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函館市/函館市地域史料アーカイブ

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函館市史 通説編 第一巻 (択捉場所開発)

択捉場所開発 択捉場所開発準備のため兵庫に帰った嘉兵衛は、明けて寛政12年弟金兵衛とともに辰悦丸に乗,り、図合船2艘、鯨船4艘を率いて様似に来り、この地に越年中の近藤重蔵らを乗せて択捉島に向かい、ついに択捉島,に17か所の漁場を開き、原住民に漁具および衣食を給し、風俗を改めさせて稼働させることに成功、択捉島が完全 / 択捉場所開発
函館市史 通説編 第一巻 (択捉航路開発)

択捉航路開発 近藤重蔵  彼が厚岸に滞在中、択捉島開発の任を帯びてこの地に至った近藤重蔵に呼ばれ,、そして択捉航路開発の相談を受けた。,由来、国後島と択捉島の間の潮流は速く、アイヌ船で渡海するのは全く命掛けであり、従って大船の通航などは、,、その衝点を避ければ無事船を渡す自信を得たので、宜温丸という75石積の船に堅牢な波よけをつけ、ついに択捉島,前記のごとく特命をもって択捉場所の開設を命じられたのもこの時であった。 / 択捉航路開発
函館市史 通説編 第一巻 (択捉産物の増加)

択捉産物の増加 ことに彼の開いた択捉場所は、もとより魚族に富み、たちまち多額の産出をみせ、しかも鱒の,かくて嘉兵衛は文化3(1806)年には、大坂町奉行から蝦夷地産物売捌方を命じられ、同7年特に択捉場所の / 択捉産物の増加
函館市史 通説編 第一巻 (ロシアの樺太・択捉侵寇)

ロシアの樺太・択捉侵寇 ロシア船が樺太を襲撃した知らせを箱館奉行が受けたのは、あたかも幕府が西蝦夷地,それとほとんど同時に、今度は択捉島が襲撃された知らせが同年5月15日箱館に達した。,すなわち4月23日、フォストフ、ダヴィドフの両人は、ユノナ号、アホシ号の2船を率いて、択捉島の内保(ないほ / ロシアの樺太・択捉侵寇
函館市史 通説編 第一巻 (高田屋の登用)

翌年幕府は択捉島の経営に当ることになり、その航路の開発を嘉兵衛に命じた。,当時わが商船の航路は国後島まで延びていたが、国後・択捉間は和船の往来はなく、ただアイヌが日和を待って小船,を調べ、丸木舟を浮かべて潮流の緩急をはかること20日、ついに同12年7月18日、70石積の船をもって択捉島,嘉兵衛が抜群の航海者たることが知られたのもこの時で、その功により特命をもって択捉場所の開発を命じられ、
恵山町史 (航路の進歩と官営の廃止)

と江戸との航路はこの時代、画期的な進歩を遂げ、特に東蝦夷地の莫大な産物に伴い船舶の運航は頻繁となり、択捉島,ケ場所の塩鱈以外の産物は、他国に直移出することを許されなかったが、この時代に入ってからは根室・国後・択捉等,このことは直捌(官営)が廃止された後も、請負人(商人)の出願により根室・国後・択捉等の鮭を江戸に直送することが,中でも高田屋嘉兵衛の推薦で、享和2年(1802)箱館奉行から択捉島の修築を命ぜられた播磨の人、工楽(こうらく
恵山町史 (新たに設けられた19の支庁 明治30年(1897年)10月)

花咲・野付・標津・目梨・国後・色丹・得撫・新知占守 紗那支庁 千島国紗那郡紗那村    紗那・振別・択捉,・蘂取以上                   択捉島    <根室・紗那支庁の管轄区域・郡について,>  明治2年の国郡制定11カ国の1つ千島国(国後島・択捉島・色丹島)の国後(くなしり)郡(国後島),・択捉(えとろふ)郡・振別郡・紗那(しゃな)郡・蘂取(しべとろ)郡(以上択捉島)に、同9年樺太千島交換条約,つまり、明治30年の支庁制では、北方4島(歯舞・色丹・国後・択捉)を含む千島(ロシア名クリル)列島全島
恵山町史 (蝦夷地の航路を開く)

〈択捉の航路開拓〉  幕府にとって択捉の開発は東蝦夷地経営の重点であった。,箱館奉行支配役近藤重蔵は寛政11年(1799)、国後・択捉間の水路開拓を高田屋嘉兵衛に命じた。,航路は捷路(近道)を取らず、まず北に相当の距離を迂回し、今度は南下する潮流に乗り計算通り、船は択捉島の,これにより船乗りたちも大船での水路乗り切り自信がつき、以降、択捉の開発が可能となったのである。  
函館市史 通説編 第一巻 (洋画)

洋画 松山松三郎  明治の洋画界に貢献した横山松三郎は、天保9年択捉島に生れた。,文六といい、寛政年間高田屋嘉兵衛に従って北地開発に挺(てい)身したが、嘉兵衛が淡路に隠退してからは、択捉
函館市史 通説編 第一巻 (箱館経済の不振)

浜田屋佐次兵衛 三石 栖原屋虎五郎・熊野屋忠右衛門 幌泉 高田屋金兵衛 十勝 大坂屋卯助 根室 高田屋金兵衛 択捉,しかも天保4(1833)年高田屋の没落後は、根室、択捉の大場所は福山の藤野喜兵衛の請負となり、天保年間
函館市史 通説編 第一巻 (場所請負人の交替)

場所請負人の交替 この請負入札によって、東蝦夷地の運上金の合計は1万7000余両に達し、これに択捉などの,畑屋七左衛門 根室   三、六〇〇両   箱館 高田屋金兵衛 国後   一、三五〇両   松前 柏屋喜兵衛 択捉
恵山町史 ([道路開削の嚆矢])

重蔵は10月、国後・択捉島を調査、タンネモイの丘にロシア人の建てた木柱があるのを見て倒し、次のような標柱,すなわち、択捉島が我が国の領土であることを明らかにした標識である。            ,従  者                              (以下略)     国後・択捉島調査
函館市史 通説編 第一巻 (日露国境問題)

従って論議はこれに集中され、その交渉の過程において千島方面では、ロシア側は、択捉島は元来ロシア領であるのに,この結果、ロシア側は、交易が許されるならば択捉島までは譲歩するということになったが、北蝦夷地(樺太)は
函館市史 通説編 第一巻 (官船建造と定雇船頭となる)

に当たったが、この年嘉兵衛は蝦夷地定雇船頭を命じられ、3人扶持を給せられるに至り、2年には手船3艘が択捉定雇船
函館市史 通説編 第一巻 (ロシア人の南下)

を聞いたのは、これより先、宝暦9(1759)年のことで、松前藩士湊覚之進が、厚岸に派遣されて滞留中、択捉
函館市史 通説編 第一巻 (箱館に対する処置)

の主要な場所は福山の商人の請負となり、箱館が衰退するおそれがあったので、さきに特命をもって、文化7年択捉場所
函館市史 通説編 第一巻 (ゴロウニンの捕縛)

オホーツクまでの間の測量を命じられ、羅処和(らしょわ)島から得撫(うるっぷ)に至る諸島を測量し、5月9日には択捉島,ゴロウニンは通訳として、アレキセイを伴い出帆したが、択捉島内の振別に向わず国後島に向った。
函館市史 通説編 第一巻 (奏檍丸の記録)

幕府の蝦夷地調査隊に絵図師として参加した秦檍丸の『蝦夷島奇観』-寛政12(1800)年-に、国後、択捉
函館市史 通説編 第一巻 (幕府の蝦夷地調査)

大河内政寿は東蝦夷地を巡回して様似に至り、その別動隊として配下の近藤重蔵は最上徳内を案内として国後・択捉
函館市史 通説編 第二巻 (営業方針の転換と函館支店の閉鎖)

、岩内、古平、石狩、月形、樺戸、空知、苫小牧、室蘭、勇払、新冠、浦河、幌泉、釧路、厚岸、標茶、紗那(択捉島
函館市史 別巻 亀田市編 (ペリーの和親要求)

このため松前勘解由や遠藤らの応接係は、択捉島見分の帰途にあった幕府普請役井上富左右と相談し、上陸のこと
函館市史 通説編 第一巻 (気象観測)

の蝦夷地巡回中も行われ、単に箱館のみならず、広く道南、西海岸、東海岸、果てはオホーツク沿岸から国後、択捉
函館市史 通説編 第一巻 (箱館に本店を置く)

高田屋金兵衛苗字帯刀御免の書  しかも文化9年幕府が直捌制度を廃止し、再び場所請負制度をとると、やがて高田屋は択捉場所
函館市史 通説編 第一巻 (福山拘禁)

尋問の要旨は、先年ロシア人の樺太、択捉などへの来襲はロシア政府の命令によったものかどうか、ゴロウニンの
函館市史 通説編 第一巻 (その他の外国人研究家)

21年の夏、アメリカ国立博物館員ロマイン・ヒッチコックが北海道を訪れ、根室、別海、斜里、網走、常呂、択捉
南茅部町史 下巻 (命令航路)

)   二、北海道庁命令航路  1、函館小樽線(藤山海運)               2、函館択捉線
南茅部町史 上巻 (海産商)

 銭      円 田 端 商 店 田 端 一 郎 西 浜 町 明治一五年 海産物一般雑穀 道内樺太擇捉,一九・八〇   九〇〇 川 端 商 店 川 端 石太郎   〃 明治二四年 海産物一般米穀 本道樺太択捉,      貿易品       近藤合資会社 近 藤 孫三郎   〃 大正 元年 魚肥油海草乾魚 道内樺太択捉,松   〃 明治三七年 塩干魚貿易 関東新潟方面北海道 六三・六〇 二、六〇〇       樺太択捉朝鮮
函館市史 通説編 第一巻 (箱館の場所請負人)

落札者は松前の商人が多かったために、幕府は箱館の衰微することをおそれ、従来の関係から択捉は入札なしに高田屋
恵山町史 (2、開国・蝦夷地の再直轄)

なお、択捉島については日本所属を主張、樺太境界については双方の実地見分を約束する。,・一八五四年(嘉永七年)一月、プチャーチン、択捉島の日本所属を認め、樺太については南端のアニア港のみを,・同年(安政元年)十二月、ロシアと日露和親条約に調印、下田・長崎・箱館を開港、択捉(エトロフ)島・ウルップ
恵山町史 ([戦後の漁業])

船舶・施設設備の不備、資材不足等による生産額が激減する最中(さなか)、樺太(サハリン)や色丹、国後、択捉島
恵山町史 (定雇船頭高田屋嘉兵衛)

択捉島(金三五両) 色丹島(金三一両) 根室・国後島(金二五両)  十勝(金一八両) 山越内(金一〇
函館市史 通説編 第二巻 (函館支庁の設置)

目梨郡 国後郡、色丹郡、得撫郡、新知郡、占守郡 北海道庁紗那支庁 千島国紗那郡紗那村 紗那郡、振別郡、択捉郡,根室花咲野付標津目梨国後色丹得撫新知占守郡役所であり、ここの初代郡長広田千秋はさらに網走斜里常呂紋別郡長及び紗那振別択捉蕊取郡長,兼ね、正式な彼の肩書きは、根室花咲野付標津目梨国後色丹得撫新知占守郡長兼網走斜里常呂紋別郡長紗那振別択捉蕊取郡長
函館市史 通説編 第一巻 (堀・村垣の復命)

よって北蝦夷地・択捉・国後をはじめ島々ならびに東西蝦夷地一円、西は乙部、東は知内村まで上知するように、
椴法華村史 (明治二十五年)

明治二十四年十一月から二十五年五月まで択捉(えとろうふ)島・六月得撫(うるっぷ)島・七月占守(しゅむしゅ
恵山町史 (3、奉行所の設置)

蝦夷地経営のねらいは、千島列島を南下するロシアに対抗するため択捉(えとろふ)島など東蝦夷地奥地の開発(
函館市史 通説編 第二巻 (北海道関係航路の重視と道庁補助航路)

18年に共同運輸が国後・擇捉方面に夏期に月4回程度の航海をし、19年からは日本郵船に引き継がれ、得撫(,翌25年2月23日に播磨丸が試験航海として函館を出帆し、花咲を経由して色丹島、択捉の単冠(ヒトカップ)
恵山町史 (開拓使の北海道経営と海運)

、明治5年5月には函館に回航、この2隻については遠洋航海用とし大砲1門、予砲1門を備え、警備船として択捉島,#160;ペドロパブロフスク線(栗林商会)  ② 北海道庁命令航路  ・函館小樽線(藤山海運)・函館択捉線
恵山町史 ((1) 一管区の海洋速報)

親潮第1分枝は、択捉島の南30海里、納沙布岬の南30海里、襟裳岬の東25海里をとおり南及び西に流れている
恵山町史 (2、恵山町指定文化財)

昭和12年修復時の碑文によれば『高田屋嘉兵衛、択捉・幌泉ヘノ途次恵山水無ニ於イテ遭難難破シ箱館ニ帰リ文化六年
函館市史 通説編 第一巻 (幕府の蝦夷地調査)

普請役山口鉄五郎、佐藤玄六郎、庵原弥六、皆川沖右衛門、青島俊蔵らに命じ、蝦夷地検分を行わせ、翌6年には、択捉
函館市史 通説編 第二巻 (北海道関係の航路)

北海道に関係する航路は東京-函館・小樽・根室、東京-函館・鰺ヶ沢・舟川・酒田・新潟、函館-小樽・根室・択捉,また函館と小樽・根室・択捉線は函館を起点としてそれぞれの港に行く便を意味している。
函館市史 通説編 第一巻 (箱館及び蝦夷地の警衛)

一方、蝦夷地全域の取締り、警備については、安政3年東蝦夷地は室蘭、様似、厚岸、国後、択捉の5か所、西蝦夷地
函館市史 通説編 第二巻 (函館支庁付属船)

弘明丸、鞆絵丸、石明丸、白峰丸、辛未丸、札幌本庁が稲川丸、豊平丸、空知丸、乗風丸、根室支庁が沖鷹丸、択捉丸
恵山町史 (1、異国船の来航)

し、さらに勤番所を、東蝦夷地の山越内(現八雲町字山越)・絵鞆(室蘭)・様似・釧路・厚岸・根室・国後・択捉
函館市史 別巻 亀田市編 (サイベ沢貝塚人骨発見)

見当らないが、函館図書館に「サイベ沢貝塚人骨発掘」という記録写真があり、これで見ると『史前学雑誌』に「擇捉島東海岸
恵山町史 ([幕府の蝦夷地直轄と道路行政])

(知内村から箱館銭亀沢村・小安村以東の下海岸・噴火湾沿岸を経て太平洋沿岸から納沙布岬をまわり、国後、択捉島
函館市史 通説編 第一巻 (掘割および築島)

松右衛門とは工楽松右衛門のことで、播磨国高砂の人、松右衛門帆の考案や、嘉兵衛の推挙で択捉島紗那を築港したことで
函館市史 通説編 第一巻 (没収船舶及び場所処分)

(四三〇石)    また、高田屋の請負場所は、幌泉は福島屋清兵衛、根室は藤野喜兵衛、択捉,       町年寄四人     (伊達家文書『日記』)    この文書によれば、「択捉
函館市史 通説編 第一巻 (藩政の実状)

また藩でもつとめて請負人の機嫌をとり、たとえば天保14(1843)年、高田屋のあと択捉場所を藤野喜兵衛
函館市史 通説編 第二巻 (汽船の購入)

次いで、択捉根室の視察に向かった井上石見一行を乗せて北上したが、帰途行方不明になってしまった。
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