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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (十三湊)

そのため安東氏は「関東御免」の交易船を、同じ得宗領である若狭の小浜湊との間に運航させ、京都と結んで文物
椴法華村史 (本州との交易)

』によれば、「西滄海漫々而夷船京船群集並艫先調舳湊成市」と記され(夷船=蝦夷地より来航する船、京船=小浜
函館市史 通説編 第一巻 (宇賀昆布と箱館の繁栄)

そしてこの昆布は、すでに足利時代には若狭の小浜で加工され、若狭昆布と名付けられて諸国に販売された。
函館市史 通説編 第一巻 (津軽船の活躍)

関東御免船を駆使し、いわゆる安東水軍の名をもって日本海をまたにかけて活躍し、特に同じ得宗領であった若狭小浜
函館市史 通説編 第一巻 (近江商人)

、彼らの交易方法に大きく左右され、一部には北海道~大坂・下関交易の発展もあったが、全体としては敦賀・小浜中心
恵山町史 ([昆布の道])

、一族の地、津軽の十三湊・秋田の土崎湊を経由、能登の珠洲に寄港、珠洲岬をかわし、越前は若狭湾の敦賀・小浜
南茅部町史 上巻 (松前昆布)

宇賀昆布として知られたこの地方の昆布は、松前地の名産として松前昆布と呼ばれ、若狭の小浜へ積み送られていた,小浜の市人是を制して若狭昆布と号す。若狭より京師に伝送して京師亦是を制(製)して京昆布と号す。
恵山町史 ([松前藩時代の下海岸のみち])

の台本「昆布売り」を書いており、昆布が一般に食されていたこと、その流通が蝦夷地から日本海を経て若狭・小浜
椴法華村史 (北前船の航行)

一六七二年西廻り航路が本格的に開かれる以前より敦賀・小浜方面から主として、昆布をはじめとする海産物を求
函館市史 銭亀沢編 ([調査協力者])

  瞳(S52年)  小酒 勝広(S13年)  小酒 義光(S21年) 小鹿ヤスイ(M43年)  小浜慶次郎,(T 6年)  小浜 法道(S 4年) 小林 鋭三(S11年)  小林 貫悦(S16年)  小林 弘二
函館市史 通説編 第一巻 (安東盛季の渡来)

最後に、嘉吉3年安倍一族は渡嶋や阿北(あきた)に退いて、故地十三浦を涙をふるって離れた(補陀寺蔵書『小浜往来記
恵山町史 ([盛況を極める海運業])

椴法華−古部−見日−尾札部  板村商船部   鹿島丸   ・尻岸内−女那川−根田内−椴法華   小浜丸
戸井町史 (十、〓宇美家(東浜町))

十、〓宇美家(東浜町) 5代宇美第吉  〓宇美家の祖初代第吉(だいきち)は、享保年間若狭国小浜
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

そこへ、若狭の小浜(福井県小浜(おばま)市)の昆布売りが通りかかる。,りをさせ(昆布売りと観客が)溜飲を下げる、という狂言のテーマから当時の昆布の価値が推察され、また、若狭小浜
戸井町史 ([昆布漁])

他国で若狭昆布と名づけているものは、松前から若狭に運んだ昆布を、若狭の小浜で加工して広めたものである。
戸井町史 ([戸井の地名考])

〓宇美家の先祖が、享保年間若狭(わかさ)の小浜から、このカマウタに移住し、昆布とりをしたと伝えられている
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