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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (浄土宗大願寺)

浄土宗大願寺 当初念称庵と称し、上湯川村に位置した称名寺の末寺であったが、その創立年は不明である。,大願寺 / 浄土宗大願寺
函館市史 銭亀沢編 (寺院の姿)

)のうち、浄土宗の大願寺を除く五か寺が、石崎に集中していることである。,地区内に現存する六か寺のうち、『北海道寺院沿革誌』が登載しているのは、この妙応寺と勝願寺および大願寺だけである,ただ、この勝願寺・大願寺の記事も、妙応寺に比べてかなり簡略なものとなっている。,一方の銭亀沢の大願寺の前身の「念称庵」に至っては、本寺が函館称名寺であること、「沿革」として、「明和二年,『北海道寺院沿革誌』は、このように、勝願寺と大願寺についてそう多くを語らないが、それでも近世の明暦二年
函館市史 銭亀沢編 (戦没者慰霊祭(忠魂祭))

戦没者慰霊祭(忠魂祭) 戦前から毎年おこなわれていて、大願寺境内に、大正四(一九一五)年十一月十日建立,大願寺を会場としておこない、各町会長・町会役員・戦没者の遺族有志やたくさんの町民の参加があり、盛大に実施
函館市史 通説編 第一巻 (下海岸方面の社寺)

石崎の勝願寺(浄土宗称名寺末)は明暦2年に、僧求道が建て求道庵といい(大正9年寺号)、銭亀沢の大願寺(
函館市史 銭亀沢編 (寺院の立地と建物)

・3・5に示すとおり、銭亀沢地区では神社は町ごとに一つ以上存在しているのに対し、寺院の場合、銭亀町に大願寺
函館市史 銭亀沢編 (近代の妙応寺)

なぜなら、石崎のほかの浄土宗の念称庵(大願寺の前身)や、求道庵(勝願寺の前身)には、神官菊池は出向いていないのである
函館市史 銭亀沢編 (〈銭亀沢〉)

字志苔墓地は分れているが、現在は銭亀志苔共同墓地に統合されている)と、その下南側に、念称庵、現在の浄土宗大願寺
函館市史 銭亀沢編 (十三仏(十三仏和讃・十三仏様))

平成七年九月九日銭亀沢大願寺(浄土宗)で故木村千代吉の通夜の際に山鼻サクを中心に歌われた。  
南茅部町史 下巻 (尾札部村忠魂碑)

  「戦没者御芳名板」附設 銭亀沢 大正四・一一・一〇 陸軍大将男爵 福島 安正 浄土宗 大願寺
函館市史 銭亀沢編 (目次)

石倉稲荷神社(新湊町)/川濯神社(古川町)/八幡神社(石崎町)/寺院の立地と建物/     浄土宗大願寺
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