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函館市史 通説編 第一巻
(川汲層)
川
汲
層
川
汲
層は鈴木 長谷
川
(1963)によると青味がかった淡緑色の凝灰岩であり、汐泊
川
層の下部にあるものと,考えられたが、その後、鈴木守ら(1969)により
川
汲
層は汐泊
川
層の一部として取扱われている。 /
川
汲
層
南茅部町史 下巻
(川汲谿谷)
川
汲
谿谷 「尾札部村勢要覧」昭和五年版「遊覧案内」に、
川
汲
温泉・
川
汲
峠・
川
汲
谿谷の三項が挙げられている,この
川
汲
谿谷の景に「鶯澤(うぐいすざわ)、躑躅(つつじ)溪、琵琶瀧(びわだき)、澄雲崖(しょううんがい,自動車道路が開通して間もない
川
汲
山道の景勝の見所を言い得て妙である。 ,町外からの来遊者が増すにつれて、
川
汲
山道の景勝は広く知られていった。,小学校教員であった小林露竹は、尾札部村の自然を、郷土の人々にも見直してもらいたいという念願から
川
汲
渓谷 /
川
汲
谿谷
南茅部町史 下巻
(川汲公園)
川
汲
公園 昭和四一年には、恵山道立自然公園内、南茅部町関係事業として、
川
汲
温泉集団施設園の指定をうけ,、道費三〇〇万円、町費五〇〇万円をもって総面積一六五平方メートルの
川
汲
公園第一次工事をおこなった。,一〇月一六日、この工事の完成をまって同月、第一回
川
汲
峠観光まつりが盛大に開催された。,これが
川
汲
公園まつりの先駆となった。 昭和四二年六月一一日、
川
汲
公園の正式の公園開きが催された。,昭和四三年五月一二日開催の
川
汲
公園開きが、NHKテレビ「新日本紀行・恵山」で全国に紹介された。 /
川
汲
公園
南茅部町史 上巻
(川汲台場)
これはのちのち台場山と呼ばれるようになる
川
汲
山台場である。,
川
汲
台場山 このほか「
川
汲
より温泉に至る途中尚二か所に台場あり」と記している。,
川
汲
峠の台場は、沿岸伝いに
川
汲
峠越えして五稜郭に攻め入った土方隊の戦いの記述があるが、蝦夷地三嶮の一つといわれ,明治元年一一月 榎本軍土方隊
川
汲
峠に砲台築造す。 ,外に
川
汲
山道入口左側台地にも一か所小台場を築いた。 土方隊
川
汲
峠越進撃図 /
川
汲
台場
南茅部町史 下巻
(川汲銀座)
川
汲
銀座 大正から昭和にかけて、臼尻と同様に
川
汲
の山道入口から
川
汲
温泉までは
川
汲
銀座と呼ばれて、ことのほか,
川
汲
銀座の商況は賑わいを呈した。,料理屋は萬富久屋・藤の屋・千鳥屋・末広屋・福の屋・善の食堂(そば)・旅館が二軒、温泉旅館芽の湯(金曽)
川
汲
温泉山中旅館,があり、
川
汲
銀座の名を冠称された。 /
川
汲
銀座
南茅部町史 下巻
(川汲山道)
川
汲
山道
川
汲
より
川
汲
峠を経て上湯
川
まで 道案内 〓 小中太三郎(明治三四生,滝の沢
川
汲
温泉 山中温泉のところから
川
向かいに渡り、ツネ(尾根)に登る道もある。 ,
川
汲
公園
川
を渡ってすすむ。,
川
汲
峠 小沢に沿って急坂を登ると葛折(つづらおり)(九十九折)の道を峠に上る。 ,[図]
川
汲
山道
川
汲
台場山
川
汲
峠 /
川
汲
山道
南茅部町史 下巻
(川汲空襲)
川
汲
空襲 朝九時半頃、
川
汲
一帯も機銃掃射をうけ〓(⑪)上山商店の店舗と住宅が全焼、隣家の〓(⑫)佐々木家 /
川
汲
空襲
南茅部町史 下巻
(〔川汲山道〕)
に拠れば、
川
汲
山道は上湯
川
村稲荷社前より河
汲
浜に至る六里二九丁一間、とある。 ,峠(
川
汲
峠)・温泉を経て
川
汲
まで五里二二丁四四間と記している。 ,弘化四年(一八四七)、松浦武四郎が箱館より友人を訪ねて
川
汲
温泉に来往したときの
川
汲
山道の里程は、蝦夷行程記,安政四年(一八五七)、堀奉行一行が来村して
川
汲
金・銀・銅山を巡見する。一行は
川
汲
嶺の急坂を越える。,開拓使事業報告の明治十一年に
川
汲
山道 上湯
川
村ヨリ
川
汲
ヲ経テ尾札部村ニ至ル六里弱、山間甚嶮難。 / 〔
川
汲
山道〕
南茅部町史 下巻
(川汲トンネル)
川
汲
トンネル 昭和四〇年四月、
川
汲
トンネルの掘削工事が着工した。,翌四一年、
川
汲
峠道函館側新路線開削工事着工。,同四二年、
川
汲
トンネル導坑・全長一、一五〇メートルが貫通した。 ,改長工事は
川
汲
側 三、八〇一メートル(トンネル含み) 函館側 一、九〇〇メートル, 総工費 一〇億七二二万円 うち、トンネル工事費 約六億円 昭和四三年一二月一七日、
川
汲
/
川
汲
トンネル
南茅部町史 下巻
(川汲峠吟社)
川
汲
峠吟社 昭和二三年、岡田一石(泰道)、関口郊葉(直蔵)が
川
汲
峠吟社を結成した。 , 泰道 行商の声薫風にのる真昼 礼子 昭和52 朝日(小
川
レイ /
川
汲
峠吟社
南茅部町史 上巻
(川汲峠攻め)
川
汲
峠攻め 星恂太郎は額兵隊の主力を湯元に布陣して、菅原道守らに士官隊一小隊を従わせて間道より廻らせ,、
川
汲
峠の官軍を攻めのぼらせた。,この
川
汲
峠は東蝦夷地三嶮の一といわれる要衝の嶮なのだ。,星は影田興隆に兵糧の任を命じ、隊長自ら松明をかざして
川
汲
峠の頂上の陣に馳けのぼった。,
川
汲
峠攻撃で土方軍の死傷は無かった。 /
川
汲
峠攻め
南茅部町史 上巻
(川汲湯元の戦)
川
汲
湯元の戦 軍監菰田元治は額兵隊員七、八名を引率して物見に湯元に近づく。 ,
川
汲
湯元に駐屯していた一個小隊の官軍は、湯治場を後楯にして小銃を連発してきた。,すでに官軍は湯元には一兵もなく、
川
汲
峠の陣へ退いたあとだった。 /
川
汲
湯元の戦
南茅部町史 下巻
(川汲温泉 山中旅館)
川
汲
温泉 山中旅館 明治二一年、竹中重蔵が初めて
川
汲
温泉に湯治に来た頃は、「往時の湯茶屋は細木柱に茅屋根,明治三一年一〇月下旬、
川
汲
温泉〓旅館の大改築工事が落成した。 ,(竹中重蔵記録)
川
汲
温泉 山中旅館 大正7年「町村誌」北海道所蔵 /
川
汲
温泉 山中旅館
南茅部町史 下巻
((4)川汲学校)
(4)
川
汲
学校 公立小学校設立伺 一 学校位置 渡島国茅部郡尾札部村支
川
汲
弐十二番地 一 敷地坪数, 弐百弐十五坪 尾札部村支
川
汲
持共有地 一 建家坪数 弐拾五坪 一 校名
川
汲
学校 一 / (4)
川
汲
学校
南茅部町史 下巻
(戦後、川汲山道再開)
戦後、
川
汲
山道再開 戦時中、乗合自動車の運行は中断したが、戦後、尾札部村は函館市の協力を得て
川
汲
山道,昭和三〇年末、函館市の協力のなかで道や国に請願をつづけ、昭和三九年、
川
汲
山道森・南茅部線、
川
汲
山道部分,の改良工事延長五、七〇一メートルが着手され、四二年二月一七日、
川
汲
隧道延長一、一五〇メートルが貫通、昭和四三年一二月全線開通,昭和四四年、山道の入口は
川
汲
川
左岸に切替工事が行われた。 / 戦後、
川
汲
山道再開
南茅部町史 下巻
(川汲公園さくら祭り)
川
汲
公園さくら祭り 昭和四六年五月一六日、第一回
川
汲
公園さくら祭りを開催し、同年一〇月三日、
川
汲
公園紅葉,昭和五七年、
川
汲
公園整備事業が推進された。 /
川
汲
公園さくら祭り
椴法華村史
(川汲鱈釣船の遭難)
川
汲
鱈釣船の遭難 大正五年三月四日午後四時尾札部村
川
汲
の漁民五名
川
崎船で同村沖合四里へ鱈釣に出漁、南東 /
川
汲
鱈釣船の遭難
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
〔
川
汲
山銀銅山〕 安政六己未年(一八五九) 先年より試掘中の河
汲
峠砥山(とのやま)(砥ノ沢(とのさわ,奉行支配組頭河津三郎太郎の家来佐分利泰蔵が
川
汲
砥山掛を命じられ、松平右京亮元家来、浪人岡本藤市が山元取締,官は山元取締岡本藤市を江戸表へ出張させて、
川
汲
砥石硯石の売り捌きの手配にあたったという。 ,万延元年庚申(一八六〇)四月二日 河
汲
砥石山の開鑿のとき、亀尾御手作業農夫頭取甚右衛門は、官に願い,万延元年(一八六〇) 尾札部 燧石
川
汲
川
砥石 / 〔
川
汲
山銀銅山〕
南茅部町史 下巻
(昭和一〇年 川汲温泉絵葉書)
昭和一〇年
川
汲
温泉絵葉書
川
汲
温泉の絵葉書が袋入である。 ,元南茅部高校長佐々木重元が、昭和一一年の夏休みに来村の折求めた
川
汲
温泉絵葉書は四枚一組である。,
川
汲
温泉の案内 交通の便は、函館湯の
川
間は電車二〇分、賃金一〇銭で、湯の
川
・
川
汲
温泉の間は自動車一時間二,
川
汲
温泉 市街ヲ距ル十五町、自動車随時往復。,
川
汲
ノ里ヨリ
川
汲
川
ノ溪流ニ沿ウテ山道ヲ登ルコト十五町ニシテ
川
汲
温泉ニ至ル。 / 昭和一〇年
川
汲
温泉絵葉書
南茅部町史 下巻
(川汲山道の道中)
川
汲
山道の道中 尾札部 吉
川
菊蔵(明治二七生)談 早朝、尾札部から草鞋はいで歩いて行けば、一本木,木原を通って牧場へ出て、上湯
川
へ出る。一本木から今の亀尾の方回れば遠いわげだ。歩いてえぐんだ。 ,「蝦夷日誌」河
汲
峠之図 市立函館図書館 所蔵 /
川
汲
山道の道中
南茅部町史 下巻
(川汲温泉ホテル)
川
汲
温泉ホテル 昭和四五年、温泉ホテルの新築によって、薬師堂の正面に大きなホテルの建物が建ったので、,
川
汲
山道の往来から、また、ホテルの客からも見えなくなった。 /
川
汲
温泉ホテル
南茅部町史 下巻
(〔川汲山銀銅山〕)
〔
川
汲
山銀銅山〕 安政三丙辰年(一八五六)正月一三日 箱館在六ヶ場所の金銀銅鉄鉛山其の他諸産物類,この現地取調の結果、
川
汲
山銀銅鉱は掘取に着手し、古部・椴法花などは追々願人があり次第掘取を申付けることとなった,このとき組頭河津三郎太郎らは、箱館近在の鉱山開発のため諸山を探査し、とくに大野の市渡や
川
汲
の盛山を手がけている,銀鉱
川
汲
費用巨にして一塊をも得ず廃す。 / 〔
川
汲
山銀銅山〕
南茅部町史 下巻
(川汲山道自動車道路の開削)
川
汲
山道自動車道路の開削 大正一〇年、尾札部村、臼尻村・湯
川
村三ヵ村による
川
汲
山道開削の請願を、北海道庁,同一一年八月一六日、
川
汲
山道期成同盟の総会で開削の促進を決議した。 ,大正一二年四月二〇日、
川
汲
山道開削工事の一期工事七七、八〇〇円で落札し工事に着手。 ,大正一四年九月二二日、
川
汲
山道開通奉告祭が執行され、一〇月一日工事竣工。,
川
汲
山道開削工事 大正13年 竹中家所蔵
川
汲
山道開通式における感謝状 西谷定二所蔵 /
川
汲
山道自動車道路の開削
南茅部町史 下巻
(〔川汲分署設置〕)
〔
川
汲
分署設置〕 明治一八年五月、函館県森警察署
川
汲
分署が設置された記録がある。,函館縣渡島國茅部郡 尾札部村一同 明治十八年五月中函館縣森警察 署
川
汲
分署設立,熊泊校沿革誌には、明治一八年五月一四日、(臼尻熊泊二ヶ村役場)「戸長篠田順氏ト共ニ生徒ヲ勧誘シ 当郡尾札部村支
川
汲
,ニ至リ 同所森警察署(
川
汲
)分署建設地地形ノ功ニ従フ」と記されている。,函館縣渡島國茅部郡 熊泊小学校一同 明治十八年五月中函館縣森警察 署
川
汲
分署設立 / 〔
川
汲
分署設置〕
函館市史 銭亀沢編
(若水汲み)
若水
汲
み 戦前までは、元旦未明に近くの清らかな小
川
や、沢の水、共同井戸の最初に
汲
む水を「若水」とよんだ,結んだ新しい桶(おけ)と、松やゆずり葉で結んだ杓子(しゃくし)を持ち、男性が唱え言を唱えて「若水」を
汲
んだという,水を
汲
むところに、米・お金を半紙に包み「オサゴ」とし、塩・餅も供えた。拝んだ後に水を
汲
んだ。 ,
汲
んだ水は、家の神棚・仏壇に供え、あとで下げて飲んだり、元旦の雑煮を作ったりした。,若水を
汲
んでから神社へお参りにいく人もいた。 / 若水
汲
み
南茅部町史 上巻
([土方隊、川汲峠進攻])
[土方隊、
川
汲
峠進攻] 総帥榎本釜次郎、副帥松平太郎、歩兵差図役大鳥圭介、新選組副長土方歳三、衝鋒隊長古屋佐久左衛門,軍議の結果、本隊は大鳥圭介を大将に遊撃隊長大岡幸次郎、伝習隊長大
川
正次郎、新選組隊長相馬主計ら四百余名,土方隊は砂原鹿部の海岸沿いに進み、
川
汲
山道を越えて野田部、上湯の
川
村へでて、五稜郭を背後から攻略する。 / [土方隊、
川
汲
峠進攻]
南茅部町史 下巻
(川汲の七夕(たなばた)踊り)
川
汲
の七夕(たなばた)踊り 明治四二年ごろ、
川
汲
の盆に七夕をやった。 /
川
汲
の七夕(たなばた)踊り
南茅部町史 上巻
(川汲の吉野堂と坂本龍馬の膳)
川
汲
の吉野堂と坂本龍馬の膳 明治維新から五〇年余を経て、世人はようやく箱館戦争を見直していた頃である,(以下掲載記事全文) 本道茅部郡尾札部村ニ
川
汲
ト云ッテ温泉ノアル土地ニ吉野堂ト云フ看板ヲアゲタ,吉野ノ桜ヲ愛スルヨリ、営業ノ看板ニシタニ過ギナイガ、併テ
川
汲
デハ名物ノ一人、先年徳島ノ儒者砂河澹庵翁ガ,ケレド反面ニ戦場ニ立ッタヤウナ事ヲウタッテアルノハ、草深イ
川
汲
辺ノ菓子屋ノ主人公トシテ頗ル奇異ニテ、多少文字 /
川
汲
の吉野堂と坂本龍馬の膳
南茅部町史 下巻
(鱒川峠越え)
鱒
川
峠越え 鱒
川
小学校の沿革誌とその資料「鱒
川
のむかし」(瀬
川
恒太郎翁談)に拠ると、明治大正期の
川
汲
街道,
川
汲
峠を越えると紅葉山の木原野を進む。一本木から鱒
川
峠を越えて鱒
川
の山の上を通る。,
川
汲
から馬で函館へ魚類が運ばれ、函館からの帰り馬には日用品雑貨を運んだ。,冬は馬が通られないので、
川
汲
から来た人は鱒
川
まで、函館から来た人も鱒
川
まで来て、ここが取次場所となった,大正一四年に新しい
川
汲
山道が開通すると鱒
川
道(ますかわみち)は廃(すた)れた。 / 鱒
川
峠越え
南茅部町史 下巻
(カビラ川)
カビラ
川
川
汲
に、今は小板
川
と呼ばれている
川
は、むかしカビラ
川
といわれた
川
である。 ,この
川
上に、カビラというアイヌが住んでいたことからカビラ
川
と呼ばれたという。,また、この
川
は、一夜に大水が出るというアイヌ語の意であるというが、訳語については定かではない。 ,
川
汲
古老談 / カビラ
川
南茅部町史 上巻
([河川の名])
[河
川
の名] 昭和五五年河
川
コード台帳による河
川
一覧 地区名 水系番号 指定 河
川
支流 流路延長,) 〇・九 八〇九一 準用 見日
川
(ケンニチガワ) 二・四 見日
川
から東側の各河
川
は河
川
から,八〇八七 普通 築上
川
(ツキアゲガワ) 二・四
川
汲
清水 ・八四〇七 普通
川
汲
小板
川
(カックミコイタガワ,・八四〇六 普通 清水
川
(シミズガワ) 一・五 八〇八六 普通
川
汲
川
(カックミガワ) 六,・一 河
川
一覧附図「河
川
図」No,22に「
川
ツ
汲
川
」 とあるのは「
川
汲
川
」である。 / [河
川
の名]
函館市史 通説編 第一巻
(願乗寺川の開削)
願乗寺
川
の開削 堀
川
乗経 箱館において広大な面積を占める砂頸部の地には、当時地蔵町の一部分を,しいのと、湿地が多かったためで、地蔵町の人々は、ただ1つ豊富にわき出す高田屋の掘抜井戸に集ってこれを
汲
み,そこで願乗寺(いまの西別院)の堀
川
乗経はこれを慨嘆し、安政6年本山の許可を受けて官に出願して新渠を開き,俗にこれを願乗寺
川
または堀
川
と称し、住民に3つの利便を与えた。第一は飲料水を沿岸の住民に与えたこと。,ただし流水のこととて汚物が混じたので人々は朝早く
汲
みとったという。 / 願乗寺
川
の開削
南茅部町史 上巻
(上湯川)
上湯
川
上湯の
川
に出て宿陣した。 ,土方・春日隊はこの日、
川
汲
温泉から山坂六里の行軍をすすめたわけである。,このとき五稜郭には箱館府兵で元徳
川
の臣岡本柳蔵ら四〇人がいた。 / 上湯
川
南茅部町史 上巻
(鰊場の歩方(ぶかた)(川汲・小板与三郎談・明治二八年生))
鰊場の歩方(ぶかた)(
川
汲
・小板与三郎談・明治二八年生) 春早く鰊場に歩方にいく。 / 鰊場の歩方(ぶかた)(
川
汲
・小板与三郎談・明治二八年生)
函館市史 通説編 第一巻
(汐泊川層)
汐泊
川
層 汐泊
川
層は長谷
川
鈴木(1964)、及び鈴木 長谷
川
(1963)によると、函館地方において,その後鈴木守ら(1969)も
川
汲
層を汐泊
川
層の一部層として取扱い、この累層を含めて汐泊
川
層を次の4つの / 汐泊
川
層
南茅部町史 下巻
(〔主な火災略年表〕)
臼尻倉庫一棟全焼 大正 3
川
汲
住宅一棟全焼 5
川
汲
住宅一棟全焼 ,11・ 1・15 尾札部菓子工場全焼 13
川
汲
住宅全焼 昭和 5
川
汲
,10・7
川
汲
漁協事務所全焼 43・ 1・23 臼尻住宅一棟全焼。,5・17 臼尻火事 45・12・25
川
汲
住宅一棟全焼。,6・11
川
汲
住宅一棟半焼。12・4 木直住宅二棟全焼。
南茅部町史 下巻
(陸上交通・道路年表)
) 32
川
汲
山道開削の請願を再び願出る時機として小
川
幸一郎、布施弥三郎両委員を選出し、,はじまる 14 10・1
川
汲
山道工事竣工。,4・
川
汲
トンネル掘削着工 41 二期舗装工事著保内―
川
汲
・垣島―精進
川
。,
川
汲
川
橋鉄橋竣工 43 12・17
川
汲
トンネル開通式。,10・
川
汲
ハマナス野に開発局除雪センター設置。
南茅部町史 下巻
(芽の湯(明林荘))
芽の湯(明林荘)
川
汲
温泉の溪流のすぐ上流に、
川
底から湧出する温泉があり、山仕事の人たちが帰りに
川
石,〓杉林季朔(明治二六生)は経営していた旅館を
川
汲
山道入口に移転増改築して、温泉旅館芽の湯を開業した。,まで木管で引き、
川
汲
温泉芽の湯を開業した。 ,
川
汲
川
上流の湯元から市街地まで一五町(九〇〇間・一、六三六メートル)の距離に木管で送るので、温度が下がるのを,旅館の周囲、とくに
川
汲
川
の両岸の濶葉樹を自然のままに配置して、桜を植えオンコを植え、春秋それぞれに花と
南茅部町史 上巻
(さらし首)
さらし首
川
汲
山道の入口に、曝し首があった。脱走軍の兵士であったという。, 自動車の通る山道(大正一四年開通)以前の旧山道の入口(登り口)から現在の渡島信用金庫寄りの辺に、
川
汲
,明治になるとここに
川
汲
の警察が設置された。旧
川
汲
地蔵堂と墓地のところに曝し首がおかれたのである。
南茅部町史 下巻
(駄馬の運送)
明治四二年
川
汲
〓 〓池田 善太郎 小中由松 〓 〓 , 内山 木直 〓小又 明治四三年 板木 〓砂田 〓
川
汲
,影沼沢 船 〓能戸 明治四四年
川
汲
〓小板 尾札部 五坂井, 玉太郎 工藤三蔵 水上 水木三平 明治四五年
川
汲
〓 伊藤,戦後まで、亀尾、湯の
川
の駄付馬がきていたともいう(小中多三郎翁談)。
南茅部町史 下巻
(〔郷土の警察年表〕)
18・ 5・14 森警察署
川
汲
分署設置。 ,35
川
汲
四五番地に分署を設置。 ,43
川
汲
分署を廃止した。,14・ 2
川
汲
巡査駐在所を新築。,昭和 6・ 6・ 5
川
汲
二〇四番地(現、字
川
汲
四二七番地)に、
川
汲
巡査部長駐在所の庁舎を移転、七月一
南茅部町史 下巻
(口絵)
えぞのてぶり 菅江真澄 市立函館図書館 所蔵 調子の埼の石神 ふるべの瀧
川
汲
上空,より安浦、臼尻、大船を望む 定置漁業
川
汲
上空より尾札部、木直を望む 写真提供 (, 所蔵
川
汲
稲荷神社絵馬 文久二壬戌年 奉納 箱館 徳田屋利三郎
川
汲
稲荷神社 船絵馬, 明治11年 奉納 荒関勝蔵
川
汲
稲荷神社 髷(まげ)絵馬 明治12年 奉納 山崎永吉,臼尻村消防組第一部・第二部(大正期) 函館 工藤幸雄 所蔵 工藤千代作 協力
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吉野堂菊地商店
南茅部町史 下巻
(鶴の湯伝説)
鶴の湯伝説
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温泉は、行路がまだ開かれていなかった二百数十年前、
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山中に、傷ついた鶴が浴(ゆあ),寛政三年(一七九一)、この地先をアイヌの舟で各地の民俗を記していった菅江真澄の「えぞのてぶり」に、
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,文政三庚辰年より申年迄七ヶ年 納人
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村 温守弁吉
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温泉場湯守三島弁吉,弘化四年(一八四七)、松浦武四郎は「蝦夷日誌」の
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温泉の項に、「温泉壺一つ。,のち、改築をくりかえしても
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温泉山中旅館の湯の滝は名物の一つであった。
函館市史 別巻 亀田市編
(松川弁之助の開拓)
松
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弁之助の開拓 松
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弁之助肖像 こうした情勢の中で安政三(一八五六)年、越後出身の松
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弁之助,は赤
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村字石
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沢に御手作場を開くことを箱館奉行所に出願し、許可を受け、越後出身者を中心に開拓を進めることになった,『蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類』(新撰北海道史第五巻史料一)には、 箱館在赤
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村の内字石
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沢,、石
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郷と相唱、一村立ニ申付 と当時の石
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郷の状況を記している。,また、『松
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弁之助君事蹟考』では、 一 箱館糞尿を山に捨、海に投せしに、弁之助手人に
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取らせて / 松
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弁之助の開拓
南茅部町史 下巻
(棟札等にみる郷土神社編年一覧)
斎主 社掌小島仁太郎 願主
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若者中 世話人 杉 林政吉ほか 3, (8・13 社掌安田吉春就任) 委員長 杉林政吉 10・ 9・ 6
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稲荷神社鞘殿一棟 , 委員長 森野庄太郎 6・ 1
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稲荷神社村社列格記念手洗鉢
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氏子中 19, 屋敷藤吉ほか八名 26・ 8・
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稲荷神社石灯籠一対
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若者中 27・ 6・吉日, 遷座
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稲荷神社 60・
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稲荷神社記念奉祝大祭
南茅部町史 下巻
(古部・滝ノ沢トンネル)
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トンネル開通の年、昭和四三年五月六日に改正された、旧
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山道と鹿部経由の旧路線最後の、バス時刻表がある,株式会社時刻表 鹿部海岸線 (昭和四三・五・六改正) 函館-鹿部-
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,(表)鹿部駅前-鹿部(温泉街) (注)△印は鹿部で臼尻
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古部方面へ接続します。 ,(表)
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線 函館-トラピスト-鉄山・蛾眉野-
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※
南茅部町史 下巻
(〔温泉〕)
〔温泉〕 寛保年間(一七四一~四四)、「土人始テ見出シ候由」と
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温泉鶴泉の由来は、文化一二年、仙台,
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温泉か、大舟温泉か、磯谷温泉かは不明であるが
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温泉のことであったと思われる。 ,宝暦五年生・一七五五)は、「蝦夷草紙」上巻 巻之二 産物の事の項に、 温泉 知内 湯の
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,乙部 見布 平田内 湯の台 大沢 カツクミ(河
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) 床部(鹿部) 留めの湯 ヱサン(恵山)の山の,湯 シベツ セヽキ(勢々気) とカツクミ(河
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)と鹿部・留ノ湯・ヱサン(恵山)の温泉のことを記
南茅部町史 上巻
(郷土駐屯)
郷土駐屯 鷲ノ木から鹿部・臼尻・
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にかけた海岸に、一小隊ずつを配置した。 ,臼尻分駐隊 隊長細井安太郎(伝習隊士官)外一三五名 竜宮庵 〓小
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本家 〓東出 野村 大坂, 〓小
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能戸 二本柳
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分駐隊 隊長角田茂助(遊撃隊士官)外一五〇名 酒井 ,加我 佐藤 小板 杉林 ほか一〇軒 本陣を
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〓酒井家に置き、台場指令所は
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温泉においた
函館市史 別巻 亀田市編
(下肥)
①各組合の
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取る町内は次の通り、 (ア)渡島上磯利用組合 船見町、船場町、台町、豊
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汐止町、,同東部、松風町、千歳町、 高砂町 (イ)函館清掃株式会社 汐見曙町、青柳町、寿町、東
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町,、春日町、西
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町、相生町、真砂町、蓬萊町、 鶴岡町、恵比須町、若松町、宝町、音羽町、谷地頭町、海岸町,、住吉町、 万代町 (ウ)亀田農会 宇賀浦衛生組合、時任同、高盛同、中島同、堀
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同、干代,ヶ岱同、上新
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同、 大縄町、 (エ)函館清掃組合 山背泊町、タナゴマ衛生組合、弁天同、
南茅部町史 下巻
(【資料二-③】 明治九年九月一八日 函館郵便局課より札幌本庁駅逓課御中 北海道郵便出発定日 日割表)
函館ヨリ久遠迄 三 八ノ日 久遠ヨリ函館迄 三 八ノ日 苫小牧ヨリ浦
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迄, 三 六 九日 浦
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ヨリ苫小牧迄 一 五 八日 浦
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ヨリ根室迄 一 ,
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迄 二 七ノ日 但シ午前八時
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ヨリ下湯
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迄 三, 八ノ日 但尾札部臼尻両局ニテ二七ノ日
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江向出発但シ午後三時 新室蘭ヨリ紋別迄 , 宗谷ヨリ毎月七日二七日紋別江向出発 紋別ヨリ毎月一二日二七日宗谷へ向出発
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下湯
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