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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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戸井町史 ([戸井町の戦没者])

戸井町史 / [戸井町の戦没者] 戸井町でも戦死、戦病死は日露戦争から始まり、亜港事変、満州事変、日支事変と何人かの,又戦没当時戸井町に居住していた遺族の中でも、諸種の事情で一家挙(こぞ)って他郷へ移住した人々もある。,現在まで遺族が戸井町に居住しているものを、戦没者名簿から拾い上げて見ると次の九十九名である。,現在の戸井町の発展、我が国の発展は、これらの貴い犠牲の上に打ち建てられたことを忘れてはなるまい。 / [戸井町の戦没者]
戸井町史 (戸井町史の発刊にあたって)

戸井町史 / 戸井町史の発刊にあたって 戸井町教育委員会教育長(町史編纂事務局長)堀田久善 戸井町史の発刊にあたって,  戸井町教育委員会教育長(町史編纂事務局長)堀田久善  郷土の歴史を知り、先人の遺業を偲んで、戸井町,それにしても戸井町は、北海道でも松前、江差、箱館地方を除けば草創の古い方ですが、古記録、文献に乏しく、,(稿)」第一集から第四集および「戸井町史年表(稿)」を発刊されたのでした。  ,町史編纂の一環事業として郷土館を建設し、戸井町における先住民族の遺跡、先人の草創時代からの開拓の苦闘を / 戸井町史の発刊にあたって
戸井町史 ([戸井町の文化財])

戸井町史 / [戸井町の文化財] 和人が始めて戸井に渡来したのは「戸井町の沿革」で述べたように、松前家の始祖蠣崎信広 / [戸井町の文化財]
戸井町史 (戸井町郷土史・干支年号の早見表)

戸井町史 / 戸井町郷土史・干支年号の早見表 戸井町郷土史・干支年号の早見表(No.1)(1624~1713),戸井町郷土史・干支年号の早見表(No.2)(1714~1803) 戸井町郷土史・干支年号,の早見表(No.3)(1804~1893) 戸井町郷土史・干支年号の早見表(No.4)(1894 / 戸井町郷土史・干支年号の早見表
戸井町史 ((8)戸井町公共施設配置図)

戸井町史 / (8)戸井町公共施設配置図 (8)戸井町公共施設配置図 / (8)戸井町公共施設配置図
戸井町史 (序 戸井町の輝かしい前途を祝して)

戸井町史 / 序 戸井町の輝かしい前途を祝して 北海道知事 堂垣内尚弘 序 戸井町の輝かしい前途を祝して  ,北海道知事 堂垣内尚弘  明治二年、戸長役場が設置されて以来一〇三年の輝かしい歴史を有する戸井町は、,戸井町は、総人口の七〇%が漁業に従事する純漁村として「魅力(みりょく)ある環境とゆとりのある漁業経営」,戸井町が、このように幾多の苦難を克服(こくふく)し、今日の発展をみるに至ったことは、厳(きび)しい風雪,このたび戸井町が開基百年を記念して、その歴史を明らかにするとともに、郷土建設に貢献(こうけん)した先人 / 序 戸井町の輝かしい前途を祝して
戸井町史 ([戸井町の屋号調])

戸井町史 / [戸井町の屋号調] 町村に早くから住み着いた人々の家では、同一町村内に分家を出し、分家が更に分家を出,戸井町では、石田・伊藤・池田・宇美・吉田・境などの姓の家が多い。,同じ戸井町でも、東西の交流の少なかった時代につけられた屋号は、東西で同じ屋号の家が若干ある。,戸井町の屋号は網羅(もうら)されているが、戸井にはないが下海岸の町村にある屋号も若干含めた。,戸井町といっても、昔は汐首岬を境とした西部(小安、釜谷、汐首)と東部(瀬田来、弁才町、泊、館、鎌歌、原木 / [戸井町の屋号調]
戸井町史 ((9)戸井町簡易水道給配水管配置図)

戸井町史 / (9)戸井町簡易水道給配水管配置図 (9)戸井町簡易水道給配水管配置図 / (9)戸井町簡易水道給配水管配置図
戸井町史 (一、戸井町史刊行までの経過)

戸井町史 / 一、戸井町史刊行までの経過 昭和三九・    戸井村教委が村史を編纂することをきめ、村内の有識者、,(一〇〇部 四三頁)    昭和四三・一〇  戸井町史年表稿を刊行。,自叙伝『白菊』の読後感集『白菊の木霊(こだま)』を刊行(三〇〇部 八六頁)   郷土誌稿第四集刊行後「戸井町史,昭和四八・三・三一   初校、再校、三校を完了し、待望の『戸井町史』一千部を刊行した。 / 一、戸井町史刊行までの経過
戸井町史 (三、戸井町商工会)

戸井町史 / 三、戸井町商工会 昭和三十七年一月十日午後一時。 / 三、戸井町商工会
戸井町史 (五、戸井町の商工業者一覧(昭和四七年四月一日現在))

戸井町史 / 五、戸井町の商工業者一覧(昭和四七年四月一日現在) 小安町 釜谷町 汐首町 / 五、戸井町の商工業者一覧(昭和四七年四月一日現在)
戸井町史 ([戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)])

戸井町史 / [戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)] 町内会別世帯数 一、小安町(1) / [戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)]
戸井町史 (一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名)

戸井町史 / 一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名 一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名 戦没者 遺族 官等 氏名 / 一 戸井町出身の戦没者と遺族の氏名
戸井町史 (三、『新発見の板碑(いたび)(戸井町)』  須藤 隆仙)

戸井町史 / 三、『新発見の板碑(いたび)(戸井町)』  須藤 隆仙 はじめに  昨昭和四十三年春、下海岸志海苔,を惑わすような意見が堂々と新聞紙上に発表されたりしたため(北海道新聞S43・12・14付、白山友正『戸井町板碑,板碑発見の経緯  昨年町制のしかれた亀田郡戸井町では、町史を編纂中である。,ところが戸井町のこのB碑は左図のようになっている。,おわりに(結び)  以上のような次第で、戸井町の三基のうち、A・Bの二基は間違いなく板碑であるが、C / 三、『新発見の板碑(いたび)(戸井町)』  須藤 隆仙
戸井町史 (三、現在までの主な火災)

戸井町史 / 戸井町内の消防署(1) 戸井町内の消防署(2) 戸井町内の消防署(3),戸井町内の消防署(4) 戸井町内の消防署(5) 戸井町内の消防署(6)
戸井町史 (二、幼児教育)

戸井町史 / この必要性にこたえ、戸井町総合計画の基本構想によれば、将来の人格形成の基礎づくりと、集団生活の基本的姿勢,その経営もグループから村に、村から個人へと移管され、現在は戸井町字汐首から戸井町字原木までの幼児が通園,職員の定数は戸井町職員定数条例(昭和三六年戸井村条例第五号)の定めるところによる。   ,児童通所範囲  戸井町字小安町及び戸井町字釜谷町      入所基準(抜粋) 一、母親が保育できない,すみれ保育所の沿革 昭和四四・四・一、戸井町立すみれ保育所の開所式が行われた。  
戸井町史 (六、老人クラブ)

戸井町史 / 六、老人クラブ 老人大学  戸井町では、全国に先駆(さきが)けて老人クラブ結成の指導に当り、その,全町に結成を見た段階で「戸井町老人クラブ連合会」の結成が提起され、昭和四十二年八月にその結成を見、初代連合会長,中心として親睦旅行・奉仕活動等を実施してきたが、昭和四十五年度からは、北海道教育委員会の委嘱を受けて「戸井町老人大学,昭和四十七年度の戸井町内老人クラブの組織状況は次の通りである。
戸井町史 (八、文化、教養、福祉施設)

戸井町史 / 八、文化、教養、福祉施設 従来戸井町には、各種団体や地域地域で建てた小さな会館的な建物があったが、町,従来社会教育の場をもっていなかった戸井町に、前述のような文化、教養、福祉の近代的な建物を完成した戸井町,公民館で「戸井町中央公民館」と名づけられた。,工事は小安町の大瀬組が請負い、戸井町役場が設計管理に当った。  ,、文化財等を蒐集し、これを常時町民に展示し、戸井町発展の姿を一目でわかるようにすることを主目的とし、戸井町郷土館
戸井町史 (十、漁家と出稼ぎ)

戸井町史 / 十、漁家と出稼ぎ 戸井町漁家の主な生業は、七月二十日過ぎから十月上旬にかけての昆布漁で、一年間の漁業収入,又近年は戸井町にも過疎化現象が顕著になりつつある。,こういう状態が益々戸井町の過疎化に拍車をかけており、戸井町の将来を考える時、誠に憂慮すべき現象である。,鰮、鮪、鰤その他の回遊魚の大漁で繁栄を極めた戸井町も、現在はそれらの回遊魚も激減或は皆無の状態となり、,こういう状態は今後の戸井町発展の上に大きな障碍となり、多くの問題点を残して行くことが予想される。
戸井町史 ([参考文献(歴史関係のもののみを掲げた)])

戸井町史 / 歴史関係のもののみを掲げた)(2) 「註」○六ヶ年間で一応目を通した文献のうち、明治以前のものは、戸井町,孫引き文献や現代の学者の書いた著書を読んだだけでは「生きた戸井町史」はかけないと判断したからである。,『戸井町史』は一般的な文献を重視しなかった「土臭(つちくさ)い、磯(いそ)の香(か)のする戸井の記録」
戸井町史 ([目次])

戸井町史 / 大正六年に締結された水電会社の契約書    (7)戸井村の第一回国勢調査員(大正九年)    (8)戸井町公共施設配置図,(昭和四七・四・一現在)    (9)戸井町簡易水道給配水管配置図(昭和四七・四・一現在)
戸井町史 (序)

戸井町史 / 序 戸井町長 中釜 実 序  戸井町長 中釜 実  戸井町の開拓は古く、文治五年和人の移住に,この開基百年を期し、わが町は新しい時代に即応(そくおう)した輝かしい戸井町二世紀を確立すべく将来のビジョン,とを彷彿(ほうふつ)とすることは誠に意義のあることであり、また町民に勃々(ぼつぼつ)たる勇気を与え、戸井町
戸井町史 ([位置と地勢])

戸井町史 / [位置と地勢] [北海道図]  戸井町は北海道の最南端にあり、渡島半島の南東部に位している。,戸井町の西端は、東経140度53分の地点で函館市石崎町と境を接し、東端は東経141度03分の地点で尻岸内町日浦崎,戸井町は前述の経度、緯度の間に、変形菱形状に広がっており、総面積は532.700アールである。,をなしている笹積(ささずもり)山(367米)、丸山(408米)、毛無(けなし)山(415米)などの山々が、戸井町
戸井町史 (七、スポーツ及び文化団体)

戸井町史 / 七、スポーツ及び文化団体 1 スポーツ団体  戸井町の戦前のスポーツと言えば、野球と地域の神社祭典,○「戸井町体育大会」の設立  各種スポーツ団体の中核として、スポーツ団体相互の連絡をとり、既設の団体,戸井町では、この年直ちに体育指導委員として、山路栄、谷藤昭蔵を委嘱した。  ,現在までの「戸井町体育指導委員」は次の通りである。,[戸井町体育指導委員]    2 文化団体  ○戸井交吟(こうぎん)社  戸井町の文化史上特筆
戸井町史 (二、町史編纂六ヶ年の追憶)

戸井町史 / 古文献に書かれている戸井町や下海岸に関係のある事項はすべてノートに書き写した。  ,又戸井町に功労のあった人々の人物伝を町史に載せようと考えて資料蒐集をしている時に、元医師で名誉村民称号,印刷所が戸井町とは遠隔な札幌であり、千頁を越える大冊の本町史の編集、割付、校正等に当って編集者として、,六ヶ年間いろいろな形で支援、協力、激励を賜わった多くの方々に、深甚な謝意を表し、併せて戸井町の生々発展,       (編集責任者 野呂 進)    発行者 戸井町長 中釜 実    発行所 戸井町役場
戸井町史 (目次)

戸井町史 / 目次 序                   戸井町長 中釜  実 序        戸井町議会議長,(町史編纂委員長)吉崎仁三郎 戸井町史の発刊にあたって    戸井町教委教育長 堀田 久善 序(戸井町,…………………87  第六節 戸井の地名考……………………………………………………99 第二章 戸井町,の戦没者     一、戸井町出身の戦没者と遺族の氏名 第十二章 戸井町の屋号(やごう)調 第十三章,一、戸井町、町内会別世帯主調(昭和四六、一二、三一現在)  二、戸井町史年表    「附」戸井町郷土史干支年号早見表
戸井町史 ([神社祭典の湯立式と松前神楽])

戸井町史 / [神社祭典の湯立式と松前神楽] 戸井町内六社の祭神と例祭日は次の通りである。  ,[戸井町内六社] 神社名 祭神 例祭日 所在地 摘要 原木稲荷神社 倉稲魂令 七月十一日 原木,戸井町内六社の例祭にも、古式通りの湯立(ゆだて)式が行われ、宵宮祭と本祭には、昔から連綿として伝承されて
戸井町史 ([戸井高等学校])

戸井町史 / 戸井町の学校の設置及び統廃合の変遷を図示すると、次のようになる。,[戸井町の学校の設置及び統廃合の変遷]  PTAの設置  戦前は各学校毎に、学校教育を後援することを
戸井町史 (序)

戸井町史 / 序 戸井町議会議長(町史編纂委員長)吉崎 仁三郎 序  戸井町議会議長(町史編纂委員長)吉崎 ,後和人の定住が跡絶えた年代があったとしても、徳川幕府の時代に至り、この地にささやかな村落が誕生、今日の戸井町
戸井町史 (四、釜谷漁港簡易郵便局)

戸井町史 / 以上が戸井町郵便局の沿革と業務概要であるが、このうち集配局は戸井郵便局のみで、しかも、小安、釜谷の両地域,戸井町総合計画によれば、これら郵便局を情報化時代に対応した一行政区域に一集配局の統合の線を目標にして、
戸井町史 ([参考資料])

戸井町史 / [参考資料] 1.戸井町漁獲高調 1.戸井町漁獲高調 2.戸井の漁業生産 2.戸井
戸井町史 ([戸井漁業協同組合の沿革])

戸井町史 / [戸井漁業協同組合の沿革] 戸井町の漁業協同組合の沿革については、比較的新しい時代の資料より入手が困難,そもそも戸井町の漁業は本州下北半島を指呼の間に望み、箱館(函館)を下ること僅か二九キロメートルという地理的立地条件
戸井町史 (九、〓山田家(西浜町))

戸井町史 / 九、〓山田家(西浜町) 戸井町字浜町の〓山田家の先祖は五三郎といい、万延元年(一八六〇)九月七日、新潟県西蒲原,三郎は母の後を継いで家業に精励し、推されて戸井町議会議員に当選し、二期目を迎えて現在に及んでいる。,〓山田家は三郎までで三代目であり、戸井町の旧家とはいわれないが、大工職の少なかった昔に、五三郎、佐七父子
戸井町史 (六、町章及び町民歌、町音頭の制定)

戸井町史 / 町章   松前郡福島町字吉岡  船木 俊夫   町民歌  亀田郡戸井町字館町  野呂  進(日新中学校長,)   町音頭  亀田郡戸井町字館町  野呂  進(日新中学校長)  昭和四十四年十月二十三日、戸井高等学校体育館,[戸井町章] <マーク作成要領>    描き方 ○×は円の中心をあらわす,1/4又②、②'の点は(i.3)(i.9)から同じく1/4の位置においてある      戸井町民歌
戸井町史 (一、初代戸長 飯田東一郎)

戸井町史 / 、小安村と戸井村を統治する戸長役場が置かれるようになり「戸井村外一村戸長役場」という長い名の役場が、戸井町館鼻,草創期の戸井町の教育の基盤を築いたのは実に飯田東一郎であり、百年後の今日の戸井町の発展は飯田戸長の力に,戸井町郵便事業のパイオニヤは足達惣吉、健次郎父子であるが、飯田東一郎は郵便事業の発展にも戸長として絶大
戸井町史 (一、社会教育の概要)

戸井町史 / 戸井町でも、昭和二十五年度から社会教育委員を委嘱し、社会教育主事を置き、昭和四十二年度以降、中央公民館,戸井町では昭和二十五年から十四名の社会教育委員を委嘱し、成人学級の開設、成人祭の開催、青少年不良化防止対策,1 戸井町社会教育の目標と事業 (1)目標  変貌(へんぼう)する社会と生活の変化に対応して、生活,○次代を担う後継者に対し、開拓者精神と郷土愛を啓発するために、戸井町史を編纂するとともに、郷土資料を蒐集保存,毎年町文化祭を実施し、昭和四十七年末に「郷土館」が竣工し、六ヶ年の歳月を費やした「戸井町史」が昭和四十八年五月
戸井町史 (二、就航までの経過)

戸井町史 / (1)戸井漁港の「港湾施設使用許可申請書」(戸井町長宛)    (2)戸井・大間間自動車航送旅客船就航,にかかわる「戸井漁港港湾施設使用許可申請書」(戸井町長経由で北海道知事宛)    この間、戸井漁港利用,同日、第五大函丸船上に於いて、戸井町、大間町の姉妹町締結式が両町長の手で行なわれた。      
戸井町史 (六、車による移動販売)

戸井町史 / 数年前からこれに倣(なら)う商店が次第に増加したが、戸井町における移動販売の元祖は、〓田崎商店である。
戸井町史 (一、フェリーボート就航の動機)

戸井町史 / 一、フェリーボート就航の動機 かつて北海道知事町村金五が来町視察の折に、戸井町と下北半島の大間町が、
戸井町史 (四、部落会、町内会)

戸井町史 / 四、部落会、町内会 戸井町々内会の沿革と組織  〔東部地区町内会の概要〕  本町で東部地区と称するのは,、一般的に、戸井町字瀬田来から同町字原木までの地域を指している。  ,[戸井町会連合会の沿革]  戸井町会連合会の設立は、昭和三十九年一月一日である。,この頃、汐首部落会の会長鈴木寅吉が戸井町町内会の一本化の必要性を提言している。  ,こうして、昭和三十九年一月、各町内会の連絡組織としての「戸井町会連合会」が誕生したのである。  
戸井町史 ([口絵])

戸井町史 / (いたび)(道文化財) 続豊次作仏壇の欄間の彫物 汐首観音堂の円空仏 戸井町民歌,戸井町民歌   一、津軽海峡 荒れるとも   理想をかかげ たくましく   千古変らぬ
戸井町史 (凡例)

戸井町史 / 四、巻末に参考文献を掲げたが、これは歴史、地誌関係の分野の文献に限り、そのうちでも戸井町及び近隣町村の,六、戸井町史編纂の過程で、歴史的にも文化的にも戸井は津軽海峡を隔てた対岸下北地方と関連が深いことを知り
戸井町史 (一、沿革概要)

戸井町史 / 一、沿革概要 戸井町に消防の組織ができたのは、明治二八年で、戸井組・小安組の二つの消防組がつくられ、
戸井町史 ([法泉寺の伝大蓮作仏像])

戸井町史 / [法泉寺の伝大蓮作仏像] 地蔵菩薩像 伝大蓮作釈迦如束像  戸井町館町の法泉寺に二体,美術家は戸井町法泉寺の釈迦如来像を「目定(大蓮の誤)の作品のうちでは一番まとまっていて面白い。,戸井町内では法泉寺の外に、弁才町の〓梅原家、泊町の〓伊藤家、浜町の〓新山家などに作者不明の木像仏が祀られている
戸井町史 ([教育委員会の沿革])

戸井町史 / 以上が昭和二十七年、教育委員会発足当時から現在まで二十年間の戸井町教育委員会の委員交替の概要である。,実施し、昭和二十七年に五里霧中という状態で設置された教育委員会制度も、二十年の歳月を経て軌道に乗り、戸井町,次に戸井町教育委員会の委員会構成の変遷を掲げる。
戸井町史 (年表の序)

戸井町史 / 北海道の行政機構の変遷、全国的又は全道的な事件や社会情勢の変化等の影響を徐々に或は急速に受けたことは、戸井町,このことから戸井町の沿革や事蹟を列挙するだけでは管見的になることを考え、戸井町の沿革や事蹟に直接的に或,戸井町史年表は断片的な事蹟の累列であるが、このような時代区分と政権の移動、社会情勢の背景を頭に入れて読,戸井町史の内容については、その沿革、事蹟を以上の時代区分にしたがって述べることは煩雑(はんざつ)になることを,この年表を編纂するために、戸井町内の神社、寺院、官公庁、旧家等に伝わる記録、資料を可能な限り蒐集し、戸井
戸井町史 (九、北海道時代の概観)

戸井町史 / 戸井にも終戦後二十三年目に町制が施行され、「戸井町」として、新生戸井町の発展の第一歩を踏み出したのである
戸井町史 (四、青年団体)

戸井町史 / 戸井町でも弁論大会、芸能大会、野球大会などが青年団体の主催で実施されるようになった。    ,2 「戸井村青年団体連絡協議会」の結成  昭和二十七年頃には、戸井町内各地域の青年団体の組織が確立し,戸井町青年団体の沿革及び組織状況は次の通りである。
戸井町史 (三、丸山明神奉讃会の設立)

戸井町史 / 丸山明神奉讃会設立趣意書  亀田郡戸井町と旧亀尾村(現函館市)との境界附近に聳(そび)える丸山(標高四,戸井町で、鰮(いわし)や鰤(ぶり)の大漁が続いて村が栄えた時代には、毎年の旧五月五日(端午(たんご)の,の設置等抜本的な方策を構(こう)ずる必要があり、加えて観光客の参詣者の来山も予想され、将来は函館市、戸井町,               丸山明神奉讃会結成発起人(順序不同)                  亀田郡戸井町字弁才町
戸井町史 (四 刀剣)

戸井町史 / 「註」 戸井町の日本刀  戦前は戸井町にも日本刀が多かった。
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