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函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
準じ、2、3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、京都、兵庫、
堺
、,下関、新潟に設置され、江戸の会所は新大橋際植物場内に、大坂は劒先町、兵庫は北浜川崎町(後に鍛冶屋町)、
堺
は
函館市史 通説編 第二巻
(函館平民新聞読者会の活動)
明治36年10月23日幸徳秋水・
堺
利彦らは『平民社』を創設、11月15日には機関誌「平民新聞」を創刊した,その間、「万朝報」では幸徳秋水、
堺
利彦らとも筆を競い、多くの教育論を発表している。,えられたかは、例えば「平民新聞」創刊号発行10日後の明治36年11月25日の「函館新聞」に、「幸徳秋水・
堺
枯
函館市史 通説編 第二巻
((株)百十三銀行と小樽支店の設置)
8月25日同区本材木町1丁目28番地へ移転、最初の設置年次不明)が道内支店より先で、小樽支店(小樽区
堺
町,翌年4月12日、北海道後志国小樽郡
堺
町23番地に設置し、5月1日より開業するとの大蔵大臣あての上申を行
函館市史 通説編 第二巻
(清酒)
パーセント、越後酒25パーセント、大山酒22パーセント、その他23パーセントであるが、金額では大阪酒(
堺
の,しかし、30年代になると、
堺
の上記2銘柄を圧倒して、灘、西宮の別銘柄が続々と市場に登場して来る。
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
兵庫では北風荘右衛門、
堺
では和泉屋伊助、石割作左衛門が用達に、大和屋徳次が用聞になっている。
函館市史 通説編 第一巻
(津軽船の活躍)
すなわち、三津とは、伊勢の安濃津、筑前の博多津、和泉の
堺
津を指し、七湊とは、越前の三国、加賀の本吉、能登
函館市史 通説編 第二巻
(汽船船主の特質)
藤野四郎兵衛 函館汽船(株) 飯田倍三 服部次郎次 平出喜三郎 田中新兵衛
堺
千代吉,忠谷久蔵 台町 藤村駒吉 天神町 飯田信三 泉沢 田中新兵衛 胆振 小野要之助 十勝
堺
千代吉,平出喜三郎は石川橋立の出身で幕末から明治初年にかけて
堺
の商人の和船の船長となり津軽地方の交易に従事した
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
安政3(1856)年 注1 担当町名 五十嵐荘八 注6 小島又次郎 白鳥半十郎 定兵衛
堺
新三郎,山上町 大黒町 仲町 安政4(1857)年 注2 担当町名 小島又次郎 注7 白鳥半十郎
堺
新三郎
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
また『福山秘府』には、宝永6(1709)年「泉州
堺
鍋屋五郎兵衛と申者願に付造替、此節神体を安置」と記されている
恵山町史
(1、尻岸内八幡神社)
なお、大阪府
堺
市にある仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのみささぎ))は前方後円墳で、墳墓として
南茅部町史 下巻
(畑反別書上小前連印帳)
字板木野 字ゴロタ三十二番地 同壹反弐畝廿五分 金澤喜佐吉印 三番 字板木野 字
堺
三十二番地, 同七畝壹分 杉林辰五郎印 四番 字板木野 字
堺
三十四番地 同七畝八分
函館市史 通説編 第二巻
(設置の理由)
明治2年3月、商法司は廃止になったが、新に通商司が設立され、従来大阪、兵庫、
堺
、姫路等に設立されていた
函館市史 通説編 第二巻
(発刊数・価格・売り捌き先)
2,812 秋田県 72 2,613 3,420 3,196 3,145
堺
函館市史 通説編 第一巻
(亀ヶ岡文化)
れて発掘品を鑑賞したが、土器類や土偶は全国的に有名となり、文人や骨とう愛好家の手に渡り、中には大阪の
堺
から
函館市史 通説編 第二巻
(明治初期の商工行政と商工会)
勧業会設立の年次的推移 年次 所在地 明治16 東京○ 〃 17 秋田、銚子×、勝山、
堺
南茅部町史 下巻
(陸上交通・道路年表)
木直
堺
盤の沢木直第一号トンネル開削工事 11 汀浦・日陰浜間、日陰浜・ポン木直間道路開通
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
地所貸渡関係書類によれば、大町外国人居留地については「当箱館港において外国人借用の場所として取極めし地の
堺
内
南茅部町史 上巻
([地名のうつり変わり])
字精進川 (川汲 41戸) (臼尻村)(昭和一六年以後) 安浦 字
堺
函館市史 通説編 第二巻
(深刻な不況)
ナリシカ、昨今ニ至テ本邦ノ製産物ヲ以テ之ニ充テラレンコトヲ務メラルルカ為メ、下人民モ其気向ニ習ヒ、絨氈ハ
堺
段通
南茅部町史 上巻
([北海道の大謀網])
モノタイ 鰯引網 ④ 天保三年(一八三二) 四代 与五左衛門弟 島歌 鮪建網 一ケ統 ③
堺
長次郎,椴法華村郷土誌 天保三年 四代與五左衛門弟 田鎖 鮪建網 北海道漁業功労者事蹟
堺
長次郎
恵山町史
(2、郷土の道 松浦武四郎の『蝦夷日誌・巻之五』(初航蝦夷日誌)より)
根田内、尾札部の村
堺
とす。越えて、 赤兀岬 (アカハゲ)恵山の第一岬なり。
函館市史 通説編 第二巻
(箱館府の廃止時期)
1.6.17 岩 鼻 大音厚龍 4.10.28 群馬県となる 1.6.22
堺
函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
熊野屋彦兵衛 近江屋熊蔵 伊丹屋四郎兵衛 為替用達 同上 同上 兵庫 同上 北風荘右衛門
堺
南茅部町史 下巻
((7)小学校設立等の沿革)
改称する(修行年限三年) 磨光小学校教員と児童 犬上清三郎先生、飯田栄二郎8歳、飯田清一8歳、
堺
長七
南茅部町史 上巻
([入北記])
四面皆山只鹿豕ト交ルノミ、実ニ幽栖ノ
堺
ト云フベシ。
南茅部町史 上巻
(明治の漁場図)
兼 加賀谷 和市 〓 右之通相違無之候也 標木立ヶ所 ハ加賀谷和市 竹田 栄太郎 海産干場
堺
南茅部町史 上巻
([明治初期の昆布場])
一二 九・六 字ツキ上ゲ 一 一二〇 一 二 一・六 七三 七四
堺
長次郎
恵山町史
(6、郷土と高田屋嘉兵衛)
1790年(寛政 2)・兵庫の親戚、船頭
堺
屋喜兵衛を頼り、下関まわりの船の船乗りとなる。,津志浦の親戚に寄食して商業や漁業を見習っていたが、寛政2年(1790)、22歳のとき、兵庫の親戚、船頭
堺
屋喜兵衛
戸井町史
([松浦武四郎の『蝦夷日記』(嘉永三年)])
一、人家四十六軒 これより上湯の川村へ 二十九町 一、上湯の川村より、
堺
川,へ 七町 一、
堺
川より、 下湯の川村へ 十三町 一、
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