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南茅部町史 上巻
(尾札部村役場)
尾札部
村役場 明治のはじめ
尾札部
村用事務所は、飯田屋の住居に棟続きであった旧会所の建物があてられた。,明治二〇年ごろ字
尾札部
六五番地(四九九)に
尾札部
村戸長役場を建築して移転した。 ,明治三九年四月、二級町村制の施行により
尾札部
村役場として継続して使用された。 /
尾札部
村役場
南茅部町史 下巻
(尾札部上水道)
尾札部
上水道 昭和四六年三月三一日認可を得て、著保内川を水源とする
尾札部
上水道の工事に着手、三か年、,、昭和五六年八月三一日(衛施第一一〇号指令)認可を得て、事業費四六、三〇〇千円で施設の改良をおこない
尾札部
一円,水源施設 著保内川上流字
尾札部
三〇五番地 計画給水人口 五、二〇〇人 取水量 ,日/一、二五八立方メートル 一日最大給水量 一、一四四立方メートル
尾札部
上水道浄水施設フロー図 /
尾札部
上水道
南茅部町史 下巻
(尾札部空襲)
尾札部
空襲
尾札部
船入澗に停泊中の漁業会所属千鳥丸が被爆、船員の堂前幸作(明治三九生、石川県小木町出身 /
尾札部
空襲
南茅部町史 下巻
(尾札部龍巻発生)
尾札部
龍巻発生 昭和八年九月二四日正午一〇分ごろ、
尾札部
川付近を襲った龍巻は、稀な天災といえる。,
尾札部
川河口沖合に発生したこの龍巻は、竹中自動車部の車庫を全壊して通過した。 ,竹中重蔵の新聞切抜きによれば、一紙は
尾札部
沖合三〇〇間、他紙は六〇〇メートルに発生した龍巻による被害は /
尾札部
龍巻発生
南茅部町史 下巻
((2)尾札部学校)
(2)
尾札部
学校 明治十三年 學校設立伺 學務係 (朱)民第二千七百五十五号,一、位置 渡島國茅部郡
尾札部
村三拾三番地 一、敷地 六百六拾弐坪 内村共有地 一、校舎, 二拾五坪七分五厘 一、校名
尾札部
学校 一、生徒 四拾名 一、教員 壱名 但シ,一 敷地坪数 六百六拾弐坪
尾札部
村持共有地 一 建家坪数 弐拾五坪七分五厘 右新築ノ畫圖及其費用,ニ係ル寄附金等別冊之通 一 校名
尾札部
学校 一 生徒 四拾名 一 教員 壱名 但四十人受持 / (2)
尾札部
学校
南茅部町史 下巻
(尾札部村船入澗)
尾札部
村船入澗
尾札部
村船入澗の築設は第二期拓殖計画外として、政府の時局匡救事業施設となり、昭和七、,、〇一六坪 被覆面積 三、五五二坪
尾札部
村船入澗,昭和十二年利用統制上これを
尾札部
村に無償貸與しその維持修理は使用料の収入限度内とすることとなった。 /
尾札部
村船入澗
南茅部町史 下巻
(尾札部村の村有林)
尾札部
村の村有林 明治三八年、
尾札部
村戸長中野嘉平は、
尾札部
村基本財産造成の目的を以て、総代人会に諮,予定であったが、この間しばしば村長更迭がかさなり、曲折をみながらその後も植栽をつづけ、大正七年までには
尾札部
村 /
尾札部
村の村有林
南茅部町史 上巻
(尾札部村戸長着任)
尾札部
村戸長着任 明治二八年一二月二〇日付で
尾札部
村戸長に発令された戸長・佐藤儀七郎の着任の挨拶文がある,不肖儀七郎ガ今般當
尾札部
村戸長拝命シ赴任致シマシタニ付キマシテ、皆様ガ此盛大ナル宴ヲ御開キ被下マシテ、,(新得町 金沢静雄 提供) 格調の高い挨拶をする佐藤戸長と、新戸長を緊張して迎える
尾札部
村の /
尾札部
村戸長着任
南茅部町史 上巻
(尾札部村役場移転改築)
尾札部
村役場移転改築 大正一一年春、入江節雄
尾札部
村長は、村役場の位置変更を村会に提出。,村会の議決を得て、この年の秋、字
尾札部
五〇番地、現五七三番地に木造二階建の庁舎と村長公宅を新築して役場庁舎,大正一一年移転新築当時の
尾札部
役場庁舎 平面図 昭和一〇年増改築
尾札部
村役場平面図 /
尾札部
村役場移転改築
椴法華村史
(椴法華・尾札部の道)
椴法華・
尾札部
の道 椴法華・
尾札部
間には、後幕領時代に開かれたと推定される人間のやっと通行出来る道が,このため明治十一年十一月から
尾札部
・椴法華間が修理されることになったのであるが、この工事について明治十一年十二月十四日付,渡島国茅部郡
尾札部
支木直より同古部を経て椴法華村に出る海岸三里ほどの路は山岳海岸にそびえて僅かに山下に,ニ至ル五里弱〓巌崎嶇僅ニ獣蹄ヲ通スルノミ行旅多ク、海路ヲ取ル其海里六里餘、明治十三年修路後陸行亦多ク
尾札部
,明治13年椴法華・
尾札部
間改修工事完成図 / 椴法華・
尾札部
の道
南茅部町史 上巻
(尾札部村冷蔵庫を設置)
尾札部
村冷蔵庫を設置 (函館日日新聞/昭和12・5) 茅部郡
尾札部
村漁業組合は、事業振興を期するため, 工 藤 石太郎 同 同 金 澤 徳三郎 無限責任
尾札部
漁業協同組合, 茅部郡
尾札部
村字
尾札部
電話
尾札部
四 地区 茅部郡
尾札部
村 設立 明治三九・一二・一一 ,基金 一、二六五圓 其他積立金 一、八七一圓 組合員ノ生産總額 七二八、三四六圓 組合長 茅部郡
尾札部
村 /
尾札部
村冷蔵庫を設置
南茅部町史 上巻
(尾札部漁協の養殖専業化)
尾札部
漁協の養殖専業化 養殖施設をもたない、天然コンブを採取している漁家にはこの恩恵はなかった。,
尾札部
漁協以外には、町内にもこの制はとられなかった。 ,
尾札部
・川汲・安浦漁協の養殖コンブの種苗が斃死する被害をうけた。 ,
尾札部
漁協、ホタテ稚貝養殖、一漁家五〇万個を限度とする。 ,昭和六〇年、
尾札部
漁協、コンブ増産試験事業として立繩式二〇〇個を投入。 /
尾札部
漁協の養殖専業化
南茅部町史 上巻
([尾札部村漁業組合創立])
[
尾札部
村漁業組合創立] 明治三五年の漁業法の施行にともない、各規則の整備もなり、
尾札部
村は従来の組織,を改組、新しい漁業組合令に基づいた漁業組合規則を決議して、明治三九年一二月、
尾札部
村漁業組合を創立した,理事役員は、従来どおり古部・木直・
尾札部
・川汲より各一名を選任し、組合長は理事の互選としている。,昆布など海藻採収の海区についても、古部・木直・
尾札部
・川汲のそれぞれを明確にうたっている。 ,その指導性をかわれ教員を退職して漁業組合の書記となり、古部より
尾札部
に転居し、明治三九年の
尾札部
漁業組合 / [
尾札部
村漁業組合創立]
椴法華村史
(鱈釣船尾札部沖の遭難)
鱈釣船
尾札部
沖の遭難 明治二十九年十一月三日午後九時頃、
尾札部
沖へ出漁した鱈釣磯船二隻、各三名乗組、 / 鱈釣船
尾札部
沖の遭難
南茅部町史 上巻
([尾札部村 杉谷村政])
[
尾札部
村 杉谷村政] 昭和二二年四月、戦後の混乱と物資欠乏のなかに故郷に迎えられた杉谷梅一は、漁村,の民主化に燃える
尾札部
村の公選初代村長に就任し、故郷の発展を心に期して村政に取り組んだ。,この年の秋、臨時国勢調査が実施されたとき、
尾札部
村六、九七一人、臼尻村五、五九一人であった。 / [
尾札部
村 杉谷村政]
南茅部町史 下巻
(尾札部村の記録)
尾札部
村の記録 ・民心安定 噴火直後の六月二四日、
尾札部
村長から区長、漁業組合長、消防組頭、衛生組合長 /
尾札部
村の記録
南茅部町史 下巻
(尾札部養蚕実行組合)
尾札部
養蚕実行組合
尾札部
養蚕実行組合 組合 組合員 飼育戸数 掃立数量 収繭量 生産額 昭和七年要覧 /
尾札部
養蚕実行組合
南茅部町史 上巻
(尾札部学校生徒「昆布献上」)
尾札部
学校生徒「昆布献上」 明治一四年、明治天皇の北海道行幸を迎え、前年創立したばかりの
尾札部
学校生徒,は、
尾札部
元揃昆布を謹製して献上した。 ,
尾札部
学校生徒採取ノ昆布 花折 一把 (長一丈二尺・一丈三尺ノ二枚)、行在所ニ献上シ 天覧ニ供,そして、近在からの献上の品目記録の中に、「昆布ヲ上(タテマツ)リタル
尾札部
生徒へ、一金三円御下賜アリ」 /
尾札部
学校生徒「昆布献上」
椴法華村史
(椴法華・尾札部間道路の開削)
椴法華・
尾札部
間道路の開削 ・戦前の開削運動 椴法華村と
尾札部
村字木直間の海岸線道路の開削は明治以来地域住民,このためその後何十年間も
尾札部
・木直間の道路開削は手がけられなかったが、昭和時代に入り、地域開発のため,曩ニ茅部郡
尾札部
村字見日ヨリ字木直ヲ經テ古部迄ノ海岸路線ハ實測モ終了セラレ既ニ昨年迠ニ於テ、ポン木直迠,一般旅行者は例年に踏み迷う犠牲者を見ているので椴法華村より
尾札部
村、
尾札部
村より椴法華村に至るには隣接村,2郵便 郵便物に於て特に甚しく
尾札部
村字古部部落は
尾札部
村に所属するも当村よりの交通が若干容易 / 椴法華・
尾札部
間道路の開削
南茅部町史 下巻
(尾札部村忠魂碑)
尾札部
村忠魂碑
尾札部
忠魂碑は、大正七年に
尾札部
稲荷神社境内の東側奥深くに建立され、その地に現在も祀,
尾札部
村忠魂碑 大正7年 渡島管内忠魂碑調 市町村名 建立年月日 揮毫者 建立地,#160; 南茅部
尾札部
,大正七・二・ 陸軍大将男爵 福島 安正
尾札部
稲荷神社 (現 在 地) ,
尾札部
分会・後援会 /
尾札部
村忠魂碑
南茅部町史 上巻
(尾札部漁業組合役員)
尾札部
漁業組合役員 明治三八年一〇月二七日申請 明治三九年一二月一一日認可 字
尾札部
六五番地 /
尾札部
漁業組合役員
南茅部町史 上巻
([旧尾札部村地区の字名改正])
[旧
尾札部
村地区の字名改正] 1
尾札部
村の字名 明治一一年地券創設より昭和五一年二月一日字名地番改正,まで使われた旧
尾札部
村の地区字名は、総数五六字・総筆数六、五五九筆である。,
尾札部
一、四六七筆 八木沢 一四一筆 著保内野 一三八筆 見日沢 一二〇,筆 後 駒 一一三筆
尾札部
沢 一一三筆 見 日 一〇三筆 一本木野 九四筆,見日野 五九筆 (
尾札部
地区) 著保内沢 四九筆 稲荷浜 四五筆 / [旧
尾札部
村地区の字名改正]
南茅部町史 下巻
(尾札部村消防 歴代組頭・団長)
尾札部
村消防 歴代組頭・団長 明治28・ 2・ 8 消防組創設 初代組頭 吉川与三郎,民谷元吉 28・ 6・29から34・ 4・30まで 消防団長 大川源之助 北海道庁警察部から
尾札部
村消防組組頭吉川与三郎 /
尾札部
村消防 歴代組頭・団長
南茅部町史 上巻
(尾札部 西谷福太郎(明治一九生)談)
尾札部
西谷福太郎(明治一九生)談 一三歳のとき〓内藤の鰊網に雇われて、野田追の東、物岱(ものたい),
尾札部
の〓秋本も、〓秋本でも追鰊をやっていたという。 /
尾札部
西谷福太郎(明治一九生)談
南茅部町史 上巻
(旧尾札部村地区の字名改正の問題点)
旧
尾札部
村地区の字名改正の問題点 旧
尾札部
村地区の字名地番改正は、臼尻村の改正とくらべて、時代も新しく / 旧
尾札部
村地区の字名改正の問題点
南茅部町史 上巻
(無限責任尾札部漁業協同組合)
無限責任
尾札部
漁業協同組合 昭和一〇年七月一日認可 昭和一〇年八月五日登記 組合員七七五名 ,字
尾札部
六五番地 昭和一九年四月一日漁業会に改組 組合長理事 田 中 翁 正(昭和 / 無限責任
尾札部
漁業協同組合
南茅部町史 下巻
(尾札部村役場駒ヶ岳爆発災害日誌)
尾札部
村役場駒ヶ岳爆発災害日誌 六月十七日 温度 七五、天候 曇、風向 北西 午前九時、駒ヶ岳爆發,降灰の石積量平均五寸乃至六寸(川汲六寸、
尾札部
五寸、木直方面六寸)位にして農作物は全滅耕地の復舊當分見込,部内被害状況調査の為飯田書記は
尾札部
東部へ、近藤書記は西部へ出張せり。,☆ ☆ 通信機関漸く復舊開通せるも逓送は
尾札部
、臼尻間のみに限られ、,各部落避難者調
尾札部
男 一〇 女 一七 川汲 男 三三 女 三六 木直 男 三 /
尾札部
村役場駒ヶ岳爆発災害日誌
南茅部町史 上巻
(函館水産陳列場(第壱館・第弐館)陳列品調)
明治一〇年一月 そびょう 壱瓶 臼尻 仝 海馬睾丸 仝
尾札部
, 仝 海馬胆 仝
尾札部
仝 さめの腹子 壱瓶 臼尻 明治一二年一月,仝
尾札部
仝 ばかいわし 仝
尾札部
仝 さけの子 仝 ,
尾札部
仝 まるいわし 仝
尾札部
仝 さば 仝
尾札部
,弐瓶
尾札部
仝 二七年六月 浜中仲吉 鱈のおぼろ 仝
尾札部
仝 二八年六月
南茅部町史 下巻
(〔鉱山〕)
昭和28 赤イ川鉱山 硫黄 一六 椴法華 明治44~大正2 押野常松
尾札部
,大正7 合資会社押野鉱業所 丸山鉱山 硫黄 一九 尻岸内 明治44~大正4 浅野總一郎
尾札部
, (4)不明 鉄 九七
尾札部
昭和28 日鉄鉱業株式会社 (5)不明 鉄 九八
尾札部
昭和28,日鉄鉱業株式会社 滝ノ沢鉱山 硫黄・硫化鉄・砒 六七
尾札部
昭和28 大同石油株式会社 不明 金,硫黄・硫化鉄 九三
尾札部
昭和28 石井竹次郎 (1)不明 砂鉄 九一
尾札部
昭和28 日曹製鋼株式会社
南茅部町史 上巻
(村政のあゆみ)
隣村臼尻村の高校開校により、わが村にも高校をという声となり、森高校
尾札部
分校認可、
尾札部
中学校校舎を仮教室,七月、
尾札部
村教育委員会を設置。 ,昭和三〇年三月、
尾札部
診療所開設。 ,昭和三一年三月二日、
尾札部
村臨時議会で「鹿部村・臼尻村・
尾札部
村合併協議会」を設置。 ,三四年三月、臼尻村・
尾札部
村の合併決まる。
尾札部
村を廃し、南茅部村となる。
南茅部町史 下巻
(〔主な火災略年表〕)
25
尾札部
倉庫全焼。,5・13 泣面山林野火災 27・ 5・27
尾札部
村役場二階建一棟、住宅二棟全焼 28・,1・17
尾札部
46・12・ 8
尾札部
空屋一棟全焼 48・ 4・20 ポン木直火災,10・13
尾札部
住宅一棟全焼。,8・16
尾札部
乾燥場一棟全焼。8・20
尾札部
物置一棟全焼。
南茅部町史 下巻
(〔郷土の警察年表〕)
尾札部
駐在所を字
尾札部
五〇番地に移転改築。,の管轄を鹿部村・臼尻村・
尾札部
村一円とする。 ,27・ 5・27
尾札部
村役場より出火し
尾札部
部長派出所公宅類焼。,字
尾札部
二七六番地に仮設置。 ,56・12・23
尾札部
駐在所同位置に改築、落成(69・4平方メートル)
尾札部
駐在所 昭和56
南茅部町史 上巻
(詮議書)
二 字
尾札部
大正 四、 一、 一 森地区警察署川汲巡査派出所 , 一 字
尾札部
昭和 八、一〇、二六 函館林務署臼 尻 駐在所 一,字東 海 大正 二、 九、一〇 渡島支庁
尾札部
水産物検査員駐在所 二,字
尾札部
昭和二八、一一、 一 渡島支庁臼尻水産物検査員駐在所 三 字東 海,昭和 八、 四、 一 函館土木現業所
尾札部
修築事務所 五 字
尾札部
昭和二七
南茅部町史 下巻
(〔川汲分署設置〕)
明治三〇年ごろから大正五年まで
尾札部
の警察は、
尾札部
稲荷神社の鳥居の東側にあった。,この年、旧
尾札部
小学校跡地であった字
尾札部
五〇番地に
尾札部
駐在所が新築されている。,昭和五〇年、ここに
尾札部
母と子の家が建設される。 ,大正五年の
尾札部
駐在所は、昭和二六年、
尾札部
村役場の火災のとき罹災、全焼してしまった。 , 〃 字
尾札部
尾札部
村一円 昭和一二年、経済警察の制度が創設されて各警察にその係が
南茅部町史 下巻
(消防組)
尾札部
を第一部、川汲を第二部とし、
尾札部
稲荷神社の前に消防番屋を設置。 ,5年
尾札部
村は戸井分署から森警察署の所轄となる。 ,15年 7月10日
尾札部
消防組第一部番屋の改築工事成る。,14年 5月 1日
尾札部
村・臼尻村消防組を各村警防団に改組。,17年 6月10日
尾札部
村第一部に手挽ガソリンポンプ配置。
南茅部町史 上巻
(昆布市場視察)
昆布市場視察 昭和七年六月、
尾札部
漁業組合書記平田清太郎が、昆布の販路状況を視察のため東京から京都、,昆布販路状況視察報告書
尾札部
漁業組合書記 平田清太郎 大阪市 大阪昆布同業組合 組合長,
尾札部
産を主とし第一に三等品を加工する。,神戸市
尾札部
産のものは大阪問屋より少量仕入れているだけ。,後藤昆布問屋
尾札部
産の高価品は需要少なく大衆向けの青森、日高産もの。
南茅部町史 下巻
(明治)
尾札部
は二、四、七、九の日午後三時に 川汲へ出発し、川汲から
尾札部
へは帰便を差し立てる。,
尾札部
局は字
尾札部
九五番地 飯田局長自宅飯田家(エダヤ)に差掛(さしかけ)して局舎に充当、 ,現在の字
尾札部
四〇九番地にある
尾札部
郵便局と、ほぼ同じ位置であったという。,33・ 7・ 1
尾札部
局小包郵便の取扱いを開始。 34・ 9・28
尾札部
局局舎を新築。,
尾札部
郵便局 (明治34年) 11・21
尾札部
局和文電信電報の取扱いを開始。
南茅部町史 上巻
([戸長役場設置])
尾札部
村の戸長役場設置については不詳だが、大正期以来、公にされている公文書には、明治一二年一二月二六日設置,
尾札部
村と同様、郡役所通達や届出記録については未確認である。 ,これを
尾札部
村初代戸長飯田与五左衛門の履歴書によって戸長と、戸長役場の設置をみることにする。 ,(嘉永元年五月 日生) 明治一一年 三月一四日
尾札部
村々用係(開拓使) ,〃 一二年一二月二六日
尾札部
村戸長 〃 一五年 二月 八日
尾札部
村戸長(函館県)
南茅部町史 下巻
(〔郷土の医療(医師)年表〕)
新潟県平民、洋医前野昌甫、川汲に寄留開業 16・ 医師前野昌甫、臼尻村・熊泊村・
尾札部
村四,鹿部・臼尻・熊泊・
尾札部
聯合設立なり。,昭和二年
尾札部
に移る 昭和元 臼尻村医鵜島松蔵。,、
尾札部
村校医となる。, 4・ 1
尾札部
村国民健康保険直営診療所設置。
南茅部町史 下巻
(竹中重蔵)
のち、
尾札部
中央に店舗を移す。 ,、七月、
尾札部
村学務委員 9月
尾札部
村第二部長(支庁長) 41年10,、同月
尾札部
村自警団副団長 7月
尾札部
村役場庁舎建築工事臨時委員 , 国勢調査員 9月 川汲山道開通奉告祭執行 15年 3月
尾札部
村道路保護組合
尾札部
支部長,見日新道路竣工、10月見日路線延長 7年 4月 後駒支店
尾札部
川上流
尾札部
沢
南茅部町史 上巻
(飯田町長略歴)
飯田町長略歴 四代町長飯田満は、昭和一一年八月二六日、字
尾札部
に生まれる。 ,磨光小学校、
尾札部
中学校、昭和三一年三月、
尾札部
漁業高等学校卒業。同三二年、
尾札部
役場に勤務。
南茅部町史 下巻
(長浦(おさうら)八景)
長浦(おさうら)八景 「
尾札部
村勢要覧」昭和九年版に編者の小林露竹は、郷土の景勝を次のように記した。, 八木落雁
尾札部
八木河附近 露庵秋月 川汲月見(つきみ)ケ丘露竹庵 龍寺晩鐘, 山中夜雨 川汲山中温泉鶴泉荘 蘭山暮雪 室蘭燈台山之遠望 古い文書に長濱(
尾札部
,
尾札部
の地域の眺望を組み合わせて、露竹は八景を提唱し長浦を冠称したものと思われる。 ,露竹が最初に編集した昭和五年版の「
尾札部
村勢要覧」の末尾に、内浦沿岸自動車案内の項を記している。
南茅部町史 下巻
(〔叙勲・褒章〕)
尾札部
昭和43年春の叙勲 勲五等瑞宝章 大川源之助 明治34・4・20生 自治消防功労
尾札部
村消防団長, 南茅部町消防団長
尾札部
昭和44年春の叙勲 60年4月追位 勲五等瑞宝章 従六位 遠山清治,明治27・2・10生 更生功労 保護司三六年間 調定員一三年間
尾札部
昭和44年春の叙勲,
尾札部
村消防団 南茅部町消防団副団長
尾札部
昭和48・9・29 従六位勲五等瑞宝章 汐谷勝雄,明治43・5・10生 自治功労・水産功労
尾札部
村議会 南茅部町議会議員二六年六月
南茅部町史 下巻
(〔戦没者〕)
尾札部
の飯田勝雄家に、当時の故飯田末太郎に捧げた一二の弔辞が保存されている。 ,弔辞奏呈者 一
尾札部
村戸長代理筆生 加納武久 二
尾札部
報公会副会長 ,内藤二太郎 四
尾札部
村消防組 組頭 吉川與三郎 五
尾札部
村惣代人 ,内藤二太郎 三
尾札部
村巡査駐在所詰巡査 高橋寅次郎 七 木直尋常小学校訓導 ,増田善次郎 八
尾札部
村 藤本種八 九 川汲村代表者
南茅部町史 上巻
(昭和の献上昆布)
北海道庁から
尾札部
昆布を御料品として差出すように内命をうけた
尾札部
村では、村長はじめ村会、漁業協同組合,
尾札部
漁業協同組合は、御料品の謹製責任者として竹原長太郎に委嘱して官民挙げて協力した。 ,昆布の採取は
尾札部
木直昆布海区の境界で、
尾札部
村の村場所として知られている日陰浜沖に選定した。 ,謹製採取の日は七月五日と定め、この日午前七時、
尾札部
村役場上席書記上村浩太郎、
尾札部
中央青年団長山中熊一,同年一〇月、北海道長官より
尾札部
漁業協同組合に感謝状が贈られる。
南茅部町史 下巻
(馬籍簿)
馬籍簿 次の
尾札部
村役場馬籍簿は、戦後の馬籍の記録とおもわれる。,(表)
尾札部
村役場馬籍簿(1) (表)
尾札部
村役場馬籍簿(2)
南茅部町史 下巻
(音頭と小唄)
尾札部
音頭は、
尾札部
役場職員だった加我健一(大正一二生)の作詞した「
尾札部
よいとこ渡島の東よ」の歌詞に,
尾札部
小唄は関口直蔵が作詞、青い鳥ハーモニカバンド主宰の上山勇が作曲し、演奏した。,「青い鳥」と「
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小唄」の楽譜は掲載できなかった。,「
尾札部
小唄」は今も郷土の人々に愛唱されている。 ,
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音頭 作詞 加我健一 作曲 佐々木章 一
尾札部
よいとこ 渡島の東よ 恵山望めば
椴法華村史
(椴法華と近村の海運)
しかし
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との交通路は未だ海路のみしかなかった。 ,安政四年(一八五七)三月箱館奉行村垣淡路守は蝦夷地巡察の途中、
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・椴法華間を通過したが、この時もまた,安政四年 公務日記 三月廿日 快晴 一、今朝五時二分廻
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出船三里四時二分前椴法花江着船同所,ニて昼休夫よりエサン山イワウ見分打越ニリ八時前根田内村江着泊五リ
尾札部
より船ニてカキ送リ。, 持荷一艘同三朱 古部より
尾札部
迠 磯船一艘同二朱
南茅部町史 下巻
(〔製造所払下げ〕)
〔製造所払下げ〕 明治一四年、臼尻村・
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村の村民が製造所の払下げを請願したが、開拓使は品質の低下,臼尻村・
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村の鱈肝油製造所は、開設発足の年から数年間、鱈漁の不振がつづき、原料が不足のため国内の大,明治一三年、岡村製薬所は椴法華村と
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村で、独自に鱈の肝油製造事業をはじめたが、鱈漁の不振で原料不足,鱈肝油製造所地所 官有地第二種 地坪 六拾八坪 [図] [図] 茅部郡
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村
尾札部
,北図類一三六―1 茅部郡
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村字
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鱈肝油製造所 官有地第二種 地坪 七拾三坪
南茅部町史 上巻
(漁業協同組合のあゆみ)
川汲漁協、字
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ムジナ沢川まで。
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・見日漁協、ポン木直㊤岬東端まで。, 10・30
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漁協、鮮魚荷捌所新築。,
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漁協、種苗センター増築。,栽培漁家五六世帯、三三六台、種苗の完全備給体制確立 9・11
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養殖管理船第一
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丸進水,木直漁協、鮮魚荷捌所落成 7
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漁協、管理船第三
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丸進水 昭和57・ 7
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