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函館市史 別巻 亀田市編
(赤川村の植林)
セシカバ之ヲ観テ植樹ノ念ヲ起シ、明治八九年頃ヨリ栽植スルモノ数名アリ」(『渡島国状況報文』)とあるのと、『
小林重吉
事蹟概略
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造の活発化)
また6年には会所町に住む三石の漁場持の
小林重吉
が同じく辻造船所に発注し、虎久丸(74トン)を建造した(,
小林重吉
は民間人として始めて函館における西洋帆船の所有者としては先駆け的な存在であった。
函館市史 通説編 第一巻
(物価高と庶民への影響)
それがため昆布産地の請負人や市中商人などは一時的な好況によって利益を得、杉浦嘉七、
小林重吉
、佐野孫右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(北海道運輸会社設立の動き)
最初の事件報道があった8月10日、杉浦嘉七、佐野専左衛門、田中正右衛門、
小林重吉
、藤野喜兵衛、常野正義,2-56 北海道運輸会社発起人 氏名 記号 氏名 記号 氏名 記号 杉滞嘉七 田中正右衛門
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
それによれば函館で最初に西洋形帆船を所有したのは
小林重吉
であった。,37 83 18 49 54 95 32 28 57
小林重吉
,石川喜八 仲栄助 奥村忠兵衛 佐野平右衛門 長岡喜八 木村幸太郎 飯田治作 中西友吉
小林重吉
,沓掛民吾 能登善吉 山田竹次郎 相原寅之助 本間吉蔵 仲栄助 永野弥兵衛 相馬哲平
小林重吉
,まず函館本籍の船主をみると
小林重吉
、藤野喜兵衛、杉浦嘉七は旧場所請負人で、明治期にも引き続き漁業経営者
函館市史 通説編 第二巻
(東京商船学校函館分校)
函館商船学校は22年10月再び火災にあい焼失、一時旧弁天砲台を仮校としたが、再び
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(乗組員の養成)
開運丸 下船中 栄勢丸 長運丸 田中正右衛門 穀田運蔵 佐野平右衛門 藤田庄七
小林重吉
,これは商船学校世話係の
小林重吉
がスクーナー競争の実施を呼びかけていたものに呼応したのであるが、16年までつづけられた
函館市史 通説編 第二巻
(私立函館商船学校)
特に船主の多い函館では、
小林重吉
を中心に村田駒吉・田中正右衛門ら42名の船主たちが、雇い船員の再教育を,この学校開設の中心となった
小林重吉
は、すでに10年5月から日高の三石で、武田斐三郎の門人で長男の友人ともいわれている
函館市史 通説編 第二巻
(総代人の活動)
区総代人) 元14大区 広田丈吉 噸林又右衛門 佐々木政十郎 安保定兵衛 工藤孫三郎 ○
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(私立諸学校)
富岡町 40 25 50 50 無月謝 1円 無定限 20銭 世話係(
小林重吉
他
函館市史 通説編 第二巻
(県立函館商船学校)
海運界の要望に応じるためには学校の規模拡大や施設の充実しかなく、自分たちの資力では限界であると考えた
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭占拠)
彼は
小林重吉
宅に止宿していたという(南部藩山本寛次郎「探索報告」『復古記』)。
函館市史 通説編 第二巻
(函館仮博物場の新設)
陳列品寄付の勧誘公告に応じて平田兵五郎よりウラジオストック市街の写真、ブラキストンより鳥類標本1300余点、
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(公園造成の具体化)
公園の正面入り口となった辺り約1200坪は所有者の
小林重吉
が寄付を申し出たものであるが、その他の私有地
函館市史 別巻 亀田市編
(荒廃から保護へ)
このような情勢の中で、『
小林重吉
事蹟概略』によれば、上山村枝郷栖原村を開いた栖原半次郎は、文化元年同所
函館市史 通説編 第二巻
(区会開設請願)
会所町人民総代(中村兵右衛門・
小林重吉
)、山ノ上町仝上(広田丈吉・村林又右衛門)、弁天町仝上
函館市史 通説編 第二巻
(区会議員選挙と臨時区会)
広田丈吉 159 小野亀吉 131 佐々木政十郎 97 村林又右衛門 96 和田元右衛門 72 2
小林重吉
,小野亀吉 米谷権右衛門 中村市兵衛 佐久間市五郎 和田元右衛門 村田駒吉 成田嘉七 千葉重吉
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(東京風帆船会社と宮路助三郎)
宮路に歩調を合わせるように函館では高橋七十郎、
小林重吉
が風帆船会社の発起人に加わり、後に杉浦嘉七、田中正右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(発起人会と請願書)
6月時点から比べてさらに賛同者が増加しているが、新たな顔ぶれとして藤野喜兵衛、佐野孫右衛門、
小林重吉
、
函館市史 別巻 亀田市編
(東照宮の建立と焼失・遷座)
又
小林重吉
、佐野専左衛門、山田文右衛門、佐藤半兵衛、福島與吉、蛯子武兵衛、佐藤佐次兵衛、田中正右衛門、
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の廃止と3県設置)
そこで、最初に汽船と倉庫の払下げを出願した36人の内、杉浦嘉七、
小林重吉
、常野正義、藤野喜兵衛、田中正右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(刻昆布製造)
一方で明治10年に印の
小林重吉
が旧漁業請負地の三石郡姨布村の「村端ニ刻昆布ノ製造場ヲ設ケ函館ヨリ数十ノ
函館市史 通説編 第二巻
(商取引の実態と商人の諸相)
5,881 1,2,4 坂井第次郎 720 3,606 1 村田駒吉 4,594 27,760 1,2,3
小林重吉
,2位の佐野孫右衛門、4位の
小林重吉
とも、地場の請負人で、ともに東蝦夷地の場所を請負っている。,
小林重吉
は三石場所の請負人で、漁場持廃止後も三石郡の漁場経営を続けた。
函館市史 通説編 第二巻
(組織と活動)
その後、17年には書籍縦覧所を元町72番地にある旧
小林重吉
別荘へ移転し、事務だけは当分の間、幹事の自宅
函館市史 通説編 第二巻
(刻昆布)
加えて印の製造元
小林重吉
は昆布価格の低落により漁場経営が不振となり、23年には印高橋清作へ東川町の工場
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
※137 50 30 32 19 西村本次郎 砂原松右衛門 佐藤源吉 中村兵右衛門
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(会社組織と株式募集)
園田実徳 杉浦嘉七 村田駒吉 藤野喜兵衛 泉藤兵衛 金沢弥惣兵衛 大橋角太郎 時任為基
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(町区総代人制の導入)
伊藤五左衛門 上汐見 下汐見 南新 上大工 西村本次郎 西村和吉 下大工 元町 会所 ○
小林重吉
函館市史 通説編 第二巻
(第百十三国立銀行の設立)
銀行設立に向けて、中心的役割を担った人々は、泉藤兵衛、村田駒吉、田中正右衛門、
小林重吉
、杉浦嘉七などであった,4月7日に銀行株主一同が町会所に集合し、取締役として投票で泉藤兵衛、村田駒吉、田中正右衛門、
小林重吉
、
函館市史 通説編 第二巻
(市街地位等級調査と等級表)
当初の構成員は14大区地主総代
小林重吉
、中村兵右衛門、鑑定人上田武左衛門、井上喜三郎、15大区地主総代牧田藤五郎
函館市史 通説編 第二巻
(日本昆布会社開業後の昆布取引)
たとえば、三石の
小林重吉
は、三井物産から資金援助を受け、同社に委託販売を行っている(田中修「場所請負制度
函館市史 通説編 第二巻
(清商商社の交替)
明治15、6年ころの新聞記事で昆布生産地の生産者、例として
小林重吉
は昆布を清商へ売却している。
函館市史 通説編 第二巻
(旧制度の改廃と開拓使の流通政策)
石狩以南の鰊千石場所であった旧分領支配地諸郡には、漁場持の設定がなされず、函館と関係の深い旧東蝦夷地では、
小林重吉
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