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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 銭亀沢編 (志海苔古銭をめぐって)

志海苔古銭をめぐって この古銭は、周知のように、昭和四十三年七月十六日、道道函館・戸井・尾札部線(現,志海苔古銭と大甕(市立函館博物館提供)  銭を埋納した三個の大甕は、海岸線とほぼ平行に、それぞれ,したがって、この「志海苔古銭」の埋納時期は、洪武通宝の初鋳年の一三六八年以後、明銭とくに「永楽通宝」(,ここに「志苔館」の築城と「志海苔古銭」の埋納は、ある人物によって同時期に営まれた、と推理することは、そう,表1・3・1 志海苔出土銭一覧表 (「志海苔古銭一覧」『函館市志海苔古銭-北海道中世備蓄古銭の報告書 / 志海苔古銭をめぐって
函館市史 通説編 第一巻 (志海苔古銭)

志海苔古銭 昭和43年7月16日、函館市志海苔町247番地先海岸近くから多量の備蓄古銭が発見された。,これらは市立函館博物館によって整理され、報告書『函館志海苔古銭』-1973年-にまとめられている。,志海苔古銭の性格は前記したように、埋蔵の状態から明らかに中世の備蓄古銭であると言えるが、出土した量も極,洪武通宝と永楽通宝を含むことが多く、全体に占める割合は10から22パーセントで、遣明船貿易以後であるが、志海苔古銭 / 志海苔古銭
函館市史 銭亀沢編 (短冊状地割と境界について)

ここで思いおこされるのは、志海苔川河口東岸より出土した志海苔古銭である。,この志海苔古銭と銭亀沢埋納銭に挟まれた地域が、志苔館と関係を持つ領域だった可能性があり、また近世初頭以降干場割渡,志海苔古銭はその埋蔵の状態から備蓄銭と考えられているが、以上から土地に対する儀礼の意味を持っていたとも,トヰの館は現在の戸井町館町付近とされるが、文政四(一八二一)年に館跡から六二貫余の古銭出土が伝えられ、志海苔古銭
函館市史 銭亀沢編 (古代・中世の地域・民族呼称)

そして館の南側から発見された「志海苔古銭」は、なぜ埋納されたのだろうか。  
函館市史 通説編 第一巻 (志海苔館跡)

交通路による交流も考えられ、七重浜出土の珠洲窯の壷、最近における弥生町出土の室町時代中期の越前の擂鉢、志海苔古銭
函館市史 銭亀沢編 (志苔館跡の発掘調査)

「志海苔古銭」の埋納である。
函館市史 銭亀沢編 (志苔館と渡党)

」の前進港湾基地たる志苔館の第一期築造に、領主小林氏とともに、基地と館の繁栄を祈って埋納したのが、「志海苔古銭
戸井町史 (四、戸井から六万枚の古銭と宝物出土(文政四年))

約六万枚と推定される古銭なので、銭種毎に分類した数を志海苔古銭のように明らかにすれば貴重な資料になったものと
南茅部町史 上巻 (南茅部町史 上巻 目次)

一七一   第一節 蝦夷地……………………………………………………………一七一     アイヌ  志海苔古銭
函館市史 銭亀沢編 (目次)

志苔館跡に生活をしのぶ/     志苔館跡の発掘調査/コラム(志苔館跡と「史跡志苔館跡保存会」)/志海苔古銭
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