機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 54件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
恵山町史
(2、場所請負制)
2、
場所請負制
もともと海の幸の宝庫・箱館六ケ場所は、松前藩がアイヌの人々の居住地域であると取り決めていたのだが,そして、それに拍車をかけたのが「
場所請負制
」である。 ,になった松前邦広は藩政改革に取組み財政改善のため、莫大な収益を上げている漁業生産地の「商場知行制」を「
場所請負制
,商場知行制では知行主である藩主や家臣が家来や使用人を使い「商場」を経営していたが、
場所請負制
は知行主が,(白山友正函館大学教授「松前蝦夷地
場所請負制
度の研究」より) 郷土の知行主と場所請負人および生産状況等 / 2、
場所請負制
函館市史 通説編 第二巻
(場所請負制、沖之口制の継続)
場所請負制
、沖之口制の継続 蝦夷地の産業・経済のしくみのなかで基幹をなす
場所請負制
、沖之口制が、幕領化,
場所請負制
については、安政元年の調査にもとづく堀、村垣連名の「松前竝蝦夷地惣体見分仕候見込之趣大意申上候書付,て、この様子を実地に見聞しては、とても捨て置くことはできない、と述べていて、江戸でも、この報告では、
場所請負制
,しかし、
場所請負制
廃止は、おこなわれなかった。,へ蝦夷地の各地を分割し、藩領として給することになると、また、関係する諸地域で、各藩との関わりにおいて
場所請負制
/
場所請負制
、沖之口制の継続
恵山町史
(3、奉行所の設置)
対抗するため択捉(えとろふ)島など東蝦夷地奥地の開発(ロシアに対しての領土主張なども含め)をすること、
場所請負制
度,しかし、松前奉行は箱館奉行に比べ、その経営は積極性に乏しく、西蝦夷地では松前藩時代の
場所請負制
度を存続,させ、1812年(文化9年)には東蝦夷地の直捌制を廃止し、
場所請負制
度を復活させている。
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負と問屋株仲間)
その有力な契機となったのは、
場所請負制
度の発生と蝦夷地・本州間の商品流通の著しい発展、更に問屋株仲間の
函館市史 通説編 第一巻
(請負制度発生の原因)
請負制度発生の原因
場所請負制
度の発生については、前述のように、松前藩が、再生産構造の特殊性から、家臣,償還に窮して、場所講負人の名目をもって交易権まで商人の手にゆだね、一定の運上金を得るという、いわゆる
場所請負制
度
函館市史 通説編 第一巻
(北前船の発達)
り、断宿というのは、場所産物に対する問屋の支配権をあらわす、問屋機能の中でも重要な構成部分であるが、
場所請負制
,しかし、化政期以降
場所請負制
度が全面的に発展するに至って、断宿の場所産物に対する支配権の内容も、より確固,それを総合的に規定したものが、
場所請負制
復活直後の文化12(1815)年の規定である。
函館市史 通説編 第一巻
(直捌制度)
幕府直轄下の蝦夷地経営は、多分に国防的観点を前面に押し出し、松前藩政下の幣害の多かった商人による
場所請負制
度
函館市史 通説編 第一巻
([目次])
亀田番所 第二節 松前藩の再生産構造と箱館港 第三節 商品流通の発達と藩政改革 一
場所請負制
度, 箱館の町行政 第五節 幕府の生産・流通統制 第六節 高田屋嘉兵衛の勃興 第七節
場所請負制
,の再開と箱館経済 一
場所請負制
の復活 二 箱館商人の動向 三 問屋株仲間と市中商人の対立 四
椴法華村史
(場所請負人の廃止)
浦河以東・知床岬及び諸島を幕府の仮りの直轄地とし、蝦夷地取締御用掛を置き、道路開削、沿岸防備に力を注ぎ
場所請負制
度
函館市史 通説編 第一巻
(箱館に対する処置)
ことに東蝦夷地の直捌(じかさばき)を廃止(後述「第7節
場所請負制
の再開と箱館経済」参照)した後は、同地方
恵山町史
(3、運上屋)
3、運上屋 「運上屋」とは、
場所請負制
の運営組織が置かれた事務所である。
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
<
場所請負制
> 1720年(享保5)11世藩主になった松前邦広は着任早々藩政改革に取り組んだ。,この時代、享保5年から元文(1735~40)にかけて、「商場知行制」は「
場所請負制
」へと漸次移行していく,「商場知行制」では、知行主(藩主、家臣)が「商場」を自己経営していたのに対し、「
場所請負制
」は、知行主,<運上屋> 「
場所請負制
」の拠点となったのは、その仕組みが置かれた「運上屋」である。 ,<運上金> 幕藩体制にとって
場所請負制
は、運上金の収益に他ならないことは前述の通りである。
恵山町史
(海運の官業)
海運の官業 幕府は松前藩がとっていた漁業・商業の
場所請負制
(商人経営)を廃止し、直捌(幕府直営)とした
函館市史 通説編 第一巻
(断宿以外の問屋の役割)
この表によってもわかるように、
場所請負制
度の発達と買積船の著しい発展により、道産海産物への取引形態が複雑,そして同時に
場所請負制
度という特殊な構造に密着し、場所生産物の売買取引の中に深く侵入して、一般的問屋利潤
椴法華村史
(会所・通行屋の設置)
会所・通行屋の設置 六箇場所では、
場所請負制
度の廃止にともない旧運上屋が廃止となり新たに会所が置かれ
函館市史 通説編 第一巻
(箱館に本店を置く)
箱館に本店を置く 高田屋金兵衛苗字帯刀御免の書 しかも文化9年幕府が直捌制度を廃止し、再び
場所請負制
度
戸井町史
([戸井漁業協同組合の沿革])
、早くから和人による操業も行なわれていたが、全道的に見られる現象として網元や資本家による独占的経営と
場所請負制
度
戸井町史
(二、松前時代前期の概観)
この時代の初期の享保年間(一七一六―一七三五)から、汐首岬以東と熊石以西の蝦夷地に「
場所請負制
度」が適用,
場所請負制
度の時代は西部は小安に、東部は戸井の館鼻に運上屋が設置されていた。
戸井町史
(一、運上屋時代(場所請負時代))
場所請負制
度をつくった始めの頃は、藩土を場所請負人としていたが「武士の商法」でうまくいかなかったので、,
場所請負制
度は、寛政十一年(一七九九)幕府が蝦夷地を直轄するようになるまで約二〇〇年間続いた。
函館市史 通説編 第一巻
(生産および流通の変化)
すなわち、前述のごとく松前藩の財政ならびに知行制の内容が、商人による
場所請負制
度への構造的な変化を遂げたぱかりではなく
函館市史 通説編 第一巻
(直捌制廃止前の状況)
たものとみてよく、このように箱館の問屋商人が、請負人として登場してくる実力をつけた背景は、とりもなおさず
場所請負制
椴法華村史
(場所請負人)
さて六箇場所では、いつ頃から知行制度や
場所請負制
度が始められたのであろうか、さきにも記したように、寛文十年,また
場所請負制
度については、『近世渡島地方史』(松本降著)によれば、「正徳年間(一七一一-一六)亀田小安,と記されてあり、この頃から
場所請負制
の極く初期のものが始められたものと推定される。
恵山町史
(1、明治前期の北海道の漁業)
これは、開拓使が漁業保護助長政策として、①
場所請負制
度の廃止、②海産干場の設定③漁業資金の貸与、④漁業
恵山町史
([明治・大正時代の漁業])
・交易の場としての機能を備え、家臣の直接経営「商場知行制」から、やがて場所請負人(商人)の手による「
場所請負制
,と同時に東蝦夷地の
場所請負制
度に代わる、箱館・松前奉行直轄の直捌(じきさば)き制度を実施する。,しかし、西蝦夷地ではそのまま
場所請負制
度を持続させ、東蝦夷地も1812年(文化9)には直捌(じきさば),き制度を廃止し
場所請負制
度を復活させる。
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負入札)
場所請負入札 幕府が直捌という、生産と流通の全面的な統制を解除し、再び
場所請負制
度を復活したのは、文化
恵山町史
(4、海産税について)
明治2年9月、
場所請負制
の廃止とともに「運上金」の上納は当然取り止めとなり、以降、開拓使は漁業からの税
椴法華村史
(蝦夷地の主要道路)
その後、
場所請負制
の発達及び漁業の発達により和人居住者や出稼労働者が増加し、通行者や荷物輸送の機会も多
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
また、明治2年には、
場所請負制
廃案の布達がだされたのをはじめ、箱館、寿都、手宮、幌泉の4か所への沖の口運上所,一方、
場所請負制
の廃止は、函館が東蝦夷地場所請負人の居住地であり、その出産荷物の積出港であったため、影響,断宿業務、すなわち場所請負人の保証人となり、場所産物の売買に介在する業務を惣仲間の取扱いとしており、
場所請負制
恵山町史
(1、蝦夷地の直轄)
1、蝦夷地の直轄 六ケ場所の
場所請負制
が確立するにしたがい箱館や亀田からの入稼は急増し、土着して漁業
恵山町史
(2、箱館六ケ場所を『村並』に)
松前藩の
場所請負制
度は廃止・奉行直轄の直捌(じきさば)き制を実施、村役人が置かれ漁民には漁業権が与えられ
戸井町史
(一、戸井の商業の変遷)
しかし、江戸時代の末期ともなると、松前を中心に蝦夷地産物の流通機構は徐々にではあるが成立して来ており、
場所請負制
度
函館市史 通説編 第一巻
(箱館六箇場所)
入荷する産物は、亀田、箱館、尻沢辺、大森浜、志海苔、小安などの近郷の零細出稼人のものであったが、これが
場所請負制
度
戸井町史
(三、幕領時代前期の概観)
蝦夷地が幕府の直轄になってから、
場所請負制
の弊害を認めてこれを廃止し、東蝦夷地の運上屋を会所と改めたが
函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
「蝦夷地元方」では、沖之口制、問屋制、
場所請負制
が、機能しており生産、流通の規制は、やりやすいと思われたのであろう,出資は、文久3(1863)年から慶応2(1866)年の間に5万5678両余にまでなっている(田中修「
場所請負制
度,幕府が新しい規制力を発揮するべく施策を立てても、旧来の制度(
場所請負制
など)や旧来の特権商人の資金力に
戸井町史
(二、会所時代)
幕府は直轄直後、松前藩のつくった
場所請負制
度を廃し、場所毎に宿泊所を設け、始めはこれを会所と称していたが
南茅部町史 上巻
(東蝦夷地六箇場所)
松前藩の財政をささえた独特の
場所請負制
度が成立していく。
函館市史 通説編 第一巻
(問屋の機能)
もっともこうした性格は、
場所請負制
が完全に定着した以降のことで、箱館の場所請負人の発達過程で、いつころからこのような
戸井町史
(一、十八世紀後半の戸井の状態)
蝦夷地に享保年間から「
場所請負制
度」がつくられ、それが定着し、軌道に乗って来た時代であるが、和人の人口
恵山町史
([地理的位置])
江戸期の本町域を含む下海岸一帯は、
場所請負制
が広く行われた地域であり、北海道開拓史上最も古い江差・松前地方
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の神仏分離観の転換)
北海道の諸社が近世の
場所請負制
を背景にして建立され、それが出稼人と一体となって今に現存していることを、
函館市史 通説編 第二巻
(幕領初期に直面した問題)
(3)の問題は、この期の箱館奉行「御預所」の性格と復領以降の松前藩の
場所請負制
のあり方及び蝦夷地産物の
恵山町史
(1、郷土の起源・集落の形成)
これは、村並化により正式に和人の居住が認められたこと、松前藩時代の「
場所請負制
度」(後述)が廃止され村人
函館市史 通説編 第二巻
(日本昆布会社開業後の昆布取引)
たとえば、三石の小林重吉は、三井物産から資金援助を受け、同社に委託販売を行っている(田中修「
場所請負制
度
戸井町史
([旧家の系図])
するようになったのは寛永年間(一六二四―一六四三)以降であり、鎌歌に昆布漁を営む和人が若干定住するようになったのは、
場所請負制
度,定住の経過を調べて見ると、
場所請負制
度ができてから、対岸の南部、津軽地方から漁期に出稼ぎに来ている間に
戸井町史
(年表の序)
戸井を含めた下海岸の漁村は、松前時代前期には
場所請負制
度という悪制のため、松前藩や場所請負人のために搾取
函館市史 通説編 第二巻
(沖之口制運用の変化など)
の変化など 幕府の蝦夷地経営となっても松前藩時代の基本的なしくみを変革することはできず、沖之口制や
場所請負制
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
杉浦が浦河、様似など、藤野が網走、斜里など、栖原が増毛、宗谷などの諸郡の漁場持に任じられ、
場所請負制
期
恵山町史
(3、幕府直轄以降の箱館六ケ場所)
千島列島を南下するロシアに対抗し、北辺を警備するとともに、択捉島(えとろふとう)など東蝦夷奥地の開発と、
場所請負制
度,これらの九場所は、
場所請負制
の廃止とともに、その呼称は「場所」であるが、「村」に準じ行政単位としての「
南茅部町史 上巻
(明治の漁場図)
明治二年八月、稟議「開拓処分方第一四か条」に「場所請負人廃止候事」(公文鈔録)と決し、同年九月二八日、
場所請負制
戸井町史
(目次)
第八節 行政区画と行政の変遷…………………………………………244 一、運上屋時代(
場所請負制
時代
/ 2ページ