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函館市史 通説編 第一巻
(市街の拡張)
それを中心に海岸に沿って西に
弁天町
、大町、東に内澗町、地蔵町が一列に並んでいた。,
弁天町
は箱館湾を外海と分かつ岬の付近に展開し、外側に山背泊および鰪澗などの漁師、水夫らが住む場末町に続,また
弁天町
の坂上には神明社および高龍寺があり、大町の坂上には実行寺、称名寺、浄玄寺等の大寺が門を並べて,内澗町に続く地蔵町は
弁天町
に対して町の内陸寄りのはずれに位し、小商人、蝦夷地出稼ぎを業とする場所出稼人
函館市史 通説編 第一巻
(消防組織の確立)
○
弁天町
官庫は
弁天町
人足三十人受持。 ○大町官庫は大町人足二十人受持。,○
弁天町
人足七十一人の内、三十人は火災の遠近に拘らず町内御蔵所へ詰合せ、四十一人は火事場の消防に従事す
函館市史 通説編 第二巻
(町と町に準ずるもの)
したと思われる人口戸数等の統計上に見られる町名としては、寛政期(1790年代)にはその存在が確認できる
弁天町
,担当町名 町代名 大町 伊藤弥太郎 常野与兵衛 内澗町 平田文右衛門 啓治 津田勘兵衛
弁天町
,大町、内澗町、
弁天町
、地蔵町、三町、大黒町、山上町、尻沢辺町がその8町である。,この内、三町というのは鰪澗町、仲町、神明町を総称したもので、箱館の表通りの町(
弁天町
、大町、内澗町)の,つまり町政上の町は、大町、内澗町、
弁天町
、地蔵町、大黒町、山上町、尻沢辺町、鰪澗町、仲町、神明町の10
函館市史 通説編 第二巻
(開港以前の様相)
前直轄時代の市中には名主が9人置かれており、それぞれ地蔵町、山ノ上町、大町、
弁天町
、大黒町、内澗町、仲町,そして、これらの町の職業構成は、
弁天町
、大町、内澗町などは場所請負人、問屋、小宿などを業種とする有力商人,これらの職業の違いを反映してか、当時の土地所有における坪割銭によれば内澗町、
弁天町
、大町が1か年地面1,つまり、店役および家役から大町、
弁天町
が特に高い比率を占め、土地生産性が高いことがわかるし、人別銭での,さらに、前直轄時代の函館の都市機能として重要な沖の口役所が大町より
弁天町
へ移転した。
函館市史 通説編 第一巻
(問屋・小宿以外の商人)
なかでも
弁天町
の米屋(国領)平七などは手広く営業しており、この人は近江の人で、文政元(1818)年箱館,このほか越前大野藩では、藩士内山隆佐の計画で
弁天町
に店を置き、藩船大野丸で呉服太物雑貨類を積み来り販売
函館市史 通説編 第一巻
(町費)
内澗町、
弁天町
、大町 一箇年地面一坪銭十文ずつ 大黒町、山ノ上町 同六文ずつ 地蔵町,在方より取寄候人足賄代 一 百九十三貫六百九十七文 山ノ上町大黒山入用 一 二百十貫三百文
弁天町
弁天丸入用,二貫九百七十文 地蔵町 一貫九百四十四文 内澗町 一貫三百七十七文 大町 二貫三百七十六文
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(明治35年の倉庫業)
土造 木造 合計 棟 坪 数 棟 坪 数 棟 坪 数 棟 坪 数 棟 坪 数 1 西出左衛門倉庫
弁天町
,#160; 33 4,176 1 95 4 217 30 3,131 68 7,619 * 柳田藤吉倉庫
弁天町
,3 275 5 杉野三次郎倉庫 幸町 0 0 0 0 0 0 2 64 2 64 6 国領平七倉庫
弁天町
,0 0 0 0 6 92 0 0 6 92 7 久保彦助倉庫
弁天町
0 0 0 0 2 48 1
函館市史 銭亀沢編
(八幡宮の祭礼)
夫より
弁天町
・地蔵町神輿御旅所において神楽御祈祷執行仕候に付、町年寄・祭礼奉行・名主御祈祷相済候迄参詣仕来,依之惣町四組に相成り、祭山と相唱ひ、
弁天町
・大町・内澗町・山之上町。
函館市史 通説編 第二巻
(函館馬車鉄道株式会社の設立経過)
#160; 一 亀田郡亀田村字万年橋を起点とし、函館海岸町、若松町、鶴岡町、地蔵町、末広町、大町、
弁天町
,二
弁天町
より幸町、西浜町、仲浜町、東浜町を経て末広町永国橋に至る支線一哩(一六〇九メートル)、合計軌道延長三哩半,路線は同年11月23日に
弁天町
、大町、末広町、恵比須町、蓬莱町を経て東川町本社に達する1線が竣工し、続
函館市史 通説編 第二巻
(3区の設定)
当時の函館市街を3区に分け、函館山の裾を巡る地区を第1区(27町)、
弁天町
から内澗町までの海岸線とその,寺町 常盤町 花谷町 芝居町 天神町 梅枝町 茶屋町 上新町 坂町 下新町 片町
弁天町
代地,代地竪通 浜町 大町上通 会所町 上大工町 下大工町 尻沢辺町 2区 鰪澗町 鰭横町 神明町 仲町
弁天町
,芝居町東側 花谷町 愛宕町 天神町1丁目 茶屋町 常盤町西側 坂町 芝居町西側 片町
弁天町
代地,下大工町 春日町 上汐見町 下汐見町 尻沢辺町 2区 鰪澗町 鰭横町 神明町 仲町
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(市街地の拡大と地価決定因子)
次に宅地の増加については先の図4-10より、
弁天町
、台町、元町、汐見町、谷地頭町、東川町などが増加している,土地標準価格は、1坪につき東浜町71円、西浜町、末広町65円、仲浜町、船場町60円、地蔵町、大町45円、
弁天町
,これが33年の等級表では大町、地蔵町、恵比須町が同じ等級であり、
弁天町
はそれ以下に下降している。 ,22 27 14 20 30 5 23 18 12 5 21 23 8 (2)
弁天町
恵山町史
(4、(恵山)厳島神社)
当厳島神社は函館市
弁天町
の厳島神社からの分神と推察される。 ,厳島神社(恵山) 弁才天(弁天様)と市杵島姫命(厳島神社)について 当神社は函館市
弁天町
,因みに町名の
弁天町
は「弁天社」に由来している。
函館市史 通説編 第一巻
(道路開削)
それが安政3年箱館
弁天町
の住民福次郎、千代田郷の住民才太郎の二2人が、共同して出願し、5年間橋銭を取ることを
函館市史 別巻 亀田市編
(函館の電話)
町別では末広町五四、東浜町二九、大町二六、蓬来町一二、
弁天町
一一などは多い方で、一つもない町は春日町など
函館市史 通説編 第一巻
(戸口の増加)
、名主白鳥九右衛門、年寄井口兵右衛門、村岡清九郎、逸見小右衛門、茅野忠兵衛 地蔵町、内澗町、大町、
弁天町
,
弁天町
は小船の中宿多し。わずかの村なれども湊故繁華の地なり。
函館市史 通説編 第二巻
(都市空間拡大の要因とその様相)
それは山の上遊郭移転と幸町埋立との関連であり、「第二大区二小区
弁天町
住家諸商人共、近年営業向衰微の趣にて,、従来区内潤助の為め同区西浜町海岸築出の儀ニ付、
弁天町
一同より懇々頼入の趣も御座候ニ付、私儀営業上の外別段余力等有之義,上遊廓転地以来追々商人共営業上衰微を醸し候儀は相違も無之」(「幸町埋立関係文書」『函館市史』史料編第2巻)と
弁天町
有志,つまりこの埋立により
弁天町
の営業の衰微を新たな都市機能の具備により再興を図ったものである。
南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
岡崎汽船株式会社 日運丸 (二、三〇〇t) 小樽行 電話一四三番・一四三九番
弁天町
二三番地, 有川丸 古武井・椴法華行・板木・臼尻・熊泊・鹿部・本別行
弁天町
二番地, 定航 静丸 尻岸内・女那川・古武井・根田内・椴法華行
弁天町
一番地, 発動汽船 慶正丸 戸井・日浦・尻岸内・女那川行 電話一三〇番
弁天町
一番地
函館市史 通説編 第二巻
(経済力と土地所有)
3.87 5.45 0.97 1.39 12.44 0.95 0.48 30.55 (2)
弁天町
,22,971 602,156 12.69 6.34 46.33 2.59 67.95 (2)
弁天町
,(16) 475 (16) 396 (16) (16) 末広町 174,000
弁天町
,モシダイニ騰貴シ、随テ銀行ノ業務モ頻繁ヲ加ヘ来リテ是又十二分ノ利益ヲ見ルニ致レリ、依テ余ハ所有地ノ中
弁天町
,つまり大町、
弁天町
などは一時期かなり地価が下落したが、先の商人の動きなどからこの地区の土地が資産財として
函館市史 通説編 第二巻
(石蝋(西洋蝋燭))
石蝋の製造は、30年に
弁天町
の蛯子和右衛門が原料を横浜から購入して着業したのがはじまりであるが、35年
椴法華村史
(大正三年の海運広告(椴法華来航の船))
海陸共通社 定期 無事丸 尻岸内磯谷 行 隔日後十時 椴法華古部
辨天町
二三番地
函館市史 通説編 第一巻
(箱館港則と港湾施設)
徴収していたが、これに外国貿易事務を兼ねさせると、混雑して種々の弊害が生ずるおそれがあるので、6月仮に
弁天町
高龍寺,箱館港口の常夜灯は、安政3年5月
弁天町
の庄蔵なる者の願いにより弁天岬に設置されたが、翌4年台場建築のために
函館市史 通説編 第一巻
(天保12年の戸口)
四九七人 神明町 九一戸 四五一人 仲町 八三戸 四一四人
弁天町
函館市史 通説編 第一巻
(寺院)
1633)年松前法源寺4世芳龍が亀田に1宇を建立(寺号公称年代不明)、宝永3(1706)年箱館(いまの
弁天町
,年京都本満寺から寺号を許可され、その時富岡町の地に移ったとわれているが、『箱館夜話草』には裏町(「大町、
弁天町
戸井町史
(十二、椴法華、銚子岬沖の磯舟転覆事件(大正七年))
(大正七年) 大正七年一月十八日、函館区音羽町奈良亀太郎(五七才)亀太郎の二男要松(二三才)函館区
弁天町
山田佐助
函館市史 通説編 第一巻
(戸口)
しかも文化3(1806)年10月、
弁天町
河岸から出火して、約300戸を頼焼しているにもかかわらず、その
恵山町史
(下海岸を走った当時のバス)
外国製の自動車であったため部品もすべて外国製品でなければならず、価格も高く付き、また取り扱い商社も函館市
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(町年寄・名主の廃止)
注1 担当町名 五十嵐荘八 注6 小島又次郎 白鳥半十郎 定兵衛 堺新三郎 大町
弁天町
,松代伊兵衛 蛯子武兵衛 注8 内澗町 大工町 地蔵町 三町 大黒町 大町 山上町
弁天町
,松代伊兵衛 注10 蛯子武兵衛 石川茂作 太右衛門 地蔵町 内澗町 大黒町 大町
弁天町
,五十嵐荘八 小島屋又次郎 岩井屋茂作 池田屋新左衛門 能登屋惣吉 大町 内澗町 山上町
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(函館商人の系譜)
漁場持、西洋型船所有、硫黄採掘 汽船海運、缶詰製造、事業中止 新興商人 相馬哲平 6千円~1万円
弁天町
,千円~5千円 大町 西洋雑貨、呉服太物販売 杉野三次郎 3千円~4千円
弁天町
,伊藤鋳之助 3千円~4千円 富岡町 商店店員 活版印刷、新開発行 岩船蜂次郎 3千円~4千円
弁天町
,49 西浜町22 同町35 末広町34
弁天町
21 東浜町35 同町2 仲浜町18 鍛冶町,73 旗籠町79 会所町16 豊川町45 地蔵町26 鶴岡町35
弁天町
54 同町21
函館市史 通説編 第一巻
(名主)
大町
弁天町
鰪澗町 名主 新十郎 山ノ上町 神明町 同 次兵衛 内澗町 地蔵町
函館市史 通説編 第一巻
(箱館の町勢)
また、
弁天町
はわずか弁天の前の1丁ばかりをいったものかとも思われる。,けれどもいまではあの辺を
弁天町
といって仲町というものがない。,「
弁天町
」 いまこの高龍寺門前から西をいっているが、しかしはっきりしていない。,「神明町」 高龍寺の西から鰪澗町に至る
弁天町
の裏町である。縦町1すじ横町1すじになっている。,「鰪澗町」 弁天社から南海岸片側の町で、漁師ならびに水主、車櫂などが住み、
弁天町
名主の支配である。
函館市史 通説編 第二巻
(町屋敷経営の変容と職業構成)
町屋敷経営の変容と職業構成 海岸道路の整備は、
弁天町
より地蔵町への交通の便を良くするだけでなく町家についても,つまり、それまでは
弁天町
通り、大町通りという具合に1本のメイン通りに面して町家が形成されていた。
南茅部町史 下巻
(〔搔き送り船(かきおくりぶね)〕)
神清丸 茂辺地村清治郎船 長永丸 三蔵船 海運丸 長治郎 箱館の海産物商である
弁天町
イ
南茅部町史 上巻
(新しい町名)
横津町 渡島町 道南町 北海町 工夷町 臼尻町 東海町 安浦町
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(明治以降の埋立)
のため、仲浜町の海汀841坪余埋築 13.3 福士成豊、真砂町の海面1904坪埋築 13.9 開拓使、
弁天町
海面,月竣工、35年停車場用地として北海道鉄道株式会社に譲渡) 31.6 函館船渠株式会社に於て社用地として
弁天町
区埋立地
函館市史 通説編 第二巻
(運動の再開と函館商業会議所の設立認可)
回漕問屋 薬種商 酒造業 呉服太物商 物産商 船見町111 末広町110 元町40
弁天町
,46 末広町26 末広町94 末広町24 大町19 東浜町5 大町17 鶴岡町58
弁天町
函館市史 別巻 亀田市編
(乗合自動車会社)
当時、
弁天町
二五番地で運送業を営んでいた高木荘治は、昭和三年に函館駅前から中の橋経由根崎間の運輸を開始
函館市史 通説編 第一巻
(文化3年の大火と消防体制)
文化3年の大火と消防体制 文化3年10月4日の夜
弁天町
河岸の市店から出火し、折から西北の風にあおられて
函館市史 通説編 第一巻
(乙二と「斧柄社」)
同社は3世草琚(平田伝六、
弁天町
住)、4世北崕(称名寺住職)と継ぎ、いま称名寺にある「涼しさや月とものいふ
函館市史 通説編 第一巻
(心学講釈所)
心学講釈所 嘉永4(1851)年、町年寄松代伊兵衛が渋田利右衛門(共に
弁天町
の人)と謀り、鳥取藩士西川晩翠
函館市史 通説編 第二巻
(私立小学校と夜学校)
渋田利右衛門・工藤弥兵衛・杉野源次郎の3名が世話人となって、11年1月
弁天町
55に開校した弁天夜学校もその
恵山町史
(沿革)
同年5月、古武井村総代善次郎(善次郎は名義のみで、函館
弁天町
、石川小十郎が資金を出し、同山の上町の貴田立本
函館市史 通説編 第二巻
(会社合併と路線拡張)
まずは、
弁天町
(同年、函館船渠株式会社が設立)、十字街と、近く新設予定の函樽鉄道函館駅及び実現をめざしている
函館市史 別巻 亀田市編
(新聞の報道)
亀田村臨港地帯、字港町の一部東西一・六三四キロ、南北一・九〇八キロ、面積〇・九六六平方キロ(二十間坂以西
弁天町
戸井町史
((5)明治三十二年の所得税調査員当選者と四郡の選挙人名)
函館区天神町七十五番地 二十九点 中村修 亀田郡下湯ノ川村 三代孫兵衛である 二十四点 相馬哲平 函館区
弁天町
三十九番地
椴法華村史
(牛滝村慶祥丸の難船)
南部領牛瀧村船方之者共 魯西亜國江漂流上申書 箱立
辨天町
濱屋次郎兵衛同所大町辰巳屋七郎兵衛方ヨリ
函館市史 通説編 第一巻
(市中商人の成長)
弁天町
惣代倉部屋太兵衛、高橋屋伝之助。仲町・神明町・大工町惣代伊藤屋弥吉、越前屋藤二郎。
函館市史 通説編 第二巻
(明治11、12年の大火による街区改正)
具体的には明治11年の街区改正では「一、
弁天町
及大町等ノ如キ大道ハ道幅十間以上トシ一直線ヲ要ス 一、山,より作成 表4-21 大火による土蔵の移転 明治11年大火 明治12年大火
弁天町
函館市史 通説編 第二巻
(函館汽船会社と改称)
これは海運関連の業種が従来の
弁天町
、西浜町、大町方面から東浜町・船場町方面へと移動してきていることに対応
函館市史 通説編 第二巻
(北海通誌)
この雑誌は琉球紙12枚摺の小冊子であり、持ち主は
弁天町
の商人蛯子七郎衛門、編集人は宮村直義、印刷人は伊藤鋳之助
椴法華村史
(帆船富内丸の破船)
帆船富内丸船長石川縣平民 東 作太郎 右は北海道渡嶋國函館區
辨天町
相馬哲平所有登簿噸数三十五噸五九
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