅花山人。  ,安政四丁巳年1857 箱館奉行堀利熙(としひろ)鎮台 蝦夷嶋並北蝦夷地(樺太)巡回見分行路旅宿滞留地,江戸に出て林大学頭に学び、ペリーの浦賀来航に際し、憂国の同志と活動し堀利凞の知遇を得、堀の蝦夷地巡見に
函館市史 通説編 第一巻 (旗艦ポーハタン号の入港)

なお、蝦夷地検分のため北上中であった目付堀利熙、勘定吟味役村垣範正が、松前藩の依頼によりペリー応接のため
函館市史 通説編 第二巻 (幕領初期に直面した問題)

ディアナ号上で会見し、薪水食料の供給を要求するとともに、大坂で幕府と交渉したい旨の老中宛書簡を箱館奉行堀利熈
函館市史 通説編 第二巻 (場所請負制、沖之口制の継続)

安政元(1854)年5月から閏7月にかけて蝦夷地、北蝦夷地をまわって調査した堀利煕、村垣範正の報告などを
恵山町史 (②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)

安政元年蝦夷地の調査に赴いた堀利煕・村垣範正等がこの豊富な砂鉄に着目し、これを蝦夷地の経営と開拓の用に,ハバ堅牢之御船御用途少ニ出来可レ仕哉ニ奉レ存候」(以下略) 寅十二月  また、安政2年2月27日、堀利煕,長崎での務めを終えた武田は、江戸に戻って間もなく安政元年3月、堀利煕・村垣範正等と同行して蝦夷地並びに
恵山町史 (③幕末蝦夷地の洋式製鉄(金属・1968年9月1日号) 技術のふるさと:古武井の高炉)

第1の点は、安政元年3月(1854)、命を受けて蝦夷地、樺太の調査に赴いた堀利煕、村垣範正の両幕臣による
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

この事業は失敗したが、箱館奉行には、竹内保徳(野州)、堀利煕、村垣範正(淡路守)、津田正路ら幕府一流の,月21日・目賀田帯刀、脇石省助明日出立暇乞ニ来ル 4月27日・玉虫義及び菅野潔(狷介、白華)箱館奉行堀利煕,11月・堀利煕自殺。○前年起工した箱館大町海面埋立。○箱館の医師相謀り医学所を設く。翌年病院竣工。
恵山町史 ((4)古武井高炉と一連の施設)

安政元年(1854)ペリーが浦賀に来航すると、憂国の思いやまず頻繁に同志と時局を論じ、堀利煕の知遇を得
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