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戸井町史
(一、小安の墓地(小安小学校裏))
一、
小安
の墓地(
小安
小学校裏) 一、
小安
の墓地(
小安
小学校裏)(1) 一、
小安
の墓地(
小安
小学校裏,)(2)
小安
の墓地 / 一、
小安
の墓地(
小安
小学校裏)
戸井町史
(三、小安郵便局)
三、
小安
郵便局
小安
(おやす)郵便局 昭和一三、 三、二一
小安
郵便取扱所が戸井村字
小安
一〇番地,昭和一四 四、 一
小安
郵便取扱所が
小安
郵便局に昇格され、三等郵便局となった。,尾札部郵便局より飯田弘一が
小安
郵便局長心得として就任。,昭和二九、 三、一六 局長心得飯田弘一が
小安
郵便局長に任命された。,場所は
小安
九六番地。定員三名。 / 三、
小安
郵便局
戸井町史
(九、小安漁業協同組合)
九、
小安
漁業協同組合 1、創立当時 戦前は一町村一組合であったが、昭和二十三年水産業協同組合法が,では二三八名の組合員をもって、昭和二十四年七月に
小安
漁業協同組合を設置した。 ,又
小安
地区の生産向上と安全操業のため、現在までに左記の三ケ所に船揚場が設置された。 ,昭和四四年度
小安
第一共同船揚場(五区)〓松永家横 昭和四五年度
小安
第二共同船揚場(二区)武井家下, 昭和四六年度
小安
第三共同船揚場(三区)
小安
漁協下 組合員は船揚場の外に
小安
地区にも漁港を設置 / 九、
小安
漁業協同組合
戸井町史
(1、小安小学校沿革概要)
1、
小安
小学校沿革概要
小安
小学校校歌 歌 常盤井 武 備 曲 高 ,]
小安
小学校 一、創立 明治十三年十月十八日
小安
村字釜谷及字白浜の二字を設置及通学区域,明治十五年二月
小安
村字村中を設置及通学の区域とする公立
小安
小学校を創立す。 ,して公立
小安
小学校と改称す。,二、校名変更 昭和十六年四月一日 北海道亀田郡
小安
国民学校と改称 昭和二十二年四月一日 北海道亀田郡戸井村立
小安
小学校 / 1、
小安
小学校沿革概要
戸井町史
(九、小安町の歴代警察官名(終戦後))
九、
小安
町の歴代警察官名(終戦後) 九、
小安
町の歴代警察官名(終戦後)
小安
警察官駐在所 / 九、
小安
町の歴代警察官名(終戦後)
戸井町史
(一、広福寺(小安))
一、広福寺(
小安
) 広福寺は曹洞宗(禅宗(ぜんしゅう))の寺院としては、下海岸最古の寺院である。,広福寺の由来の概要を調べて見ると、寛政元年(一七九〇)箱館高竜寺十世職蒸嶺豊眠大和尚が
小安
地域に来て布教 / 一、広福寺(
小安
)
戸井町史
(六、小安の「網子(あご)別れ」の殺傷事件(明治四十二年))
六、
小安
の「網子(あご)別れ」の殺傷事件(明治四十二年) 鰮や鰊漁場で切揚げの時には昔から「アゴワカレ,明治四十二年十二月十九日夜、石崎村の川島円次郎所有の
小安
の漁舎(なや)でアゴ別れの宴が開かれ、酪酊(めいてい,第一号漁舎の漁夫が第二号漁舎を襲ったので、第二号漁舎の漁夫、富山県婦負郡四方町の七間善助はマキリを携え、
小安
村字村中 / 六、
小安
の「網子(あご)別れ」の殺傷事件(明治四十二年)
戸井町史
(一、初代戸長 飯田東一郎)
一、初代戸長 飯田東一郎 飯田東一郎 明治十年まで、
小安
村、戸井村が独立の村であり、それぞれ,、会所を置いて名主、年寄、百姓代などという村役人が村行政を司(つかさど)っていたが、明治十一年、
小安
村,明治三十五年四月一日に二級町村制が施行されて、戸井村と
小安
村が合併し、戸井村大字戸井村字○○、戸井村大字
小安
村字,に ④明治十三年十二月二十四日に公立汐首学校を
小安
村字汐首に ⑤明治十五年二月に公立
小安
学校を,
小安
村字村中(現
小安
)に それぞれ校舎を建てて創立した。
戸井町史
(一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名)
陸軍兵長 荒木正信 昭一九、一六、二〇 ニューギニヤ、ハロン 荒木善松 兄
小安
町一七二 陸軍伍長,小石成子
小安
町 陸軍伍長 関谷秀雄 昭一四、八、二五 満州ノモンハン 関谷カヨ 毋
小安
町六六,武井常雄 兄
小安
町五一 陸軍伍長 関谷幸男 昭二〇、四、二七 沖縄本島首里 関谷浅雄 叔父
小安
町九八,皀ソナ 妻
小安
町一〇 海軍上等水兵 粕谷勝雄 昭一九、八、一〇 マリアナ諸島 粕谷勝彦 二男
小安
町一一二,荒川松市 兄
小安
町一八 戦没者慰霊碑(宮川神社境内)
戸井町史
([戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)])
[戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)] 町内会別世帯数 一、
小安
町(1),一、
小安
町(2) 一、
小安
町(3) 一、
小安
町(4) 計 二八
戸井町史
(三 書画)
池田家所蔵 ⑥日下部鳴鶴書 〃 ⑦頭山 満書 〃 ⑧山岡鉄舟書
小安
武井常太郎所蔵, 館町〓池田家所蔵 ②浮世絵、国貞画 館町 河村家所蔵 ③雪村画 水墨山水双幅
小安
伊藤栄八所蔵, ④尾形光琳画
小安
〓渡辺家所蔵 ⑤谷文晁画 石崎松代家 蠣崎波響の画
戸井町史
((4)〓吉田家(釜谷))
⑤ 巖手県勧業博覧会 函館県渡島国亀田郡
小安
村,廃止された) [賞状] ⑧ 北海道渡島国亀図郡
小安
村, 吉 田 大 吉 明治二十年九月三日 渡島国亀田郡
小安
村字釜谷沖合, 吉 田 勝三郎 殿 ⑩ 北海道渡島国亀田郡
小安
村,保太郎 ⑪ 吉 田 大 吉 亀田郡戸井
小安
村学務委員
戸井町史
([公立小学校の統廃合])
3、白浜、
小安
小学校の合併 明治十七年(一八八四)九月、白浜、
小安
両小学校を合併して、白浜、釜谷、,村中を一通学区域とする公立
小安
小学校とし、白浜小学校を廃校とし、
小安
小学校の校舎に合併した。
椴法華村史
(大小区画制の改正)
大小区画制を全道的に統一するための改正が行われ、全道は三十六大区・百六十五小区に分割され、椴法華村は
小安
村,第拾八大区壱小区 渡島国茅部郡・同上
小安
村・戸井村・尻岸内村・椴法華村 第拾八大区貳小区 渡島国茅部郡,、同上尾札部村・臼尻村・熊泊村・鹿部村・砂原村・掛澗村 このようにして
小安
村・戸井村・尻岸内村・椴法華村,したのであるが、明治六年から交通事情を考慮し特に椴法華を戸井出張所の管轄下にしたほどであるのに、こんどは
小安
村,このため
小安
・戸井・尻岸内・椴法華の諸村は、冬期間や悪天候が続き海路が使用できぬ時などは、陸路函館方面
戸井町史
(三、戸長役場時代)
小安
村、戸井村は亀田郡に属した。 ,
小安
村、戸井村は、函館県亀田郡に属し亀田郡役所は亀田村にあった。 ,
小安
村、戸井村は亀田支庁亀田郡に属した。 ,
小安
村、戸井村は亀田支庁の管轄になった。,
小安
村、戸井村は函館支庁の管轄になった。
南茅部町史 上巻
(「松前方言考」と昆布の名称)
嘉永年間には、
小安
村から臼尻村までに産出する昆布を「濱の内」と呼ぶことを記している。 ,ハマノウチモトゾロヘ
小安
場所から臼尻辺迄の昆布を云ふ。,多く尻沢辺より
小安
迄の間に産し、悉く外国五市の品として長崎に積送る為、一把でも他に売買することが出来なかった
戸井町史
(二、会所時代)
この時
小安
と戸井の運上屋はそのままの建物を会所とした。 ,東蝦夷地の六ケ場所にも和人の移住者が増加したので幕府は
小安
、戸井を含めた六ケ場所を「村並」とし、和人地,明治時代以前の棟札が保存されているのは、宮川神社だけで、創建の古い
小安
八幡神社始め他の神社の棟札は明治以後,戸井村と
小安
村は、渡島国茅部郡に属した。 ,戸井村と
小安
村は函館支庁の管轄になった。
椴法華村史
(亀田郡編入運動(一))
亀田郡編入運動(一) かくして椴法華村・尻岸内村・戸井村・
小安
村は明治十一年を期して、区務所が亀田村,次に明治十一年三月椴法華村・尻岸内村・戸井村・
小安
村の郡村組替要求に基づき、開拓使函館支庁が東京書記官,凾館 書記官 書記官 渡島國茅部郡
小安
村外三,東京 書記官 書記官 渡嶋國茅部郡
小安
村外三,十一年五月廿四日 茅部郡
小安
村外三ヵ村の亀田郡組入の件は既に地方官会議で大小区画制を廃止して
戸井町史
(二、明治以降現在まで)
残っている記録で調べても、明治十六年以前の記録はなく、戸井村、
小安
村と合併する以前の
小安
村の戸口は記録
戸井町史
((附)昔の戸主名(明治十三年以降))
然し西部地区の旧
小安
村の
小安
、釜谷、汐首の分は資料がなくて採録できなかった。,旧
小安
村管轄であった瀬田来町の明治十三年のものは瀬田来学校時代の学校沿革誌から採録した。 ,) 金沢惣吉 吉田福次郎(
小安
) 松井留八(
小安
) 永川市松 赤崎宗七 湊春松(
小安
) 宇美駒吉 関谷清吉,(
小安
) 吉田作次郎(
小安
) 細田利助 三浦巳之松(汐首) 吉田富次郎(
小安
) 塩越岩太郎 安部タケ,) 南坪兼太郎(
小安
) 館山由蔵(
小安
) 館山勇太郎(
小安
) 後藤留吉(
小安
) 後藤亀松(
小安
) 晴山栄吉
戸井町史
([学務委員の変遷])
明治十五年(一八八八)
小安
小学校が創立され、明治十七年(一八八四)白浜学校を併合し、明治三十四年(一九,〇一)戸井小学校が日新小学校と改称され、瀬田来小学校を併合し、日新小学校、
小安
小学校、汐首小学校の三校,旧戸井村の分の記録は若干あるが、旧
小安
村の分は全然記録がないので不明である。 ,明治三十三年までは村内の有志、有識者が任命されていたが、明治三十四年からは日新・鎌歌・
小安
・汐首の各校長
戸井町史
([公立小学校])
3、白浜学校 戸長飯田東一郎の首唱により、部落民と協議の上、
小安
村字釜谷及び白浜の二字を通学区域とする,5、
小安
学校
小安
村字村中を通学区域とする公立学校の設置がきまり、校名を公立
小安
学校として、明治十五年二月
南茅部町史 上巻
(村界・郡界の変更)
同月二九日付で、これまで茅部郡であった
小安
村・戸井村・尻岸内村(のちの恵山町)椴法華村の四か村は亀田郡,明治十四年七月二十九日 函館支庁 開拓権少書記官 有 竹 裕 渡島国茅部郡
小安
村
椴法華村史
(昆布役)
(「函館市史」史料編第一巻より) 一、昆布役 尻澤邊・下湯野川・銭亀澤・石崎・
小安
,
小安
領 瀬田来・同 汐首・戸井・尻岸内領 古武井・同 根田内・尾札部領 椴法花・尾札部・臼尻・臼尻領,但、
小安
領汐首より鹿部迠稼軒別に百壱文宛判銭取立候事。
戸井町史
([新制中学校の設置])
2、潮光中学校 新学制により、汐首小学校、
小安
小学校に併置された汐首中学校と
小安
中学校を統合し、昭和二十七年四月一日校名
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田郷の範囲)
えられるが、亀田八幡宮の旧記、享保九(一七二四)年の記事に、「右神楽料留(富カ)川村ヨリ亀田郷ト唱、箱館市中
小安
村迄,と記されているところから、亀田郷は東は富川村(現上磯町字富川)、南は箱館市街、東は戸井町
小安
、北は大野町
函館市史 通説編 第一巻
(箱館六箇場所の和人)
箱館六箇場所の和人 昆布の採取も箱館、亀田近辺からしだいに六箇場所(
小安
・戸井・尻岸内・尾札部・茅部,していたので、和人は、はじめ出稼ぎしてアイヌとともに採取し、その後いつかその地に土着するものもあり、
小安
場所
南茅部町史 上巻
(村役人)
嘉永七年 六ケ場所村役人 「六か場所書上」より
小安
村,これを嘉永七年(一八五四)の書上により、
小安
から落部までの九箇村三〇の小字の村役人を列挙する。 ,
小安
は
小安
村名主と記されている。そのほかは、村とは書いていない。,
小安
村のほかが、名主とよばれたのは万延以後である。万延二年の小川文書に、六箇場所宿 市五郎とある。
戸井町史
([農業と牧畜])
別表農耕地図でもわかるように、山岳が海岸に迫り、渓谷が深くて平地が少ないため、農耕可能な土地が極めて少なく、
小安
,戸井町農耕地図 昭和三十五年頃から、沿岸漁業の不振対策として、役場の奨励、指導もあり、
小安
の島本石太郎等,放牧場が汐首地区にあるため、組合員は放牧場に近い釜谷地区に多く、
小安
地区が少ない。
戸井町史
(三、各神社の棟札(むなふだ))
村総代 館 山 兼 蔵
小安
村支瀬田米,大正十三年七月七日 彫刻師 伊 藤 茂太郎 (4)
小安
八幡神社, 祭 主 沢 辺 幹
小安
村, 中 村 次郎吉 (5) 戸井町、
小安
村, 布 施 長 作 亀田郡
小安
村村社
戸井町史
([戸井の医療機関の沿革])
3 桜井病院 長谷川重威が館鼻に移転した後に桜井某が、
小安
病院の建物で開業したが、僅か一年くらいで,4 貫之(かんし)堂医院 明治三十一年、
小安
病院から館鼻に移転した長谷川重威は、漢籍の「一以って之,桜井医院が廃業してから、重威は
小安
病院の建物を村から買収し、現在四村家のある場所からエビシ川右岸台地に,病院を移すことにし、明治三十二年七月、
小安
病院の解体材料を使用して病院を建てた。,、
小安
に診療所を設置した。
椴法華村史
(亀田番所の設置)
六ヵ場所というのは、
小安
から野田追に至る沿岸を六つに分けた呼び名で、
小安
・戸井・尻岸内・尾札部・茅部・
戸井町史
(二、汐首郵便局)
二、汐首郵便局 汐首郵便局 大正 五、一二、二一 渡島国亀田郡戸井村大字
小安
村字汐首番外地に汐首郵便局, 汐首郵便局の享便戸数は、汐首一一〇戸に瀬田来と釜谷の一部を含む計一三〇戸を数えているが、汐首、
小安
,無集配特定郵便局であるため配達業務は行なわず、従って瀬田来、汐首地域は戸井郵便局の取扱いとされ、釜谷、
小安
地域
戸井町史
(四、釜谷漁港簡易郵便局)
以上が戸井町郵便局の沿革と業務概要であるが、このうち集配局は戸井郵便局のみで、しかも、
小安
、釜谷の両地域,更に、電話に於いても
小安
区域が函館局に編入され、釜谷以東が戸井局というように通話区域が二本立であり、社会構造
戸井町史
(五、戸井町の商工業者一覧(昭和四七年四月一日現在))
五、戸井町の商工業者一覧(昭和四七年四月一日現在)
小安
町 釜谷町 汐首町
戸井町史
(二、戸井警察署管轄の巡査駐在所)
〃一〇、一二、 一 一九二一 戸井村字
小安
に
小安
駐在所が設置された。
椴法華村史
(六大区一小区の村役人)
明治六年第九月 開拓使管轄渡島ノ國六大區茅部郡 一ノ小區
小安
村 ,以上の記録を検討して気付く点は、六大区一小区に属する村々には、副戸長として
小安
村飯田藤吉、戸井村池田六助
椴法華村史
(下海岸地域の浦役場)
明治十年第三月廿日 茅部郡一小区
小安
村用掛 藤川留松印 ,開拓権少書記官柳田友郷殿 別記 茅部郡十八大区一小区
小安
村十三番地
戸井町史
(四、戸井警察署で取扱った主な事件)
における汽船衝突事件 〃四一、三、二三 5、尻岸内村古武井山県(やまがた)硫黄鉱山の大火 〃六、一一 6、
小安
村,〃八、三 7、戸井村役場の火災 〃四二、一、二四 8、衆議院議員選挙の選挙違反事件 〃七、二〇 9、
小安
村
椴法華村史
(出張所の設置)
・開所時の管轄地、
小安
村、戸井村、尻岸内村(明治六年一月二十日から椴法華、戸井出張所管轄下となる。),戸井分署廃止後は、明治十年四月より尻岸内村副総代増輪半兵衛が一村事務を取り扱い、明治十一年七月からは、
小安
戸井村副総代
椴法華村史
(帝浄丸の破船)
函館毎日新聞 ○滊船帝浄丸の破壊 滊船帝浄丸は一昨日午前六時頃大吹雪の為め針路を誤り亀田郡
小安
村字釜谷沖合,途中にて引返せるも吹雪は依然として激烈にして咫尺(しせき)を辨せず遂に針路を誤り一昨日午前六時に至り
小安
村字釜谷沖約八十間
戸井町史
([神社の沿革])
一、
小安
八幡神社 寛永二年(一六二五)の創建と伝えられ、祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)である,
小安
神社 二、釜谷神社 元禄元年(一六八八)の創建と伝えられ、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと,
小安
八幡神社より六十二年後に創建されている。
椴法華村史
(川崎船の転覆)
転覆 明治十三年四月二十六日、佐渡の川崎船二人乗、米・味噌・酒・塩を積み函館より尾札部に向け航行中、
小安
沖
戸井町史
((6)大正五年に締結された水電会社の契約書)
宇美 第吉 同 亀田郡戸井村大字
小安
村字
小安
二番地
椴法華村史
(戦後の出来事)
・昭和三十一年七月三十日、戸井村
小安
と釜谷の間で昆布漁入会地問題が発生、
小安
側二百三十隻、釜谷側百七十隻
戸井町史
(九、体育・文化行事)
97 菅原在正書 〃 〃 98 江戸時代の金庫 中村 キク 汐首町 99 大皿 杉野 憲蔵
小安
町,つ重) 金沢 音一 〃 116 鯛にえびす置物 〃 〃 117 絵画 光琳筆 渡辺鉄太郎
小安
町, 〃 130 火鉢 金沢 ツナ 〃 131 茶釜 〃 〃 132 書 蘇崇阿 伊藤 鶴松
小安
町,江戸時代金・銀貨 松井 信次 〃 134 〃 大判 野辺地 栄 汐首町 135 一円銀貨 吉田 兼房
小安
町, 〃 140 鰐口 金綱 ミヨ 〃 141 鉦鼓 汐首地蔵堂 汐首町 142 木盃 中村 忠昭
小安
町
戸井町史
((一)地形、地勢と植物)
釜谷、
小安
などの戸井西部地域は、東部より一層、山が海岸に迫り、運荷川、
小安
川、タカ屋敷川などがあるが、,
小安
、釜谷、浜町などに砂浜があるが、その幅も極めて狭い。
戸井町史
(四、村役場時代(二級・一級町村時代))
一級町村時代) 二級町村制施行に伴い、戸井村外一村戸長役場の管轄区域に、二級町村制が施行され、戸井村、
小安
村,を統合して村名を戸井村とし、旧戸井村及び
小安
村を大字(おおあざ)として残し、戸井村役場の庁舎は、戸井戸長役場,川内村長は明治三十九年から一ヶ年、
小安
小学校長を勤め、臼尻小学校に転任した人である。
椴法華村史
(明治十一年)
・三月二十三日 椴法華村・尻岸内村・戸井村・
小安
村の郡村組替要求が(茅部郡より亀田郡への編入を要求)開拓使函館支庁,要求が出された理由は、椴法華村・尻岸内村・戸井村・
小安
村の四村は、茅部郡に属しているため、各種の届出書類,・六月二十一日 開拓使函館支庁、
小安
村以東で昆布漁に従事する漁民に対して、昆布萌芽(ほうが)時(芽を出
椴法華村史
(明治時代の伝染病)
・明治十九年八月四日付
小安
村コレラ、昨日亀田郡
小安
村に男一人類似コレラに罹りたるよし亀田郡役所,より其の筋へ通知あり ・明治十九年八月八日付
小安
村コレラ、亀田郡
小安
村○○番地、○○母
/ 6ページ