機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
函館市/函館市地域史料アーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 25件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
椴法華村史
(安東氏より独立)
次いで文禄二年(一五九三)一月肥前の名護屋において秀吉に謁し、
志摩守
に任ぜられ「朱印の制書」を賜わったのであるが,文禄二年正月五日 朱印 蠣崎
志摩守
,一 諸国より松前へ出入の者共、
志摩守
に相断らずして、夷仁と直に商売仕り候儀曲事となすべきこと。 ,一
志摩守
に断わりなくして渡海せしめ、売買仕候者、急度言上致すべきこと。 ,し 慶長九年正月二十七日 黒印 松前
志摩守
函館市史 通説編 第一巻
(朱印の制書)
高麗国を手裏に入れらるること更に疑いなし」(『新羅之記録』)と、さながら外征の成功の瑞兆のごとく感激し、
志摩守
,文禄二年正月五日 朱印 蠣崎
志摩守
どのへ ,こうして蠣崎氏は帰国早々近在のアイヌを集め、「此上猶、夷敵対して
志摩守
の下知に違背し、諸国より往来の者某
函館市史 通説編 第一巻
(徳川の幕下に入る)
定 一、諸国より松前へ出入の者共、
志摩守
に相断らずして、夷仁と直に商売仕,一、
志摩守
に断わりなくして渡海せしめ、売買仕り候者、急度言上致すべきこと。 ,慶長九年正月二十七日 黒印 松前
志摩守
どのへ
椴法華村史
(日吉丸砲撃事件)
同年九月廿五日
志摩守
御届 私領分東在箱館内澗町戸沢屋孫右衛門手船日吉丸沖船頭虎吉代リ船頭第吉増水主共十人乘組松前山田屋文右衛門出店箱館弁天町山田屋善吉雇船,則再吟味仕口書並被奪取候品書共相添此段御届申上候、以上 九月廿五日 松前
志摩守
椴法華村史
(ヲビルネップ砲撃事件)
天保二辛夘年八月朔日松前
志摩守
御届 (前略) ウス領之内ヲビルネップと申所ヘ橋船貳艘二而異國人十六人程上陸仕,此段御届申上候、以上 八月朔日 松前
志摩守
, 八月朔日 松前
志摩守
椴法華村史
(天保三年異国人椴法華に上陸)
天保三年七月廿五日 松前
志摩守
御届 私領分東在箱館附六,、已(以)上 七月廿五日 松前
志摩守
,天保三年七月二十五日 松前
志摩守
御届 私領(松前
志摩守
領)東部箱館在六ヵ場所の内トトホッケという所,以上 七月廿五日 松前
志摩守
南茅部町史 上巻
(東蝦夷地六箇場所)
箱館者共運上ニ申請 二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通江申候 一 臼尻ゟマツヤト申所迄
志摩守
様江運上金揚,尾札部は新井田家の知行であったが、臼尻は
志摩守
様、いわゆる藩主の直領であったのである。
椴法華村史
(繩とじ船)
正徳五年(一七一五)『松前
志摩守
差出候書付』によれば、当時使用されていた船と航路・天候について次のように
椴法華村史
(異国船内浦湾に出現)
七月五日 松前
志摩守
函館市史 別巻 亀田市編
(松前藩の蝦夷地統一と番所の設置)
このような状況の中で蛎崎慶広(松前氏第五代)は文禄二(一五九三)年豊臣秀吉に謁し、
志摩守
に任ぜられ、蝦夷島主
函館市史 通説編 第一巻
(藩制初期の交易)
たとえば天和2(1682)年の著述といわれる『遠目鏡』には、敦賀に松前
志摩守
船の船宿として、岐阜屋六兵衛
椴法華村史
(享保年間の昆布採取)
四拾両宛箱館者共運上ニ申請、二百石ハカリ之小船ニ而度々箱館江通由申候 一、臼尻ゟマツヤト申所迠
志摩守
様江運上金揚
函館市史 別巻 亀田市編
(亀田の木材)
材木出申候の故、厚佐部の通他国より山師来請伐仕候へ共、近年山伐からし材木纔斗(ワズカバカリ)出申候故只今ハ
志摩守
用木斗伐
函館市史 通説編 第一巻
(松前藩復領の経緯)
松前
志摩守
一 其方儀、最前蝦夷地の手当行届き兼ね
戸井町史
(三、各神社の棟札(むなふだ))
御本社一宇 願 主 戸井村 氏子中 当島大学 松前
志摩守
源章広公, 神拝殿一宇 天保二辛卯歳(一八三二)八月神直日 当国大守 松前
志摩守
源章広公
南茅部町史 上巻
(村役人)
一八〇六) 文政八(一八二五) 文政一〇(一八二七) 天保七(一八三六) 椴法花 十四世松前
志摩守
章廣
函館市史 通説編 第一巻
(箱館六箇場所)
一 臼尻よりマツヤト申所迄、
志摩守
様江運上金揚ル。出物昆布ハカリ。
椴法華村史
(場所請負人)
一 臼尻ゟマツヤト申所迠
志摩守
様江運上金揚ル、出物昆布ハカリ、小船ニ而村々ゟ箱館江昆布積通江。
函館市史 通説編 第一巻
(日本人人種論)
この伝説は『蝦夷島奇観補注』(松前
志摩守
徳広)や『蝦夷図説』(山田金銀軒)にも抜書きされていて、要約すれば
函館市史 通説編 第二巻
(江戸城引渡交渉)
徳川家の職制改革表(明治元年1月23日) 総裁 副総裁 陸軍 勝安房守(安芳)[海舟] 藤沢
志摩守
函館市史 銭亀沢編
(幕末の村むら)
小林の家は後世松前
志摩守
の子兵庫が其名跡を嗣ぎ三左衛門と改め、松前家の重臣となるとある。
南茅部町史 上巻
(徳田屋和兵衛と小板屋久兵衛)
上地セリ 賞與及事務負擔之辞令等ヲ拜受セシ事左ノ如シ 一、嘉永三庚戌年六月 旧松前藩主松前
志摩守
様
恵山町史
(2、箱館六ケ場所の成立)
箱館之者共運上申請 二百石ばかり之小船に而(て)度々箱館江通江申候 一、臼尻よりマツヤと申所迄 松前
志摩守
様江運上金揚
南茅部町史 上巻
(寛政三年五月)
見日)、ヤギ(八木)などという沖を漕いでいって、ヲサツベ(尾札部)の浦(コタン)に着いて運上屋という
志摩守
恵山町史
(4、江戸時代の昆布漁)
昆布大出所也」新井田兵内殿御預り……二百石バカリ之小船ニ而度々箱館江通由 一、臼尻よりマツヤト申所迄、
志摩守
様
/ 1ページ