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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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南茅部町史 上巻 (宇賀昆布)

建武年間(一三三四~)、僧玄恵の著といわれる能狂言五九番集に「昆布売」、同人の著とされる庭訓往来(ていきんおうらい,この庭訓往来に記す宇賀昆布を、マコンブの名が全国に知られる始めとしてよく引用される。  ,室町末期の註釈本「庭訓往来註」に、宇賀昆布について「夷嶋弁才天ノ御座所也」と記す。  ,庭訓往来 寛政8年 小笠斎溝江筆(安政版) 吉田 覚太郎 提供
函館市史 銭亀沢編 (宇賀昆布)

宇賀昆布 ところで一四世紀中葉に書かれたとされる「庭訓往来」(『続群書類従』巻三六一)に諸国の産物が,幕府御用の蝦夷地の実地調査にしては、箱館辺の浦と志野利浜との関係が適当でなかったり、「庭訓往来」の宇賀,ついで、松浦武四郎は「蝦夷日誌」で、石崎村にウカカという川があるが、ここ以外に「彼庭訓往来に宇賀の昆布,志苔から噴火湾沿岸の各地が良品質の昆布産地(特に尾札部)として著名になるにしたがって、宇賀昆布は『庭訓往来
函館市史 通説編 第一巻 (宇賀昆布と箱館の繁栄)

宇賀昆布と箱館の繁栄 「庭訓往来」  しかるにこのころから、いまの渡島半島沿岸には、相次いで諸館,すなわち、元弘4(1334)年の著といわれる『庭訓往来(ていきんおうらい)』によれば、全国特産物の1つとして
函館市史 別巻 亀田市編 (東北・北陸との交流)

また正平五(一三五〇)年ころ、僧玄恵作と言われる『庭訓往来』には、諸国の名産が挙げられているが、その中,庭訓往来 内閣文庫蔵  室町時代の資料としては、函館圏流通センターの用地となっている通称守田の山
椴法華村史 (昆布漁業のはじまり)

らかではないが、内地船が蝦夷地に交易のため来航するようになってからであり、昆布に関する一番古い記録と考えられる『庭訓往来,左上すみに宇賀昆布 庭訓往来(内閣文庫蔵)現存する最古のもの    『新羅之記録』によれば、
函館市史 別巻 亀田市編 (館の経済基盤)

東北、北陸の裏日本から来航する船と交易し、それを財源として館の経営がなされていたものと考えられ、前述『庭訓往来
函館市史 通説編 第一巻 (昆布の種類)

『庭訓往来』に「宇賀昆布」と記されているのは、亀田郡小安村ウンカ川付近から産出したので名付けられたという
椴法華村史 (本州との交易)

本州との交易 『庭訓往来』元弘四年(一三三四)には諸国の名産が挙げられているが、その中に「宇賀昆布」
函館市史 通説編 第一巻 (寺子屋の教育内容)

教授書類 習字手本としては「いろは」「仮名交り口上」「町名村名」「名頭」「国尽」「商売往来」「諸職往来」「庭訓往来,読本としては「商売往来」「実語経」「古状揃」「庭訓往来」「孝経」「四書」まれに「五経」などがあっていずれも
南茅部町史 上巻 (御用昆布)

いわゆる庭訓往来の宇賀昆布を踏襲している。        
恵山町史 ([松前藩時代の下海岸のみち])

元弘4年(1334年)、僧玄恵が書いた『庭訓往来』の中に諸国の名産として蝦夷地の「宇賀昆布・鮭」(宇賀
戸井町史 ([昆布漁])

(1)元弘四年(一三三四)即ちコシャマインの乱より一二〇年も前に書かれた『庭訓往来(ていきんおうらい),広長は『庭訓往来』の「宇賀昆布」は、銭亀沢の宇賀の昆布だとは言っていない。,『庭訓往来』に書かれた「宇賀昆布」の産地を、昆布の質を知らない人やこの海岸の地理に暗い人、『松前志』の,竹内運平や松本隆も、『庭訓往来』の「宇賀」は銭亀沢の宇賀だと書いて、後人を誤らせている。  ,『庭訓往来』に「雲加(うんか)の昆布」と書いているのは、東方雲加というところから出る昆布である。
函館市史 通説編 第一巻 (志海苔古銭)

建武元(1334)年の『庭訓往来』にある宇賀昆布、夷鮭の記述や、既に述べた貞治6(1367)年の板碑とも
恵山町史 ([江戸時代の漁業])

しかも、沿岸一帯は、宇賀昆布(『庭訓往来(ていきんおうらい)』1334年に蝦夷の名産と記述、詳細は昆布
戸井町史 (年表の序)

高弟日持上人が石崎に滞留したという伝説で、その次が永仁四年より三十数年後の元弘四年(一三三四)に書かれた『庭訓往来
恵山町史 (4、江戸時代の昆布漁)

1334年(元弘4)『庭訓往来(ていきんおうらい)』より  これは、「往来(おうらい)もの」と称する,庭訓往来は当時の初等教科書である。,これも、『庭訓往来』同様『玄恵(げんえ)』の作といわれている。
戸井町史 ([戸井の地名考])

昆布の歴史の最初に出て来る『庭訓往来(ていきんおうらい)』の「宇賀昆布」は、この川の注ぐ附近の海で採取,ところが、銭亀沢に、近世「宇賀」という地名が生れたことに幻惑(げんわく)されて、北海道の学者までも『庭訓往来,「庭訓往来に宇賀昆布といっているが、東蝦夷地オサツベ辺の昆布が最上である。
戸井町史 ([戸井と近隣の変遷])

永仁四年(一二九六)に日持上人が石崎に滞留したという伝説があり、元弘四年(一三三四)に書かれた『庭訓往来
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