機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 32件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
函館市史 通説編 第一巻
(外国人居留地問題)
外国人
居留地
問題 外国人の
居留地
は大町の海面2000坪(長さ40間、幅50間)を埋め立ててこれにあてることにし,を割渡してもらいたいと申出たので、同年9月商人らの埋立てた地蔵町の地を貸し渡そうとしたが、英国領事は
居留地
,元治元(1864)年になって築島を
居留地
に当てることにし、松川弁之助らの埋立地を官地とし、これに若干の,なお『函館外務懸書類』によって、安政6年以降慶応元年までの「外国人
居留地
坪数並地税調」を挙げれば、次の / 外国人
居留地
問題
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
地蔵町築出地の
居留地
化 大町築出地は、居留外国人だけの空間として箱館地所規則の調印により、一応の
居留地
,そのために文久元(1861)年7月の「箱館表外国人
居留地
の儀ニ付見込申上候書付」によれば「既に地蔵町海岸,しかも、当時の函館の事情は「寸分の地を争い候程に相成」という状態で外国人
居留地
として「海岸船付便利の場所,そして、同年10月には各国領事へ地蔵町新築島外国人
居留地
の規則を提示した。,今回もイギリス国商人デュースが、地蔵町
居留地
貸渡後に山ノ手の地所を拝借したい旨の願いが出された。 / 地蔵町築出地の
居留地
化
函館市史 通説編 第二巻
(外国人居留地の性格)
外国人
居留地
の性格 函館にとって開港とは、箱館奉行設置にみる都市権力の移入とその対象となる居留外国人,つまり、外国人
居留地
としてどのような形態をもち、函館の都市形成とどのような関連を持っていたのかその性格,当然、外国人
居留地
がこの段階で定められていたわけでなく、とりあえず寺院などが提供され、安政5(1858,)年日米修好通商条約が締結された後でも
居留地
の設定はみられず、商人所有の家屋や蔵などが貸与されたため雑居,さて、大町の
居留地
埋立以降も居留外国人は増え、大町以外の船着きの便利な海岸地を望む者が多くなった。 / 外国人
居留地
の性格
函館市史 通説編 第二巻
(大町外国人居留地化の意味と課題)
大町外国人
居留地
化の意味と課題 大町築出地の意味はその性格を明確にしえないまでも、漠然とした雑居の様相,つまり、大町築出地だけの
居留地
化から1人2か所の貸渡しを許容しない考え方への変更であり、そのために物理的,つまり、ユースデンに対応するのは勝田伊賀守の意見で「尤此地
居留地
には無之、蔵地と申義に心得居申候」であり,もうひとつは、築出地の性格の認識の違いであり、大町築出地を単なる蔵の貸渡地と位置づけるか、外国人
居留地
,さらに、幕府側の大町築出地の外国人
居留地
としての認知は外国側にとって新たな疑問を生むことにもなる。 / 大町外国人
居留地
化の意味と課題
函館市史 通説編 第二巻
([第1節 幕末・明治初期の都市形成])
そのため当時の都市形成は、外国人
居留地
に代表されるように外交問題の処理の具現化を反映していよう。,このような外国人
居留地
と市街の様態の連関を通してこの時期の都市形成を考えることにする。
函館市史 通説編 第一巻
(官費埋立)
すなわち、安政6(1859)年6月、いよいよ通商貿易のため開港するに至り、幕府は外国人にその
居留地
を供給,この埋立地は、一時外国人に狭隘を理由として忌避されたが、第4節に述べたとおり、後には
居留地
として利用されるに
函館市史 通説編 第二巻
(官許/箱館全図)
第弐図では、特に地蔵町の新築島にみられるように海面の埋立地や大町の外国人
居留地
の位置がわかるし、願乗寺川
函館市史 通説編 第一巻
(鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水)
鶴岡町海面埋立と蓬莱町排水 松川弁之助ら以下4筆の埋立地は、元治元年政府が外国人
居留地
の予定で上地を
函館市史 通説編 第二巻
(山ノ上遊里の誕生)
その後元治年間(1864~5)新築島を
居留地
とすることになり、同島に遊女屋一同が火事の際の退去場として,結局
居留地
の話は見送られ、慶応から明治初年にかけこの島にも武蔵野楼、梅川楼などが建ち並び山ノ上町同様に
函館市史 通説編 第一巻
(修好通商条約の締結)
条約を結び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大坂を開いて外国貿易港とし、開始期日、
居留地
函館市史 通説編 第二巻
(アイヌ学校)
これは、幌別の愛隣学校が
居留地
問題で取り壊し命令を受けたため、その代わりとして25年に元町に開設したもので
函館市史 通説編 第二巻
(運上会所設置と海岸道路普請)
東浜町海岸より税関を望む 北海道立文書館 これまでは、函館の都市形態を箱館開港における外国
居留地
,この頃になると、外国人
居留地
と運上会所あるいは町家地区と沖の口役所などを結ぶ海岸道路が必要となってきた
函館市史 通説編 第二巻
(大町築出地における分割問題)
大町
居留地
分割予定図 これに対し箱館奉行側は、海岸線については市中商人の利便もあり、なかなか貸渡地,箱館表在留外国商人とも可貸渡新規築出地処の義、十画と為し其一画は御邦政府建物之用に供し、其九画は外国人
居留地
函館市史 通説編 第二巻
(幕末期の埋立)
すでに『函館市史』通説編第1巻記載の通り、安政6(1859)年6月、箱館奉行は、開港に当たり、外国人
居留地
供給
函館市史 通説編 第二巻
(函館氷売り出す)
明治5)のジャパン・ディリー・ヘラルド発行の「人名録」(前掲『明治初期の在留外人人名録』)には横浜の「
居留地
函館市史 銭亀沢編
(現在の海岸環境)
函館湾側の海岸線は、幕末に弁天台場や外国人
居留地
が設置されたのを皮切りとして、戦後に至るまで、次々に埋
函館市史 通説編 第二巻
(清国商人の登場)
なお『長崎外国人
居留地
の研究』によれば慶応2年に4名で構成された大森成記、翌3年には2名の成記とあるのがここでいう,その大半の清商は大町(後に仲浜町に町名変更)の
居留地
に居住した。
函館市史 通説編 第二巻
(西村貞陽の清国視察)
月笠野は、上申書を提出して、政府の保護下で上海に国産売捌所を設けて、上海等で昆布等を売却することで、
居留地
貿易
函館市史 通説編 第二巻
(都市形態の特徴とそのイメージ化)
それは、海岸線が同質の区域であったのが、運上会所、外国人
居留地
そして蔵地としての埋立地など各施設が具備
函館市史 通説編 第二巻
(ボストン氷)
それを横浜の
居留地
で氷販売に当たっていた外国居留商人が市場を独占して多額の利益を得ていたという。
函館市史 通説編 第二巻
(亜米利加四番船の進出)
イギリスのペニンスラー&オリエンタル汽船会社等)のものや個人船主によるものなどであるが、その多くは横浜の
居留地
,同社の横浜支社が
居留地
の4番区画に所在したことから「亜米利加四番館」の名で知られ、その汽船は四番飛脚船
函館市史 通説編 第二巻
(水道事業にみる自治意識)
函館県令名で政府へ上請しているのに対し、横浜でも同年7月14日付で、神奈川県令により「横濱市街并ニ外国人
居留地
水道布設之義
函館市史 通説編 第二巻
(ロシア軍艦の乗組員)
大町の
居留地
規則には宿屋や酒屋を作ってはならないとあるため、他の外国人が連名で抗議の書を提出したのである
函館市史 通説編 第二巻
(居留外国人と住民の意識)
とはいえ下名のイギリス陛下の領事代理は、外国人の住居を一つの場所(
居留地
のみ-筆者)に決めても不安の原因
函館市史 通説編 第二巻
(脱走軍の外交)
同様に日本全体の利益のために働いているのを知るでしょう」と彼らが蝦夷地に来た目的を述べ、次いで外国人
居留地
函館市史 通説編 第二巻
([目次])
…460 一 箱館開港と都市化…460 開港以前の様相/開港による市街の二分化/外国人
居留地
,の性格 二 外国人
居留地
の成立…468 大町築出地における分割問題/大町外国人
居留地
化の,意味と課題/地蔵町築出地の
居留地
化 三 都市形態の変容とその構造…475 運上会所設置と
函館市史 通説編 第二巻
(市街地租改正と新旧税表)
第3種 農業仮博覧会場 24,432 24,432 外国人
居留地
函館市史 通説編 第二巻
(土地利用と職業構成)
官 3 種 官 4 種 神 社 官用地 官邸地
居留地
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の採氷)
ところが横浜では、アメリカ産の氷を年々輸入し販売している横浜
居留地
42番のボルベッキ(バージェス&バーディック
函館市史 通説編 第二巻
(ペリーの再来と幕府の回答)
輸出入にともなう重量税、度量衡の標準、公行(コーホン)体制(清朝の特許商人の制度)の廃止、民間人の負債、
居留地
函館市史 通説編 第二巻
(米・露・英の領事)
当時大町に造成中の
居留地
についてや、領事館建設などの諸問題もあり、ユースデンは「ミニストル附属の者にも
函館市史 通説編 第二巻
(箱館の置かれた環境)
しかし箱館は横浜や長崎に比べて、貿易ははるかに振るわなかったし、画定された
居留地
ができたわけでもなく、
/ 1ページ