機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 18件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
南茅部町史 上巻
(宇賀昆布)
建武年間(一三三四~)、僧玄恵の著といわれる能狂言五九番集に「昆布売」、同人の著とされる
庭訓往来
(ていきんおうらい,この
庭訓往来
に記す宇賀昆布を、マコンブの名が全国に知られる始めとしてよく引用される。 ,室町末期の註釈本「
庭訓往来
註」に、宇賀昆布について「夷嶋弁才天ノ御座所也」と記す。 ,
庭訓往来
寛政8年 小笠斎溝江筆(安政版) 吉田 覚太郎 提供
函館市史 銭亀沢編
(宇賀昆布)
宇賀昆布 ところで一四世紀中葉に書かれたとされる「
庭訓往来
」(『続群書類従』巻三六一)に諸国の産物が,幕府御用の蝦夷地の実地調査にしては、箱館辺の浦と志野利浜との関係が適当でなかったり、「
庭訓往来
」の宇賀,ついで、松浦武四郎は「蝦夷日誌」で、石崎村にウカカという川があるが、ここ以外に「彼
庭訓往来
に宇賀の昆布,志苔から噴火湾沿岸の各地が良品質の昆布産地(特に尾札部)として著名になるにしたがって、宇賀昆布は『
庭訓往来
函館市史 通説編 第一巻
(宇賀昆布と箱館の繁栄)
宇賀昆布と箱館の繁栄 「
庭訓往来
」 しかるにこのころから、いまの渡島半島沿岸には、相次いで諸館,すなわち、元弘4(1334)年の著といわれる『
庭訓往来
(ていきんおうらい)』によれば、全国特産物の1つとして
函館市史 別巻 亀田市編
(東北・北陸との交流)
また正平五(一三五〇)年ころ、僧玄恵作と言われる『
庭訓往来
』には、諸国の名産が挙げられているが、その中,
庭訓往来
内閣文庫蔵 室町時代の資料としては、函館圏流通センターの用地となっている通称守田の山
椴法華村史
(昆布漁業のはじまり)
らかではないが、内地船が蝦夷地に交易のため来航するようになってからであり、昆布に関する一番古い記録と考えられる『
庭訓往来
,左上すみに宇賀昆布
庭訓往来
(内閣文庫蔵)現存する最古のもの 『新羅之記録』によれば、
函館市史 別巻 亀田市編
(館の経済基盤)
東北、北陸の裏日本から来航する船と交易し、それを財源として館の経営がなされていたものと考えられ、前述『
庭訓往来
函館市史 通説編 第一巻
(昆布の種類)
『
庭訓往来
』に「宇賀昆布」と記されているのは、亀田郡小安村ウンカ川付近から産出したので名付けられたという
椴法華村史
(本州との交易)
本州との交易 『
庭訓往来
』元弘四年(一三三四)には諸国の名産が挙げられているが、その中に「宇賀昆布」
函館市史 通説編 第一巻
(寺子屋の教育内容)
教授書類 習字手本としては「いろは」「仮名交り口上」「町名村名」「名頭」「国尽」「商売往来」「諸職往来」「
庭訓往来
,読本としては「商売往来」「実語経」「古状揃」「
庭訓往来
」「孝経」「四書」まれに「五経」などがあっていずれも
南茅部町史 上巻
(御用昆布)
いわゆる
庭訓往来
の宇賀昆布を踏襲している。
恵山町史
([松前藩時代の下海岸のみち])
元弘4年(1334年)、僧玄恵が書いた『
庭訓往来
』の中に諸国の名産として蝦夷地の「宇賀昆布・鮭」(宇賀
戸井町史
([昆布漁])
(1)元弘四年(一三三四)即ちコシャマインの乱より一二〇年も前に書かれた『
庭訓往来
(ていきんおうらい),広長は『
庭訓往来
』の「宇賀昆布」は、銭亀沢の宇賀の昆布だとは言っていない。,『
庭訓往来
』に書かれた「宇賀昆布」の産地を、昆布の質を知らない人やこの海岸の地理に暗い人、『松前志』の,竹内運平や松本隆も、『
庭訓往来
』の「宇賀」は銭亀沢の宇賀だと書いて、後人を誤らせている。 ,『
庭訓往来
』に「雲加(うんか)の昆布」と書いているのは、東方雲加というところから出る昆布である。
函館市史 通説編 第一巻
(志海苔古銭)
建武元(1334)年の『
庭訓往来
』にある宇賀昆布、夷鮭の記述や、既に述べた貞治6(1367)年の板碑とも
恵山町史
([江戸時代の漁業])
しかも、沿岸一帯は、宇賀昆布(『
庭訓往来
(ていきんおうらい)』1334年に蝦夷の名産と記述、詳細は昆布
戸井町史
(年表の序)
高弟日持上人が石崎に滞留したという伝説で、その次が永仁四年より三十数年後の元弘四年(一三三四)に書かれた『
庭訓往来
恵山町史
(4、江戸時代の昆布漁)
1334年(元弘4)『
庭訓往来
(ていきんおうらい)』より これは、「往来(おうらい)もの」と称する,
庭訓往来
は当時の初等教科書である。,これも、『
庭訓往来
』同様『玄恵(げんえ)』の作といわれている。
戸井町史
([戸井の地名考])
昆布の歴史の最初に出て来る『
庭訓往来
(ていきんおうらい)』の「宇賀昆布」は、この川の注ぐ附近の海で採取,ところが、銭亀沢に、近世「宇賀」という地名が生れたことに幻惑(げんわく)されて、北海道の学者までも『
庭訓往来
,「
庭訓往来
に宇賀昆布といっているが、東蝦夷地オサツベ辺の昆布が最上である。
戸井町史
([戸井と近隣の変遷])
永仁四年(一二九六)に日持上人が石崎に滞留したという伝説があり、元弘四年(一三三四)に書かれた『
庭訓往来
/ 1ページ