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南茅部町史 上巻
(尾札部村役場)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
村役場 明治のはじめ
尾
札
部
村用事務所は、飯田屋の住居に棟続きであった旧会所の建物があてられた。,明治二〇年ごろ字
尾
札
部
六五番地(四九九)に
尾
札
部
村戸長役場を建築して移転した。 ,明治三九年四月、二級町村制の施行により
尾
札
部
村役場として継続して使用された。 /
尾
札
部
村役場
南茅部町史 下巻
(尾札部上水道)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
上水道 昭和四六年三月三一日認可を得て、著保内川を水源とする
尾
札
部
上水道の工事に着手、三か年、,、昭和五六年八月三一日(衛施第一一〇号指令)認可を得て、事業費四六、三〇〇千円で施設の改良をおこない
尾
札
部
一円,ならびに川汲の一
部
(川汲川東
部
)に給水をおこなっている。 ,水源施設 著保内川上流字
尾
札
部
三〇五番地 計画給水人口 五、二〇〇人 取水量 ,日/一、二五八立方メートル 一日最大給水量 一、一四四立方メートル
尾
札
部
上水道浄水施設フロー図 /
尾
札
部
上水道
南茅部町史 下巻
(尾札部空襲)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
空襲
尾
札
部
船入澗に停泊中の漁業会所属千鳥丸が被爆、船員の堂前幸作(明治三九生、石川県小木町出身 /
尾
札
部
空襲
南茅部町史 下巻
(尾札部龍巻発生)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
龍巻発生 昭和八年九月二四日正午一〇分ごろ、
尾
札
部
川付近を襲った龍巻は、稀な天災といえる。,
尾
札
部
川河口沖合に発生したこの龍巻は、竹中自動車
部
の車庫を全壊して通過した。 ,竹中重蔵の新聞切抜きによれば、一紙は
尾
札
部
沖合三〇〇間、他紙は六〇〇メートルに発生した龍巻による被害は /
尾
札
部
龍巻発生
南茅部町史 下巻
((2)尾札部学校)
南茅
部
町史 下巻 / (2)
尾
札
部
学校 明治十三年 學校設立伺 學務係 (朱)民第二千七百五十五号,一、位置 渡島國茅
部
郡
尾
札
部
村三拾三番地 一、敷地 六百六拾弐坪 内村共有地 一、校舎, 二拾五坪七分五厘 一、校名
尾
札
部
学校 一、生徒 四拾名 一、教員 壱名 但シ,伺之趣聞届候事 年 月 日 公立小學校設立伺 一 学校位置 渡島國茅
部
郡
尾
札
部
村三拾三番地,ニ係ル寄附金等別冊之通 一 校名
尾
札
部
学校 一 生徒 四拾名 一 教員 壱名 但四十人受持 / (2)
尾
札
部
学校
南茅部町史 下巻
(尾札部村船入澗)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村船入澗
尾
札
部
村船入澗の築設は第二期拓殖計画外として、政府の時局匡救事業施設となり、昭和七、,、〇一六坪 被覆面積 三、五五二坪
尾
札
部
村船入澗,は、昭和七年度より昭和九年度に至る農山漁村振興事業の一
部
として国営を以て築設された。,昭和十二年利用統制上これを
尾
札
部
村に無償貸與しその維持修理は使用料の収入限度内とすることとなった。,同じく地元町村に移管された小漁港は、管内元椴法華、小谷石(知内)、亀泊(鹿
部
)であった。 /
尾
札
部
村船入澗
南茅部町史 下巻
(尾札部村の村有林)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村の村有林 明治三八年、
尾
札
部
村戸長中野嘉平は、
尾
札
部
村基本財産造成の目的を以て、総代人会に諮,予定であったが、この間しばしば村長更迭がかさなり、曲折をみながらその後も植栽をつづけ、大正七年までには
尾
札
部
村 /
尾
札
部
村の村有林
南茅部町史 上巻
(尾札部村戸長着任)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
村戸長着任 明治二八年一二月二〇日付で
尾
札
部
村戸長に発令された戸長・佐藤儀七郎の着任の挨拶文がある,不肖儀七郎ガ今般當
尾
札
部
村戸長拝命シ赴任致シマシタニ付キマシテ、皆様ガ此盛大ナル宴ヲ御開キ被下マシテ、,殊ニ海浜ノ事ハ始メテノ儀テアリ升ニ依テ、先キニ兼任セラレマシタ篠田戸長君及当筆生阿
部
君ハ従前戸長モヲ勤,(新得町 金沢静雄 提供) 格調の高い挨拶をする佐藤戸長と、新戸長を緊張して迎える
尾
札
部
村の /
尾
札
部
村戸長着任
南茅部町史 上巻
(尾札部村役場移転改築)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
村役場移転改築 大正一一年春、入江節雄
尾
札
部
村長は、村役場の位置変更を村会に提出。,村会の議決を得て、この年の秋、字
尾
札
部
五〇番地、現五七三番地に木造二階建の庁舎と村長公宅を新築して役場庁舎,新庁舎の規模は、間口五間、奥行庁舎
部
分、公宅
部
分含め一一間。,のち昭和一〇年ごろ、庁舎公宅それぞれ増改築をおこない、庁舎
部
分六一坪公宅二七坪の計八八坪を有した。,大正一一年移転新築当時の
尾
札
部
役場庁舎 平面図 昭和一〇年増改築
尾
札
部
村役場平面図 /
尾
札
部
村役場移転改築
南茅部町史 上巻
(尾札部村冷蔵庫を設置)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
村冷蔵庫を設置 (函館日日新聞/昭和12・5) 茅
部
郡
尾
札
部
村漁業組合は、事業振興を期するため,昭和一三年 漁業協同組合現況 無限責任 臼尻漁業協同組合 茅
部
郡臼尻村大字臼尻村, 工 藤 石太郎 同 同 金 澤 徳三郎 無限責任
尾
札
部
漁業協同組合, 茅
部
郡
尾
札
部
村字
尾
札
部
電話
尾
札
部
四 地区 茅
部
郡
尾
札
部
村 設立 明治三九・一二・一一 ,準備金又ハ基金 一、二六五圓 其他積立金 一、八七一圓 組合員ノ生産總額 七二八、三四六圓 組合長 茅
部
郡
尾
札
部
村 /
尾
札
部
村冷蔵庫を設置
南茅部町史 上巻
(尾札部漁協の養殖専業化)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
漁協以外には、町内にもこの制はとられなかった。 ,
尾
札
部
・川汲・安浦漁協の養殖コンブの種苗が斃死する被害をうけた。 ,
尾
札
部
漁協、ホタテ稚貝養殖、一漁家五〇万個を限度とする。 ,昭和六〇年、
尾
札
部
漁協、コンブ増産試験事業として立繩式二〇〇個を投入。 ,
尾
札
部
川にサケ稚魚、一〇万
尾
放流。 木直漁協は、ポン木直川にサケ稚魚、一二万
尾
。 /
尾
札
部
漁協の養殖専業化
南茅部町史 上巻
([尾札部村 杉谷村政])
南茅
部
町史 上巻 / [
尾
札
部
村 杉谷村政] 昭和二二年四月、戦後の混乱と物資欠乏のなかに故郷に迎えられた杉谷梅一は、漁村,の民主化に燃える
尾
札
部
村の公選初代村長に就任し、故郷の発展を心に期して村政に取り組んだ。,この年の秋、臨時国勢調査が実施されたとき、
尾
札
部
村六、九七一人、臼尻村五、五九一人であった。,六・三制と呼ばれて誕生した新制中学(磨光中・木直中・古
部
中)の新設は、杉谷村政一期目の大事業であった。 / [
尾
札
部
村 杉谷村政]
南茅部町史 下巻
(尾札部村の記録)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村の記録 ・民心安定 噴火直後の六月二四日、
尾
札
部
村長から区長、漁業組合長、消防組頭、衛生組合長 /
尾
札
部
村の記録
南茅部町史 上巻
([尾札部村漁業組合創立])
南茅
部
町史 上巻 / [
尾
札
部
村漁業組合創立] 明治三五年の漁業法の施行にともない、各規則の整備もなり、
尾
札
部
村は従来の組織, 〃
尾
札
部
村漁業組合創立 〃 小谷石村漁業組合創立
尾
札
部
村漁業組合規則,理事役員は、従来どおり古
部
・木直・
尾
札
部
・川汲より各一名を選任し、組合長は理事の互選としている。,代表となり、総代として
尾
札
部
村漁業組合の会議に出席した。,その指導性をかわれ教員を退職して漁業組合の書記となり、古
部
より
尾
札
部
に転居し、明治三九年の
尾
札
部
漁業組合 / [
尾
札
部
村漁業組合創立]
南茅部町史 下巻
(尾札部養蚕実行組合)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
養蚕実行組合
尾
札
部
養蚕実行組合 組合 組合員 飼育戸数 掃立数量 収繭量 生産額 昭和七年要覧 /
尾
札
部
養蚕実行組合
南茅部町史 下巻
(尾札部村忠魂碑)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村忠魂碑
尾
札
部
忠魂碑は、大正七年に
尾
札
部
稲荷神社境内の東側奥深くに建立され、その地に現在も祀,
尾
札
部
村忠魂碑 大正7年 渡島管内忠魂碑調 市町村名 建立年月日 揮毫者 建立地,
尾
札
部
大正七・二・ 陸軍大将男爵 福島 安正
尾
札
部
稲荷神社 (現 在 地) ,;
尾
札
部
分会・後援会 , 八雲分会 揮毫
札
幌高等裁判所長 /
尾
札
部
村忠魂碑
南茅部町史 上巻
(尾札部学校生徒「昆布献上」)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
学校生徒「昆布献上」 明治一四年、明治天皇の北海道行幸を迎え、前年創立したばかりの
尾
札
部
学校生徒,は、
尾
札
部
元揃昆布を謹製して献上した。 ,
尾
札
部
学校生徒採取ノ昆布 花折 一把 (長一丈二尺・一丈三尺ノ二枚)、行在所ニ献上シ 天覧ニ供,そして、近在からの献上の品目記録の中に、「昆布ヲ上(タテマツ)リタル
尾
札
部
生徒へ、一金三円御下賜アリ」 /
尾
札
部
学校生徒「昆布献上」
南茅部町史 上巻
(尾札部漁業組合役員)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
漁業組合役員 明治三八年一〇月二七日申請 明治三九年一二月一一日認可 字
尾
札
部
六五番地 /
尾
札
部
漁業組合役員
南茅部町史 上巻
([旧尾札部村地区の字名改正])
南茅
部
町史 上巻 / [旧
尾
札
部
村地区の字名改正] 1
尾
札
部
村の字名 明治一一年地券創設より昭和五一年二月一日字名地番改正,まで使われた旧
尾
札
部
村の地区字名は、総数五六字・総筆数六、五五九筆である。,
尾
札
部
一、四六七筆 八木沢 一四一筆 著保内野 一三八筆 見日沢 一二〇,筆 後 駒 一一三筆
尾
札
部
沢 一一三筆 見 日 一〇三筆 一本木野 九四筆,見日野 五九筆 (
尾
札
部
地区) 著保内沢 四九筆 稲荷浜 四五筆 / [旧
尾
札
部
村地区の字名改正]
南茅部町史 下巻
(尾札部村消防 歴代組頭・団長)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村消防 歴代組頭・団長 明治28・ 2・ 8 消防組創設 初代組頭 吉川与三郎, 民谷元吉 28・ 6・29から34・ 4・30まで 消防団長 大川源之助 北海道庁警察
部
から,
尾
札
部
村消防組組頭吉川与三郎に対する「組頭ヲ免ス」の辞令が二枚ある。 /
尾
札
部
村消防 歴代組頭・団長
南茅部町史 上巻
(尾札部 西谷福太郎(明治一九生)談)
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
西谷福太郎(明治一九生)談 一三歳のとき〓内藤の鰊網に雇われて、野田追の東、物岱(ものたい),(落
部
)の場所にいった。 ,〓内藤では落
部
の東、茂無
部
でも鰊網をたてた。 四月から五月の月まで行ってくる。,
尾
札
部
の〓秋本も、〓秋本でも追鰊をやっていたという。 /
尾
札
部
西谷福太郎(明治一九生)談
南茅部町史 上巻
(無限責任尾札部漁業協同組合)
南茅
部
町史 上巻 / 無限責任
尾
札
部
漁業協同組合 昭和一〇年七月一日認可 昭和一〇年八月五日登記 組合員七七五名 ,字
尾
札
部
六五番地 昭和一九年四月一日漁業会に改組 組合長理事 田 中 翁 正(昭和,・21~昭和16・4・21) 沢 中 喜 六(昭和14・9・23~昭和15・9・22) 田名
部
/ 無限責任
尾
札
部
漁業協同組合
南茅部町史 上巻
(旧尾札部村地区の字名改正の問題点)
南茅
部
町史 上巻 / 旧
尾
札
部
村地区の字名改正の問題点 旧
尾
札
部
村地区の字名地番改正は、臼尻村の改正とくらべて、時代も新しく / 旧
尾
札
部
村地区の字名改正の問題点
南茅部町史 下巻
(尾札部村役場駒ヶ岳爆発災害日誌)
南茅
部
町史 下巻 /
尾
札
部
村役場駒ヶ岳爆発災害日誌 六月十七日 温度 七五、天候 曇、風向 北西 午前九時、駒ヶ岳爆發,
部
内被害状況調査の為飯田書記は
尾
札
部
東
部
へ、近藤書記は西
部
へ出張せり。,各
部
落避難者調
尾
札
部
男 一〇 女 一七 川汲 男 三三 女 三六 木直 男 三 ,七月四日 温度 七五、天候 晴、風向 南 長谷
部
村長、被害復舊工事中の川汲山道視察のため出張
尾
札
部
部
落,、
尾
札
部
消防組現場へ急行せり。 /
尾
札
部
村役場駒ヶ岳爆発災害日誌
椴法華村史
(椴法華・尾札部の道)
椴法華・
尾
札
部
の道 椴法華・
尾
札
部
間には、後幕領時代に開かれたと推定される人間のやっと通行出来る道が,このため明治十一年十一月から
尾
札
部
・椴法華間が修理されることになったのであるが、この工事について明治十一年十二月十四日付,渡島国茅
部
郡
尾
札
部
支木直より同古
部
を経て椴法華村に出る海岸三里ほどの路は山岳海岸にそびえて僅かに山下に,ク
尾
札
部
ヨリ臼尻村ニ至ル二里餘海汀ニ〓フ。,明治13年椴法華・
尾
札
部
間改修工事完成図 / 椴法華・
尾
札
部
の道
椴法華村史
(鱈釣船尾札部沖の遭難)
鱈釣船
尾
札
部
沖の遭難 明治二十九年十一月三日午後九時頃、
尾
札
部
沖へ出漁した鱈釣磯船二隻、各三名乗組、 / 鱈釣船
尾
札
部
沖の遭難
椴法華村史
(椴法華・尾札部間道路の開削)
椴法華・
尾
札
部
間道路の開削 ・戦前の開削運動 椴法華村と
尾
札
部
村字木直間の海岸線道路の開削は明治以来地域住民,曩ニ茅
部
郡
尾
札
部
村字見日ヨリ字木直ヲ經テ古
部
迄ノ海岸路線ハ實測モ終了セラレ既ニ昨年迠ニ於テ、ポン木直迠,カレ文化ノ恩恵ニ比較的浴セサル古
部
部
落五百ノ住民ノ福利ヲ増進シ一方
尾
札
部
村木直ヨリ古
部
ヘノ海岸線ト将来,一般旅行者は例年に踏み迷う犠牲者を見ているので椴法華村より
尾
札
部
村、
尾
札
部
村より椴法華村に至るには隣接村,2郵便 郵便物に於て特に甚しく
尾
札
部
村字古
部
部
落は
尾
札
部
村に所属するも当村よりの交通が若干容易 / 椴法華・
尾
札
部
間道路の開削
南茅部町史 上巻
(部長)
南茅
部
町史 上巻 /
部
長 明治三九年四月、臼尻村、
尾
札
部
村の各村会とは別に、それ以前の各
部
落の総代に相当する地域代表として,
部
長当選通知書 鹿
部
岡崎進 所蔵
部
長制度は二級町村のころに設けられ、「町村長ノ命ヲ承ケ
部
内,臼尻村沿革誌によれば「明治四〇年四月、大字熊泊鉱山ノ戸数増加ニ随ヒ
部
ヲ設ケ第四
部
ト定メ(略)
部
長渡辺増太郎,
尾
札
部
村は古
部
・木直・
尾
札
部
・川汲の地区を四
部
落(しぶらく)といった。,戸長役場時代の
尾
札
部
村役場(写真は大正7年頃)(北海道所蔵函館支庁町村誌より)
尾
札
部
村役場 /
部
長
南茅部町史 下巻
(〔棟札〕)
南茅
部
町史 下巻 / 〔棟
札
〕 各神社に保存されている古い棟
札
は、神社の由来を知るうえで貴重な文化財である。,保存されている神社の棟
札
のうち最も古いものは、木直稲荷神社文化六年の棟
札
である。 ,同年、
尾
札
部
稲荷神社は城州紀伊郡より「安鎮之證書」を授与されている。 / 〔棟
札
〕
南茅部町史 上巻
(南茅部村設置)
南茅
部
町史 上巻 / 南茅
部
村設置 臼尻村・
尾
札
部
村は、新しい村南茅
部
村設置のための手続きを経て、村長・村議会議員の選挙を,昭和三四年五月、南茅
部
村の初代村長に鈴木慶一(旧臼尻村長)が就任した。 ,役場は、知事裁定に沿い本庁(旧
尾
札
部
村役場庁舎)と分庁(旧臼尻村役場庁舎)を置き、課を設けて新しい役場機構,南茅
部
村議会が開かれて、初代議長に藤本種八(明治一七年生)、初代副議長に蛯谷金作(明治三六年生)が選出 / 南茅
部
村設置
南茅部町史 下巻
(〔南茅部電報電話局の沿革〕)
南茅
部
町史 下巻 / 〔南茅
部
電報電話局の沿革〕 ○開局前 明治 8・ 4・ 1
尾
札
部
川汲臼尻郵便局開局 9,21
尾
札
部
郵便局で電信業務開始 40・ 3・31 鹿
部
郵便局で電信業務開始 大正15・11,・21 臼尻鹿
部
郵便局で電話通話事務開始 昭和 5・ 2・ 6
尾
札
部
郵便局で電話通話事務開始, 7・ 9・ 1 鹿
部
郵便局電話交換事務開始 7・12・26
尾
札
部
郵便局電話交換事務開始,45・ 2・20 南茅
部
電報電話局
尾
札
部
電話交換局設置(無人局) 47・ 4・10 南茅
部
電報電話局 / 〔南茅
部
電報電話局の沿革〕
南茅部町史 下巻
(第二茅部病院)
南茅
部
町史 下巻 / 第二茅
部
病院といい、位置は字臼尻六八番地に定めた。 ,初代医員には内田義久が命ぜられ、四月一〇日、鹿
部
村・臼尻熊泊村・
尾
札
部
村聯合の設立によって、開院式がおこなわれた,海岸通りの陸路がまだ不便だったので、
尾
札
部
村や鹿
部
村からは、病人があると舟にのせて海路、澗に上陸して病院,明治二六年に至って
尾
札
部
村は、この聯合病院の経営から分離している。,に第二茅
部
病院は廃止された。 / 第二茅
部
病院
南茅部町史 下巻
(南茅部消防団の沿革)
南茅
部
町史 下巻 / 南茅
部
消防団の沿革 昭和34・5・1 町村合併により
尾
札
部
村・臼尻村消防団を廃し、新たに南茅
部
村消防団, 団員三一 第三分団 (
尾
札
部
)分団長 中道久
部
長一 班長四 団員四一 第四分団 (,4・ 1 渡島東
部
消防事務組合渡島東
部
消防署設置(南茅
部
町字
尾
札
部
六五番地)、職員一三名。 ,昭和50・ 3・25 消防庁舎竣工、字
尾
札
部
一九五番地。 ,
尾
札
部
第三分団格納庫 昭和44年 渡島東
部
消防庁舎 / 南茅
部
消防団の沿革
南茅部町史 上巻
(茅部鰊(かやべにしん))
南茅
部
町史 上巻 /
尾
札
部
、臼尻沿岸は明治一〇年ごろより以後に鰊網を操業した、と飯田与五左衛門の記録にある。 ,又 鹿
部
村ヨリ
尾
札
部
村ニ至ル 各村ハ明治十年ヨリ建網ヲ用ヒテ大ニ収獲アリ。 ,茅
部
郡一円鯡大漁 (函館新聞 第二一六号 明治11・5・12 日曜) 茅
部
郡臼尻
尾
札
部
辺ハ(は,明治一二年の函館新聞には
尾
札
部
村鯡豊漁千石漁獲 茅
部
郡木直
尾
札
部
川汲等の各村にて,冬ニシン漁開発 (函館新聞 第四八七号 明治14・4・14 木曜) 茅
部
郡
尾
札
部
村近海は、是迄夏鯡 / 茅
部
鰊(かやべにしん)
南茅部町史 上巻
(宮部教授「まこんぶ調査」)
南茅
部
町史 上巻 / 宮
部
教授「まこんぶ調査」
札
幌農学校教授宮
部
金吾は、明治二六年七月五日、道庁から海藻種類鑑定を嘱託された,宮
部
教授は昆布の生産地を実地調査のため翌二七年七月九日に
札
幌を出発し、函館・福山(松前)・椴法華を経て,
尾
札
部
に来村した。,このときの
尾
札
部
の宿所は〓秋本家であった。 ,釧路・昆布森・厚岸・霧多布・根室・標津・薫別・植別・網走・稚内・礼文島香深・利尻島・増毛という長途で、
札
幌 / 宮
部
教授「まこんぶ調査」
南茅部町史 上巻
([南茅部町議会])
南茅
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町史 上巻 / [南茅
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町議会] 昭和三四年四月、臼尻村・
尾
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村の合併に伴い新しい村の村議会議員の選挙が執行され、,南茅
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村議会が開設された。 / [南茅
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町議会]
南茅部町史 下巻
(南茅部音頭)
南茅
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町史 下巻 / 南茅
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音頭 昭和三四年に町村合併がなり、九月には町制が施行された。 ,
尾
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中学校教諭平沼吉太郎の作詞が選ばれ、曲は函館の音楽家、菅原憲明に依頼してできたのが南茅
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音頭である,南茅
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音頭 平沼吉太郎・作詞 菅原憲明・作曲 一、ハアー とろり朝なぎかもめが, 沖のだいぼうは うろこ波ソレ 「ほんによいとこ ほんによいとこ 南茅
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は / 南茅
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音頭
南茅部町史 上巻
([茅部・山越水産組合])
南茅
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町史 上巻 / はじめての漁業法に基づく水産組合規則により、茅
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・山越二郡をもって明治三五年七月、茅
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山越水産組合が創立,これまで臼尻は、
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村界精進川より熊泊村界大船川までを同一海区として永年昆布採収ほか漁業権を同一にしてきていた,ここに茅
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山越の二郡は、第一区古
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より始まり、板木を加えて長万
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まで二〇区をもって水産組合として新しい, 第三区
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一八二 飯 田 清次郎 第四区 川 汲 九九 斎 , 一五四 平 田 定 吉 第十区 掛 澗 五三 島 田 勇 助 第十一区
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/ [茅
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・山越水産組合]
南茅部町史 下巻
(古部トンネル)
南茅
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町史 下巻 / 古
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トンネル 昭和二七年より準地方費道の椴法華・森港線のうち、未開通の木直・古
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間の開削工事が着手された,開村以来の悲願である木直・古
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間の道路は、大梶トンネル・立岩トンネル・獅子鼻トンネル・古
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トンネルを貫通,して、待望の古
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との開通は昭和三〇年一二月一九日であった。 ,
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村、とくに古
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の人たちの喜びは一入で、感激のうちにこの開通を祝った。 ,「開通祝賀の歌」は小西弥一(古
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漁協職員・古
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出身)が作詞、古
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小学校長三浦耕作が作曲して、その喜びを / 古
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トンネル
南茅部町史 下巻
((6)木直学校古部分校)
南茅
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町史 下巻 / (6)木直学校古
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分校 明治十五年 学校設立伺留 学務係 ,(北海道所蔵) 学第三十七号伺済 公立小学分校設立伺 一 分校位置 渡島国茅
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郡
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村支古
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五番地,一 敷地坪数 弐百弐十弐坪
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村支古
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共有地 一 平家坪数 七坪半 ,右現今新築ノ麁繪図及其費用ニ係ル村内集金寄附金等別冊ノ通 一 校名 木直学校古
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分校,
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村支古
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伍長 明治十四年十二月〇四日 山川 善吉 / (6)木直学校古
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分校
南茅部町史 下巻
(南茅部八景)
南茅
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町史 下巻 / 南茅
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八景 奇岩聳える変化に富む古
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・木直海岸から穏やかな渚の続く
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・臼尻への海岸や溪谷など試みに,南茅
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八景 大滝落雁(おおたきらくがん) 古
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古
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大滝の落雁。,赤壁(せきへき)に天より落ちて蒼海に飛沫 する大瀑布、古
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の,黒鷲夕照(くろわしゆうしょう)
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黒鷲八木浜の夕照。 / 南茅
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八景
南茅部町史 下巻
(棟札等にみる郷土神社編年一覧)
南茅
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町史 下巻 / この年、熊泊稲荷神社・
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稲荷神社村社に列せ られる 13・ 9・16 ,神明造安政二(一八五五)再建 本殿二間×二間、拝殿三間×四間
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稲荷神社拝殿建立, 15・ 5・
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稲荷神社社務所改築 3・吉良日 木直稲荷神社白狐二軀 社掌安田吉三郎, 9・24 大雨災害のため大船稲荷神社土砂崩れで社殿破損、直ちに修復(昭和49)
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稲荷神社,鳥居、石灯籠移設 52・ 三百年記念事業(町史編集)室長荒木恵吾、宮司安田吉春と同道、
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稲荷神社 / 棟
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等にみる郷土神社編年一覧
南茅部町史 上巻
(明治初期の茅部山越の財政)
南茅
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町史 上巻 / 明治初期の茅
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山越の財政 明治一八年当時、茅
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・山越郡長をつとめた桜庭為四郎の文書(北海道立図書館所蔵,トアルヲ単ニ 諸興行税 ○古着売買営業免許鑑
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手数料 ○鹿猟税 旅人宿営業免許鑑
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手数料,○同鑑
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料 廻船宿営業免許鑑
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手数料 人寄定席税 伐木山出鑑
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料 ,同書換手数料 ○桑樹摘葉鑑
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料 ○雇人受宿同上 伐木免許鑑
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料, 十七年度予算 明治二四年村費決算 昭和廿五年郡統計概表 収 入
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村 / 明治初期の茅
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山越の財政
南茅部町史 下巻
(古部・滝ノ沢トンネル)
南茅
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町史 下巻 / 古
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・滝ノ沢トンネル 昭和三六年、道々
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・戸井・函館線、古
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・椴法華間の大開削工事が着手し、赤壁,昭和四一年一〇月一四日、古
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・椴法華間道路開通式が現地で挙行された。,昭和四一年一一月、函館バスは南茅
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・下海岸環状線の運行が開始された。 , (昭和四三・五・六改正) 函館-鹿
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-川汲-古
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(以下海岸へ,(表)鹿
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駅前-鹿
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(温泉街) (注)△印は鹿
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で臼尻川汲古
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方面へ接続します。 / 古
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・滝ノ沢トンネル
南茅部町史 下巻
(郷土神社棟札編年一覧)
南茅
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町史 下巻 / 郷土神社棟
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編年一覧 郷土神社棟
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編年一覧 文化六己巳(一八〇九)六月二六日 木直稲荷大明神 本殿,小頭 神主藤山和泉正季房 中村屋佐五兵衛 文化六年八月四日 正一位
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村稲荷大明神,正一位小田浜稲荷大明神 稲荷社安鎮之證書(書付) 小田浜村世話方 市右衛門
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田浜, 太田浜稲荷大明神 木造鳥居一宇 出勤社家 小頭又吉 箱館清水谷殿御武運長久 藤山民
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/ 郷土神社棟
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編年一覧
南茅部町史 下巻
(〔北海道電力株式会社南茅部営業所〕)
南茅
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町史 下巻 / 〔北海道電力株式会社南茅
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営業所〕 北海道電力株式会社南茅
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営業所は、昭和五四年臼尻・
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電業所を,統合して、道々函館・南茅
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線沿い字川汲一五四八番地に新営業所が設置された。 ,南茅
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営業所は敷地三〇〇坪、機械室一〇〇坪の計四〇〇坪で、営業所面積一二一平方メートル(三六坪)である,北海道電力株式会社南茅
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営業所 南茅
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営業所概況 (表)南茅
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営業所概況 資料提供 北電, 南茅
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営業所 / 〔北海道電力株式会社南茅
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営業所〕
南茅部町史 上巻
(函館水産陳列場(第壱館・第弐館)陳列品調)
南茅
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町史 上巻 / 〇年一月 そびょう 壱瓶 臼尻 仝 海馬睾丸 仝
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,仝 海馬胆 仝
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仝 さめの腹子 壱瓶 臼尻 明治一二年一月,仝
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仝 ばかいわし 仝
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仝 さけの子 仝 ,
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仝 まるいわし 仝
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仝 さば 仝
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,弐瓶
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仝 二七年六月 浜中仲吉 鱈のおぼろ 仝
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仝 二八年六月
南茅部町史 上巻
(詮議書)
南茅
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町史 上巻 / 村 役 場 二九 字
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昭和三四、 五、 一 南 茅
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村 ,函館地方法務局臼尻出張所 一 字東 海 明治三二、 四、 一 森地区警察署
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巡査
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長派出所,昭和 八、 四、 一 函館土木現業所
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修築事務所 五 字
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昭和二七,、一〇、 一
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郵 便 局 一七 字
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明治二四、 四,
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中 学 校 一四 字
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昭和二二、 五、 一 公 立
南茅部町史 下巻
(〔鉱山〕)
南茅
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町史 下巻 / 硫黄 一七
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明治43~大正5 渡島鉱業株式会社 (2)古
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鉱山 硫黄 一八
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明治44,尻岸内 昭和28 林 勉外三
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(4)不明 鉄 九七
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昭和28 日鉄鉱業株式会社,(5)不明 鉄 九八
尾
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昭和28 日鉄鉱業株式会社 滝ノ沢鉱山 硫黄・硫化鉄・砒 六七
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, 古
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硫黄鉱山 硫黄・硫化鉄 九三
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昭和28 石井竹次郎 (1)不明 砂鉄 九一
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,三〇
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明治44~大正2 能戸豊吉外二
南茅部町史 下巻
(南茅部電報電話局電話加入者数)
南茅
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町史 下巻 / 南茅
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電報電話局電話加入者数 南茅
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電報電話局電話加入者数 昭和45・2・20開局 木直③,局 交換局設置
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③局 臼尻②局 南茅
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町内 小計 鹿
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⑦局 南茅
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局 総計 3・31,五九九 七六九 一、三六八 (三一二) (一、六八〇) 49・2・27 鹿
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交換局設置,一、四二七 二、四〇〇 一、一六七 三、五六七 木直交換局一三六 12・14設置(古
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九三 / 南茅
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電報電話局電話加入者数
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