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函館市史 通説編 第一巻
(奏檍丸の記録)
奏檍丸の記録
尻沢辺
村とは現在の住吉町のことで、立待岬から通称赤石浜に至る地域である。,蝦夷地調査隊に絵図師として参加した秦檍丸の『蝦夷島奇観』-寛政12(1800)年-に、国後、択捉の土器と並んで
尻沢辺
,寛政10(1798)年ころから明治時代にかけて知られていた先史時代の遺跡は、函館
尻沢辺
、住吉町掘割地、,秦檍丸「蝦夷島奇観」″
尻沢辺
の土器″(図中右端のもの)
函館市史 通説編 第一巻
(地蔵堂)
地蔵堂 前記高竜寺持の地蔵堂のほか、
尻沢辺
(一説に享和2年創立のもの)、山背泊(文化のころから存在した
函館市史 通説編 第一巻
(松浦武四郎の記録)
はつうんよきよう)』1、2集には、出土品の図や寸法、考察が書かれていて、明治11年に刊行された1集の中に、函館の
尻沢辺
村,未全雷斧 石鋸 砥石 三品共に箱館在
尻沢辺
村(シリサワベ)にて掘出る処なり。,明治十年丑の春雷の発声のころ 弘誌 松浦武四郎『撥雲余興』″箱館
尻沢辺
の雷斧・石鋸・砥石″
函館市史 通説編 第二巻
(町と町に準ずるもの)
後に1町となった鰪澗町、文化11(1814)年からの大工町、幕末期に箱館市中の統計に入るようになった
尻沢辺
町,佐藤庄兵衛 大黒町 新五郎 重兵衛 山上町 宇左衛門 村林又右衛門 辻嘉左衛門
尻沢辺
町,大町、内澗町、弁天町、地蔵町、三町、大黒町、山上町、
尻沢辺
町がその8町である。,つまり町政上の町は、大町、内澗町、弁天町、地蔵町、大黒町、山上町、
尻沢辺
町、鰪澗町、仲町、神明町の10,神明横町 駒止町 下大工町 喜楽町 古築島町 龍神町 花谷町 新天神町 鍛冶町
尻沢辺
町
函館市史 通説編 第二巻
(函館の町域)
なお大森浜側の
尻沢辺
町については、古くは
尻沢辺
村と呼ばれ、箱館とは別村と位置付けられてきたが、慶応期の
函館市史 通説編 第一巻
(畜産)
官設有珠・虻田牧場の馬の払い下げを受けて所有する者もあり、嘉永6(1853)年には、箱館に119頭、
尻沢辺
,をもって牛の売渡しを拒み、あるいは鶏をもって牛に代えて供給したが抗し得ず、これを飼育して供給することにし、
尻沢辺
,豚は、外国人の需要に応ずるため、箱館で飼育したが、最初は
尻沢辺
に牧柵と小屋を建てて牛とともに飼育した。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館山の薬師信仰)
更に『寺院明細帳』では、もと
尻沢辺
に鎮座していたものを山に移したとあり、諸説いずれにあるか不明であるが
函館市史 通説編 第一巻
(江戸期の生業(なりわい))
尻沢辺
から大森、湯川、下海岸方面にかけては漁業で、ことに志海苔、石崎方面は昆布で活況をみせ、箱館はその
函館市史 通説編 第一巻
(天保12年の戸口)
また当時32か村の内、今日函館市に属する
尻沢辺
村や亀田村などの各村についても、相応の増加があったものとみられる
南茅部町史 上巻
([明治の村])
箱館町
尻沢辺
町 〆 弐ケ所 亀田村 有川村 戸切地村 三
函館市史 通説編 第二巻
(牢屋から囚獄へ)
10月15日、取りあえずこれまでの牢屋は当分そのままとし、
尻沢辺
道に新しい牢屋を作り、徒刑(罪)場は東川町,これは明治5、6年に
尻沢辺
町、大工町から春日町、相生町等が分離し新町となったことを反映したものであろう
南茅部町史 上巻
(昆布商売の祈祷神楽)
昆布商売の祈祷神楽 亀田八幡宮の書上に、延宝二年(一六七四)、箱館の
尻沢辺
(住吉町)から東蝦夷地野田追
南茅部町史 上巻
(「松前方言考」と昆布の名称)
多く
尻沢辺
より小安迄の間に産し、悉く外国五市の品として長崎に積送る為、一把でも他に売買することが出来なかった
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭付近及び山の手方面)
また市街地の裏側に当る谷地頭、
尻沢辺
等も開かれていった。
函館市史 通説編 第一巻
(畑作)
また焼酎は文久元年
尻沢辺
の御用畑の農民兵吉に命じ、資本金を貸与して製造させたが、成績は思わしくなく、翌
椴法華村史
(昆布役)
(「函館市史」史料編第一巻より) 一、昆布役
尻澤邊
・下湯野川・銭亀澤・石崎・小安
南茅部町史 下巻
(〔老養扶持の給与〕)
鍛治町 佐々木作右衛門母よし 未九二歳 辰年四月より
尻沢辺
町 吉崎富次郎母里ん 未九一歳
椴法華村史
(明治十年)
開拓使はこの時、椴法華から
尻沢辺
(函館住吉町)までの村々に対し、磯船二艘・人夫六人ずつを出し交代で引船,かくて天気海上ともにおだやかな一月三十日椴法華を出発、一月三十一日午前二時無事
尻沢辺
へ到着、直ちに東京行
函館市史 通説編 第一巻
(古記録)
また、今日の函館市の行政区域内に入る上山、鍛冶、上湯川、下湯川、亀田、
尻沢辺
、紫海苔(志海苔)、銭亀沢
恵山町史
(『福島屋文書』「取扱向大意心得帳」万延2年(1861)より (市立函館図書館所蔵))
内訳は、外国人向け食料用三万俵、茂辺地村での焼酎味醂製造用一万俵、亀田村の水車場での澱粉製造に三万俵、
尻沢辺
村
函館市史 通説編 第一巻
(戸口の増加)
五十戸に足らず 二百余人 亀田村 三十余戸 百四十余人 箱館村 四百五十戸に足らず 二千五百余人
尻沢辺
村
南茅部町史 上巻
([幕末・明治のイカ釣り漁])
(木直小学校沿革誌「尾札部村郷土誌」) 明治一二年の北海道漁業図絵には、
尻沢辺
村(函館)と、
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
投票日 7月19日 投票日 7月20日 投票日 7月21日 1組 山ノ上連合 2組 元町~
尻沢辺
町,山背泊 2組 17町 元 会所 上大工 下大工 南新 上汐見 下汐見 青柳 春日 相生
尻沢辺
函館市史 通説編 第二巻
(地券発行と土地の私有化)
(坪あたり)地価一覧 1分 1分~2分 2分 3分 1両 1両2分 第1区 谷地頭町 花谷町
尻沢辺
町,谷地頭町 赤石町 相生町3丁目 花谷町 駒止町 芝居町 神明横町 台町 春日町1~2丁目
尻沢辺
町
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の地場産物)
されるもの ヲリコンブ 昆布を1尺7~8寸から2尺位に元を揃え、鼻先の方を折りたたむ故にこの名があり、多く
尻沢辺
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の政策)
函館市中では造船業をはじめ、陶器、煉瓦製造、製紙業、研ぎ石、硯石(以上は
尻沢辺
もしくは谷地頭)や皮革業
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
人びとが住み、その下の方に牢屋があって、かつてロシア人ゴロウニンもここに入れられたといい、この町から
尻沢辺
,「
尻沢辺
村」 箱館山の東面で、うしろは山、谷地頭寄りである。,「谷地頭」
尻沢辺
から2丁ばかり上の方に谷地があり、そのためこの名がある。
函館市史 通説編 第二巻
(3区の設定)
三町代地 駒止町 山背泊町 台町 代地竪通 浜町 大町上通 会所町 上大工町 下大工町
尻沢辺
町,元町 会所町 相生町 上大工町 青柳町 下大工町 春日町 上汐見町 下汐見町
尻沢辺
町
函館市史 通説編 第一巻
(寛文の蝦夷乱と亀田・箱館)
「しりさっぷ」は
尻沢辺
でいまの住吉町付近に当り、大森浜や湯の川にも漁家があり、志海苔は、さすがに多く和人
椴法華村史
(大政奉還と箱館裁判所)
(函館図書館蔵) 村名帳 箱館町・
尻沢辺
町 〆 貳ヶ所 亀田村・有川村
函館市史 通説編 第二巻
(区会開設請願)
官野宇一郎・大宅民蔵・西村善吉)、山ノ上町仝上(佐々木政十郎・安保定兵衛・工藤孫三郎・中村右三郎)、
尻沢辺
町仝上
函館市史 通説編 第一巻
(北海道の学会)
遺物は住吉神社裏、
尻沢辺
地蔵堂(以上現住吉町)、開発(現在の杉並町)、湯川のほか亀田のサイベ沢、下石川野
函館市史 通説編 第一巻
(箱館六箇場所)
箱館六箇場所 これまで箱館港に入荷する産物は、亀田、箱館、
尻沢辺
、大森浜、志海苔、小安などの近郷の零細出稼人
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
黒光稲荷社 文政6年3月、
尻沢辺
で鰊網を乾していたところ、1匹の黒狐がかかって死んだので、奉行所へ差出
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
神明社の神職沢辺氏はもと
尻沢辺
に住して、沢辺姓を名乗ったというから、両社関係があるらしい。
函館市史 通説編 第二巻
(大火と校舎の焼失)
29.67 21.05 会所 元 下大工 上大工 南新 汐見 相生 青柳 春日
尻沢辺
南茅部町史 下巻
(五升芋)
ほかに一万俵は
尻沢辺
村兵吉に、三万俵は亀田村上山村の水車場で花粉(はな)(澱粉)の製造に、一万俵は各場所
函館市史 通説編 第一巻
(幕吏の文人)
当時の箱館の全景、亀田番所、市街図、風俗、
尻沢辺
出土の土石器など、島之丞が記録した成果は、比類なきものとして
函館市史 通説編 第二巻
(渡島国を7大区とする企画)
上大工町 南新町 下大工町 青柳町 上汐見町 春日町 下汐見町 相生町 元町1、2丁目 谷地頭町
尻沢辺
町, 会所町 南新町 上大工町 青柳町 下大工町 春日町 上汐見町 相生町 下汐見町 谷地頭町
尻沢辺
町
函館市史 通説編 第二巻
(開港による市街の二分化)
さて、開港後の西部地区は安政4(1857)年には大工町や
尻沢辺
、山ノ上町の拝借地の願いが増えており、その
函館市史 通説編 第二巻
(漁業生産の推移)
、臼尻両村海中ニ放育ス○五月厚岸産牡蠣十石ヲ上磯郡茂辺地村ヨリ当別村ニ至ル海中及函館山背泊、赤石町、
尻沢辺
,2 11 12 41 9 2 35 15 61 採捕水産物
尻沢辺
,鮪 昆布 鰯鱒 鱈鯣 若布 明治16年『函館県統計書』より作成 函館区は
尻沢辺
函館市史 通説編 第二巻
(十月二十日)
要請を受けた津軽藩4小隊(隊長木村杢之助)がオーガスト号で箱館港に到着、その日の内に2小隊が谷地頭と
尻沢辺
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
そこで居住地を
尻沢辺
あたりにし、蔵地を海中に新規埋立をすることを提案した。
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
他は代替地の工事で、そのひとつは
尻沢辺
道脇の2万5000坪余を山ノ上町遊廓の立退場所の替地として中川伝蔵代源左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(私塾・寺子屋から私立小学校へ)
茶屋町45 鍛冶町16 花谷町105 下大工町47 会所町93 南新町42 南新町142
尻沢辺
町
椴法華村史
(箱館より木直までの道)
此所東ノ方外海ニ
尻澤邊
ト云小村有リ産物正月ヨリ四月迠フノリ五月ヨリ八月迠昆布水ヨシ 城下大泊川
函館市史 通説編 第二巻
(町区総代人制の導入)
元町 会所 ○ 小林重吉 ○ 中村兵右衛門 中村右三郎 5小区
尻沢辺
南茅部町史 上巻
([松前国中記])
箱館在
尻沢辺
村から小安、戸井、尻岸内、尾札部(松屋崎まで)の村々の産物の第一番目に昆布と記している。
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
蛯子武兵衛 石川茂作 太右衛門 地蔵町 内澗町 大黒町 大町 弁天町 山上町
尻沢辺
町
函館市史 通説編 第二巻
(開拓使の神仏分離観の転換)
129戸 住吉神社
尻沢辺
町 村社 勧請年不詳。安永年中(1772~81)に再営。
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