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恵山町史
([町有文書に記された海難事故])
洋明丸 4.87 山越石太郎 荒天 大破 11.14
山背泊
港 旭丸 14.36 福原 ,座礁 大破 10.3
山背泊
港 清栄丸 6.60 立塚 清作 荒天 大破 10.3,
山背泊
港 第3八幡丸 11.16 荒木 太作 荒天 大破 10.12
山背泊
港 長栄丸 ,11.23 川田 敏男 座礁 大破 10.15
山背泊
港 千代丸 11.19 馬場 一郎 荒天, 大破 28.1.5
山背泊
港 千代丸 11.19 清水 正雄 荒天 大破 1.15
山背泊
港
函館市史 通説編 第一巻
(地蔵堂)
地蔵堂 前記高竜寺持の地蔵堂のほか、尻沢辺(一説に享和2年創立のもの)、
山背泊
(文化のころから存在した,特に
山背泊
には天保10年銘の木像大地蔵がある。
椴法華村史
(烏賊釣船の衝突)
天栄丸十三トン(乗組員数不明)が衝突、貞照丸は船首に一メートルの穴があき、付近の僚船に救助され尾札部村字
山背泊
函館市史 通説編 第一巻
(艦隊の抜錨)
えば実18日間の長きにわたり、異人や異船の見物も禁止されていた市民も、長々の憂いが晴れた思いで、高みや
山背泊
恵山町史
((5)昭和42年当時の尻岸内村の漁港)
山背泊
(やませどまり)漁港 澗(マ)は湾、船入澗・船着場の意味であり、山背(やませ)泊のヤマセは風,を表すことばで、夏の東寄りの冷湿な風(農民にとって冷害・飢饉を呼ぶ風を意味する)、
山背泊
はヤマセの風の,従って
山背泊
船入澗の築設工事は大澗港の修築より遥か以前の、戦前の昭和8年(1933)6月に始められ、翌,昭和26年6月29日、
山背泊
漁港は漁港法により第4種漁港に指定され、国の定めた第1次漁港整備計画に編入,女那川漁港 女那川漁港は町の中央部、大澗漁港と
山背泊
漁港の中間点に位置している。
恵山町史
(新第三紀層)
古武井層は、本地域では西南部の古武井・
山背泊
・古武井川下流などに分布し、硬質頁岩を主体として灰白〜淡緑色,
山背泊
漁港背後の崖では古武井層上部の凝灰岩相の部分に珪藻土がみられる。
函館市史 通説編 第二巻
(街の目隠し)
ペルリ提督日本遠征日記』より 海岸にはりめぐらされた板塀の様子がわかる なおこの間松前藩は、
山背泊
,箱館表江異国舩四月十四五日頃ニ者着舩ニ可二相成一旨前広咄合有レ之、諸手配向十二日迄ニ出来栄候厳達ニ而、入口
山背泊
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の警備)
箱館
山背泊
台場 三百目筒二挺。 箱館押付台場 五百目筒一挺・百目筒一挺。
椴法華村史
(椴法華村の電話開通)
電話呼出地域 尻岸内字古武井泊・同大澗・同メナ川・同メノコナイ 尻岸内村字古武井・同
山背泊
函館市史 通説編 第一巻
(鰊漁)
安政2年3月13日、箱館港口の地、押付、
山背泊
、弁天崎の辺へ、鰊がおびただしく寄せ来たった。,この時漁民は種々苦情を述べたが、官において説諭し、ただ
山背泊
の火葬だけを停止させた。
函館市史 通説編 第一巻
(神社)
天光稲荷は
山背泊
稲荷神社として現存する。
恵山町史
(3、漁業経営科としての10年の歩み)
年十月十日 〈海を耕す(七)〉 後継者の育成 “基礎固めが先決・科学的教育みっちり” ・尻岸内
山背泊
,の船出 “開校以来の夢実現”若潮丸に便乗 北洋で実習航海 ・恵山高校の生徒達は一七日、同町の
山背泊
漁港, “四年生九人、北洋へ”若潮丸 盛大な見送りを受けて ・恵山高校の四年生九名は五日、尻岸内町
山背泊
港
函館市史 通説編 第二巻
(大火と校舎の焼失)
43.75 0.00 28.57 25.00 25.00 (平均) 55.01 台 駒止
山背泊
,町名 就学率 町名 就学率 町名 就学率 富岡 船見 鍛冶 旅籠 天神 台 駒止
山背泊
函館市史 通説編 第二巻
(亀田川転注工事)
モルトルは港内填埋の原因として、もう一つ
山背泊
の丘崖が崩壊して土砂が出る事を指摘していたので、この意見
函館市史 通説編 第一巻
(箱館近海の出没)
日記によると、異国船通航の報は同年8回、翌2年には14回とその頻度を加え、この年8月28日には、箱館
山背泊
函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
弁天町は箱館湾を外海と分かつ岬の付近に展開し、外側に
山背泊
および鰪澗などの漁師、水夫らが住む場末町に続
恵山町史
(第四紀層)
山背泊
港付近に厚さ10〜20メートルで存在し円礫、砂などからなるとされた。
恵山町史
([尻岸内川と古武井川に架かる橋])
(註) 昭和41年より高岱地区の山砂鉄を採掘、陸送し
山背泊
漁港より船積みした。
函館市史 通説編 第一巻
(ディアナ号箱館入港)
南部藩は備頭下田将監以下180余人をもって、沖ノ口番所・弁天倉庫地・
山背泊
台場・立待台場を守り、津軽藩
恵山町史
((2)箱館港防備の意見上申)
そのためには、先ず、矢不来台場・押付台場は相対峙する重要な地点として、貫目以上の大砲を20挺ほど備付け、押付、
山背泊
,弁天岬は箱館の港口を抱す重要な地点であるから、ここに台場を新たに取建て貫目以上の大砲を15挺を備て
山背泊
函館市史 通説編 第二巻
(漁業組合の結成とその性格)
第一条 当組合ハ函館区内ニ住居(本籍寄留ヲ問ハス)ノ漁業者ヲ以テ之ヲ組織ス、区内ヲ三部ニ分チ第一
山背泊
町方面第二住吉町方面第三鶴岡町方面,ヲ矯正シ殖産ヲ保護シ以テ同業者ノ幸福ヲ計ルニアリ 第四条 各組合全般ニ係ル事務ヲ整理スル為メ函館区
山背泊
町七拾六番地,ハ切断不苦ト雖トモ切口ヘ浮標ヲ付シ放チ置クヘシ 第拾四 沖鱈漁ノ節ハ鶴岡町方面夜十二時以后
山背泊
町及住吉町方面并,組合員数 1か年経費 認 可 函館漁業第1組合 函館漁業第2組合 函館漁業第3組合 函館区
山背泊
町,函館区住吉泊町 函館区鶴岡泊町
山背泊
町外12か町 住吉町外14か町 鶴岡町外13か町
函館市史 通説編 第二巻
(明治10年・12年の流行)
避病院はその後
山背泊
町に移転されたが、流行がおさまると閉鎖された。
函館市史 銭亀沢編
(河川)
△セト川ハ仝ジク根崎野ノ東谷ヨリ発シ
山背泊
ノ東ニ至リ海ニ注グ。長サ七町余此ノ上流ニ少許ノ平地アリ。
恵山町史
((7)えさん漁業協同組合 (平成17年4月1日現在))
収容冷蔵一・五t) 恵山支所(冷凍冷蔵庫、冷蔵四t) ・燃油タンク 大澗漁港(五〇kl)
山背泊
漁港
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ人の見た箱館)
しかも一方には、4月22日
山背泊
台場でのことであるが、彼らはその「大砲を見てはなはだ嘲弄し、両手を少しく
恵山町史
((3)町広報に見る漁業への取り組み)
今年度は
山背泊
漁港から、沖合四千八百メートル地点一八六度に円筒型魚礁を四千八百十個を投入する。,同一一月『ホタテの地場放流』・資源拡大に意欲、追跡調査も実施 ・放流海域、「大澗漁港沖合・七ッ岩から
山背泊
漁港,同五月『恵山魚田の刺し網漁・
山背泊
漁港』 ・一月半ばから始められた、“刺し網漁”は、今が最盛期、根ボッケ,同一〇月『ブリとサケでにぎわう・
山背泊
漁港』 ・ブリは暖流系の回遊魚で日本海を北上し津軽暖流に乗ってやってくる,の「生けす」で中間養殖し、
山背泊
・大澗漁港沖合に放流した。
函館市史 通説編 第一巻
(天保飢饉と箱館)
因て舟子も止むを得ず之を乗船せしむるも、公然箱館港に上陸せしむるを得ざるにより、密に
山背泊
或は寒川等に
函館市史 通説編 第二巻
(黒船渡来)
した状況の中で、4月15日朝箱館沖に2艘の黒い異国船が姿を現し、「昼四ツ半時過」(午前11時過)には、
山背泊
沖,さて、2艘の異国船が
山背泊
沖に停泊するや、応接方代嶋剛平・蛯子次郎・稲川仁平外足軽が1番入津の船へ派遣
函館市史 通説編 第二巻
(戸長の公選)
芝居 仲新 茶屋 片 坂 山上 神明横 船見 下新 上新 鍛冶 駒止 元新 台
山背泊
,(明治14年7月8日町名区画大改正後) 組名 町名 1 富岡 鍛冶 旅籠 天神 船見 駒止 台
山背泊
函館市史 通説編 第二巻
(地券発行と土地の私有化)
分 1分~2分 2分 3分 1両 1両2分 第1区 谷地頭町 花谷町 尻沢辺町 相生町1~2 丁目
山背泊
町,駒止町 芝居町 神明横町 台町 春日町1~2丁目 尻沢辺町 青柳町 相生町1~2 丁目
山背泊
町
函館市史 別巻 亀田市編
(設立の経緯)
一方、函館市では
山背泊
の検疫所や函館病院に隔離収容したが、ほぼ満員の状態であり、以前から移転問題の出ていた
函館市史 通説編 第二巻
(戸長役場統合から廃止へ)
戸長役場開設一覧(明治13年8月1日) 組名 受持町名 役場所在地 戸長 筆生 備考 1組 松蔭町~
山背泊
町
椴法華村史
(明治三十二年)
極少なく見積りても一萬二千人の漁夫は入込むなるべしと云ふが昨今の所にて鶴岡町・若根(松)町・海岸町及び
山背泊
町等
恵山町史
((2)山砂鉄)
したとなっているが、これは粗鉱の生産高と思われる これら生産された精鉱は、トラックやダンプカーで古武井
山背泊
漁港,
山背泊
漁港では砂鉄運搬船の運行の安全を図るため、浚渫や岩礁の爆破などの港の整備を行った。,年7月10日(土)午前10時30分より 海岸段丘に挾在している砂鉄層(山砂鉄)
山背泊
漁港
函館市史 通説編 第二巻
(3区の設定)
坂町 下新町 片町 弁天町代地 山上町 新天神町 神明横町 鍛冶町 三町代地 駒止町
山背泊
町,山上町1~4丁目 上新町1丁目 下新町1丁目 神明横町 新天神町 鍛冶町 三町代地 駒止町
山背泊
町
函館市史 通説編 第二巻
(町区総代人制の導入)
☆ ☆ 上新 仲新 下新 元新 ☆ ☆ 船見 駒止 台町
山背泊
, ○ 東田松蔵 佐々木音吉 ☆
山背泊
○ 北村佐兵衛
戸井町史
(五、高田屋嘉兵衛と汐首岬)
淡路島か、兵庫あたりに産する御影石で、組立てるばかりに石工に造らせたものを、辰悦丸に積んで来て、汐首の
山背泊
,高田屋は汐首岬を通る時に、日和が悪ければ
山背泊
沖に投錨して、潮待ち風待ちをしたことが想像される。
椴法華村史
(一七〇〇年代の椴法華近海の海運)
二十五日 荒谷村を出発陸路レヒゲ浦 二十六日 黒岩から昆布取り船に便乗し吉岡・宮のうた・白府・
山背泊
南茅部町史 下巻
(南茅部八景)
函館八景 立待岬 秋月 高龍寺 晩鐘 宇賀浦 晴嵐 桟橋 夕照
山背泊
恵山町史
((5)第四期恵山町総合計画(平成八年度~平成一七年度))
○本町には、日浦漁港(第一種)、大澗漁港(第二種)、女那川漁港(第一種)、
山背泊
漁港(第四種)、,②
山背泊
漁港改修事業(南護岸)と多目的施設の整備と畜養施設整備の促進に努めます。 ,第4種
山背泊
漁港 第1種 日浦漁港 第1種 恵山漁港 第2種 大澗漁港
函館市史 通説編 第一巻
(箱館及び蝦夷地の警衛)
即ち矢不来(やきない)台場は押付台場と対峙(じ)して湾口を扼(やく)する所なれば之を改築し、押付・
山背泊
函館市史 通説編 第二巻
(漁業生産の推移)
これに対して底引網による鰈漁は、好漁場であった函館
山背泊
近海の鰈が産卵鰈で、これを能率漁法で捕ったため,ノ鮑ヲ茅部郡戸井、臼尻両村海中ニ放育ス○五月厚岸産牡蠣十石ヲ上磯郡茂辺地村ヨリ当別村ニ至ル海中及函館
山背泊
,61 採捕水産物 尻沢辺 鰊鮭鱒 大森 鱈鰯
山背泊
,鰯鱒 鱈鯣 若布 明治16年『函館県統計書』より作成 函館区は尻沢辺、大森、
山背泊
函館市史 通説編 第二巻
(墓地と埋葬)
また、「函館新聞」の明治11年11月6日付の記事として、当時、火葬場は
山背泊
1か所しかないので狭く、難渋
函館市史 別巻 亀田市編
(下肥)
時任同、高盛同、中島同、堀川同、干代ヶ岱同、上新川同、 大縄町、 (エ)函館清掃組合
山背泊
町
函館市史 通説編 第一巻
(2水兵の埋葬)
行われたが、当日は「昼四ツ時(午前十時)頃、異人共棺箱乗せ候橋舟、高龍寺下浜手に漕付け同所より上陸、
山背泊
火葬場
函館市史 通説編 第一巻
(寺子屋の教育内容)
をともし、御奉行の一覧に供え、それから夜中過ぎまで随意に市中を回り、7日は日中過ぎまで又市中を回り、大森や
山背泊
函館市史 通説編 第一巻
(アメリカ艦隊の入港)
、檣三本帆数数多掛居候旨、詰所遠見番の者共より申し出候処、前二艘の異船は昼四ツ半時(午前十一時)過、
山背泊
台場沖八
函館市史 通説編 第一巻
(艦隊の動静)
10時ころから3隻のボートをもって湾内の測量をはじめ、更に正午ころ2隻のボートに小旗を立て、多数乗組み
山背泊
台場
函館市史 通説編 第一巻
(士官らの市中見物)
夫より御役所ノ坂より上り、寺町通り見廻し、山之上町上田屋稲蔵宅え立寄、住吉屋前通り相掛り、
山背泊
御台場
函館市史 通説編 第二巻
(明治以降の埋立)
、谷地頭埋立完成、地積31725坪13498円余で区民に売下げ外4000坪余を貸与地とす 21.2
山背泊
石垣増築竣工
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