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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 別巻 亀田市編 (御手作場)

御手作場 前松前藩時代に試みられた亀田地域の農業は、天明の飢饉や松前藩の農業政策のまずさのために失敗,このようなおり、箱館奉行所は箱館近郊の農業開発に乗り出し、各地に御手作場(奉行所直営の開墾地)を設けた,などを本州から求め、試作したところほぼ良好の成績を得たので、これに力を得た箱館奉行所は、菡斎の開墾地を御手作場,と名付け、菡斎を指導者として箱館近郊に御手作場を増加させて行く政策をとった。 / 御手作場
函館市史 通説編 第二巻 (農業開拓策)

七重村御手作場(飯田郷)、大川村御手作場(中嶋郷)、戸切地村御手作場(吉田郷)、七重村・大野村地先御手作場,(鶴野郷)、三ツ谷村御手作場(三好郷)、銭亀沢村地先亀ノ尾御手作場(亀ノ尾郷)、上湯川村御手作場(鷲巣郷,のように記され、御手作場の名称は残っていたことが知られる。,ヨイチの御手作場は、安政6年、着手。,在住制や御手作場による開発のほか、資金を貸付けて開発を奨励する方法もとられていた。
函館市史 別巻 亀田市編 (松川弁之助の開拓)

松川弁之助肖像  こうした情勢の中で安政三(一八五六)年、越後出身の松川弁之助は赤川村字石川沢に御手作場,罷出候者も有レ之候間、右様のものは、繰入農夫え被レ下候御手当の半減程を以、右石川沢え移住為レ致、(中略)御手作場石川沢,『村垣淡路守公務日記』(大日本古文書、東京大学)には、石川沢御手作場の費用として幾度も金子を弁之助に渡
函館市史 通説編 第一巻 (畑作)

によって外国船に薪水や食料を供給するようになると、外国人は多く牛とともに馬鈴薯を所望するので、箱館奉行は御手作場
函館市史 通説編 第一巻 (開墾)

このように菡斎の開墾地は、すこぶる成績がよく農夫の数も増加したので、箱館奉行はこれを官費経営に移して御手作場
南茅部町史 下巻 (〔七重勧業所の沿革〕)

明治 4年   札幌官園を北六条の西方三、六〇〇坪を開墾試験場御手作場、ついで一号園といい、また、
南茅部町史 下巻 (〔資料〕)

農夫頭取甚右衛門            申四月二日            一河汲砥石山御取開相成候ニ付テハ亀尾御手作場農夫頭取甚右衛門義此趣意相並右砥
函館市史 別巻 亀田市編 (函館市史 別巻 亀田市編 目次)

(神山村)の発達    四 赤川村の発達   五 蝦夷地の幕府直轄と亀田    六 亀田の開発と御手作場
恵山町史 (①松前地古武井熔鉱炉の研究並びに考証年表)

休明光記付録6)松右ヱ門は南部大畑のことを知っており、タタラ吹製鉄法を導入したが、箱館奉行の、個人経営を御手作場
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