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椴法華村史
(場所請負人)
場所請負人
場所請負人
というのは、一定額の運上金を知行主に支払い、その場所内における漁業を中心とする,昆布の大産地であるこの場所の知行主は、松前藩家臣の新井田兵内殿で、箱館の
場所請負人
は、ここに一年間に四十両,そののち知行主と
場所請負人
との関係は、少しずつかわっていくのであるが、次に『北藩記略』天明四年(一七八四 /
場所請負人
椴法華村史
(場所請負人の廃止)
場所請負人
の廃止 寛政十一年(一七九九)一月幕府は、ロシアの南下政策に備え守備強化の必要を認め、東蝦夷地 /
場所請負人
の廃止
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
場所請負人
の交替 この請負入札によって、東蝦夷地の運上金の合計は1万7000余両に達し、これに択捉などの /
場所請負人
の交替
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の場所請負人)
箱館の
場所請負人
こうして入札の結果、高点をもって落札したのは次表の通りである / 箱館の
場所請負人
恵山町史
([駅逓制度のはじまり])
蝦夷地における駅逓のはじまりは、1700年代の後半、前松前藩時代の終わりころ、松前藩の役人らと、知行地の
場所請負人
,らとの書状・荷物(産物や献上物など)の取り扱いが主なもので、
場所請負人
により(民営として)便宜的に行われたと,漁業経営の拠点であった運上屋を、会所と改め行政機関としての権力を強め、漁業経営を支配下に置くとともに、
場所請負人
恵山町史
([幕府の蝦夷地直轄と道路行政])
そして、この東蝦夷地の、①
場所請負人
制度(註1)・運上屋(註2)を廃止する②道路を開き会所(註3)を建,(註1)
場所請負人
制度 「場所」とは、アイヌとの交易のために和人が所定した地点を中心とした一定の領域,これが「
場所請負人
制度」である。 ,(註2)運上屋(運上家) 松前藩主・知行主のアイヌ交易所、
場所請負人
制度が整ってからは、その請負場所,運上屋には、
場所請負人
の支配人・通詞・帳役などが詰め、番人、稼方などの和人労務者を使役し、一方、アイヌ
南茅部町史 下巻
(会所の頃)
) 幕府は蝦夷地を直轄すると南部から馬を移入して蝦夷地の各場所に配置し、人馬継立の制度を村々ならびに
場所請負人
,また、
場所請負人
に対して、自己の場所地から隣接の場所までの道路・山道などの開削・改良ならびに橋梁などの
椴法華村史
(運上屋と番屋)
かつて仲買商人的仕事をしていた請負人に、場所を任かせるようになり、次第に場所を治める実権は、知行主から
場所請負人
,即ち
場所請負人
は知行主に一定の運上金を支払って、漁業や交易を行い、のちにはその場所の行政権さえ持つに至,このほかに
場所請負人
は、漁業労働力確保のために、アイヌ人集団の組織化に努めて、乙名・脇乙名・小使・土産取
椴法華村史
(場所)
運上屋又は番屋(運上屋の小規模のもの)を設け、自らがその経営に当っていたが、次第に自分は場所におもむかず、
場所請負人
,の手にゆだねるようになり、場所を治める権利もまた知行主の手をはなれ、
場所請負人
の手に移っていった。
椴法華村史
(駅逓制度のはじまり)
南部で駅逓のごく初期のものが始められたのは、前松前藩時代の終わりごろのことであり、松前藩関係の者又は
場所請負人
,などの特別の用件で旅する者及びそれらの人々に関する荷物・書状等が取扱いの主なもので、主として
場所請負人
恵山町史
(2、場所請負制)
知行主である藩主や家臣が家来や使用人を使い「商場」を経営していたが、場所請負制は知行主が商場の経営権を
場所請負人
,(白山友正函館大学教授「松前蝦夷地場所請負制度の研究」より) 郷土の知行主と
場所請負人
および生産状況等,これらを取り扱う
場所請負人
はいずれも箱館の商人で特定の者ではない。また運上金も決まっていない。,になると箱館六ケ場所も『ヲヤス・ト井・シリキシナイ・ヲサツベ・カヤベ・ノダヲイ』の6ケ所として定着し、
場所請負人
,なお、『蝦夷地収納運上金帳』によれば、シリキシナイ場所の
場所請負人
は、1786年(天明6年)箱館の商人
椴法華村史
(享保年間の昆布採取)
各場所には知行主が定められており、漁業権を持っていたが、実支配は知行主に運上金を払った
場所請負人
が握っており,、場所に居住する住民や出稼者は、松前藩に納める昆布関係の税の他にも、
場所請負人
へも生産物を納入しなければならなく,なお、
場所請負人
は、ときどき小船で箱館運上場所の間を往復し、昆布を中心とする海産物を移出し、生活必需品
椴法華村史
(主要道路の開削)
そこで箱館奉行は各地の
場所請負人
に着目し、道路開削に当たらせることにした。,なぜならば、当時蝦夷地における
場所請負人
は、好漁に恵まれ資力も豊かであり、道路建設に協力的であったからである
函館市史 通説編 第一巻
(杉浦嘉七の埋立)
杉浦嘉七の埋立 杉浦嘉七は
場所請負人
で用達をも務め、水産物はもちろん釧路産の石炭をはじめその他取扱い
函館市史 通説編 第一巻
(運上屋を会所に)
こうして新たな商人を御用聞として上から把握して、流通の拠点となる要港をおさえ、同時に蝦夷地各場所では、旧来
場所請負人
函館市史 通説編 第一巻
(箱館東蝦夷地の中心となる)
箱館東蝦夷地の中心となる 幕府は、東蝦夷地直轄と同時に東蝦夷地の
場所請負人
を廃して直捌とし、産物は一手
戸井町史
(二、松前時代前期の概観)
一七一六―一七三五)から、汐首岬以東と熊石以西の蝦夷地に「場所請負制度」が適用され、松前城下などの豪商を
場所請負人
,こうして運上屋は蝦夷地を統治する役所という形になり、
場所請負人
やその使用人が絶大な権力をもっていたのである,
場所請負人
となった松前の商人は、場所には臨まず、松前城下に居住し、場所にはその使用人を支配人、番人という
函館市史 通説編 第二巻
(沖之口制運用の変化など)
両余の上納であったが、慶応元年から新たに賦課された増運上金は、1000両だったのである(河野常吉資料「
場所請負人
及運上金,大網禁止の厳達は何度もくりかえされているが、厳達のあとはすぐに、
場所請負人
の請願によって条件付緩和措置,「大網之善悪は閣き」)、大網を禁じたのでは、奥羽、北越方面からの出稼漁民が5000人も減ってしまう、
場所請負人
,しかし、大網公許の政策は、全く
場所請負人
層の利益とばかりは言えない事態になって行くのである。,大網公許となると、新規に大網操業を出願する漁民が出てくる、松前の仕込商人たちが資金を提供して、
場所請負人
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の請負人)
箱館の請負人 こうして箱館に根拠を置く
場所請負人
も、その後、しだいに頭角をあらわし、天明6(1786
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
近世(系譜) 明治初年~明治10年代 明治20年~30年代 杉浦嘉七 1万円以上 末広町
場所請負人
,漁場経営、第百十三国立銀行頭取 藤野四郎兵衛 6千円~1万円 東浜町
場所請負人
漁場持,汽船所有、倉庫業、牧場経営、 海産物委託販売 佐野定七 6千円~1万円 亀田村
場所請負人
醤油醸造,旧
場所請負人
の多くは漁場経営に従事していたため、3県期の不況による魚価の下落により被害を蒙ったため、家政改革,旧
場所請負人
の藤野四郎兵衛支店が首位にあるほか、西出孫左衛門支店、久保彦助支店、酒谷長作、平出喜三郎の
椴法華村史
(昆布の人工繁殖)
こうした状況の中で万延元年(一八六〇)(あるいは安政元年・一八五四)東蝦夷地沙流
場所請負人
山田文右衛門
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
の商人で蝦夷地の産物仕入のため、あらかじめ出金し、会所に託するものがある時は、その金を箱館に回送し、
場所請負人
恵山町史
([開拓使の道路建設])
主要な沿岸道路については安政年間(1854~60)後期幕領時代、幕府警備の諸藩・
場所請負人
や篤志家の努力
函館市史 通説編 第二巻
(町会所蓄積金)
古老談として「往時東蝦夷地請負人ヨリ運上金高ノ二歩方ヲ取立、之ヲ与内ト称シ、町役所ニテ管守ス」とあり、
場所請負人
,説明が付けられているが、通常部分にプラスするもの、つまり割増ということが本来の意味で、与内銭というのは
場所請負人
,また準備米の備蓄法は、その年の新米をこの金で購入貯蔵し、翌年の漁期に
場所請負人
の請負地にこの米を回漕し,、請負人が新しく購入した新米を備蓄することを繰り返してきたと伝えられており、与内銭と
場所請負人
は密接なつながりを,この町会所蓄積金は、明治元年頃には7320円余になっており、明治に入って
場所請負人
が廃止されると、地券売買
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
一方、場所請負制の廃止は、函館が東蝦夷地
場所請負人
の居住地であり、その出産荷物の積出港であったため、影響,明治2年9月に廃止は明示されたが、
場所請負人
が、漁業生産はもとより、場所内の諸権限を統一的に掌握する存在,しかも、漁場持は、
場所請負人
の収益の一つであった場所内の漁業者から二八役金を取得する権利はなく、かえって,明治2年から9年にかけての場所請負、漁場持制の廃止の過程で、函館居住の
場所請負人
や、それにかかわる問屋,月の仲間規定(田中家文書「明治二年ヨリ諸用留」)で、その利潤収得の一つの柱であった断宿業務、すなわち
場所請負人
函館市史 通説編 第二巻
(北海道のラッコ・オットセイ猟の沿革)
ところで、我が国のラッコ・オットセイ猟であるが、寛成12(1800)年淡路出身の高田屋嘉兵衛が、
場所請負人
,ラッコ皮は、当時「狩物」と称して
場所請負人
から松前藩に上納し、藩はその報奨として玄米1升定価永56文を
函館市史 通説編 第一巻
(箱館六箇場所)
ここでは
場所請負人
の名前はわからないが、場所が請負人の経営にゆだねられると、その生産構造も変化し、昆布採取,・鰊・オットセイ等まで漁獲されて、かくて場所とは、もはや旧来の交易を主体としたいわゆる商場ではなく、
場所請負人
函館市史 通説編 第一巻
(断宿以外の問屋の役割)
すなわち、(1)場所買付船の入御口銭、口銭を
場所請負人
負担にしたこと、(2)断宿、船宿以外の買付取組問屋,の負担が一段と増大したことはいうまでもなく、入御口銭・口銭(断宿徴収)負担を、従来の船手(買入)から
場所請負人
椴法華村史
(会所・通行屋の設置)
幕府の命令により各場所における実支配者であった
場所請負人
は廃止されたが、他方運上屋の支配人や番屋の番人
函館市史 通説編 第一巻
(文芸)
利兵衛は、松前の
場所請負人
である村山家の女婿で、5代目を継いだ人という。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館港への集荷政策)
ところが安政2(1855)年東西蝦夷地をあげて幕府が直轄すると、翌3年3月箱館奉行は、
場所請負人
、問屋
戸井町史
([戸井漁業協同組合の沿革])
明治九年(一八七六)に
場所請負人
制度が廃止され、定着して自由に漁業を営むものが多くなり、明治一九年北海道庁
函館市史 通説編 第一巻
(茅部漁民の訴え)
茅部漁民の訴え こうした状況のなかで箱館の集荷問屋長崎屋半兵衛と、
場所請負人
および零細生産者の具体的
恵山町史
(1、復領後の施策)
その結果、
場所請負人
の勢力を増大させ、松前藩は上下(うえした)をあげてかれらの財力に寄生し、その頤使(
戸井町史
(一、運上屋時代(場所請負時代))
場所請負制度をつくった始めの頃は、藩土を
場所請負人
としていたが「武士の商法」でうまくいかなかったので、,
場所請負人
の任務は、その場所の徴税、漁業の指導と統制、一般行政等であったので絶大な権力を持っていた。
函館市史 通説編 第一巻
(藩財政と秕(ひ)政)
口出入貨物の口銭を2分から3分に引上げて収納するとともに、福山・江差・箱館の住民に諭して献金を求め、あるいは
場所請負人
函館市史 通説編 第一巻
([2 貿易商人の成長と沖ノロの対応])
前述のように、由来箱館商人の有力な者は、一部の
場所請負人
を始め、株仲間問屋、小宿などのいわば特権商人たちであった
椴法華村史
(前松前藩時代)
四拾両宛、箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度〃箱館江通江申候」と記されており、一七三九年頃には
場所請負人
函館市史 通説編 第一巻
(断宿の独占利潤)
だから北前船などが、箱館に来て
場所請負人
と取引し、その場所に産物を積取りに行った時には、結局、断宿に入御口銭
函館市史 通説編 第一巻
(箱館経済の不振)
そのため
場所請負人
にあっても、箱館商人のカは弱く、西蝦夷地の請負人のすべてを松前城下居住の商人によって
函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
は産物会所、交易会所から、内陸の旅人、商品の出入を取締まる沖ノ口役所および問屋、小宿、諸商人ならびに
場所請負人
椴法華村史
(昆布の清国直輸出)
ゆえに昆布
場所請負人
はいずれも収益を増加したが元治元年以後の東蝦夷地増運上金徴収の理由もまたここにあった
恵山町史
([蝦夷地の馬])
なお、この時代の牛馬はすべて官有、幕府のものであったが、西蝦夷地では
場所請負人
制度を継続していたので、,・文化9年(1812年)には、前期幕府直轄と同時に廃止していた東蝦夷地の
場所請負人
制度を復活させた。,したがって駅逓の運営・牛馬の取り扱いも
場所請負人
に委託した。
椴法華村史
(村並となった六箇場所)
村並となった六箇場所 前項でも記したように、
場所請負人
が各場所の実支配を行うようになった天明年間(一七八一
恵山町史
(3、泉藤兵衛の供養塔)
船問屋・材木商の事業を広げるが、倒産し蝦夷地福山(松前)に渡り磯谷歌棄の
場所請負人
竹屋定右衛門に雇われる
函館市史 通説編 第一巻
(問屋の機能)
この両史料からすれば、断宿の基本的性格は、
場所請負人
の保証人となるかわりに、その反対給付として場所産物,もっともこうした性格は、場所請負制が完全に定着した以降のことで、箱館の
場所請負人
の発達過程で、いつころからこのような
函館市史 通説編 第一巻
(請負人と場所との関係)
請負人と場所との関係 それでは文政年間以降の箱館の問屋と、
場所請負人
および場所との関係はどのようになっていたかをみると,また断宿問屋の中でも、同族が
場所請負人
になっている場合には、経営上非常に有利な立場にあったことはいうまでもなく
函館市史 通説編 第二巻
(6藩分領と奉行「御預所」)
新撰北海道史』通説1)、その分だけ蝦夷地にかかわる直接的な業務は減少するとともに、それに伴い蝦夷地にかかわる
場所請負人
函館市史 通説編 第二巻
(その特色-馬車道)
勝手に北海道内陸地に、各地の
場所請負人
に命じて、けもの道程度ながら人道を造成せしめ、駅逓を設けた徳川幕府
椴法華村史
(前幕領時代以後)
前幕領時代以後 前幕領時代になり六箇場所では、
場所請負人
が廃止されると同時に、旧運上屋は会所と改められ
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