機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 16件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
函館市史 通説編 第一巻
(十三湊)
そのため安東氏は「関東御免」の交易船を、同じ得宗領である若狭の
小浜
湊との間に運航させ、京都と結んで文物
椴法華村史
(本州との交易)
』によれば、「西滄海漫々而夷船京船群集並艫先調舳湊成市」と記され(夷船=蝦夷地より来航する船、京船=
小浜
函館市史 通説編 第一巻
(宇賀昆布と箱館の繁栄)
そしてこの昆布は、すでに足利時代には若狭の
小浜
で加工され、若狭昆布と名付けられて諸国に販売された。
函館市史 通説編 第一巻
(津軽船の活躍)
関東御免船を駆使し、いわゆる安東水軍の名をもって日本海をまたにかけて活躍し、特に同じ得宗領であった若狭
小浜
函館市史 通説編 第一巻
(近江商人)
、彼らの交易方法に大きく左右され、一部には北海道~大坂・下関交易の発展もあったが、全体としては敦賀・
小浜
中心
恵山町史
([昆布の道])
、一族の地、津軽の十三湊・秋田の土崎湊を経由、能登の珠洲に寄港、珠洲岬をかわし、越前は若狭湾の敦賀・
小浜
南茅部町史 上巻
(松前昆布)
宇賀昆布として知られたこの地方の昆布は、松前地の名産として松前昆布と呼ばれ、若狭の
小浜
へ積み送られていた,
小浜
の市人是を制して若狭昆布と号す。若狭より京師に伝送して京師亦是を制(製)して京昆布と号す。
恵山町史
([松前藩時代の下海岸のみち])
の台本「昆布売り」を書いており、昆布が一般に食されていたこと、その流通が蝦夷地から日本海を経て若狭・
小浜
椴法華村史
(北前船の航行)
一六七二年西廻り航路が本格的に開かれる以前より敦賀・
小浜
方面から主として、昆布をはじめとする海産物を求
函館市史 銭亀沢編
([調査協力者])
瞳(S52年) 小酒 勝広(S13年) 小酒 義光(S21年) 小鹿ヤスイ(M43年)
小浜
慶次郎,(T 6年)
小浜
法道(S 4年) 小林 鋭三(S11年) 小林 貫悦(S16年) 小林 弘二
函館市史 通説編 第一巻
(安東盛季の渡来)
最後に、嘉吉3年安倍一族は渡嶋や阿北(あきた)に退いて、故地十三浦を涙をふるって離れた(補陀寺蔵書『
小浜
往来記
恵山町史
([盛況を極める海運業])
椴法華−古部−見日−尾札部 板村商船部 鹿島丸 ・尻岸内−女那川−根田内−椴法華
小浜
丸
戸井町史
(十、〓宇美家(東浜町))
十、〓宇美家(東浜町) 5代宇美第吉 〓宇美家の祖初代第吉(だいきち)は、享保年間若狭国
小浜
恵山町史
(4、江戸時代の昆布漁)
そこへ、若狭の
小浜
(福井県
小浜
(おばま)市)の昆布売りが通りかかる。,りをさせ(昆布売りと観客が)溜飲を下げる、という狂言のテーマから当時の昆布の価値が推察され、また、若狭
小浜
戸井町史
([昆布漁])
他国で若狭昆布と名づけているものは、松前から若狭に運んだ昆布を、若狭の
小浜
で加工して広めたものである。
戸井町史
([戸井の地名考])
〓宇美家の先祖が、享保年間若狭(わかさ)の
小浜
から、このカマウタに移住し、昆布とりをしたと伝えられている
/ 1ページ