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函館市史 通説編 第二巻
(山ノ上遊里の誕生)
設ける事」「冥加上納は以後免除する事」など売女渡世についての心得が口達され(『幕外』19-131)、
山ノ
,
上町
の遊女屋が集まっている1区画を板塀で囲い、入り口に大門を構た江戸吉原風の一大遊郭が開かれた(野史台,一方一向に減らない私娼に困った箱館奉行は、文久3(1863)年私娼をすべて
山ノ上町
遊女屋の人別に入れて,結局居留地の話は見送られ、慶応から明治初年にかけこの島にも武蔵野楼、梅川楼などが建ち並び
山ノ上町
同様に,「元治二年箱館新廓遊女屋細見一覧」によると、幕末の
山ノ上町
の遊里は遊女屋25軒、異人揚屋1軒、会所・見番各
函館市史 通説編 第一巻
(遊里)
その料理茶屋が公然と売女渡世に変り、
山ノ上町
茶屋町は江戸吉原に模して廓(くるわ)を造り、坂の突当りに大門,」などと呼んだ、箱館奉行は安政3年5月から、密娼を見つけしだい蝦夷地の開発場にやることにしていたが、
山ノ
,
上町
に遊廓ができるとここへ送り、10年間無給で奉公させることにした。 ,遊楽地は
山ノ上町
だけではなく、東築島には文政のころから山ノ上茶屋5軒の出張りがあり、これがのち「島の廓
函館市史 通説編 第一巻
(町費)
内澗町、弁天町、大町 一箇年地面一坪銭十文ずつ 大黒町、
山ノ上町
同六文ずつ 地蔵町,大町恵比須山入用 一 百十四貫九百四十五文 在方より取寄候人足賄代 一 百九十三貫六百九十七文
山ノ
,
上町
大黒山入用 一 二百十貫三百文 弁天町弁天丸入用 〆千百二十一貫四百七十二文 ,一貫二百十五文 仲町 八百三十七文 神明町 六百二十一文 鰪澗町 四貫六百十七文
山ノ
,
上町
一貫六百六十七文 大黒町 〆十七貫六百二十四文
函館市史 通説編 第一巻
(文化3年の大火と消防体制)
手勢もまた繰り出して消火に努めたが、火勢はますますつのり、同町の表通り両側から内澗町まで焼抜け、更に
山ノ
,
上町
へも延焼し、官の建物では役所下の惣門ならびに門番所、高札場、交代屋敷、仕入物を入れておく板蔵2棟、,官では早速町会所に命じて大量の粥を炊かせ、罷災者に給与し、とりあえず
山ノ上町
の芝屋小屋をあけて仮りにここに
函館市史 通説編 第二巻
(開港以前の様相)
前直轄時代の市中には名主が9人置かれており、それぞれ地蔵町、
山ノ上町
、大町、弁天町、大黒町、内澗町、仲町,特に
山ノ上町
は、享和3(1802)年には茶屋営業が始められており、文化年間には大石忠次郎の開墾により徐々,してか、当時の土地所有における坪割銭によれば内澗町、弁天町、大町が1か年地面1坪につき10文で、大黒町、
山ノ
,
上町
が6文、その他が4文との違いが認められる。,人別銭(享和3年) 地蔵町 内澗町 大町 弁天町 大黒町 神明町 鰪澗町 仲町
山ノ
函館市史 通説編 第二巻
(蓬莱町遊里の出現)
この頃の遊里は
山ノ上町
と新築島の2か所だったが、4年9月の″切り店火事″により全盛を極めていた
山ノ上町
,この頃になると
山ノ上町
付近は人家も増加し市街の中心となってきていたので、この火事を契機に遊郭を移転することになり
函館市史 通説編 第一巻
(箱館医学所(兼病院))
塩田順庵が医書の講義をして、その報酬を積んで100両となるの待って官に請願し、土地を借りて小堂を建て、
山ノ
,
上町
の娼妓の梅毒治療を引受け、併せて貧民の施療に当ることを企てた。 ,、匏庵と順庵が主になって、医師たちの醵(きょ)金を基にし、奉行、諸吏員、御用商人などからも献金を得、
山ノ
,
上町
(いまの姿見坂上辺)に建物を建てて「箱館医学所」と名づけることにしたのである。 ,そこで翌文久元年、春の雪解けを待って再建することにしたが、資金に窮し、町年寄、名主らに諮って、
山ノ上町
函館市史 通説編 第一巻
(戸口の増加)
年寄井口兵右衛門、村岡清九郎、逸見小右衛門、茅野忠兵衛 地蔵町、内澗町、大町、弁天町、裏町、中町、
山ノ
,
上町
、神明町 右は船問屋、木綿、古手、荒物、小間物の店、裏町、
山ノ上町
は借屋住居の者、手間取、職人等
函館市史 通説編 第一巻
(天保12年の戸口)
八三戸 四一四人 弁天町 二一三戸 一、一八三人 鰪澗町 五〇戸 二四一人
山ノ
,
上町
三〇九戸 一、五二八人 大工町 四三戸 二〇二人 計 一、四一六戸
函館市史 通説編 第二巻
(区会開設請願)
会所町人民総代(中村兵右衛門・小林重吉)、
山ノ上町
仝上(広田丈吉・村林又右衛門)、弁天町仝上,・菊池治郎右衛門・村田駒吉・三浦喜助・米谷権右衛門)、鶴岡町仝上(官野宇一郎・大宅民蔵・西村善吉)、
山ノ
,
上町
仝上(佐々木政十郎・安保定兵衛・工藤孫三郎・中村右三郎)、尻沢辺町仝上(丸山文右衛門・和田幸太郎)
函館市史 通説編 第一巻
(名主)
大町 弁天町 鰪澗町 名主 新十郎
山ノ上町
神明町 同 次兵衛 内澗町 地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(消防組織の確立)
○交代屋敷、吟味役屋敷、調役其外住居向は会所町、
山ノ上町
受持。
函館市史 通説編 第一巻
(町の碩学)
箱館きっての学者といわれながら、生年、没年ともに不明で、慶応のころ
山ノ上町
甲屋で追善前句の献額執筆中発病
函館市史 通説編 第一巻
(娯楽)
歌舞伎は弘化2(1845)年浅尾奥蔵、大谷新幸、市川弁之助らが
山ノ上町
田中座で興行、新幸(初代大谷友右衛門
函館市史 通説編 第二巻
(茶屋渡世の公認)
これが函館における公許地での茶屋営業の始まりであり、以後
山ノ上町
界隈は茶屋町として発展した(「維新前町村制度考
函館市史 通説編 第一巻
(五稜郭付近及び山の手方面)
更に山の手方面を見れば、主に神明町に続いて新地が開け、
山ノ上町
の遊廓も安政5年外人の遊興が許可されたので
函館市史 通説編 第一巻
(風俗)
紺屋 これは染屋のことで、
山ノ上町
に2軒よりなかった。,漁師 多く
山ノ上町
、山背泊、鰪澗、仲町、弁天町端、地蔵町、枡形外などの海岸に居住し、漁業を渡世とした。,売女渡世 これは
山ノ上町
にあって茶屋と唱え、以前は芝居、浄瑠璃稽古、軽業などの興行の節、料理仕出し、または,女芸者 これは多くは
山ノ上町
で裏借家などを借りて居住するもので、以前は座頭を呼び寄せ、座敷音曲などしていたが
函館市史 通説編 第二巻
(開港による市街の二分化)
さて、開港後の西部地区は安政4(1857)年には大工町や尻沢辺、
山ノ上町
の拝借地の願いが増えており、その,○ ○ 大黒町 ○ ○ ○
山ノ
,
上町
○ ○ ○ ○ 神明町 仲町 鰪澗町
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
神明社 神明町の上で、東は
山ノ上町
、後ろは壁穴、西は山背泊町にへだてる。,「
山ノ上町
」 東は法華寺、北は裏町の坂、西は神明社に限り、この間に横町3筋、縦町3筋あって山ノ上はここの,芝居小屋もこの
山ノ上町
にあり、幕領時代に大石某が免許を得て建てたもので、いまも夏期に興行がある。,「天神町」 愛宕山下から
山ノ上町
までにかかり、芸人や小宿などが居住する。
恵山町史
(沿革)
同年5月、古武井村総代善次郎(善次郎は名義のみで、函館弁天町、石川小十郎が資金を出し、同
山の上町
の貴田立本
函館市史 通説編 第一巻
(米国官吏ライスの在留)
てこれを治療し、また馬を借りて駒ヶ岳に登りたいと願い出て(遊歩区域外につき許されず)、更に奉行所に内談して
山の
,
上町
遊女屋丈吉方の妓、玉という女を仕度金5両、年給130両で雇って妾とした。
函館市史 通説編 第二巻
(明治時代の函館の寺院群)
享保2(1802)年にはすでに
山ノ上町
に所在。,各寺院は従来、境内やこの堂の前で火葬してきたが、享保2年に火葬が停止となり、
山ノ上町
から台町に移転。
函館市史 通説編 第二巻
(地券発行と土地の私有化)
2両 3両 4両 5両 7両 第1区 天神町 下大工町1~ 2丁目
山ノ
,
上町
1~ 2丁目 坂下2丁目 常盤町 茶屋町 片町1~2丁目,尻沢辺町 青柳町 相生町1~2 丁目 山背泊町 南新町 天神町 坂下2丁目 下大工町1~ 2丁目
山ノ
,
上町
1~ 2丁目 常盤町 茶屋町 片町1~2丁目 第2区 神明町
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の年中行事および風俗)
ツ時(午後八時)ころから、男女入り混り、色々の姿を装い、三味線太鼓、拍手ではやし立てて踊り歩き、また
山ノ
,
上町
から手踊芸者が一組ずつ出て同様に踊り歩いた。,この祭礼については全市四組に分かれ、祭山と唱え、弁天町、大町、内澗町、
山ノ上町
から船山、大黒山、蛭子(
函館市史 通説編 第二巻
(居留外国人の家作)
場所は
山ノ上町
新地であった。
函館市史 通説編 第二巻
(異人仲買)
6年の事例として船場町の瀧波重蔵と
山ノ上町
の小笠原半蔵の両名は東和号の依頼を受けて岩内に硫黄と煎海鼠などの
函館市史 通説編 第二巻
(脱走軍支配下の箱館)
実際、丸毛牛之助は「感旧私史」の中で、明治2年の初めに
山ノ上町
の妓楼宮川屋へ登楼し、そこで逢った松前の
函館市史 通説編 第二巻
(大町外国人居留地化の意味と課題)
その好例として、英国商人ポーターの
山ノ上町
新地に借用していた畑地に家を建てたいという要求に対する応対があげられる
函館市史 通説編 第二巻
(町と町に準ずるもの)
としては、寛政期(1790年代)にはその存在が確認できる弁天町、大町、内澗町、仲町、神明町、大黒町、
山ノ
,
上町
、地蔵町の8町と、そのすぐ後に1町となった鰪澗町、文化11(1814)年からの大工町、幕末期に箱館市中
函館市史 通説編 第二巻
(地蔵町築出地の居留地化)
他は代替地の工事で、そのひとつは尻沢辺道脇の2万5000坪余を
山ノ上町
遊廓の立退場所の替地として中川伝蔵代源左衛門
函館市史 通説編 第二巻
(大火による社会的事象)
この他に
山ノ上町
旧神明社焼跡へ官費にて土方人足左官大工など寄留籍の職人の小屋が建設されたり、弁天町慈善有志者
恵山町史
(古武井硫黄鉱山の発見について 明治37年1月の殖民公報第18號(北海道廰))
1865~1868) 旧山 古武井の総代(福澤)善次郎の名義で箱館の商人石川小十郎が資金をだし、
山の
,
上町
、貴田立本が旧山の採掘をする。
函館市史 通説編 第二巻
(諸施設の移転と都市形態)
まず、遊郭については明治4年の大火により
山の上町
より、幕末時に整地されていた大工町地続大森浜通の蓬莱町
函館市史 通説編 第一巻
(年中行事)
山ノ上町
・大黒町は船にあらずして何れも方形なり。
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