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南茅部町史 下巻
(大正四年 函館港海運・回漕店)
電話二三八番 定航 初穂丸
新潟
直行 定航, 汐首・戸井・原木・日浦・尻岸内・女那川行 M高橋回漕店 定航汽船 瀬棚・函館・
新潟
, 電話一六八番 定航 淡海丸
新潟
・直江津行, 定航 間宮丸
新潟
直行 定航 ,白山丸
新潟
直行 定航 鎮西丸
新潟
・直江津行
椴法華村史
(明徳丸の恵山沖破船)
明徳丸の恵山沖破船 大阪西田弥平治所有明徳丸、千六百石積、乗組員十七人は、安政五年(一八五八)越後国
新潟
, 摂州御影 西田弥平治手船 明徳丸千六百石積、沖船頭但報告拾七人乗 右之船越後
新潟
函館市史 銭亀沢編
(日本海文化の渡来)
たとえば、海峡に面した道南地方の遺跡では、
新潟
県糸魚川産のヒスイや、秋田県から
新潟
県の沿岸で産出される
椴法華村史
(新栄丸の座礁)
新栄丸の座礁 大正九年六月十九日、
新潟
市小池藤助所有汽船新榮丸百七十二屯、石炭積み取りのため函館より
椴法華村史
(初穂丸の遭難)
初穂丸の遭難 大正四年一月二十三日、室蘭より硫黄二千二百四十三石を積み
新潟
へ向け航行中の汽船初穂丸百九十九屯
函館市史 別巻 亀田市編
(東北の地名と亀田)
青森県には古くから亀田という地名の所が板柳町、藤崎町、平賀町、常盤村などにあり、更に秋田県の羽後亀田、
新潟
県
椴法華村史
(帆船二見丸の座礁、沈沒)
帆船二見丸の座礁、沈沒 大正六年九月二十八日、
新潟
港小熊幸次郎所有帆船二見丸、九十二屯、乘組員漁夫二十一名
函館市史 通説編 第一巻
(会所の設置地)
みようという指示を与えて発足したが、会所は、箱館、松前のほか江戸、大坂、京都、兵庫、堺、敦賀、下関、
新潟
椴法華村史
(八幡丸の沈没)
九日午後八時頃市内住吉町中午重松所有發動機船八幡丸に乘組惠山沖南方二海里の個所に於て烏賊漁中室蘭を出帆し
新潟
南茅部町史 下巻
(〔明治の商業〕)
〔明治の商業〕 明治一二年の函館新聞(第二二二号)に、尾札部村吉川方に寄留の
新潟
県平民松永藤右衛門が
函館市史 通説編 第二巻
(沿海州への出漁)
表9-70 我が国漁業者の露領沿海州への出漁者数 年次
新潟
富山 京都 長野,出漁者を出身地別にみると、出漁者の増加とともに、
新潟
、富山出身者が多くなり、29年には両県出身者を合わせると,出漁シ一〇月若シクハ一一月ニ至リ其漁獲シタルモノヲ自船ニ搭載シテ再ヒ同港ニ帰港シ又時宜ニ依リテハ直チニ
新潟
若
函館市史 通説編 第二巻
(西洋形帆船の建造ブーム)
東京 函館 函館 京都 函館 浦川 様似 大阪 浦川 東京 函館 函館
新潟
,東京
新潟
函館 石川 大阪 函館 函館 函館 函館 石川 函館 函館 京都,函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館 函館 石川 函館 愛媛
新潟
,函館
新潟
愛媛
新潟
京都 函館 長野 秋田 函館 函館 石川 京都 函館,
新潟
、秋田、石川、岩手諸県の北海道貿易に従事する有力な商人も西洋帆船の製造者が増えている。
函館市史 通説編 第二巻
(北海の編集陣)
の記者となり、翌14年同紙が立憲改進党の機関誌となるとその党勢の拡張に努め、16年には同党の機関誌「
新潟
日日新聞,その後「北海道毎日新聞」から熊田宗次郎が、
新潟
から青木清治郎(青葉山人)が、さらに佐瀬得三が入るなど北海
函館市史 通説編 第二巻
(金森回漕組と改称)
この間21年末ころから青森便にも進出し、さらに豆海丸を購入後は同船と神威丸によって
新潟
行きの船便を出している,従来の道内便重視から青森や、
新潟
方面の道外航路へものりだしていくのである。
函館市史 通説編 第二巻
(移入米の取引)
、商取引や交通の事情によるのであろうか、函館と小樽では若干その仕出地が異なり、函館は酒田港が中心で、
新潟
,、土崎などがこれに次ぎ、小樽は伏木港が中心であって、
新潟
、兵庫、酒田、境、土崎が、これに順次続いていた
函館市史 通説編 第二巻
(船に網と人をのせ)
表9-60より、船舶の定繋港、つまり船主の住所別の隻数をみると、函館、
新潟
、青森、石川が多いが、明治9,表9-60 定繋港別日本形隻数 明治 9 明治 12 函館 福井
新潟
,次に前記の船舶に分乗して渡航した漁夫の出身地を表9-63でみると、北海道、青森、
新潟
、石川、岩手、秋田
函館市史 銭亀沢編
(武井家煉瓦倉庫 [ボウジョウ] 石崎町 22)
武井家煉瓦倉庫 [ボウジョウ] 石崎町 22 武井家の先祖は
新潟
県から青森県に移住し、安永二(一七七三
函館市史 通説編 第二巻
(「日本大廻り」航路の成立)
命令書に基いて明治9年4月から従来の横浜・函館の航路の他に横浜・函館・舟川・
新潟
・伏木・敦賀を月に1度結,することをめざしたものであるが、この航路の第1船として瓊浦丸が4月30日に函館に入港し、翌5月1日に舟川、
新潟
,同じ年の8月には「当社先般東京ヨリ函館、
新潟
、伏木、敦賀ノ諸港ニ達スルノ線路ヲ設ケタルモ未ダ北海運輸ノ,上海線(20万円)、東京・横浜・神戸・大阪線(2万円)、東京・横浜・函館線(1万円)、東京・横浜・
新潟
諸港線
椴法華村史
(烏賊漁の豊凶の様子)
・明治十九年、この年石川・富山・
新潟
方面より烏賊漁のため函館へ来航した漁船よりコレラ発生し、下海岸住民,明治二十四年十一月一日、函館新聞より要約) ※烏賊釣の困難 本年当港烏賊不漁なる為佐渡・
新潟
地方出稼
函館市史 通説編 第二巻
(保税倉庫のはじまり)
この規則は神奈川では慶応2年5月19日、長崎、函館では8月23日実施、その後、神戸大阪および
新潟
にも実施,この規則は、
新潟
、函館、長崎に施行された。
南茅部町史 上巻
(アラスカ出稼(古部・小川勇助談・明治一五生))
生国は
新潟
県だという小川翁は八〇歳を過ぎて家を建てるほどの剛気な人であった。
函館市史 通説編 第二巻
(渡島組設立)
、村山紋太郎、笹野栄吉、滋賀県出身で東浜町辻嘉吉方寄留の中村庄兵衛、小林吟次郎(東京)、大島重太郎(
新潟
,そして購入当時は
新潟
方面への航海にあて、8月以降は昆布や鮭の収獲が始まる三場所や釧路方面に向けるという,明治21年の「函館新聞」の出帆広告では
新潟
便、八戸宮古経由浜中・厚岸便、神戸便などがある。
函館市史 通説編 第二巻
(日銀函館出張店の開業)
便ニシ且金融ノ疎通ヲ謀リ金利ノ平衡ヲ得セシムル」(『日本銀行沿革史』第1輯第1巻)ため、長崎・函館・
新潟
函館市史 通説編 第一巻
(修好通商条約の締結)
イギリス、オランダ、フランスもまたこれにならい、いずれも同様の条約を結び、下田、箱館のほかに神奈川、長崎、
新潟
函館市史 通説編 第一巻
(日本の先土器文化)
追求熱は急速に高まり、西日本では岡山、大阪、香川、福岡等においても旧石器の存在が確認され、東日本でも
新潟
,また、長崎県、愛媛県、
新潟
県、山形県などで縄文式土器より古い土器が旧石器時代の終りの石器群と共に発見され
函館市史 通説編 第一巻
(先史の時代)
以前には新石器時代を縄文時代と呼んでいたが、
新潟
県、長崎県、愛媛県などでそれまでの縄文土器よりも古い時期
南茅部町史 下巻
(沿岸の定期航路)
観音丸 椴法華 銚子行 十二月十九日後十時 南部丸 同所行 第二北越丸
新潟
函館市史 通説編 第二巻
(社外船の登場)
薪潟 瀬越 瀬越 塩屋 瀬越 河野
新潟
新潟
大阪,正義丸 第2運輸丸 平安丸 豊端丸 多聞丸 幸照丸 三友丸 都 佐渡国丸 北後丸
新潟
丸,また有力社外船主の1人である大家七平は29年10月から逓信省の命令により函館・小樽・コルサコフ間と
新潟
函館市史 通説編 第二巻
(販売市場と経営収支)
「函館は鮭・鱒売買の一大市場なり、稀に
新潟
に直航する船舶もあり、輓近小樽港にて稀に売払うものあれども、,運搬す、故に販売の大取次所というも可なり、而してその販路をあぐれば鮭は東京を第一とし、次に仙台、塩釜と
新潟
,なり、鱒はサガレン島総高十分の六は
新潟
へ、その余は東京、仙台、塩釜、石巻、酒田、秋田、直江津、敦賀、伏木等
恵山町史
(1、道南地方の郵便取扱所の開設)
当時函館は、長崎・横浜・神戸・
新潟
とともに港を開く国際貿易港として、各国の領事館や貿易商社なども続々と
函館市史 銭亀沢編
(〈ハネゴ〉)
竹ハリの竹は佐渡、
新潟
のマダケ(真竹)を使用し、割って、煮て干しあげ、固くしたものを削って作った。
函館市史 通説編 第一巻
(為替及び金融)
為替及び金融 為替は江戸、大坂、京都はもちろん、庄内、
新潟
、敦賀、その他の各地に向かっても取り組まれた
函館市史 通説編 第二巻
(郵便制度の発足)
郵便の全国網に意欲を燃やす駅逓寮は、この月、他の開港場(函館、
新潟
、長崎、神戸)にも郵便役所を設置することを
函館市史 通説編 第二巻
(北海道関係の航路)
このうち北海道に関係する航路は東京-函館・小樽・根室、東京-函館・鰺ヶ沢・舟川・酒田・
新潟
、函館-小樽,東京発の便は函館経由で小樽行きの便あるいは根室行きの便がそれぞれあり、函館を中継地としていること、同じく
新潟
方面,この他に不定期航路は、函館・江差、福山(6月より10月までの期間に月に2往復)、函館・土崎、酒田、
新潟
恵山町史
(沿革)
当時の需要先は主に幕府や諸藩で大和船の船長は、大阪・
新潟
・敦賀・下関等へ運搬し売却していたという。
函館市史 通説編 第二巻
(府県の関連団体との接渉)
件についての照会に協力したり(明治26年1月)、あるいは「東京湾、敦賀港、大阪港、四日市港、神戸港、
新潟
港等
南茅部町史 上巻
(新第三紀・中新世)
くなって、このような泥や砂が厚く堆積するようになったわけで、このような海は「渡島半島から現在の秋田県、
新潟
県
函館市史 通説編 第二巻
(発刊数・価格・売り捌き先)
1000部以上の地方を拾ってみると、函館との経済関係を反映し、本州では東京や大阪をはじめ青森・秋田・
新潟
,462 451 331 鹿児島県 33 176 228 210 219
新潟
県
恵山町史
(3、後北式土器文化)
全道に分布しただけでなく、南千島や本州の宮城・
新潟
県まで進出した。 ,北海道全域はもとより南は本州の
新潟
県中央部、北はサハリン南部、東は南千島まで分布した。,本州での分布を見ると、太平洋岸の南限が宮城県で、日本海側の南限が
新潟
県で、秋田県の寒川遺跡では東北地方最後
恵山町史
([続縄文時代])
宗谷地方の一部を除く道内全域に分布し、後続した後北C2−D式土器の時期には北海道はおろか東北地方の宮城県や
新潟
県
戸井町史
(九、〓山田家(西浜町))
九、〓山田家(西浜町) 戸井町字浜町の〓山田家の先祖は五三郎といい、万延元年(一八六〇)九月七日、
新潟
県西蒲原
恵山町史
(経営の概要)
国内では
新潟
の硫曹製造会社などへ販売。
椴法華村史
(大正二年)
本州からの入稼者の大部分は、青森県・
新潟
県・石川県などからであり、裏日本から来る人々の中には例年のように
南茅部町史 下巻
((6)木直学校古部分校)
付生徒四十(三十)名受持ノ見込 教師補助ハ是マテ古部人民協議ヲ以テ同処書役雇置ク
新潟
縣越後國北蒲原郡中条町百三十六番地平民江口藤太郎
函館市史 通説編 第二巻
(当時の宗教気質)
新潟
から来た尼僧6人が、特定の信者を集めて、例えば尼が息をかけた食べ物を病人にふくめると病が治るなどの
函館市史 通説編 第二巻
(日本郵船の創業と命令航路の開始)
高砂丸(2121トン)、長門丸(1854トン)、
新潟
丸(1910トン)、東京丸(2193トン)。,下関、境、敦賀、伏木、直江津、
新潟
、酒田、土崎、函館に寄港。時には寿都、江差に寄港した。
椴法華村史
(明治二十四年)
明治二十四年十一月一日 函館新聞 烏賊釣の困難 本年當港烏賊不漁なる為、佐渡・
新潟
地方
椴法華村史
(八千代丸と共栄丸の衝突)
滊船第三共榮丸と衝突沈沒したる惨報は昨紙を以て逸早く報導する所ありたるが今其の詳報を掲げんに △八千代丸
新潟
縣北潟市八千代滊船會社所有滊船
函館市史 通説編 第二巻
(社寺争いの現実)
明治4年12月のことであるが、開拓使は神祇省に対して、「函館ハ神奈川・神戸・長崎・
新潟
等と同じく一県ノ
函館市史 通説編 第一巻
(日本の縄文文化)
長崎県福井洞窟の地層から、細石刃や有舌尖頭器などの石器と共に発見され、これと似た形式の土器が長野県や
新潟
県,このような縄文文化以前の問題に対して山内清男は、日本の土器の出現をアジア大陸との関連で考え、
新潟
などで
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