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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (安東政季らの渡海)

安東政季らの渡海 盛季が南部氏に破れて十三湊を放棄した時、盛季の弟安東四郎道貞の子、潮潟四郎重季(しげすえ / 安東政季らの渡海
戸井町史 (二、和人の館)

安東政季の聟になったり、政季の女を養子として蠣崎信広にめあわせた(○○○○○)などということから、恐らく,この時安東政季も別な船で同時に大畑を船出した。    ,蠣崎信純、安東政季の渡島は南部側の記録の康正三年(一四五七)が確かであろう。    ,このことから安東政季、蠣崎信純(後の武田信広)等の渡島は、康正三年五月十四日以前ということが推定される,南部側の記録では「安東政季、蠣崎信純等が大畑から蝦夷地へ逃れたのは、康正三年二月二十五日(○○○○○○
戸井町史 (三、道南の館主と政季、信広の渡島(新羅之記録抜萃))

渡島(新羅之記録抜萃) 『新羅之記録(しんらのきろく)』に享徳三年(○○○○)(一四五四)入島した安東政季,2、安東政季の渡島  「伊駒政季朝臣は、十三之湊盛季の舎弟安東四郎道貞の息男潮湯四郎重季の嫡男なり。,「註」 安東政季、蠣崎信広等が、享徳三年(一四五四)八月二十八日に大畑から蝦夷地に渡ったということは誤
椴法華村史 (和人の館)

更に同書によれば、享徳三年(一四五四)八月二十八日、下國安東政季は武田(蠣崎)信広、相原政胤、河野政道
南茅部町史 上巻 (管内の町村の起源(資料))

享徳 三年(一四五四) 安東政季に従い穏内館主蒋土甲斐守季直渡海す。   
函館市史 通説編 第一巻 (館主とその性格)

越智氏から出た河野氏の後裔とされ、加賀国江沼郡の出身で、のち流浪して南部の田名部に至り、前述のごとく安東政季
戸井町史 (三 蠣崎の錦帯城趾の伝説(川内町))

この時安東政季も別な船で蝦夷地に逃れた。  
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