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南茅部町史 上巻
(昭和期)
昭和期 恵山漁場の鱈釣り漁業は、昭和に入って発動機船にかわるまで、
持符船
に三人乗り組みの小規模な経営
椴法華村史
(鰮の漁法)
にも使用されたが、これは漁船二艘・漁夫十七・八名で営まれ、また安政年間(一八五四~一八六〇)になると
持符船
南茅部町史 上巻
(明治の鰮漁業)
弐個 一、漁船 五艘 内 筒替船八人乗 壱 艘
持符船
弐人乗
椴法華村史
(椴法華村の鰮漁)
茅部・山越・勇拂・沙流・新冠・静内・三石・浦河・様似・幌泉・廣尾の各郡》ニシテ其種類ハ胴船・胴海船・
持符船
,使用シ胴海船ハ太サ胴船ニ次キ渡島地方ニ於テ小地曳網漁業ノ網舟ト爲シ或ハ建網ノ起シ舟ニ用(略)
持符船
,外各地其附近ノ山林ヨリ伐採ス近年漸ク缺乏ヲ生シ渡島地方ハ杉材ヲ秋田・青森・巖手ノ諸縣下ニ仰クモノ多シ、
持符船
以下,胴船附屬品 金貳拾壹圓 内譯 一 胴海船附屬品 金五圓三拾錢 内譯 一
持符船
附屬品,、膽振日高ノ二國ハ胴海船二三艘
持符船
或ハ磯舟一二艘ヲ備フ漁夫ノ人員亦一定ナラス大網ハ七十四五名ヨリ四十名
函館市史 通説編 第一巻
(鰊漁)
、すなわち、図合船(船幅6尺6寸より7尺5寸まで)金1両、三半船(船幅5尺より6尺5寸まで)金3分、
持符船
椴法華村史
(漁船・漁夫)
一般的ニ傭入ルゝ處アリ而シテ一艘ノ乗込員ハ船頭ト共ニ大形船ハ七八人、中形船ハ五六人、小形船ハ三四人、
持符船
椴法華村史
(青森県亀甲丸の救助)
旅籠屋藤波佐右衛門氏ハ正しく前日(まへび)の暴風(あらし)にて難破せし船舶なるべしと認め雇人に指圖して
持符船
椴法華村史
(経営)
ノ費用ヲ引去リ其残額ヲ九個四分ニ分チ漁船漁具及乘込員七名各一人分ツゝ及炊事女ニ四分ヲ分配ス
持符船
椴法華村史
(明治四十二年)
雇人夫十三名と鱈釣業者五名に協力を求め、救助船三隻を発進させ沖合に吹き流されていた古武井村斉藤吉五郎所有の
持符船
戸井町史
(三、椴法華沖の汽船衝突事件(明治四十一年))
戸井分署長萩田七十次警部は、巡査部長と巡査を引率して椴法華に急行し、戸長を督励し、消防組員及び村民に
持符船
八艘
南茅部町史 上巻
(明治後期の鰮漁業)
中網の漁船の構成は、積載船として胴船(どうぶね)一艘、沖揚げの
持符船
二艘、そして魚見(うおみ)にあたる
椴法華村史
(大海難陸奥丸と秀吉丸の衝突)
戸井分署長萩田七十次警部は、巡査部長と巡査を引率して椴法華に急行し、戸長を督励し、消防組員及び村民に
持符船
八艘
恵山町史
(6、鰯漁(網漁))
「漁船数」は網の大きさ、漁法により異なるが、2艘から多くて4艘で「胴海船・
持符船
・磯船」等が用いられた
戸井町史
(「参考資料」戸井村漁業組合規約(明治三十二年頃のもの))
一等 胴船 二等 胴船 三等
持符船
四等 中船 五等 磯船 第三十五条 本組合ハ昆布採取船,一等
持符船
二等 中船 三等 磯船 第三十六条 本組合ハ鰤釣船ヲ左ノ四等ニ区分ス。 ,一等 川崎船 二等
持符船
三等 中船 四等 磯船 第三十七条 本組合ノ漁場区域ヲ左ノ通リ定ム
椴法華村史
(明治二十八年)
・鱈漁、椴法華村では十月から翌年一月にかけて鱈釣が盛んに行われており、使用する船は川崎船・
持符船
・磯船
函館市史 通説編 第一巻
(鰊漁)
漁民はもちろん市中の人々までが、網を準備し、
持符船
に乗って出漁した。
南茅部町史 上巻
(明治・大正の鱈漁)
漁船は
持符船
で三人乗組の仲間(なかば)稼業であった。
南茅部町史 上巻
([大正・昭和(戦前)のイカ釣漁])
鯣加工 イカ掛け/尾札部村・昭和15年 横須賀 上川原久敏提供 尾札部 葛西英司協力 磯船から
持符船
函館市史 銭亀沢編
(昆布採取)
漁船は、磯船が最も 多く、数人乗り込む場合は
持符船
が使用された。
椴法華村史
(烏賊漁業の有様)
磯船・
持符船
では、普通二・三人が乗組み松明(たいまつ)(松の脂の多い処や葦・竹をたばねて火をつける)や
南茅部町史 下巻
(戸口及諸物品調)
人力車数及壱里ノ賃金 一 人力車 ナシ 一 荷車 同上 魚船多寡 一 魚船 五拾艘 但
持符船
,人力車数及壱里ノ賃金 一 人力車 ナシ 一 荷車 ナシ 魚船多寡 一 漁船 二拾四艘 但
持符船
恵山町史
(2、尻岸内村公文書にみる明治前期の漁業)
『漁船』総数438艘 内・筒船13艘・浮百船1艘・
持符船
143艘・磯船281艘 『漁具』櫂(かい)(,漁船 漁船については、明治、江戸とも「持符(モチップ)船・磯船・筒船」小型の和船(
持符船
はアイヌ型漁船
椴法華村史
(明治十六年)
付金二銭五リン位ナリ 一、竹無之、樹木ハ可ナリ 一、人力車及荷車等無之 一、磯船六拾五艘、
持符船
椴法華村史
(明治二十年代の昆布漁業)
」と云フ梻材(タモ)ヲ以テ造リ三ツノ種類アリ ・採取法 昆布ヲ採取スルニハ胴海、保津、
持符船
恵山町史
(4、嘉永7甲寅3月の『箱館六ケ場所調べ』)
一) (三) 磯船(いそぶね)(漁船・和船) 五五〃 (一) (一五) (二一)(一八)
持符船
, 一一九艘 (五) (四三) (二八)(四三) 持船については、漁船の磯船・
持符船
恵山町史
(3、明治前期の昆布漁について)
誠 殿 昆布取獲高調 第一八大区 一小区 茅部郡 尻岸内村 調書 一
持符舩
,「調査項目」 使用漁船の種類と隻数 ・
持符舩
・礒舩 昆布取夫の人数 ・1隻当たり1人 取獲戸数
椴法華村史
(明治十九年)
この時代冬期の鱈釣は保津船や
持符船
などの櫂漕ぎ船が使用されており、連絡手段を持たないため天候が急変したり
恵山町史
([税の負担])
昆布取獲高調 第十八大区一小区 茅部郡尻岸内村 調 書 一
持符船
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
の例でみると、全体で937艘あり、内訳として中遣船以上が170、三半船が18、筒船7、筒替船107、
持符船
南茅部町史 上巻
(鱈釣り漁)
川崎船は二枚棚の構造につくられ、
持符船
に比して大型で、速力もはやく、冬の荒波でも安全性が高く、風上にも
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