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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (貝殻文のない尖底土器)

貝殻文のない尖底土器 椴法華村出土の尖底土器(市立函館博物館蔵)  縄文早期の後半になると貝殻文,でない尖底土器が現われる。,この種の土器は後に詳述する春日町遺跡からも出土しているので、貝殻文尖底土器の時代が続き、そのあとに竹管,の押引文尖底土器が、函館山の麓や対岸の千代台町などで造られるようになった。,縄文尖底土器は胆振、日高などでも出土例があるが、北海道特有なものに静内中野式尖底土器と綱文土器がある。 / 貝殻文のない尖底土器
函館市史 通説編 第一巻 (尖底土器の遺跡)

尖底土器の遺跡 函館空港第6地点遺跡の土器(市立函館博物館蔵)  貝殻文尖底土器の遺跡が北海道,幾何学的な貝殻腹縁文の尖底土器は、北海道で住吉町式土器が代表的な土器形式となっている。,函館では貝殻文尖底土器の発掘は二度とあるまいと思われていただけに、極めて喜はしいことであった。,根崎の貝殻文尖底土器は体部に貝殻腹縁文と条痕文が付いていて住吉町式に似ているが、丸味を持った乳房状のものがない,このくぼ地がどういう性格のものか明らかでないが、そこから出た尖底土器は貝殻による装飾文で、地文に貝殻腹縁 / 尖底土器の遺跡
恵山町史 ((2)縄文尖底土器)

(2)縄文尖底土器 土器  縄文時代前期初頭には、早期後半に全道一円に広がった平底の絡条体圧痕文・組紐圧痕文土器群,同じ頃、噴火湾岸から石狩低地帯には道南に分布した土器と類似した、砲弾形の尖底土器に粗い斜行縄文が施文された,第17図 前期初頭の縄文尖底土器(函館市春日町遺跡) 児玉作左衞門・大場利夫「函館市春日町出土の遺物,について」『北方文化研究報告』9、1954   石器  春日町式に伴う石器は貝殻尖底土器群に伴 / (2)縄文尖底土器
椴法華村史 (椴法華出土の尖底土器)

椴法華出土の尖底土器 土器の大きさは、高さが十三糎、口の径が十三・五糎であるが均斉のとれた美しさと、,これによると浜町砂丘遺跡から椴法華式が出土したことになっているが、記載事項に椴法華式尖底土器は旧今岡連蔵氏所有地 / 椴法華出土の尖底土器
函館市史 通説編 第一巻 (平底土器の出現)

や綱文尖底土器が次に編年されている。,貝殻文尖底土器の遺跡からは極めて少ないが平底土器が伴出する。,虎杖浜の土器は平底土器と尖底土器によって用途が分れていたと考えてよい。,尖底土器は装飾文が少なく、胴部が比較的長いものがある。,小さな平底の底部にもその質の変化は見られるが、尖底土器ほどではない。
椴法華村史 (椴法華式土器の文化)

しかし、これらの遺跡からは押引き文の尖底土器は発見されていないのである。  ,貝殼文様の尖底土器からどのような形で竹管文による椴法華式尖底土器となったか明らかでないが、この尖底土器,土器の一点から推理することは難かしいが、この椴法華式尖底土器は、椴法華でいまのところ最も古い土器で、考古学,能登川隆氏の記録に尖底土器で、体部に縄文と沈線文があって、口縁部が大きく山形の装飾的器形の土器がある。,この土器は市立函館博物館にあるが、貝殼文系尖底土器のあとに、こうした北海道南部特有の文化が発達していたことが
函館市史 通説編 第一巻 (縄文文化の起源)

縄文文化の起源 住吉町遺跡の土器(市立函館博物館蔵)  北海道で最初に注目された尖底土器で、縄文文化,底が不安定な尖底土器で貝殻で文様が付けられている。,1巻5号 昭和7年)で、縄文土器より古い地層から出土した神奈川県横須賀市田戸遺跡の貝殻で文様を付けた尖底土器,それが、昭和25年になって芹沢長介らの横浜市大丸遺跡調査で貝殻文尖底土器より古い撚糸(よりいと)文の尖底土器,北海道では現在のところ貝殻文尖底土器より古い型式の土器は発見されていない。
函館市史 通説編 第一巻 (春日町遺跡)

この遺跡で古い第1群土器は、梁川町遺跡で住吉町式と呼ぶ貝殻文尖底土器の次に編年されている。  ,第1群土器は貝殻腹縁による尖底土器の文様に似た撚糸圧痕文の土器で、器形も貝殻文尖底土器に似ているが、平底,第2群土器は、胎土に植物繊維の混入があって、竹管押引き文で施文した尖底土器と、縄文を施してから竹管押引,き文を付けた尖底土器、縄文の尖底土器のグループである。,底部に縄文がある尖底土器は、単節斜行状縄文と呼ぶ縄の原体を横に回転して施文する斜行縄文と、右撚りと左撚
恵山町史 ((1)貝殻文土器)

尖底土器群に普通に見られる石器には、第9図に示した矢の先につけた石鏃(せきぞく)、槍先として使用された,尖底土器群の遺跡から比較的多く出土し、植物加工に使用されたと推定されている石皿、断面が三角形の磨石、敲石,新しい時期の函館市中野A遺跡では40軒ほどの住居跡が発掘され、ほとんどの住居跡が約8千年前頃の貝殻文尖底土器,また、同市中野B遺跡ではさらに新しい約7千5百年前頃の貝殻文尖底土器から沈線文尖底土器の時期にかけた600,尖底土器は津軽海峡を挟んだ対岸の東北地方の影響を受けたもので、縄文時代の初めから海峡をこえた文化の交流
椴法華村史 (椴法華村最初の土器)

能登川隆氏は、この尖底土器を集めて研究した。,能登川隆氏は、論文を発表しなかったが、この尖底土器に興味をもってオーストラリアの原住民が尖底土器を造っていたことなども,椴法華村の尖底土器が集められたのは、昭和七年ころでないかと思われる。,椴法華村の尖底土器は、"能登川コレクション"として、その収集品と市立函館博物館に寄贈
南茅部町史 上巻 (早期)

この時代は渡島半島を中心として沈線貝殻文を持つ尖底土器のグループが知られており、他の地域においては平底土器,尖底土器のグループは関東以北渡島半島までの全域に広く分布しており、南茅部町でも大船遺跡、臼尻B遺跡、八木遺跡
椴法華村史 (椴法華の先人)

昭和十三年の「日本文化史大系 第一巻」に、"渡島国椴法華発見の尖底土器"と説明のある,この頃、椴法華の尖底土器とならんで北海道で有名なのは、函館の住吉町遺跡から出土した尖底土器であった。
恵山町史 ((2)均一になった土器)

石器は平底土器群とは違った、尖底土器群にみられた組み合わせに近くなる。,土器の形態、文様が均一になっても、尖底土器群で特徴的な石器であった、断面が三角形の磨石は道東・道北では
椴法華村史 (〔浜町砂丘遺跡〕)

椴法華の先史というと椴法華式尖底土器があまりにも有名であった。,この尖底土器が発見された場所として国道二七八号線に近い浜町一七三番地で、現在浜町一七一番地がある。,この昭和五十五年八月の村内の遺跡調査には是非尖底土器の遺跡所在地を確認する必要があったからである。,残念にも椴法華式尖底土器の浜町遺跡は見ることができなくなった。  ,椴法華式尖底土器を中心に考えたとき、浜町遺跡があり、浜町砂丘遺跡とは区分させたのである。  
函館市史 通説編 第一巻 (日本の先土器文化)

縄文式土器の古い型式の土器は底が尖っていて(尖底土器)、東日本では函館の住吉町式土器のように貝殻で文様,関東地方で岩宿の旧石器が研究されていたころ、神奈川県の夏島貝塚や武蔵の大丸遺跡で貝殻文の尖底土器より古,い時期の撚糸(よりいと)文の尖底土器が発見され、縄文文化の起源が再検討されるようになった。  
恵山町史 ([最盛期の縄文時代前・中期])

北海道では、その初めに縄文がつけられた尖底土器が使用されたが、やがて道南は津軽海峡をはさんだ両岸付近に
函館市史 通説編 第一巻 (生活用具)

函館の縄文早期で貝殻文尖底土器が造られた時期の石鏃は、多く三角形石鏃で基部にえぐり込みがある。,住吉町、梁川町遺跡など貝殻文尖底土器の遺跡から多量の石錘が出る。
函館市史 銭亀沢編 (中野B遺跡の集落跡)

これらの中でもっとも多いのは、住吉町式という貝殻文による文様が付けられた尖底土器を使用するグループであり,特に、住吉町式土器に後続する根崎式という貝殻文尖底土器の時期に多いとみられるが、これに続く平底のムシリ
函館市史 通説編 第一巻 (縄文土器の編年)

縄文土器の編年 縄文土器の初期には単純な器形で、あまり装飾的でない尖底土器が作られる。,尖底土器は北海道から東北、関東など東日本から西日本にまで共通し、時代の流行ともいえる。
椴法華村史 (オンコの木沢遺跡)

A 椴法華の土器 A 椴法華式尖底土器 原始美術の代表的な土器である。 
函館市史 銭亀沢編 (中野A・B遺跡の関連性)

この両遺跡から出土した遺物の中で、土器では貝殻文による尖底土器が主体となる点では同様なものといえるが、
函館市史 通説編 第一巻 (家族集団)

縄文時代早期を大きく分けると、貝殻文尖底土器が流行したころと、絡縄体圧痕文の平底土器が普及したころとに
函館市史 通説編 第一巻 (函館考古会の活動)

一括市立函館博物館に寄贈され、能登川コレクションといわれて市の文化財に指定されたが、このうち椴法華式尖底土器
函館市史 通説編 第一巻 (土器の形式と文化)

例えば函館市住吉町遺跡で発見された、北海道最初の尖底土器を住吉町式土器と呼ぶなどがそれである。
戸井町史 ([石器時代の戸井])

春日町の早期尖底(せんてい)土器時代の石器土器が発掘され、その後桔梗石川野、椴法華、七飯町鳴川の高台等で尖底土器,尖底土器の紋様は貝殻文や刻線文であり、大てい扁平隋円(だえん)形の自然石を打ち欠いた石錘が土器に伴出する,いろいろな学者の書いたものを参考にして、戸井の遺跡や石器、土器は何年前かということを述べると   ①早期尖底土器時代,戸井からは尖底土器は出土していない。 ②前期サイベ沢、円筒下層式時代三千年乃至四千年前。
椴法華村史 (〔椴法華村の遺跡分布〕)

この記録はさだかでないが、能登川氏が函館の住吉町遺跡から出土する底の先が尖った尖底土器に関心を持って、,その収集につとめたが、椴法華式尖底土器はこの頃集められたものである。,その椴法華式尖底土器の遺跡の確認を目的に調査したのが、昭和二十六年十一月十三日である。
函館市史 通説編 第一巻 ([目次])

   一 先土器文化 二 縄文文化 三 北海道の縄文文化  第三章 函館の縄文文化   第一節 尖底土器
恵山町史 ((3)恵山町の縄文時代早期の遺跡)

貝殻文尖底土器から縄文が施された平底土器までの遺物が発見され、早期初頭から末葉に恵山町で縄文人が生活していたことは
函館市史 銭亀沢編 (中野A遺跡の集落跡)

次には、早期中頃から後半の時期とみられる物見台式と呼ばれる、貝殻による文様を施した尖底土器をもつ集団があり
恵山町史 ((6)恵山町内の縄文時代前・中期の遺跡)

日の浜砂丘1遺跡からは、前期初頭の縄文尖底土器を伴った2軒の住居跡が発掘されている(久保ほか、1986
函館市史 通説編 第一巻 (円筒土器)

円筒土器 尖底土器や絡縄体圧痕文の平底土器の時代を過ぎると、円筒形で樽形の縄文土器の時代となる。
函館市史 銭亀沢編 (銭亀沢地区の遺跡の立地)

9,000年前 縄文時代 定住生活の始まりと集落の 貝殻文尖底土器。
椴法華村史 (目次)

  第一節 椴法華村の遺跡分布……………………………………………………44   第二節 椴法華村の尖底土器,……………………………………………………50      椴法華村最初の土器/椴法華出土の尖底土器/椴法華式土器
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