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函館市史 通説編 第一巻
(大坂の問屋組織)
大坂
の問屋組織 また、
大坂
方面との交易は、早くから昆布の移出が盛んに行われていたが、この時代に入ると,これは蝦夷地各場所の漁場における生産が上昇してきたことにもよるが、そのため従来
大坂
では、干鰯商仲間が松前物 /
大坂
の問屋組織
函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
前幕府直轄時代の産物会所の例に準じ、2、3年試みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、
大坂
,、京都、兵庫、堺、敦賀、下関、新潟に設置され、江戸の会所は新大橋際植物場内に、
大坂
は劒先町、兵庫は北浜川崎町
函館市史 通説編 第一巻
(ロシア使節との応接)
更にプチャーチンは、これから
大坂
に行くが、もし江戸で応接するならば、その旨
大坂
で通告されたいと述べ、9,月7日
大坂
に向け出帆したが、
大坂
において下田で応接すべき旨の通告を受け、10月15日下田に到着した。
函館市史 通説編 第一巻
(三港の比較)
右昆布積に来る、
大坂
船、下之関船等八艘づゝ年々極り来り、
大坂
又は長崎へ積上り申候。,右昆布積に来る、
大坂
船、下之関船等八艘づゝ年々極り来り、
大坂
又は長崎へ積上り申候。
函館市史 通説編 第一巻
(商取引)
りより西回りが多く、移入品中の主位を占める米は、津軽、羽後、越後、越中などから、酒は出羽(大山)、越後、
大坂
,、縄筵類は敦賀、津軽、塩は瀬戸内海の各地および金沢付近から入り、木綿その他の雑貨類は
大坂
、敦賀その他の,移出品も多くはこれらの諸港に向けられるものが多く、ことに
大坂
、兵庫などは重要な移出先になっている。
函館市史 通説編 第一巻
(各会所用達)
大坂
は加島屋作次郎を用達とし、会所付仲買として松前問屋13軒を任じ、そのうち伊丹屋四郎兵衛、近江屋熊蔵,納めて、荷主に渡すことが主な仕事であったが、その他蝦夷地の馬鈴薯などの新産物をも販売し、また、京都、
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(箱館会所の所務)
文化2、3年ころの例をとれば、会所の総仕入高は、およそ2万3、4000両といわれ、仕入金額の最も多いは
大坂
,つまり
大坂
、江戸が供給地として重要な役割を果たしていた。
函館市史 通説編 第一巻
(産物会所の設置)
につかめず、かつ、外国船が来航するので、船手の密貿易も行われる心配があったので、これを取締るため江戸、
大坂
,要地に箱館奉行付属の会所を設け、役人を置いて、その地の問屋などのうち相応の人物を選んで用達とし、江戸、
大坂
函館市史 通説編 第二巻
(産物会所の設置)
も確保、拡張して行く、というのがその構想で、安政4(1857)年、箱館のほか江戸に会所を設置、翌年に
大坂
,両余の取扱額で、手当、経費を除いた利益788両余、同6年で、取扱額7万3000両、利益金2872両余、
大坂
,
大坂
では与力、問屋、仲買がこぞって、「故障」を申立て、様々な悪評を言いふらしている。,では現金取引しかできないので低価格の取引ばかり多くなる、魚肥類はどこでもよい値で売れるので会所のある
大坂
,蝦夷地産物が
大坂
、兵庫の会所による規制を避けて他の港へ廻ってしまうのを把握するという意味からである。
函館市史 通説編 第一巻
(江戸交易と東回り航路の発達)
その結果、江戸・
大坂
間の流通が著しく発展した。,政徳丸を交付し、凌風丸を買上げ、次いで浦賀、大畑および様似などにおいて造船、その他高田屋嘉兵衛に命じて
大坂
,で官船5艘を建造、箱館にも造船所を設けて兵庫・
大坂
から船大工を雇入れて造船作業に従事させた。
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
一 手水鉢 是ハ
大坂
御影石ニテ其目形七百貫目長六尺巾三尺余 壱個 一 水屋 是ハ九尺弐間惣銅葺木材,一 アマ狛コマ 狛
大坂
名産生石 台ハ
大坂
御影石 弐個 箱館奉行組頭調役平山謙次郎其外, 一 大石鳥居
大坂
御影石 壱基 箱館奉行御付常役中ヨリ
函館市史 通説編 第一巻
(箱館支店開設)
くようになったのは寛政10年で、呉服太物類、荒物などを売捌き、蝦夷地の産物を買入れ、手船5艘をもって兵庫、
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(藍)
き、種子2斗7升を播(ま)いて藍玉584個、目方にして75貫200匁を収穫し、産物会所を通じて江戸、
大坂
南茅部町史 上巻
(漁場境界裁判)
重立一人の名で願い出でよ、と教諭をうけた村網は、重立
大坂
金七の名で願い漁場の権利を得た。 ,原被連署ヲ以 示談書奉差上候也 明治十四年十一月十五日 茅部郡臼尻村伍長
大坂
,赤石歓三郎
大坂
松蔵 木村 浅吉 秋山 磯吉 大倉 若松 京谷佐兵衛 有田 ヨシ , 金七 小川 久作 佐藤 千松
大坂
栄吉 小川留太郎 佐藤 鶴松
大坂
市蔵 小川,明治二一年、村網側の裁判費用の債権者として、二本柳庄三郎と
大坂
金七が引きうけこれを立て替えることとなる
函館市史 通説編 第一巻
(ロシア船との遭遇)
船との遭遇 ところが、天保2(1831)年5月12日、東蝦夷地の高田屋の請負場所に米塩を送るため、
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(食品加工)
食品加工 昆布の製造は
大坂
で発達し、すでに文化年中から着手されていたが、箱館での刻昆布の製造は嘉永年間
椴法華村史
(永壽丸の椴法華乘り上げ)
明治二十二年七月四日 函館新聞 ○永壽丸乘揚げ
大坂
川印所有汽船永壽丸は昨日午前四時頃亀田郡椴法華村近海
函館市史 通説編 第一巻
(高田屋の家訓)
一、手船之儀は是迄之通、上方本店持の分は
大坂
店諸受払の積り、箱館店持の分は箱館店請受払の積り、尤も船々年々徳用勘定,一、兵庫本家江年々金弐百両宛積金、内百両は箱館店より登らせ申すべく、残りは
大坂
店より出金、尤も正金にて,淡州先祖は是迄之通、元(本)家にて祭事いたさせ候様、尤も諸入用之儀は、高の内半分は箱館店より出金、残りは
大坂
店
函館市史 通説編 第二巻
(徳川幕府の倒壊)
会津藩、桑名藩など譜代の諸藩が、この決定に強く反発したため、慶喜は彼らの鎮静を図るべく京都の二条城を出て
大坂
城,また大政奉還に際して最も考慮した外国関係については、12月16日
大坂
城においてフランス、イギリス、イタリア,28日、
大坂
城にその旨の急報が入ると、もはや強硬派の激昂を制止出来なくなった。,しかし旧幕府軍の不手際から予想外にあっけなく敗北したため、慶喜は慌てて
大坂
から開陽丸で老中板倉伊賀守勝静
南茅部町史 上巻
(屋号)
名乗りとして用いたと思われる東出屋、
大坂
屋、小板屋、魚住屋、相木屋などがあった。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館東蝦夷地の中心となる)
高田屋は兵庫・
大坂
の外に箱館を本拠としたので、箱館は、東蝦夷地の中心として、行政上のみならず経済的にも
函館市史 銭亀沢編
(竹じゃっこ)
二じゃっこ、三じゃっこ、四じゃっこ、五つやの六すこさん、七、八ってやかましい、九(ここ)らへ飛んで、
大坂
見物
函館市史 通説編 第一巻
(朱印の制書)
朱印の制書 次いで文禄元(1592)年11月、慶広は
大坂
に赴いたが、時あたかも秀吉は、朝鮮侵略の軍を,のごとく感激し、志摩守に任じ慶広の希望した次の封彊制禁の朱印の制書と、毎年巣鷹を献上するための津軽から
大坂
南茅部町史 下巻
(安浦駒踊り保存会)
西村貴広 成田貴夫 成田昭紀 小松直樹 〃 和井内孝信 松原光彦 張磨秀詞
大坂
享
函館市史 通説編 第一巻
(流通構造の変化)
変化 かくて宝暦・天明期には、新興商人の成長と、近江商人による流通独占体制の崩壊というなかで、松前~
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(官船建造と定雇船頭となる)
彼はただちに
大坂
に下ってこれを造り、翌享和元(1801)年4月箱館に回漕し、主として千島方面の運航に当
恵山町史
((6)漁業協同組合の合併)
えさん漁業協同組合設立委員会の開催 設立委員長 若山 久美雄 副 委員長 松本 勝彦
大坂
,尻岸内会館 ・出席者 〈設立委員〉 松本勝彦 淀川八百光 東 伸弘 若山久美雄 石田民雄 玉井信義
大坂
元一,工藤文雄委員 第一号議案 正副組合長の選出について 代表理事組合長 若山久美雄 副組合長
大坂
元一
函館市史 通説編 第二巻
(『新北海道史』の整理)
-『明治史要』、『地方沿革略譜』 B 3府(東京、
大坂
、京都)以外を廃府置県したとき箱館県が設置されたという,2 同年7月17日の太政官布告では3府(東京、京都、
大坂
)を除く諸府を廃して県と改称としているが個別の
戸井町史
(二、歴代所長)
三三、一二、一六 奥谷恒藏 〃三五、八、一八 岡崎恵信 〃三八、四、三〇 藤波岸丸 〃四二、二、二三
大坂
久之助
函館市史 通説編 第一巻
(本州諸港との交通)
の季節は依然として晩春から秋季までで、遠方から来る船は年に1回もしくは2回の航海であるが、その船舶は
大坂
南茅部町史 上巻
(郷土駐屯)
臼尻分駐隊 隊長細井安太郎(伝習隊士官)外一三五名 竜宮庵 〓小川本家 〓東出 野村
大坂
南茅部町史 上巻
(選抜紅白野球大会)
春一 工藤 久 秋本 米勝 佐藤 俊秀 白 軍 監 督 小川 幸雄 助監督
大坂
南茅部町史 上巻
(松前昆布)
家大小に不レ限 舟大小に不レ限 右之通松前収納蔵へ納申由 一、亀田箱館 右昆布積に来る
大坂
船, 下之関船等 年々八艘宛極り来り
大坂
又は長崎へ積上り申候大方八百石位積候船の由 八百石積に昆布八千駄積申由,寛永年間(一六二四)、日本海から下関・瀬戸内海を経る北回り航路が開かれ、蝦夷地の産物が
大坂
に送られるようになる,天明年間(一七八一)、
大坂
には数軒の昆布問屋が開業されて、昆布商として荒昆布を刻(きざみ)昆布に加工が
函館市史 通説編 第一巻
(択捉産物の増加)
かくて嘉兵衛は文化3(1806)年には、
大坂
町奉行から蝦夷地産物売捌方を命じられ、同7年特に択捉場所の
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭の築造)
石材は箱館山の水元から切出し、そのうち腮石(あごいし)は
大坂
から回漕した備前御影石を用いた。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館に本店を置く)
ならびに宝町および蓬莱町に設け、別に長屋数棟を恵比寿町に建てて番頭以下雇人の者を居住させ、かつ支店を
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(金兵衛の追放処分)
生国淡路郡志本村領主松平阿波守領分のほかに他出すべからざること、金兵衛養子嘉市は船稼ぎ差留め、所払いならびに兵庫・
大坂
南茅部町史 下巻
(〔民有林〕)
、〇〇〇 魚住佐之吉 〃一五年 五 八、〇〇〇
大坂
金七, 〃二〇年 五 一五、〇〇〇
大坂
松藏 〃一八年 三 一三
函館市史 通説編 第一巻
(近江商人の排除)
伊達林右衛門、阿部屋伝兵衛、平岩屋平八、江戸では栖原角兵衛、栖原久次郎、田中屋伊助、京都では越後屋利右衛門、
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(修好通商条約の締結)
フランスもまたこれにならい、いずれも同様の条約を結び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(娯楽)
これらはみな江戸歌舞伎であるが、万延元年以来
大坂
の俳優佐野川咲之助が来て、永く留まったこともあった。
函館市史 通説編 第二巻
(東京商船学校函館分校)
こうして24年5月5日の勅令第45号「商船学校学校官制」の公布により、「
大坂
・函館ニ商船学校分校ヲ置キ
函館市史 通説編 第一巻
(産物取扱方)
こうして箱館商人の手に渡った産物は、彼らの手を経て更に
大坂
や江戸などに送られたのであるが、文化6年、7
南茅部町史 下巻
(瑞火)
厳嶋神社ニ鳥居奉献ノ議起ルヤ別當ニ請ヒテ一ノ鳥居ハ二本柳庄三郎、二ノ鳥居ハ先代小川幸一郎ト先々代
大坂
政一氏
函館市史 通説編 第一巻
(場所請負人の交替)
松前 萬屋嘉左衛門 幌泉 八〇八両 箱館 高田屋金兵衛 十勝 一四九両 箱館
大坂
屋卯助
函館市史 通説編 第一巻
(箱館経済の不振)
阿部屋甚右衛門 幌別 新冠 浜田屋佐次兵衛 三石 栖原屋虎五郎・熊野屋忠右衛門 幌泉 高田屋金兵衛 十勝
大坂
屋卯助
函館市史 通説編 第一巻
(箱館近海の出没)
航行中外国船にあい、その船に救助されていた漂流民9人の送還を依頼されるという事件もあったが、これは前年
大坂
函館市史 通説編 第一巻
(会所設置の目的)
会所を通さない産物が多くなるなど、幕末期の広範囲にわたる商品流通を、全面的に統制することは困難になり、
大坂
南茅部町史 上巻
(創立期の役職者)
同総代 成田 市助 (臼尻村) 副取締 小助川平次郎 仝蛯谷直吉 総代
大坂
金七
南茅部町史 上巻
(徳田屋和兵衛と小板屋久兵衛)
文化文政の頃、元揃昆布の粗製が繰り返されたので、
大坂
へ向かう船頭の不信をかい、価格が暴落した。 ,厳選した品物だけに信頼の回復は早く、
大坂
へ向かう船頭らが徳田屋の店に取引にあらわれるようになる。 ,天保の末には
大坂
の昆布市場で〓印の昆布は元揃昆布のなかでも、破格の値がつけられて売買されるようになった,嘉永六年(一八五三)には
大坂
の昆布商において、「〓昆布をもって一の標準とされる」ようになり、元揃昆布の,される 嘉永六年(一八五三)八月 能登国穴水紬屋手船大観丸興之助、一把につき五〇文ずつ高値に買取り、
大坂
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