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函館市史 通説編 第一巻
(平安時代の東北と北海道)
擦文土器
とは、前述したように土師器の製作技術が北大式土器にとり入れられてできた、地域性をもった一種の土師器,であり、器面に擦痕があるので
擦文土器
と呼ばれた。,これは器形を調整した時の擦痕で、
擦文土器
の初期の器形には北大式に見られる口縁部の外反する深鉢形に横の沈線文,年代的には東北地方の土師器が渡来した奈良時代の後半から
擦文土器
が出現し、室町時代に至るまで全道的に広まる,道内でフイゴが発見された例は少ないが、生産技術が
擦文土器
の時期に導入されていたことは、畑作農耕の伝来と
函館市史 別巻 亀田市編
(続縄文時代遺跡)
(ゆら)でも出土しており、更にこの時期の住居構造をまねたものが全道的に現われ、これらには土師器に似た
擦文土器
,この
擦文土器
と住居構造は、時期的に細分され、八世紀から十二世紀まで続いた。,北海道南部で亀田に近い
擦文土器
の出土地は、七重浜に近い上磯町字東浜町の遺跡で、ここからは須恵(すえ)器,亀田では、今のところ続縄文時代後期の北大式や、後期古墳文化の影響を受けた
擦文土器
の遺跡は発見されていない
函館市史 通説編 第一巻
(北大式とその文化)
新しい形式は前述の函館の汐泊遺跡の例のように直接土師器と融合し、一方ではアヨロ遺跡や発足遺跡のように
擦文土器
,の文化で注意しなければならないのは、定形化した石器の減少と、併せてその終末における土器との接触および
擦文土器
成立,
擦文土器
とは北海道で地域的な色彩を強く受けた土師器であり、文化的には蝦夷土師とも言える。,
擦文土器
の器形は北大式土器の器形が母体となっており、文様要素の刻線文、沈線文も北大式の影響を受けている,
擦文土器
の遺跡分布図 土師器の底(左・湯川の木葉痕、右・江別町村農場の糸切)
恵山町史
([擦文文化])
数千年間にわたって施文されてきた「縄文」が消え、土師器の影響を強く受けた刷毛目のような整形痕がつけられた
擦文土器
,その終末は、煮沸具としての
擦文土器
をつくらず内耳鉄鍋を使用し始めた12世紀末もしくは13世紀初頭で、鎌倉幕府,第56図
擦文土器
(1、前期:函館市鶴野2遺跡、2~3:後期、2、厚沢部町厚沢部河口遺跡、3、松前町札前遺跡,) 中田裕香ほか「
擦文土器
集成」シンポジウム『海峡と北の考古学』資料集Ⅱ、日本考古学会 1999年度釧路大会実行委員会
函館市史 銭亀沢編
(擦文時代集落の成立)
なお、これらほとんどの遺跡から出土する土器は、いずれも北海道の
擦文土器
とは異なり、本州地方に一般的に広
函館市史 別巻 亀田市編
(擦文文化)
この時代は、住居構造は古墳時代後半のものと類似するが、土器は土師器に似た
擦文土器
が使用され、鉄器の普及
函館市史 通説編 第一巻
(北海道大学農場の土器)
汐泊遺跡のように無文で北大式の要素を持った土器は、アヨロ遺跡などで出土しているが、名取武光らは擦文Aとして
擦文土器
函館市史 通説編 第一巻
(古代の函館)
この遺跡からはロクロによる糸切底の土師器と須恵器、
擦文土器
の古い形式が出土している。
函館市史 銭亀沢編
(銭亀沢地区の遺跡の立地)
擦文土器
・紡錘車。 湯川土師遺跡 高屋敷館遺跡 初歩的な農耕の可能性。
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