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函館市史 通説編 第二巻
(弁天台場の築造)
弁天台場
の築造
弁天台場
の築造工事は、先にみたように安政3年冬からただちに着工されたが、着工時期が冬,ところで、この
弁天台場
には、当初の計画では、24ポンド筒50挺(「御普請御用留」では、80斤ボムカノン,されずに終わったために、この
弁天台場
のみがこの期に築造された唯一の洋式台場となった。,以上、五稜郭関係の3つの工事と
弁天台場
の築造の概要をみてきたが、これらに要した経費は、五稜郭堀割・土塁,しかし、幕末の激動期の幕府財政の困難な状況のなかで、五稜郭関係工事と
弁天台場
の築造のみにこれだけの費用 /
弁天台場
の築造
函館市史 別巻 亀田市編
(五稜郭築造の内容)
五稜郭築造の内容 『函館市史資料集、第二十六集、函館の史蹟五稜郭』によれば、初の計画は
弁天台場
、築島台場,築島台場築設 金一万六千両 備砲 金 二万両 沖ノ口台場築設 金四千両 備砲 と五稜郭、
弁天台場
,られており、築島台場及び沖ノ口台場はついに予算不足のために着工するまでに至らなかったが、重要工事である
弁天台場
及
函館市史 通説編 第二巻
(改正函館港全図)
つまり、旧
弁天台場
地先の埋立と防砂提の工事とともに若松町、海岸町の海面埋立にあらわれている。
函館市史 通説編 第二巻
(当初の五稜郭プラン)
なお、この設計者は、
弁天台場
と同じく蘭学者武田斐三郎(諸術調所教授役)であったが、「五稜郭」という名称,諸大名に対してのみならず、「箱館市中之者」「異国之者共」に対しても幕府の「御失体」となるので、先ずは、
弁天台場
,かくして、
弁天台場
の工事は同年より、御役所土塁の工事は翌安政4年より着工されることとなったのである。
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の警備)
箱館
弁天台場
一貫目筒・三百目筒各一挺。 箱館山背泊台場 三百目筒二挺。
南茅部町史 上巻
(台場通宝)
五稜郭の築城工事のほか、
弁天台場
などの大がかりな工事には、たびたび近在の百姓が多く徴用され、この種の台場通宝
函館市史 別巻 亀田市編
(榎本軍の占領と防備体制)
亀田周辺でも榎本軍の本営である五稜郭および
弁天台場
の本格的要塞を中心として、軍事上の拠点と思われる湯の
函館市史 通説編 第二巻
(役所・役宅の新築・移転と防備)
同奉行の大きな政治的課題になったことは、先にみたとおりであるが、その最終的結論がいわゆる五稜郭の築造と
弁天台場
,しかし、実際着工したのは、
弁天台場
のみであったことは後述のとおりである。
函館市史 銭亀沢編
(現在の海岸環境)
函館湾側の海岸線は、幕末に
弁天台場
や外国人居留地が設置されたのを皮切りとして、戦後に至るまで、次々に埋
函館市史 通説編 第二巻
(洋風建築への挑戦)
五稜郭や
弁天台場
などの土木工事もあって、箱館には本州から多くの職人たちが入り込んでいたが、こういう中に
函館市史 通説編 第二巻
(五稜郭の築造)
以下、主に「御普請御用留」に依拠しつつ、これら3つの工事と
弁天台場
工事の概要について触れておきたい。
椴法華村史
(明治元年)
また榎本軍の本営である五稜郭、
弁天台場
をとりかこむ地域にも、四稜郭、千代ガ岡、築島台場などを構築、兵器
函館市史 通説編 第二巻
(都市空間拡大の要因とその様相)
つまり旧
弁天台場
地先の埋立と若松町の埋立であり、倉庫地としての活用と港湾施設の改良を兼ねたものであった
函館市史 通説編 第二巻
(5月11日の戦い)
開陽乗組製図方岩崎新吾筆 また、箱館奇襲作戦を担当する部隊は、10日夜、豊安(箱館攻撃部隊乗組)と飛龍(
弁天台場
攻撃部隊乗組
函館市史 通説編 第二巻
(幕領初期に直面した問題)
これに対し老中は、弁天岬、築島の両台場の築造を許可したが、五稜郭の築造とならぶ
弁天台場
の築造もこれを契機
恵山町史
([箱館裁判所(箱館府)と箱館戦争])
新政府軍の上陸部隊が箱館山の裏手、寒川に上陸し、山頂を越え三方に分かれ一斉に市中攻撃を仕掛ける奇襲作戦で
弁天台場
,これで脱走軍の援軍を
弁天台場
へ向けさせ、手薄になった四稜郭・権現台場攻略。,5月15日、
弁天台場
、兵糧尽き降伏。
函館市史 通説編 第二巻
(新しい産業分野をめぐって)
弁天台場
のほか、矢不来、山背泊、立待岬、七重浜など、箱館近辺に設けようとする砲台の備砲を製造するには莫大,
弁天台場
、亀田御役所(五稜郭)という大工事の実施と重なる時期に製鉄関係には資金がまわし難かったのであり
函館市史 通説編 第二巻
(邏卒の仮設)
引渡書類をみると、開拓使側の書類には「弁天岬台場」とあり、陸軍省の書類には「弁天岬砲台」とあるので、通称
弁天台場
函館市史 通説編 第二巻
([目次])
と/踏絵の見合せ/奥羽五藩の警備と箱館/奉行配下の吏僚/六藩分領と奉行「御預所」 二 五稜郭と
弁天台場
, 役所・役宅の新築・移転と防備/当初の五稜郭プラン/五稜郭の築造/郭外の役宅/御役所の建設/
弁天台場
恵山町史
(②古武井熔鉱炉に関する研究 幕末期蝦夷地開拓と外国技術)
武田は熔鉱炉ばかりでなく、
弁天台場
、五稜郭等の建設も命じられており、しかも古武井では冬期間は工事も中止
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